第6話 罠

 ガサリガサリと音がする方へロリータ女は向かう。手元に戻ったランプは足元を明るく照らす。これでもう転ぶことはない。

 これに対し、相手は明かりになるものは何も持っていない。どこにいるのか視覚では見つけることは到底難しい。時折聞こえてくる物音を頼りに追う他ない。


「どこに行ったというの!? ドブネズミ!」


 突風が吹き、合唱のように木々が一斉に葉を揺らす。ざわざわといつまでも騒めく音のせいで完全に朝光を見失い、忌まわし気に悪態をついた。


でこぼこの地面を高めのヒールで走ったせいで足は痛いし、草木が生い茂る道なき道を来たせいでお気に入りのタイツは伝線し穴が開いてしまった。いっそこのまま諦めて帰ってしまおうかと頭をよぎるが、ここまで馬鹿にされて何もしないなど彼女のプライドがそれを許さなかった。

 ランプで闇雲に四方八方を照らして、何か朝光の消息を掴むものはないかと手当たり次第に見て回る。


 そんな折、女はあるものが目に入る。それはひざ丈ほどの草木が無残にへし折られている様だった。植物の様子を見るかぎり、折られてからそれほどの時間は経っていないだろう。きっと、今自分が追っている相手が残したものだとロリータ女は確信した。

 他にも同じような形跡はないかと見回すと、数メートルおきに踏み荒らした跡を見つける。


「ッフフ、無様ですわ。これじゃ追ってきてくださいって言ってるのと同意。やはりドブネズミは頭が足りてないのかしらねぇ」


 くすくすと笑いながらロリータ女は朝光の形跡を追っていく。彼を捕まえた後、どんな目に合わせてやろうかなんて上機嫌に考えながら。自分がすでに罠にかかっているなんて思いもせずに。



 形跡を頼りに数分走ると、開けた場所に出た。そしてその中央には、ロリータ女が追っていた相手――朝光が立っていた。その後ろには崩れかけた建物が行く手を阻んでいる。ロリータ女は朝光が逃げ場がなくなり途方に暮れているものだととらえた。


「ようやく追い詰めましたわ、ドブネズミ! 追いかけっこはもう終わりですわよ!」


 ロリータ女は先ほどまで痛んでいた足のことなど忘れ、朝光に向かって一目散に駆けだした。ランプの光に朝光の顔が照らし出される。きっと惨めに怯え涙を流しているのだと思っていた。しかし実際に朝光が浮かべていた表情は全く別のものだった。


「待っていたよ、お嬢さん」


 それは好戦的な笑顔だった。


「あら、強がってまぁ。そんな虚勢無駄ですわ! 爆散なさい!」


 その笑顔を虚勢だと受け取ったロリータ女は、右手を朝光に向かって突き出す。散々逃げ回られた腹いせに、動けなくしていたぶってやろうなどと考えて足に狙いを定めた。


「そりゃ!」


 気の抜ける掛け声と共に朝光が何かを振りかぶった。彼が手に持つものが何なのかわかる前に、ロリータ女は顔に何かをかけられた。

 それが何かの液体ということがわかったのは、数秒後。顔だけではなく全身がずぶぬれだ。布を大量に使ったドレスは水分をふんだんに吸って重く感じる。パニエどころかドワローズまで水浸しで気持ち悪い。


 突然のことに驚いたもののロリータ女はすぐに持ち直し、改めて目の前の男を爆破させようと手に力を込めた。しかし、彼の手にしているものーードラム缶を見て女は動きを止めることとなった。


「まさかこれ、ガソリン……!!」


 ドラム缶に入っている液体と言ったら真っ先にガソリンを思いついた。そんなものを全身に浴びせられて爆発なんてさせたら二人まとめて盛大に爆死して終りだ。いくらロリータ女が爆破の異能力(ガーペ)持ちだと言っても爆破に対する耐性はない。確実に死んでしまう。


「安心しなよ、これただの水だから。まあ、どちらにしろ爆発はこれで封じられただろうけど」

「……なっ!!」


 にやりと笑うその顔が異様に癇に障って、力任せに爆破させようとした。しかし、爆発は起こらない。彼女の異能力である爆発も、ガソリンの引火による爆発も何も起こらない。ただ風がはっぱを揺らす音だけが聞こえる。


「それだけ水濡れになれば、君の使っている爆薬も湿気て火も付かないさ」

「何故それを……!」

「そりゃ気がつくよ。君が爆発させる時微かに火薬のにおいがした。爆破魔法ならそんな匂いはしない」


 女が自ら言った異能力、『爆破』は嘘だった。本当は長い袖の中に隠し持っていた爆薬に素早く火をつけて投げつけ、あたかも爆破能力があるかのように見せていたのだ。

 鼻の効く朝光には火薬の匂いなど嗅ぎ分けるのはたやすいことだった。


 ロリータ女の異能力の正体に気が付いた朝光は、真っ先にどうすれば無力化できるかを考えた。そこで先ほどまで自分が寝床にしていた場所にドラム缶が何本もあったことを思いだした。その中には大量の雨水が入っていたことも。

