第7話 華胥

 華胥かしょとは中国に伝わる伝説上の理想郷。

 この国に華胥と呼ばれる区域が存在する。とはいっても、勿論本物の理想郷たる華胥ではない。その名を関しているだけのものだ。

 全国に五十ヵ所以上ありそれら全て、高い塀に囲まれ、出入りを制限された女性のみの居住区だ。制限されているとはいっても、出入りはそれほど難しくはない。個人の情報が入ったIDカードと、虹彩認証で出入りは比較的自由だ。


 しかしそれは女性に限った話である。男性は例外なく全て出入りを禁止されている。

 中では女性たちは何不自由のない快適な暮らしを送っている。学校、ショッピングモール、美術館、レジャー施設など大抵のものは揃っている。

 女しかいない、ということを除けばどこにでもあるありふれた日常。ここに住む人間にとってはこの光景こそが日常であるのだけど。



 鎌倉の華胥内にある全校生徒三百人強のここ葉縦院ようじゅういん小等部でも、生徒も教師も全て女子であることも、学校名に『女子』とついてないこともいたって普通で当たり前のことだ。


 運動場では三年生が体育の授業でサッカーをしており、校舎の南側では六年生が美術の授業で写生している。校舎内も同様に授業が行われており、教師や生徒の声が教室内から聞こえてくる。

 五年三組の教室でも他と同じように、教師の声が響き渡る。


「およそ二百年前に史上最悪の感染症が世界中で蔓延しまし、老若男女、貴族貧民問わず多くの人々がなくなりました。その感染症のせいで、世界の人口は半分にも減ったと言われています。

 危機を感じた当時のこの国の政府は最大限人間同士のスキンシップを禁止しました。その結果人工授精を推奨し、皆さんもご存じの通り今や妊娠は百パーセント人工授精になっています。

 そしてその十年後に異能力を備えた女性が歴史に初めて登場します。それが、『始まりの聖女:葛貫英子つづらぬきはなこ』です。それ以降続々と異能力保持者が発見されることとなります。その全ては女性で、男性の異能力保持者は今日こんにちまで一人も発見されておりません。ちなみに女性だけに異能力顕現した理由は数多な説がありますが、正確な理由は未だにわかっておりません。

 以降異能力保有者は能力の持たなかった者たち、主に男性たちに『魔女だ悪魔だ』などと罵られて迫害されます。迫害され続けた異能力保持者たちは手を取り立ち上がります。それが『世界同時魔女革命』です。その後大戦にまで発展します。はい、『世界魔女大戦』ですね。

 大戦で勝利を勝ち取った異能力保有者たちは、独自の生活圏コロニーである『華胥』を立ち上げ男性たちとは生活圏を別離します。そしてそのころにはすべての女性が異能力をさせており……」


 女性であれば、小学校に入る前から耳にタコができるほどに聞かせられた話だ。誰だって知っている、常識中の常識だ。そんな聞き飽きた話に生徒たちは皆、暇そうに教師の話を聞き流している。中には寝ていたり、バレないように机の上に開いた教科書を立てかけスマホを見たりマンガを読んでいるものまでいる。


 窓際の一番後ろの席の少女もまた例外ではなく一人つまらなそうにしていた。彼女の名前は三宿満天みしゅくまんてん。顔にかかるキレイな若草の髪を邪魔そうに手櫛でまとめながら大きな愛らしい目は窓の外、校庭を見下ろしている。


 校庭の端に植わっている木々には葉っぱは一つもついておらず、とても寒々しい。花でも咲いていれば見栄えも少し良くなるだろうが、十二月である今では無理だろう。

 春になれば木々だけでなく、花壇も盛大に花咲くことだろうがまだ三ヵ月は先の話だ。しかし代り映えのない景色でも、聞き飽きた授業よりかはいくらかマシだと、校門の前を横切る犬の散歩中の女性を見ながら満天は思う。


「三宿さん」


 意識を窓の外にやっていた少女は教師に呼ばれ、ようやく視線を教室内へ戻す。やる気のない少女の態度にお冠の様子である壮年の女教師は眉を吊り上げたまま少女の名をもう一度呼んだ。


「三宿さん、二年前に東京が樹海と化した理由を答えない」


 ヒステリー持ちで有名な教師、こうやっていびるように生徒を指名することで有名だ。

 満天はそんな教師を大人げないなと思いつつも素直に立ちあがった。


「二年前、十種香じしゅこうである緑の聖女の実姉がレジスタンに殺され彼女の力が暴走したためです。彼女の死後も東京があのままなのは呪いだなんて噂のありますが、正確な理由は未だにわかりません」


