第12話 ―蘇合― 石母田竜子
ドサリと荷物のように投げ出された男は、なおも立ち上がろうともがくも身体がうまく動かないようで再び地面へと戻る。
「クッソよえーな。準備体操にもなりもしねー」
呆れたように呟くのは、風に赤い髪をなびかせながら昂然と佇む石母田竜子。十種香専用の真っ白な制服の襟には、彼女が『蘇合』であることを示すピンバッジが輝いている。
吹きすさぶ風に、ミニスカートが煽られるも下にスパッツ履いているためか一切気にする様子はない。
「あいつが出てこないってんならアタシから行くしかねーか……。中でチマチマやるより、外でバーっと派手にやり合う方が性に合ってんだけどな」
地面に倒れ伏した男などすでに眼中にない竜子は、独り言ちながら建物に入るために正面玄関へと向かった。
東京中に備え付けられた監視カメラ及び、あちこちを飛び回るドローンの映像で竜子は朝光がこの建物内にいることを知り、この場へと現れたのだ。
「お?」
正面玄関に来た竜子はその入り口から、出てくる男を目にする。黒髪を借り上げたツーブロックの髪型に、細身だが決して貧弱ではない体つきの青年――渡会朝光だ。自身の目的である人物の登場に笑みを浮かべる。
「お前が、あのロリータ―女を倒した奴だな?」
一応は尋ねる形であるものの、竜子の中では既に確信に至っていた。
「……俺に何の用事だ?」
最強の魔女と恐れられる十種香。どのような人物かと身構えていた朝光だったが、実際に目の前にした相手は自分と変わらないくらいの年頃の、どちらかというと小柄の、いたって普通の少女にしか見えなかった。
「アタシはアンタとやり合いに来た。ただそれだけだ!」
ビシリと人差し指で朝光を指さす。
「兄ちゃん!」
「朝光!」
「来るな!」
追いついた一巴たちが朝光の元に掛けよろうとしたところを、強い口調がそれを制す。
「なんだ、ギャラリーか? そりゃーいい、相手方でも声援はあった方がやる気が出るからな。だが、あぶねーからガキは大人しくそこでみてな」
竜子がそう言うと、一巴たちは委縮してその場から動くことはなかった。
大人しくしていれば、竜子も子どもたちに手を出すことはないのだろう。安心し、朝光は改めて竜子に向きなおる。
「俺はあんたとやり合う理由はない」
「テメーになくともこっちにはあるんだよ。リーダーからテメーとやり合って来いって指令受けてんだ」
正確には朝光の調査を依頼されただけなのだが、竜子の中ではそういう話になっているらしい。
「ごちゃごちゃ御託はいいんだよ! さっさとおっぱじめようじゃねーか!」
待ちきれないとばかりに朝光を誘うように手を招く。その様は蠱惑的な遊女のそれとは違い、瞳はギラギラと輝き、獲物を前にした獣のようだ。
「テメーが来ねーのならアタシから行くまでだ!」
それでも動かない朝光に業を煮やした竜子は、砂煙をあげながら仕掛けてきた。助走の勢いのままに飛び蹴りを仕掛けるも、それを予測し朝光は難なく避ける。
しかし竜子の追撃は彼を逃がすことなどしない。着地すると同時に、逆の脚で再び蹴りを繰り出す。脇腹を狙ったそれを朝光は今度は避けることなく片腕で受け止めた。
「……っ」
思っていたよりもずっと重い蹴りに、体勢を崩しかけた朝光を逃す竜子ではない。
「うりゃ!」
チャンスとばかりに顔面を狙った右ストレートをお見舞いするも、朝光は鼻先ギリギリで躱す。そのまま後方へと大きく跳躍すると朝光は竜子との間合いをとった。
「思ったよりいい動きするじゃねーか。気に入った! アタシは十種香『蘇合』、石母田竜子。アンタの名前も教えな!」
至極上機嫌に竜子は問う。
「渡会朝光だ」
対照的に朝光は渋い顔をし名前だけを簡潔に述べた。
先程竜子の蹴りを受けた右手が痺れを訴えている。さして重量があるようには見えない。むしろ身長だけならば女子の平均よりも下だろう。だというのに、成人男性と変わらぬ威力の蹴りだった。
「渡会、朝光……な。人の名前覚えるの苦手だけど、お前は気にったから出来るだけ覚えてやんよ」
頭に叩きこむように、朝光の名前を口に出しながらトントンとこめかみを叩く。再び好戦的な笑みをたたえ朝光を見据えた。
「でもな、そんな逃げ腰じゃアタシには勝てねー、よ!」
竜子はバネのように跳ね上がり、再び朝光に向かって駆けだす。先程と同様に一撃目は蹴り。避けたところを、しゃがみ込み足元を狙ったローキックを叩きこんだ。
朝光はあえなくバランスを崩し、地面に倒れ込んだところで、追撃の蹴りを受け盛大に吹っ飛んだ。壁に打ち付けた背中と蹴られた鳩尾がズキズキと痛む。いち早く立ち上がろうとするが、痛みに身体がうまく動かず呻きながら地面へと這いつくばった。
