コミュ症の観察
クラスの中に気になる人がいる。気になるのは女性だが、恋とかそういうものでもない。いつも休み時間などの自由時間は教室から出ていって、いつの間にか授業の前には戻ってきている。図書館などを見て回っても、見つからない。そこまで見つからない彼女がどこに居たのか気になっている。
彼女は普段から顔が見えない。長い前髪が顔半分に影を作って、目が見えない。長いのは前髪だけではなく、後ろ髪も腰の辺りまで伸びている。しかし、その髪には艶があり、綺麗な髪でもあった。存在感がないのか、クラスメートに彼女の話をしても、首をかしげ、数十秒してからじゃないと彼女の話が出来ない。まぁ、クラスで何かやっているときも、一応近くにいますよ、と言ったような位置にいることが多いせいで、覚えられていないのかもしれない。
「はぁ、……く」
たまたま人気のない廊下を歩いているとき、誰かの声が微かに聞こえた。こんなところで何をしているのか。会話をしている雰囲気はない。一人なら余計に何をしているのか、気になる。恐る恐る、声のした方を覗くとそこには、気になる女子がいた。誰も通らないこんな場所で体を丸めて倒れていた。苦しそうな様子はなく、それどころか、教室にいるよりも幸せそうにも見える。
――単純に人の多いところが苦手なのか。
そう考えると、わざわざここで声をかけてしまうのは彼女の居場所を奪ってしまうことになりかねない。今日話しかけるのはやめておこう。
翌日、昨日と同じ場所に来ると、彼女はそこにいた。今日はスマートホンを眺めていて、たまにふへ、と聞こえてくる。何か面白いことがあったのだろう。こうやって彼女の観察をしているのは案外面白い。いや、彼女には悪いことをしている自覚はある。しかし、彼女を見守っていると、中々かわいいところがある。なぜかはわからないが、ここなら彼女の顔が教室にいる時よりも見える。表情がコロコロ変わり、中でも顔の緩んだ笑顔が素敵だ。
その日も、彼女の幸せ空間を乱すことが出来ず、見守るだけにとどまった。
今日こそ話しかけようと思い、彼女のテリトリーへの入り口に立ってみようと思ったが、彼女の方がテリトリー内に先に入っていた。こうなると話しかけることが難しくなる。いや、偶然を装ってここから出てくるときに話しかければいいのではないだろうか。そう考えて、彼女がここから移動するのを待つ。そのためには一旦この場所から少しだけ離れないといけない。
陣取った場所はテリトリーの入り口を監視できる廊下の曲がり角だ。刑事ならあんパンと牛乳を持っていたかもしれない。
彼女がテリトリーから出てきたのは、休み時間が終わるギリギリだった。彼女は早歩きで、下を見ながら廊下を進む。その歩き方は不安にしか思えない。いつもこんな風に歩いているから大丈夫なのだろうが、傍から見れば人生に疲れている人にしか見えない。
結局話しかけることはできなかった。あんな状態で話しかけてしまえば、きっと逃げられるだけだ。
何日か、彼女を見守っていると、中々興味深かった。ちなみに話しかけることはできていない。そして、さらに彼女のテリトリーは人気がない。人気がないということは、悪いことをするには持ってこいと言うわけで、そういうやつが近くの空き教室で好き放題やっていることに気が付いた。偶然にも、未だ彼女と鉢合わせたことはないが、中々に心配だ。
「あっ……」
そんなことを考えていたせいだろうか、彼女が教室に戻ろうと歩いていると、ちょうど角から出てきた男子生徒にぶつかった。
「あ? なんだおめ」
男子生徒はかなり高圧的な態度で、彼女にがんを飛ばしている。彼女は元々、話すのが苦手っぽい。そんな威圧感を前に、何か行動を起こせるような人ではないのだ。
――助けないと。
角から素早く、彼女とガラの悪い男子生徒の間に入る。
「ちょちょ、すいませんね。彼女もびっくりしちゃって、声でないみたいなんですよ。ほんと、すいません」
適当に言葉を羅列しながら、何とか彼女を自分の体でゆっくり優しく押して、男子生徒から離していく。ある程度離れたところで彼女の方に振り返り、彼女も自分に背を向けるようにくるっと回して、背中を押した。彼女の体を触っていいものか、迷ったが、それも一瞬のことだった。まずは逃げるのが優先だ。
「だ、大丈夫? ごめんね」
人気が出てきたところで、彼女の背中から手を放す。声をかけても、こっちを見てくれないのが不安だが彼女を見守っていたので、彼女がすぐに話せないであろうことを知っている。
「……あっ、あの、あ、ありが、とう」
それだけ言うと、彼女は走り去っていった。
しかし、その言葉はあまり頭に入っていなかった。彼女の髪の隙間から見えた、こっちを見て、少し照れた様子のその表情がなんとも魅力的な可愛さで、その表情が頭に残って仕方ない。
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