第4話 ロリータの魔女
朝光は偶然見つけた廃墟で身を休めていた。窓はすべて割れており、電気もガスも当然止まっていて使えず、隙間風もひどいが、外で直風にあたるよりかは幾分マシだろう。
外は暗く、もうじき夜が訪れる。今夜はここで過ごすのが妥当だろう。窓の外を眺めるが、明かりは見えない。夜も眠らない街などと言われていた東京が、真っ暗闇に落ちている様は不気味の一言に尽きる。
冷たくなった手に息を吐きかけるが、一向に温かくなりそうにない。朝光は20xx年の十二月から来た。寒さから察するに、今も同様に十二月である可能性は高いだろう。
しかし、今が冬なのだとしたら外で青々と生い茂っている植物はいったい何だというのだろうか。色が変わることも、枯れることもない。この世界線では寒さに異様に強い植物でも開発されているとでもいうのだろうか。
何もかもが朝光には理解できないことばかりだ。キッチリ閉めていたネクタイを緩めると朝光はほうと息を吐く。
先程の子どもや、自身が尻に敷いた男たちの服装は何年も着古したようなボロだった。きっと、この街の住人は皆似たり寄ったりの服装なのだろう。
朝光は毎日着ていた学校の制服を今も変わらず着ているが、ここでは少々浮きそうだ。かといって他に着替えなどないのでこのままでいるしかないのだけれど。
「これからどうするかな……」
腰を落ち着け、改めて現状を整理する。ここは別の世界線であり、朝光は何が原因かはわからないが気が付いたらこの世界にいた。
気が付いたら崩壊し、樹海と化した東京にいた。しかし東京は元から樹海だったわけではない。スカイツリーが残骸でも存在しているということは、元々は朝光たちのいた世界と同じだったはずが何かが起こりそれが分岐点となった……ということだろうか。何があってこうなったのか。東京だけなのか。それとも日本中、いや、世界中がこうなってしまったのか。
子どもに連れられ走り回ったときに人を碌に見かけなかったことも奇妙だ。子どもや子どもを追っていた男たちがいたのだから、人が住んでいない地域という訳ではないのは分かるが極端に少ない気がした。街の様子を見るに一千四百万人以上いた大都市とは思えない。この街に何かあったのだろうか。戦争や少子化の影響などと考えてもみたけれど、自答自問では答えが出ることはなかった。
それと一番大事なことである、朝光がこの世界線に飛ばされた理由もわからない。偶然なのか必然なのか。誰かの魔法なのか、世界に呼ばれたのか……。
現状では答えは出ないことをうんうんと悩み考えていると、ぐうという音が鳴った。
「腹減った……」
そういえば朝食を食べて以降何も食べていなかったことを思い出す。鞄に弁当が入っていたが、その鞄は猫を助けるために、橋の下に降りる時に子どもたちに渡してしまったのでここにはない。
外に出れば植物が張り巡っているのだ、探せば何か食べれるもののあるかもしれない。しかし今は瞼が重くて仕方ない。気が付いたら知らない場所にいて、逃げるために走り回ったのだ。心身ともに疲れが出たのかもしれない。
食物探しは起きてからにして今はさっさと寝てしまおうと、朝光はジャケットを布団代わりに掛けて床に寝転がった。コンクリートの床は冷たく底冷えする。このまま寝たら凍死するのではないかと頭をよぎるが、一度横になってしまえば起き上がるのがひどく億劫だ。
目下明日の予定は食料調達。植物に詳しくない朝光に食べれる植物が分かるかが最大の疑問だけれど、人が住んでいるのだから何か食べれるものもあるのだろう。
そういえば妹が植物に詳しかったなと思い出す。花を何種類も育てていたし、植物の話を楽しそうに良くしていたけれど、興味の薄かった朝光はあまりよくその内容を覚えていない。今更ながらにもっと彼女の話をきちんと聞いておけばよかったと悔いてしまう。
樹海の中を走っている際にタヌキやイタチといった野生の動物も見た。朝光の運動神経をもってすれば狩ることもたやすいだろうが、都会生まれ、都会育ちの朝光に狩った後の獲物の処理の仕方などわかるわけはない。
金なら財布を尻ポケットに入れたままだから多少は持っているので、店があれば一番手っ取り早いのだけど機能している店があるかも怪しい。
そんなことを悶々と考えていると、意識がぼんやりしてきた。朝光はあくびを一つすると眠気に素直に身をゆだね、そのまま意識を手放した。
◆
突如、轟音が響き渡り朝光は飛び起きた。一瞬自分がどこにいるのかわからなかったが、再び聞こえた轟音によって寝るまでの状況を思い出した。
まだ少し眠気の残る頭を振り、覚醒を促す。度々聞こえる轟音は徐々にこちらに近づいてきているようだ。轟音に交じり人の声も聞こえる。断片的にしか聞こえない声だったが、それは次第にはっきりと聞こえはじめる。誰かが助けを求める声が朝光の耳へと入った。
