第3話 「怪盗紳士」と「自殺屋」 ~邂逅~

月も出ない、真っ暗な夜。自信満々で予告状まで叩きつけたスカーレットを侵入させまいと必死に出入り口や窓を警備する警察官たちを嘲笑うように吹き抜けの天窓から無数の白い紙がはらはらと落ち、人の形を作るとその場に「怪盗紳士」スカーレットが出現する。目当ての宝石のショーケース前へと現れたスカーレットはケースの隙間に紙に変化させた指を突っ込む。一枚の紙が宝石に触れた瞬間、宝石は無数の赤い紙へと変化した。白と赤の混じった紙を外へ引きずり出し、指と宝石を元の状態に戻すと少しの間宝石を眺めていた…が、その時何者かの声が怪盗紳士の背後から聞こえた。

「…やあ。その服装、君が「怪盗紳士」の

スカーレットさん?僕はね、「自殺屋」っていうんだ。同僚からは「自分が死にたくないが為に深淵を飼う、深淵の支配者」なんて呼ばれてるかなぁ。」

背後から突然掛けられる声。一瞬警察かと思って身を震わせるが、宝石を盗んでいたとは言え警察なら全く気配がしないなんて筈はない。その上普段の喧嘩腰な警察たちとは明らかに毛色の異なる薄気味悪いほど柔らかくも冷たい声に、怪盗紳士は思わず後ろを向く。そこに立っていたのは額にかかる縮れた濡れ羽色の黒髪、やけに大きくどこか焦点のずれた薄灰色の瞳、色白の肌、目元に刻まれた何重ものクマを持つ全身黒ずくめの男。その男の明らかに病的ではあるが、ぞくっとする程美しい顔立ちを目にした怪盗紳士は目に見えて少し驚きひるむ。

「はは。おのれが中に深淵を飼うとはさしずめ…君はラヴクラフト、とでも言った所か?」

押し殺しても微かに震える声で怪盗紳士はあくまでも強がってみせ、「自殺屋」はその様子に穏やかな微笑みを浮かべる。

「…そうかな?ふふ、でもそうかもしれない。僕の深淵はいつも僕を覗いているし、僕もいつも深淵を覗いているよ。」

優しく自分の腹部を撫でるその仕草に薄ら寒いものを覚えた怪盗紳士は恐る恐る「自殺屋」へと問う。

「…ひとつ聞かせてくれ。己が中に深淵を

飼っている、というのは…比喩なのか?それとも…」

「…ふふ、どうだろうね。」

「自殺屋」のはぐらかすような微笑みに怪盗紳士は背筋が冷えた。彼女はこの空気に耐え切れなくなったのか、少しずつ自分の身体を「自殺屋」の死角になっている左手の指先からじわじわ紙へと変化させていく。

「ああ、でも安心して。君は僕の仕事対象じゃないから、すぐ帰るよ。同僚が話してて、ちょっと君のことが気になっただけ。」

「自殺屋」が背を向けたその瞬間、怪盗紳士の身体が無数の紙に変化してどこかへと吹かれていく。ひっそりと振り向いた「自殺屋」は美術館の開いた天窓から夜空に舞う真っ白な無数の紙を見つめ、

「…正に、『アンキャプチャブル捕獲不可能』。ふふ、名前通りの子だね。」

そう呟き、楽しそうに微笑みながら「自殺屋」は静かに立ち去っていく。

「…今のは…何だったんだ?」

その頃怪盗紳士は美術館の屋上に佇みながら、先程出会った病的な美貌の男のことを思い出して首を傾げていた。「自殺屋」と名乗っていた男だったが…怪盗紳士は彼のことなど全く知らないし、彼自身も「気になっただけ」と言及していた。怪盗紳士は一旦考えるのは止め、とりあえずはこの盗んだ宝石を持ち去ろうと開いたままの天窓から紙に変化して飛び去っていこうとする…スポットライトに全身が照らされ、一瞬目が眩んだ。役立たずの警察たちがようやくスカーレットに気付いたらしい。

「…異能も使えないのに、よくもまあ…。」

虫のように下に集まっている警官たちを見下ろし、口から思わずそんな言葉が漏れた。下からは警官たちの罵声や怒声に混じって見物人の黄色い悲鳴や声援が聞こえてくる。彼はその声に答えて姿を現すなり紙に変化し、いつも通り華麗に宝石を盗み出そうとした…のだが、あの「自殺屋」との邂逅がまだ脳の片隅に引っかかっていたらしく、普段なら自宅の方までどこからともなく吹く風が弱く、微かにしか吹かずに「彼」を占める紙の数枚がはらはらと地面に落ちて捕獲されてしまう。更にはその紙っぺらたちは「彼」の腕や脚といった、「彼」にとっては重要な器官を構成する紙であった。「怪盗紳士」はその日、始めて警察に敗北した。その様子を失望と共に眺める群衆の影から、黒ずくめの服が覗いていた。

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