 だからわざわざこの場所に誘導させるためにわざと逃げる風に装って走り出したのだ。そうとも知らずロリータ女はまんまと罠にはまったという訳だった。


 しかしひとつ疑問が残る。爆薬にどうやって火をつけていたのかということだ。ライターやチャッカマンで火をつける様子はなかった。そうなると、あとは……


「爆薬に火をつけたのは魔法……いや、ガーペというのだったかな?」

「ええ、ライター程度の火力しかないしょぼい異能力ですわ……。」


 実際に見せた方が早いとばかりに、ロリータ女は手のひらから炎を出して見せた。それは彼女の言う通り、ライターと同じくらいの火力だ。


「しょぼいなんて思わないよ。日常生活ならそれでも十分役に立つじゃ」

「それでは意味がありませんわ!」


 朝光の言葉を遮り女が叫ぶ。その声は酷く痛ましげで、朝光は何も言えなくなった。悲痛な面持ちでこちらを睨みつけてくるロリータ女をただただ見つめる。

 真摯な朝光の眼差しを受け、ロリータ女はくしゃりを顔を歪めた。そして何かを絞り出すように、ぽつりぽつりと話しはじめる。その声は、小さくて聞き取りづらかったけれど朝光は聞き逃さないように耳を傾ける。


「……友達に、同じような炎の異能力持ちの子がいますの。その子とても素晴らしくて、皆に認められて、ちやほやされて、今やわたくしの手の届かないとこにいる……。笑顔で送り出したけど、本当ははらわた煮えくりかえって羨ましくて妬ましくて仕方なかった! でも、本人にそんなこと言えるわけないでしょ? だから、憂さ晴らしにここで無能なネズミどもを追いかけまわしていたのですわ。わたくしの能力だった捨てたもんじゃないって思いたかったのよ……」


 話し終えた後ロリータ女は俯いた。顔は見えないけど、もしかしたら泣いているのかもしれない。

 子どもを追いかけまわし怪我を負わせた。彼女のしたことは、間違いなく悪いことだ。だからと言って、朝光は一方的に彼女を責める気にはなれなかった。

 朝光は自分と妹のことを彼女とその友人に重ねた。有能な妹と、無能な自分。散々比べられて馬鹿にされる。


しかも本人には一切の悪気はない。悪気がないので恨むことすら出来やしない。一時期は朝光もロリータ女のように自暴自棄になっていたこともあった。しかし、今は吹っ切れ妹を恨むこともない。

朝光は目の前のロリータ女に視線をやる。先ほどまでの勢いはどこに行ったのか、肩を落とししょぼくれている。まかり間違っていたら、朝光ももしかしたらこうなっていたかもしれない。ただ運が良かっただけだ。


 そんなことをぼんやり考え、ロリータ女に同情的な視線を向けていると朝光の後ろの草陰むららがさりと音がした。風のせいにしては大きな音だ。間違いなく何かが潜んでいる。人だろうか、それとも野生生物だろう。どちらにしろ朝光は警戒を強めた。

 がさがさという音を立てた後、その何かは草むらから突如飛び出してきた。それは勢いよく転がりロリータ女の斜め後ろに生えている木の幹へとドンという鈍い音を上げてようやく止まった。


「君は……!」


 木の根元に転がっていたのは先ほどロリータ女に追いかけまわされていた一人である赤茶色の髪色の子ども、伊三だった。


「いたた……」


 打ち付けた尻のあたりを擦る。いったい自身に何が起こったのかわかっていない様子だ。


「バカ、お前転んだと思ったらどこまで転がって行ってんだよ! って、あー!」


 続いて現れたのはもう一人の子ども、甚内。朝光たちを追ってきた二人だったが、途中見失ってしまい周辺をふらふらと探し周り、朝光たちが言い争う声を聴きようやく辿り着いたのだ。

本当は物陰から隠れて様子を伺うつもりだったのだけど、うっかりものの伊三は木の根に足を引っかけ盛大に転んで二人の前に姿を晒してしまう事態となってしまった。


「伊佐! 早くこっちに戻って来い!」


 ロリータ女のすぐ近くという思わぬ場所に出てしまった相方に焦りながら声をかけるが、当の本人は未だに事態を把握できていないようでよろよろと尻をおさえながら立ち上がる。


「うう……。魔女に追い掛け回されるし、すっころんで尻は痛いしで……今日は最悪だ」

「あら、奇遇ね。私も今日は最悪だと思っていたわ。さっきまでですけれど!」

「ギャー!」


 背後から忍び寄ったロリータ女が伊三を羽交い絞めすると、隠し持っていたのだろうナイフを取り出して首元にあてる。そこまで来てようやく伊三はロリータ女が真後ろいたことに気が付き叫び声をあげる。しかし気が付いた時にはもう遅い。