『来るな』などの単語も聞こえるところを考えるに、おそらく声の主は何者かに襲われていることがわかる。
誰が何に追われているのかはわからない。しかし、このまま見過ごせはしなかった。それに、昨日子どもと別れて以降誰にも会っていない。誰か、人に会ってこの世界についての話を聞きたかった。東京に、日本に何が起こり、何故大都会が樹海に変わってしまったのかを。
掛け布団代わりにしていたジャケットを素早く羽織ると、ガラスが完全に割れている窓から飛び出す。入り口まで行くと回り道になるのでこっちの方が早い。
外は未だ真っ暗で、朝光が寝てからそれ程の時間が経っていないことがわかった。昼間よりもさらに冷たい空気にブルリと身を震わせる。
寒さを吹っ切るように、朝光は轟音のする方向へ走った。一分ほど走ったところで、なにやらチカチカと光るものが見えた。轟音と叫び声のする方向と同じだ。朝光はスピードを上げ光が見える方へと向かう。
「待ってよ、
「
「もう無理だよぉ! 足痛いよぉ」
甚内と呼ばれた黒髪の子どもが、きつい言葉を吐きながらも心配そうにちらりと後ろをついて走る赤茶色の髪の子ども――伊三を見やる。
伊三はもつれそうになる足を必死に動かしながら甚内の背中を追う。走るのが苦手な伊三は何度も足を止めてしまいたいと思った。しかし、いくら呼吸が苦しくても脇腹が痛くても止まるわけにはいかなかった。止まったら死が待っているからだ。
「うっわ!」
「伊三!」
未だ暗い視界の中、足元の石に気が付かずに伊三は躓く。とっさに差し出した甚内の手は虚しく空を切っただけで、伊三は派手に地面へと転がった。
急いで立ち上がろうと、伊三が笑う膝に無理矢理力を入れた時背後から声が聞こえた。
「あらぁ、追いかけっこはもう終わりかしらー?」
ウフフフとひどく楽しそうな笑い声に続いて聞こえてきた声に、二人は盛大にびくりと肩を揺らす。
振り向いた先にはふんだんにレースやフリルをあしらった真っ白なドレス――俗にロリータファッションと呼ばれる服に身を包んだ女性が立っていた。手にはランプが握られており、女性が笑う度にゆらゆらと明かりも揺らぐ。
暗闇の中彼女のシルエットがぼんやりと浮かぶ。彼女の存在はこの樹海には異様だった。汚れひとつない真っ白な衣服に歩きにくそうなハイヒール、緩く巻かれた鈍い金髪。丁寧にほどこされたメイク。
相対する襤褸をまとった子どもたちとはまるで、違う世界の住人のように見えた。
「ネズミをいたぶるのは楽しいですけど、チョロチョロ逃げてばっかりじゃ飽きてしまうからもういいですわ。死んでくださる?」
冷淡な瞳で二人を見据えると、吐き捨てるように言った。ロリータ女が右手をかざすと、この後何が起きるのか察しがついている子どもたちは逃げることも出来ずに怯え竦み上がる。真っ青な顔は死を覚悟したものだ。
「痛ッ!」
その時派手に装飾されたネイルが目立つロリータ女の手に、手のひらサイズほどの石が命中した。
「誰ですの!?」
ロリータ女は赤くなった手を擦りながら、周囲を見回す。未だ日は登らず、辺りは暗い。手にしたランプをかざしてみるが見当違いのところを照らしているようで、視界に入るのは植物の緑ばかり。
二人の子どもはこの隙をついて逃げ出したのを視界の端に認めたが、ロリータ女は二人にはもう興味が薄れていた。今のターゲットは石を投げつけた犯人だ。
相手がこちらの位置を把握している限り、下手に動くと危険と判断したロリータ女は息を殺し様子を伺う。すると暫くして、子どもの足音に交じって別の足音が近づいてきた。
「隠れてないで出てきなさい!」
苛立ちながらロリータ女は足音のした方向に手をかざす。その瞬間二メートルほど離れた場所が、大きな音と共に火花を散らし爆発した。何も持っていなかったはずの手から、何もない場所で爆発音と共に真っ赤な炎が立ち上がった。それはまさしく、魔法だった。
「わたくしの
声高々に自信満々に、ロリータ女は笑う。今までその力で何人も沈めてきたのだろう。そして、当然のように今回も相手が舞い上がる土煙の中倒れ伏しているのだと思っていた。しかし、
「命中していたら、な」
「!」
背後から、予期せぬ声が聞こえた。ロリータ女はとっさに振り返るがそれよりも相手の方が早かった。
慢心した無防備な相手に足払いを仕掛ける。予想外の攻撃にロリータ女は成す術もなく、受け身をとる暇もなく盛大に地面に転がった。雑草の生い茂った地面はクッションとなり、ダメージはさほどないが手にしていたランプを手放してしまったために視界はさらに狭まる。急いで立ち上がりランプに手を伸ばすが、あと少しというところでそれは搔っ攫われた。
ロリータ女の前に佇んでいたのは朝光だった。
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