第40話 賀平結愛

 賀平結愛は、可愛い。

 まずそう思うようになったのは、小学生になりたての頃だった。

 男子からの人気を集め、女子からは嫉妬の念を送られる。

 自分が可愛いという自覚はまだなかったが、そんな環境になってしまった以上自覚するのは時間の問題だった。

 彼女自身も、そういった評価を受けることに嫌な気は起きなかった。

 むしろ、その逆。

 心の底からの歓喜。

 彼女の中の、心の奥底に眠っていた何かが、歪み始めたのはこの時期だ。

 まず彼女は、男からの『可愛い』を受けるための行動を取るようになった。

 男子と話すときは、必ず可愛らしい声を出すようにした。

 男子に感謝を伝える時は、思い切りの笑顔を向けるようにした。

 昼休みも放課後も、できるだけ男子と話すようにした。

 そんなことをしていく内に、無意識にできるようになってくる。

 そんなことができるようになった時には、周りの女子からの評価は酷くなっていた。

 男子から『可愛い』と言われ慣れた時期、賀平結愛は女子からの評価に対して少しばかりの不安を覚えた。

 不満ではない。女子から酷い評価を受けることを嫌になった訳ではない。

 不安。そんな環境の中でいることに、心がざわついた。

 男子からでもなく、女子からも同じように認められたい。

 そうならないと、自分の生きる意味を失ってしまう。

 そして賀平結愛は、男子の次に女子からの評価を覆そうとする。

 自分が可愛く見えるための道具を、女子に紹介したりした。

 男子に好意を寄せる女子の相談に乗り、告白の後押しをした。

 男子だけでなく、女子とも積極的に話すようにした。

 小学校を卒業する頃には、男子からも女子からも愛される存在となった。


 そして、中学生となる。

 小学校から見知った関係は、その中学校では半分もいなかった。

 ただ、小学校も中学校も、賀平結愛にとっては大した話ではなかった。

 半年もいかない間に、ほとんどの生徒からの『可愛い』評価を確固たるものにする。

 また、この中学校も、賀平結愛にとっての心地の良い環境に変化していく。


 賀平結愛の歪みとは、彼女への『可愛い』という評価が自分の生きる意味に直結しているという点だった。

 両親からの寵愛を受けながら、突如として地獄へと叩き落された少女の行く末。

 両親から可愛がられ、突然無視されるようになった少女。

 賀平結愛は、両親から愛されたいと願いながら生き永らえた。

 救われても尚、その想いは変わらなかった。

 小学校の男子生徒から受けた、『可愛い』という彼女への言葉。

 彼女の奥底に眠る願いは、成長していく内に歪みへと変わっていったのだった。


 だが、そんな歪みを抱える少女にも、微かな別の願いも存在していた。

 もちろん、歪みに支配された賀平結愛は最初そのことに気づかなかった。

 そんな歪みの中の歪みの存在に、少し触れた瞬間が一つだけあった。

 中学校の頃に出会った、柊木海人という存在に触れた瞬間がそこだった。

 多くの男子を虜にして、多くの女子から支持を集めた。賀平結愛にそこまで興味を示さなかった男子。そんな存在に触れた瞬間、彼女の歪みが胸をくすぐった。

 どうして、この人は私に興味を抱かないのだろうか。

 理由はすぐに見つかった。

 彼の隣に、とある少女がいたからだった。

 彼といつもべったりで、彼としか話す姿を見たことがない可愛らしい少女。

 その少女が、私への興味を薄くしているのではないかと、賀平結愛は思った。

 そうして果たし状を彼女に渡して、興味を引こうと試行錯誤した。

 結果、彼からの興味を受けることはなく、妙な心のモヤモヤが残ることになった。


 後日、柊木海人と個人的な繋がりを築くことができた。

 その時、彼に聞いてみた。

「私に興味が湧かないのか?」と。

 彼はこう答える。

「興味が湧かないわけではない」と。

 人見知りなのだろうか、と賀平結愛は思った。

 その考えは意外と合っているのではないかと思った。

 彼はあまりクラスメートと深く関わらないらしい。いつも一緒にいる少女といることはもちろんだが、部活や遊びにすら手を出さない。

 彼曰く、「面倒くさいから」らしい。

 ちょっと呆れた気持ちもあったが、どこか憧れのような感情も抱いた。

 なぜだろうか。

 面倒くさそうな柊木海人に、賀平結愛は憧れている。


 彼女の心の奥底には、微かな願いがあった。

「ありのままの自分を、ありのままに愛してほしい」。

 彼女が気づくこともない。

 心の奥底の小さなその願いが、微かに躍動する感覚を彼女は感じた。

 今までの彼女が知ることもない、特別な感情も同様に。

 柊木海人と接していけば、何かを感じ取ることができるかもしれない。

 そう思った賀平結愛は、柊木海人に近づき接するようになった。


 高校生になっても、相変わらず賀平結愛は変わらなかった。

 小学校中学校と同様に、高校生でも相変わらずの環境にいた。

 変わったことが少しある。

 SNSで、一躍有名なインフルエンサーの仲間入りをしたことだったか。

 小中高と小さな世界で生きてきた彼女は、SNSという大きな世界に出ても扱いは変わらなかった。こういう風に色んな人から認められるということが、彼女に生きた心地をさらに与えてくれる。

 そんなこの上ない環境で過ごしながら、彼女の中に多少の不安が浮かび上がってくる。一定数必ず存在するという、アンチコメントの増加。

 沢山のコメントが欲しいからこそ開放しているが、それが逆にアンチコメントを加速させていく。百のコメントの中に、一つか二つだけ存在している。そんなちっぽけな存在だが、確実に賀平結愛の心を削っていく。

 だが、彼女は止まることはない。

 止まることは、すなわち彼女の生きる意味を捨てることになる。

 もう止められない場所まで、彼女は辿り着いている。


 もし、このまま、傷つけられ続けたらどうなるのだろうか。

 もし、大きな傷を受けたら、どうなるのだろうか。

 もし、もし、もし、もし、もし……。


 そんな不安が余計に彼女を闇へと引きずり込んでいく。

 徐々に、徐々に、

 彼女の心は闇に浸食されていく。


 もしこのまま、彼女が闇に飲まれたとしたら、

 助かることはほぼ不可能だろう。


 それだけの傷を、歪みを、心を、

 彼女は持っているのだから。

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