「おい、テメー! 何考えてんのか知んねーけど、舐めてんのか? 逃げてばっかいねーで反撃して来いよ!」
せっかく手ごたえのある相手とやり合えると思っていたが、実際には逃げるばかりの朝光に業を煮やした竜子が一歩一歩ゆっくりと朝光に詰め寄ってくる。
「……俺は、女は殴らない」
痛みに顔を歪めながら朝光は告げた。それは彼の信念だ。しかし、それはこの世界では共感するものはいない。女性である竜子自身さえも。
「バカにしてんのか!?」
怒声が空気を震わせる。苛立ちを隠すこともない威圧感に、離れた場所で見ていた伊三がッヒと怯えた様子で声を上げた。
「お前は女だからというだけで私のことを見下して、殴り返さないのか!」
竜子は馬鹿にされるもが何よりも嫌いだった。
幼いころから負けん気が強く、口より手を先に出してはいつも大人たちに叱られていた。口が達者な同級生たち相手に口では勝てなかったが、取っ組み合いの喧嘩で負けたことはなかった。
しかしある程度歳を重ねれば、ほとんどの女子は取っ組み合いの喧嘩はしなくなる。女ばかりの空間は基本口喧嘩ばかりで、口では勝てない竜子は最終的にはいつも手を出していた。結果、竜子は乱暴者というレッテルを張られたていた。
子どもの頃ならそのまま相手も殴り返してきただろうに、いつしか誰も殴り返してこなくなった。そればかりか、すぐに泣いて自分がいかに被害者なのかを周りに訴える。
例え相手が一方的に悪口を言ってきたのだとしても、先に手を出した竜子が悪者だった。意味が分からなかった。傷ついたのは自分も同じであるはずなのに。
中学校に上がるころには竜子は手の付けられない不良というレッテルが張られていた。
誰もが遠巻きにひそひそと陰口をたたくばかりで、直接言ってくるものは誰もいない。「文句があるなら直接いってこい!」と叫んでも腫れもの扱いされるばかり。竜子の足は自然と華胥の外へと向いていた。
華胥の外は男しかいなかった。男は女と違って野蛮で乱暴者ばかりだと教え込まれていた。実際にはそうではないのだろが、少なくとも幼いころからそう教育されたものは疑う余地すらなく思い込む。例にもれず竜子もそうで、ここなら存分に拳で語り合うことが出来るのでは思ったのだ。
おおむね竜子の予想通りだった。女性たちに日々抑制された生活を送っていた男たちは、女の子である竜子を見るやいなや襲い掛かってきた。
女子中学生が一人、飢えた男たちの中に放り込まれた(正確には自ら突っ込んだのだが)と聞けば、誰もが目も当てられぬ惨状を想像するのだろうが、竜子の場合はそうはならなかった。
自身の拳と、そのころには既に覚醒していた異能力で襲い来る男どもを片っ端から薙ぎ倒していったのだ。それで調子づいた竜子は来る日も来る日も華胥の外へと繰り出した。
しかし調子に乗った子どもがどうなるかは火を見るよりも明らか。
いつものように鬱憤を晴らそうと華胥から出た竜子は、男どもに囲まれた。今まで二十人前後くらいの集団に囲まれたとこは何度かあったが(その全てを返り討ちにした)この時は桁が違った。百人以上の男たちが一人の女子中学生をいたぶるためだけに集まっていた。男たちは皆、過去に竜子にボコボコに伸されて彼女に恨みを持つものばかりだ。まあ、竜子は誰一人として顔なんか覚えていなかったのだけれど。
そのことすら男たちには火種となり導火線に火をつけた。男どもは最初こそ竜子の異能力に押され気味であったが、竜子とて人間だ。スタミナ切れも起こる。そこを狙われてしまえばさすがの竜子も勝てなかった。
無数に殴られ地に転がされ、罵倒を吐かれ続ける。いくら自業自得とも言えども耐えがたき屈辱だった。今すぐ殴ってその口を閉じさせたいが、そんな力は残っていない。ただただ自分無力を嘆くしかできなかった。
ちなみにその後すぐに助けが入って竜子が事なきを得たのも、助けてくれた人物の影響でその数年後に十種香に入ったのもまた別の話だ。
しかしその時のことを竜子は一生忘れることはないだろう。屈辱も怒りも悲しみも、全て。
そして今その苦々しい記憶がフラッシュバックする。方向性は違えど、自分を馬鹿にする男が目の前にいる。
人によってはそれを『優しさ』ととらえる人もいるのだろう。しかし竜子はそうは思えなかった。一対一でなら男性相手であろうが負ける気はしない。それを『女』だというだけで『弱い』と決めつけられ、手を抜かれた。竜子はそう感じたのだ。
「舐めやがって! ……クソ野郎が!」
未だ立ち上がれずに地に伏したままの朝光を、怒りのままに蹴り上げた。
「っぐぅ!」
腹部を蹴られた衝撃に朝光が呻く。それでも竜子の怒りは収まることはなく何度も何度も蹴りつける。
