第9話 再会
窓から差し込む光が眩しくて、朝光はうっすらと目を開ける。いつも寝る前に引く遮光カーテンを昨晩は引き忘れただろうか、などと考えながら日のさす方へと首を向けると彼が想像していた自室の風景とは全く異なった景色がそこには広がっていた。
錆びついた窓枠、所々ひび割れた壁。ガラスの割れた窓からは伸びきった木々が侵入してきている。
横になっている場所見慣れたベッドではない。布を敷いただけの床だ。どおりで背中が軋むわけだ。
ここが自室でないことをようやく朝光は理解した。自分が見つけ出して数時間過ごした廃墟ともまた違う場所だ。朝光にはこんな場所、記憶になかった。
身を起こすと、くらりと眩暈が襲う。それと同時に腹部にズキリと鈍い痛みが襲った。そこでようやく、意識を手放す前に何があったのか思い出した。ロリータ服の女性が制服の二人組に連行された直後、自分はぶっ倒れたのだと。
理由はおそらく貧血だろう。思っていたよりもずっと血を流しすぎたようだ。ワイシャツはおろか、ジャケットまで血で真っ赤に染まっている。人一倍丈夫に出来ている朝光だったが、流石に貧血には勝てなかったらしい。
血で黒く染まったワイシャツを捲りあげると、包帯代わりの布が巻かれている。誰かが治療してくれたらしい。あの時そばにいた二人の子どもの顔がよぎる。
礼を言わなければと朝光が身を起こしたとき、部屋の外から足音が聞こえてきた。暫く待っていると、扉のない部屋の入り口から赤茶色の髪が視界に入った。
「あ――!」
朝光の顔を見た途端、駆け寄って来る子ども――伊三。その目にうっすらと涙が見えた。
「良かった! 死んだかと思った!」
「グフッ!」
飛びつくように抱き着いてきた伊三の頭が、思い切り腹部に入り傷を直撃した。油断している時の突然の攻撃 (本人には攻撃のつもりはないが)に油断していた朝光は床をのたうち回る羽目となった。
「兄ちゃん大丈夫か!?」
何が起こったのかわかっていない伊三が床に突っ伏す朝光に、心配の声をかける。相手に悪気がないのが分かっている朝光としては、脂汗をかきながら「大丈夫」と苦笑いで答えるしかなかった。
「……伊三が、原因じゃん」
呆れた声が部屋に響いた。この部屋に訪れたのは伊三一人だけかと思っていたが、どうやら違ったようだ。入り口近くの壁に背を預け、こちらを伺っている子ども。その子に朝光は見覚えがあった。
「あ、君は……!」
山吹色の髪の子ども。朝光がこの世界線にきて初めて会った人物だった。
「よぉ、また会ったな」
中性的な的な顔立ちで性別がいまいち判断しづらいが、口調から男の子ではないかと朝光は判断する。まさかまた会うことになるとは思っておらず、固まっていると下から声が聞こえる。
「あれ? 兄ちゃん一巴と知り合い?」
「知り合いって程でもないけど……まあ、そんなとこだな」
知り合いと言えるほど朝光は相手のことを名前すら知らないが、『なんだかんだあって、逃げるために数十分一緒に走った仲』だなんて正直に話す必要もないかと適当に相槌を打つ。
「ところで、兄ちゃん。名前なんて―の? 俺は
伊三に言われてそう言えば、自己紹介すらまだだったことを思い出す。
「俺は渡会朝光。よろしくな、伊三」
「うん、よろしく!」
元気よく返事する伊三は年相応でとても微笑ましい。
「っで、君は?」
今まで黙っていたもう一人に、朝光は質問を投げかける。折角また会えたのだ、名前だけでも聞いておきたかった。
「……一巴。
「よろしくな、一巴」
「……おう」
あんな別れ方をしたために一巴としては少々気まずいようで、ぶすくれた調子で返事を返す。そんな一巴の態度に朝光は気を損ねることもなく、懐かない猫のようだなぐらいにしか思っていなかった。
「まさか君たちが知り合いだったとはね。驚いたよ」
「一緒に行動しているだけだ。こんな場所で子ども一人で暮らすのは危険でしかないからな」
二人はどうやら今いるこの建物で共に生活しているらしい。お世辞でも治安がいいとは言えないこの場所で、弱者である子供が身を守るためには群れるのが正しいのだ。
「一巴はね! 歳もそう変わらないのに凄いしっかりしてるんだよ!」
まるで自分のことのように伊三が誇らしげに自慢する。
それがむず痒いのか、一巴は恥ずかしさを誤魔化すようにそっぽを向いた。
「でもたまに、すごいドジやっちゃう時もある! こないだなんて、毒キノコ食べようとしてたんだよ!」
「あれは仕方ないだろ! 食べれるやつと似てたんだから!」
一巴は羞恥から顔を真っ赤にして、伊三の頭を軽くはたいた。はたかれた伊三は大げさに頭を抱えて痛がる振りをする。
「そんなことより、帰ってくるのがずいぶん遅いと心配していたら、顔を真っ青にした二人が血だらけの男抱えて戻ってきてさ。しかもその血みどろの男ってのが昼間に会ったほら吹き野郎と来た……」