 淡々と言うべきことだけを述べると満天は、教師の返答も待たずにさっさと席へとつく。

 それと同時に教室内が騒がしくなる。


「十種香の満天ちゃんにこんな質問する?」

「しかも満天ちゃん、緑の聖女と同じ『白膠はっこう』でしょ? 知ってて当然じゃん」

「性格悪いよね」

「大人げなーい」


 口々に女教師を責める言葉。青筋を立てながら教師が「静かにしない!」と喚き散らしているが誰も聞く耳なんて持ちはしない。


 『十種香』とはこの国屈指の異能力精鋭集団だ。年齢関係なく異能力の有用性だけに注視して厳選に厳選を重ねて選ばれた十人。いわばエリートだ。

 メンバーにはそれぞれコードネームが与えられる。満天はその中の『白膠』の名を預かっていた。

 『白膠』は二年前に前任が亡くなってから暫く不在だった。歴代最強とまで言われていた先代『白膠』の後釜となると、中々に後任が見つからず難航していたがその先代に負けず劣らずの異能力を持った満天が他の十種香たち満場一致の総意でつい二か月前に最年少十種香入りを果たしたのだ。



 ざわざわと以前騒がしい教室に、けたたましい電子音が突如鳴り響いた。


「誰のスマホですか! 授業中はマナーモードにしなさいと言ったはずですよ!」

「はい。白膠、三宿満天です」


 教師の金切り声を気にすることなく、満天はブレザーからスマホを取り出すとさも当然の如く電話に出た。

 そんな傍若無人な満天の態度に口をあんぐり開けて教師は叱ることも忘れて呆けた。早々に電話を終わらせた満天が固まったままの教師に声をかけてきた。


「先生、十種香の招集がかかりましたので早退します」

「そ、そう。気を付けて行ってきなさい」


 教師は文句も嫌みも言うことが出来ず、ただ頷いた。

 十種香は国公認の機関だ。招集がかかればそちらを優先せざるを得ない。一教師が口を挟むなどできるはずもない。

 教師は何か言いたそうな顔をしながらも、言うことなどできずに引きつった笑顔を浮かべながら教室から出て行く満天を見送った。


「こんな時間からお仕事とか大変だよね」

「招集ってことは、他の十種香の方たちも集まるんだよね。いいな私もあってみたいー」

「あんたのショボい異能力じゃ無理でしょ」


 満天が去った教室は沸くように騒ぐ教室内。好き勝手言っているクラスメイトの声を背に受けながら満天は先を急ぐ。


(お子様ばっかり)


 満天にとって、クラスメイトは子どもにしか思えなかった。くだらないことで毎日きゃあきゃあ騒いで何がそんなに楽しいのかわからない。クラスメイトだけじゃない、教師もそれ以外の大人も満天にとっては有象無象に過ぎない。


 彼女が心許していたのは母親と十種香の仲間たちだけだ。それ以外は全ていても居なくても問題ないものだった。

 しかし、それは女性に限る。男性は全て嫌悪する対象だ。生まれも育ちも華胥である満天は男性と直接会って話したことはないが、野蛮で凶暴な生き物なのだと大人たちに聞いて育った。嫌悪の対象であり、また恐怖の対象でもあった。


 華胥は住みやすく整備された閉鎖された都市だ。華胥に入れるのは女性のみ。だから街には女性しかいない。学校も、電車の中も、デパートも、道端もすべて女性だ。

 それに文句を言う人もいるかもしれない。いや、間違いなくいるだろう。しかし、満天は女性しかいないこの街でしか落ち着いて暮らせる気がしなかった。


 ◆


 十種香本部の更衣室。たいして広くもない空間に衣擦れの音だけが聞こえる。今はこの部屋には満天しかいない。

 毎日着ている紺色の制服から、真っ白な十種香の隊服に袖を通す。首元に大きな赤いリボンを付け、胸元に『白膠』のマークの入った銀色のブローチをつけて身支度が完成だ。ロッカールームの奥にある姿見の前で満天はくるりと一回転する。フリルがふんだんにあしらわれたスカートがふわりと翻る。

 満天はこの隊服がたまらなく好きだった。オプション追加やカスタマイズを好きに出来ることも理由の一つだけど、一番は自分が十種香のメンバーでいられるという事実が嬉しいのだ。満天が十種香に配属されて二カ月たったが、未だに夢ではないかと思ってしまう。それほど彼女にとって十種香はあこがれの存在だったのだ。


 コンコン


「はーい」


 ドアをノックする音に満天が返事をすると、開かれたドアからずんぐりむっくりの人間と変わらぬ大きさのワウソが現れた。ふかふかの毛並みは着ぐるみのようにも見えるが、背中にファスナーらしきものはついていない。


「邪魔するでー」


 この更衣室は十種香専用だ。よってこのカワウソも十種香の一員である。その証拠とばかりに、満天と同じ十種香の制服である真っ白なジャケットを羽織っているし、その胸元には銀色のブローチが輝く。


「あー、コツメさん!」


 カワウソの姿を捉えると、満天は嬉しそうに駆け寄っていった。学校では始終大人びた表情で過ごす満天だが今は年相応のはじけるような笑顔を浮かべる。

 迎えるように両手を広げたカワウソに、満天はその胸へと飛び込む。包み込むような柔らかさと温かさが満天を包み込んだ。


 彼女は十種香『鶏舌けいぜつ』のコツメ。名前と役職以外は全ては謎に包まれている。ただし、十種香に選ばれる程度には異能力が秀でていることだけは間違いなかった。


「満天ちゃん、久しぶりやんなー。また大きくなったんちゃうん?」


 手にしていたカバンをロッカーに入れるとコツメは満天に向きあう。形のいい若草色の丸い頭をうりうりと撫でながらそんなことを言うコツメはまるで親戚のおばさんのようだ。まあ、ビジュアルは幼女に懐く巨大カワウソなのだが。