「やめろ!」
静止をかける声で、ようやく竜子の足は止まった。声の主は一巴だった。いつのまに傍まで来ていたのだろうか、朝光も竜子も気が付かなかった。
動きのとまった竜子の前に、一巴が朝光を守るかのように立ちふさがる。キッと気丈に竜子を睨みつけるももののその足は恐怖から震えており、精一杯の強がりなのだとわかる。
「退け、ガキ」
「ど、どかない!」
今すぐ逃げ出したいだろうに、それでも一巴は引こうとはしなかった。背後にいる朝光に死んでほしくないという一心で。
「……これ以上やったら、死んじゃう」
目に涙を溜めて、一巴が呟く。それを見た竜子は、気がそがれたように深い溜息を吐いた。
「おい、聞こえているか朝光。お前こんなガキに守られて恥ずかしくないのか? お前がバカにした女にこんだけボロボロにされて悔しくないのか?」
一巴の後ろで横たわり、未だ動く気配のない男に問う。その声からは殺気は消え、呆れを含んでいた。
声が帰ってこないことに、気絶してしまったのだろうと竜子は見当をつける。ならばこのままこの場所にいても意味がない。沙也可には朝光は根性なしのクソ雑魚だったと報告してするとして、さっさと華胥に帰ろうかと思ったとき、微かに声が聞こえた。
「……俺は、女は守るべきだ、と言われ育った……。暴力は、ふるうべきではないと……。決して、君を馬鹿にしているわけでは、ない……」
腹を執拗に蹴られ声を出すたびに痛むのだろう、顔をしかめながら話す。
「どこの田舎出身か知らねーけど、そんな考えは二百年も前に廃れてるよ。今の女は守られる存在じゃないし、アタシは守られたいとも思わない。守ってもらうほど弱くはない」
似たような言葉をさっきも聞いた。全登がバカにするように言っていた。
「朝光は優しいだけなんだ!」
悲痛な一巴の叫びが響く。これも先ほど伊三が似たようなことを言っていた。
「それは優しさじゃねぇよ! ただの独りよがりだ! 女を舐めているだけだ!」
これは誰も言っていなかった。あの場にいたのは魔女に怯えた男ばかりだったから。その言葉は当事者である女性の意見だ。
「アタシは、対等に男と渡り合える自信がある。だから、アタシと本気で殴り合え!」
朝光を真っすぐに見つめてくる眼差しは、真剣そのものだ。
朝光はふいに通っていた格闘技道場の師範の言葉を思い出した。あれは他の道場との練習試合で、朝光より格下と当たった際に手抜きしたことが師範にばれた際の言葉だった。
「お前はこの道場の中でもずば抜けて強い。しかしだからと言って、試合中に手を抜くとはけしからん。格闘技を習っているものは全て戦士だ。戦士に対して手を抜くということは相手を侮辱することと同義だ」
目の前に佇む相手は戦士なのだ。それに手を抜いたとあれば大変失礼なことだ。それがたとえ相手が女性であっても変わりはしないだろう。男だから女だからと分ける必要などどこにもないのだ。
「そうだな……。確かに失礼なことをした。それについては謝るよ。改めて俺の方から手合わせを申し込ませてくれ」
朝光が深々と頭を下げると、許すとでもいうかのように竜子は嗤った。
「そう来なくちゃ!」
至極楽しそうにそう言った竜子に答えるために、朝光は重い体を叱咤し立ち上がる。くらりと眩暈に襲われるが、ゆっくりと息を吐き出せば次第におさまった。
改めて朝光は竜子に向き合う。心地のいい緊張感が二人の間に漂う。
そこに割り込む声があった。
「ちょっと待て! さっきまであれだけやられてたってのに何言ってんだ! そんなボロボロの体でやり合っても負けるだけだろ。下手したら死ぬぞ!」
一巴が朝光を行かせまいとその腕にしがみ付く。先ほどまで死にそうになって地面を転がっていた奴が再び、殴り合いに行くなんて正気の沙汰とは思えない。
「心配してくれるんだ、一巴。ありがとう」
朝光は縋る一巴の頭を優しくなでてから、自身の腕に巻きつく腕をそっと解き笑いかけた。
「なっ! し、心配なんかしてねーよバカ!!」
撫でられた頭に手を置き慌てふためく。一巴は照れ隠しに悪態をつきながら伊三が隠れている物陰へと戻っていった。
朝光の驚異的な回復力をもってしても、流石にこの短時間での全快は無理だ。しかし、動けない程ではない。
首を回し、軽く屈伸する。次に腕を回し、体を数回捻ってみる。腕の痺れは既に消えた。腹部はまだ痛むが、我慢できない程ではない。どこまでも規格外の男だ。
「大丈夫、もう問題ない」
自分に言い聞かせるように呟いた。
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