「ほら吹きって……」
朝光としては嘘は一言も付いていないし、未だにその認識でいられるのは少々居たたまれないものがある。
「そういえば、もう一人は? 伊三と一緒にいただろ、黒髪の……」
「ああ、甚内のことか?」
「あいつはね、
嬉しそうに甚内を紹介する伊三の表情に、よほど仲がいいことがうかがえる。
「あいつ今、お前が起きたって聞いてドクター呼びに行ってるからもうすぐ来るんじゃないか?」
そうこうしているうちに、部屋の外から足音が聞こえてきた。おそらく、足音の主は甚内だろう。噂をすればなんとやらだ。
「連れてきたぞー」
案の定姿を現したのは、甚内だった。しかし彼一人ではなく、後ろにもう一人いる。彼が伊三の言う『ドクター』なのだろう。
「やあ、起きて早速だけれど体の調子はどうだい? 気持ち悪いとか猛烈に痛みを感じるとかはないかい?」
銀髪に眼鏡の青年がにこやかに話しかけてくる。歳は朝光より上、二十代半ばから後半といったところだろうか。柔らかな笑顔に柔和な印象を感じる。
「えっと……」
「ああ、これは失礼。僕の名前は
ハハハと和やかに笑う頼成に、なんて返すべきか困りながら朝光は相手に合わせるように笑った。
闇医者なんて朝光のいた世界では普通に生きていれば早々会うこともない相手だった。けれど、ここでは普通にいるものなのかもしれない。樹海化したこの地ではありえない話ではない。
「えっと、少しふらつきますが気持ち悪さはないです。腹部はまだちょっと痛いですけど……」
「命に係わる傷だったのに、ちょっとの痛みなんて言っちゃうのは我慢強いのか感覚がバカになっているのかわからなくてちょっと心配だけれど、見たところ大丈夫そうだ。ふらつきは血が足りていないせいだろう。あんな傷拵えて出血多量で死にかけていたのに、輸血もなしで目を覚ます君は、人より丈夫に出来ているのだろう。」
確かにこんな環境では輸血などできそうには見えなかったが、改めて自分の頑丈さを認識した朝光だった。蔵屋が言っていた通り、これでは確かに化け物だろう。
「いやー、二日たっても起きる気配がないからこのまま目覚めないのかと心配したよ」
「え? 二日!?」
一晩しかたっていないと思っていた朝光は盛大に驚く。そういう事ならば、先程の伊三の過剰な様子も納得がいく。
「君が意識を失っているうちに傷は縫ってしまったから血はもう出ないけれど、無茶をしてはいけないよ。いやー、血だらけの君を見た時はこりゃ駄目だと思ったものだけれど、なんとかなってよかったよ。ああ、一巴君にはちゃんとお礼を言うんだよ。僕をここまで連れてきたのは一巴君なのだから」
「一巴、ありがとう」
そう言われ、朝光がお礼を言うとさっと一巴は視線を逸らす。
「伊佐が! 『兄ちゃんが死んじゃう!』って泣きわめいて煩かったから! 仕方なくだ! 頼成と顔見知りだったのは僕だけだったからな!」
眼(まなこ)を吊り上げ素っ気なく返す一巴だが、真っ赤に染まった顔で言ってもそれが照れ隠しであることは一目瞭然だった。
「さて、朝光君はもう大丈夫のようだし僕は帰るとしよう。それでだが、治療費なのだけれど誰が払ってくれるのだい?」
「え?」
「あ……」
「ゲ……」
子どもたちは三人揃ってぴしりと固まった。お金の事などハナから頭になかった事が見て取れる。
治療費がどのくらいかかるのか知りもしないが、闇医者ということは間違いなく保険適用外だ。ならば法外な金額を請求されかねない。その身一つで飛ばされた朝光はポケットに入れっ放しの小銭くらいしか持っていない。かといって、助けてくれた子どもたちにこれ以上頼るわけにはいかない。
「何、お金ないの?」
頼成の目が鋭く細められた。
「あー、えっと……」
お金がないのは事実だが、正直に言ってしまってもいいものなのか悩む。かといって、うまく誤魔化せる気もしなかった。
「いいよ、お金なくても」
「マジで!?」
頼成の言葉にパッと伊三の顔が綻んだ。
「ただし、体で返してもらうことになるけどね」
一瞬喜びかけた一同だったが、頼成が怪しい笑顔で付け加えた言葉に固まる。
「……もしかして、臓器とか?」
体で返す=臓器売買という方程式が真っ先に頭に浮かび、朝光は顔を青くする。そんな朝光のリアクションがよほどおかしかったのか、頼成は盛大に笑った。
「違う違う。僕が君に望むのは労働力だ」
ひとしきり笑った後、目じりに涙を浮かべながら頼成が言う。
「君も、僕たちレジスタンス組織『ベフライエン』の仲間になって魔女から政権を取り戻さないかい?」
眼鏡の奥で意味深に細められた瞳に、朝光は嫌な予感を感じた。
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