「暴れたら首元掻っ切りますわよ」

「ッヒ」


 女の腕から逃げ出そうと暴れる伊三に、ナイフの腹で首を叩きながら脅すと途端に大人しくなる。


「その子を放せ!」

「それ以上近づないでいただけますか。このネズミがどうなっても知りませんわよ!」


 とっさに駆け付けようとした朝光だったが、ロリータ女が手にするナイフをみて足を止めざるを得ない。


「じ、甚内―!」

「あのバカ……」


 涙目になり助けを求める伊三に、呆れつつも心配している甚内も今はただ成り行きを眺めるしかない。


「では、わたくしはこの辺りでお暇させていただきますわ。ほら、貴方も一緒に来なさい!」

「ヒー」


 ロリータ女は伊三を脅しながらこの場を無理矢理去ろうとする。


「まて!」


 とっさに制止の声を発するが、ロリータ女が歩みを止めることはない。


「誰が待つものですか。今度会ったら覚悟なさい。たっぷり仕返ししてあげますから」


 首だけ朝光に向けながらロリータ女は言った。このまま追いかければ十分追いつく。しかし、そんなことをしたら人質に取られた伊三が無事では済まないだろう。かといってこのまま見送ってもいいものだろうか。執拗に伊三たちを追いかけましていたやつが、無傷で伊三を開放する保証はどこにもなかった。


 ならば一か八かの賭けに出るしかない。うまくいく保証はないが、今はこれに頼らざるをえない。迷っている時間などないのだ。

 朝光は覚悟を決めると、小さくなっていく背中に向かって叫ぶ。


「猛々しい風よ、大気を揺り動かし震わせたまえ!」


 朝光がそう唱えて、三秒ほど経ったあと予期せぬ突風が巻き起こる。ピンポイントにロリータ女背中を風が襲う。その風は偶然でもなんでもない。朝光が発動させた魔法だった。

 成功率が極端に低く、成功するとは思えなかったが他に方法がなく祈るような気持ちで詠唱を唱えた。少しのタイムラグはあったものの、無事成功したことに朝光はホッと安心から息を吐く。


「キャー!」

「うわー!」


 大した威力はないが、油断していたロリータ女はバランスを崩して倒れ込んだ。その拍子に右手に握られていたナイフは手を離れ落ちた。

 それを素早く駆け寄った朝光が拾い上げる。人質に取られていた伊三を助け出すのも当然忘れていない。


「これで形勢逆転だね。君にはもう勝機はない。もう一度言う、このまま帰ってくれないかな?」

「あ、あなた!」


 朝光が勧告するも、ロリータ女はそれどころではないようで目を見開き朝光を凝視し、唇を戦慄かせている。驚愕と怯えの含んだ表情。いったい何にたいしてそんな表情を浮かべているというのだろうか。


「今の異能力でしょ!? なんで男のあんたが使えるのよ!」

「何言ってるんだ? この程度の魔法皆使えるものだろ? まあ、俺は使えるって程には使えないけど」


 そうこの程度の魔法なら、魔法を習い始めたばかりの小学生でも使える。初級の簡単な魔法だ。


「は? 何言って……」


ビービービー


 突如辺り一帯にけたたましく響き渡るサイレン。何が起きているのか訳が分からず朝光が、目を白黒させていると草陰から眩い光が朝光たちを照らし出した。


白石蔵屋しらいしくらや、ここは侵入禁止区域です。散々警告したにもかかわらず、今回で五回目です。法律に則り拘束します」


 ライトの光を背に黒い制服姿の女性が二人現れた。警備員か軍服のような制服に固い口調、おそらく警官か軍人だろう。びくりと朝光の隣に佇むロリータ女が肩を震わせる。白石蔵屋とはこの女性のことで間違いないだろう。


 蔵屋は抵抗もせず、無言で制服の女性の元へと歩いて行った。その表情は酷く憔悴している。背の低い方の女性が蔵屋の背をそっと押し、進むように促した。


「先輩、こいつらはどうします?」


 背の高い方の女性が、朝光たちに視線をやりながらもう一方の背が低い方の女性に聞いた。状況が未だ把握できていない朝光はただその視線に困惑するしかない。


「いい、放置しておけ。帰るぞ」

「はい!」


 背の低い方の女性は、朝光たちを一瞥だけするとそのまま歩き出した。まるで、その辺を這う虫でも見たような態度だ。背の高い方の女性もそれに続き歩き出す。三人の姿すぐに闇へと紛れてしまった。


 朝光は一連の出来事をぼうっと立ち尽くし、見ていた。まるで、生気でも抜けたかのように。


「伊佐―!」


 先ほどのサイレンに甚内が慌てて駆け付けてきた。その声に振り向いた瞬間、朝光の視界がぐらりと揺れた。


「え?」

「兄ちゃん!?」


 伊三の心配する声が聞こえるが、視界は真っ白で何も見えない。ドサっという何かが落ちた音と、体を何かに打ち付けた痛みが朝光を襲ったが、起き上がれる気力もなくそこで意識は途切れた。

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