「一週間前に会ったばっかりだから! 会う度に同じこと言うー」

「堪忍やわー、そないにおこらんとって。可愛い顔が台無しやで」


 ぷっくりと膨らんだ満天の頬をツンツンとつつく。弾力性のある肉球が気持ちよくて、つい笑顔へと変わる。


 満天はコツメのことが大好きだ。最大の理由はその見た目。動物好きの満天にとってコツメ見ているだけで癒される。中に人が入ってようが、機会が内蔵されていようがそんなことは可愛いから大したことではなかった。かわいいは正義だ。とはいっても勿論可愛いだけではなく、彼女の異能力も当然尊敬している。


「邪魔するぞー!」


 ッバンという騒々しい音をたてて開かれたドアから、女性が一人現れる。真っ赤に燃えるような髪色。頭頂部の髪は短く切りそろえられあちこち跳ねているが、襟足は長く背中までかかっている。釣り上がった目からは勝気な印象を感じる。茶色のブレザーを着ているのを見るかぎり学生のようだ。

 彼女は十種香『蘇合そごう』――石母田竜子いしもだたつこ


「ノックぐらいしてーな石母田はん」

「うっせーよ、似非関西弁」


 竜子は文句を言うコツメを適当にあしらいながら自身のロッカーへと向かうと、雑に制服を脱ぎながら着替え始めた。


「っで、似非野郎はなんでここにいるんだ? お前着替えの必要ないだろ」

「荷物置きに来ただけや。それともなんや、あんたさんに許可も取らんとここは使えへんのか?」


 売り言葉に買い言葉。言葉の応酬に満天はただただ委縮し黙って事の次第を見守るしかない。下手に口を出したら矛先が自身に来る、ことはないにしても出来るだけ厄介事は避けたい。

 ッチと、比較的な大きな舌打ちが聞こえた。竜子からだ。口ではコツメに勝てないと思った彼女は負け惜しみとばかりに舌打ちをした。眉間に皺をよせ、不機嫌を隠そうともしない。

 いっときの静寂がロッカールームを包む。これで言い争いは終わりかと満天が胸をなでおろした瞬間、次の火蓋が切られた。


「それにしても、今日はなんや急やなぁ。何の集まりやろね? また誰かはんが大事しでかしたんちゃうの?」


 やめておけばいいのに、コツメの舌はよく回るようだ。


「あ?」


 あからさまな嫌みをスルーするなんて言う穏便さは竜子にはなく、地を這うような低い声が口から漏れ出た。その額にはくっきりと青筋が浮かんでいる。


「アタシがなんかしでかしたって言いたいのか?」

「コツメさん!」


 竜子はコツメに詰め寄り、胸ぐらをつかむと睨みつけながら背後のロッカーに押し付けた。ガンっという鈍い音が響く。


「別にー? 竜子はんとは一言も言うてへんよ。ただ、いっつも何かしらやらかして始末書かいとる人おったなと思っただけや」

「……っ! 言わせておけば、調子乗りやがって!」

「やめて!」


 満天の悲痛な叫びも無視し、竜子が殴りかかろうと拳を振り上げた。その時、


「おじゃましーす!」


 重い空気をぶち壊す勢いで、アグレッシブにあけられたドアから能天気な挨拶共に四人目が現れた。

 成田里美なりたさとみ、十種香『欝金うこん』。ここにいる中では一番年上(コツメはわからないが)だが少々童顔なのと、百五十センチという低身長のせいでそうは見えない。

 元気よく扉を開けたはいいが、空気を間違えたような気配に首を傾げる。長めの明るい茶色の三つ編みがそれに合わせて揺れた。


「……ッチ」

「里美はん……、扉は静かにあけんといかんよ。あと、開ける前にノックはしたほうがええよ」

「里美さーん!」


 涙目の満天に抱き着かれながらも、訳がわからず里美の脳内はクエスチョンマークでいっぱいだ。訳は分からないが、丁度いいところにある満天の頭を撫でるは忘れない。


「え? 私もしかして何かやっちゃった?」


 なんて尋ねるけれど、答えるものは誰もいない。


「ほなうちは先行っときますわ」


 コツメが自分で重くした空気を無視して、さっさとロッカールームを後にした。コツメの出て行った数秒後、ッガンという鈍い音が響く。竜子が、怒りに任せてロッカーを思い切り蹴った音だ。ロッカーは無残にへこんでしまっている。


「あー、ちょっとお手洗い行こうか満天ちゃん」


 無言で頷く満天を連れ里美は更衣室を後にした。触らぬ神に祟りなしだ。

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