第32話 父親登場
「わっはっは! 文化祭の実行委員だとか、似合わないことすんなって!」
「もう、あなた! お酒飲みすぎですよ」
「いいじゃないか! これから一週間は休暇を貰ってるんだからよ。毎日一緒に入れない分、濃厚な一週間にしようじゃないか」
「……あなた」
ポッ、と頬を赤く染める母親。
年は50近くなるというのに、なぜそこまで乙女でいられるのだろうか。
自分の母親だけど、ちょっと怖い。
「でも、お酒をこれ以上飲んだら、裏の蔵に閉じ込めますからね」
「お、おぉ……見ない間に、さらに凄みが増したんじゃないか?」
母親は父親からビール缶を素早く奪い取って、ゴミ箱に捨てる。
お酒を飲むとうるさくなるのを、母親は少しだけ嫌っていた。父親はジッと捨てられたビール缶を見ながら、涙を流していた。抵抗しないのは優しさか、それとも母親への恐れなのだろうか。
「それより、お父さんに挨拶したの?」
「ちゃんとしたよ~。いつもみたく、軽く、返されちゃったけどさ」
「不器用だから、お父さん」
嘆く父親と、笑う母親。
この食卓に、いつも以上に和やかな雰囲気が流れていた。
父親は全国を駆け回り、色んな記事を書く仕事をしている。どこにも属さず、フリーライターと本人は言っている。それなりに知名度もあり、テレビに何度か出演したこともあるとかないとか。
口から出まかせかもしれないけど。
「それはそうと、海人ちゃんよ。何か悩み事でもあるのかい?」
「息子にちゃん付け止めてくれないかな……」
「悩みだったら、このお父さんが聞いてあげてあげましょう!」
「海人、お父さんはそこまで役には……」
「お母さん! 冗談でも傷つくから!」
「……やっぱ流石の夫婦漫才だな」
「それで、どんな考え事をしてたんだ?」
「……いやぁ」
「まさかまだ、お母さんの言ってることを気にしているのか?」
「そういう訳じゃ」
「お父さん、この頃は人に相談できないこともあったりするものでしょ」
「それはそうだけどよぉ、やっぱ相談した方が楽になるものだぜ」
相談した方が楽になる、か。
そう簡単に相談できるような、話でもないし、度胸もないが。
「まあ、聞くだけ聞いて、あとは放置するけど」
「それって、悩み相談じゃなくないですか?」
「悩みを解決するのは自分自身ってな」
「それじゃ、ダメだろ」
「本当にダメなら、一緒に考えればいいさ。何より自分で答えを出すってことが、大事なんだと俺は思うけどな」
「私の悩みは一緒に考えてくれますけど、それは私を弱いと思ってのことですか?」
「バカやろう! お母さんは特別さ、愛してるからな!」
「もう……」
皿洗いをしながら、まるで恋する乙女のようにうっとりとする母親。
見たくないものを二度も見せられた。
「海人、お前恋人はできないのか?」
「できない」
「っか~! それでも俺の息子かよ!」
「お父さん、子供の頃そんなにモテてなかったですよね」
「男にはモテてたもんね!」
それは聞きたくなかった情報だ。
「琴葉ちゃんとか、可愛くて健気で可愛くて素敵じゃないか」
「実は琴葉のことを狙ってたりするのか……」
「お父さん?」
「ばっか! お世辞だろうが!」
「琴葉に伝えとくよ」
「い、いや待て! もうちょっと言葉を考えるから!って、お母さん包丁持たないで怖いから!!」
騒がしくて、忙しい父親。
繰り広げる夫婦漫才を前にして、俺は何をしていればいいのだろうか。
「部屋に入った時の海人の表情がよ、ちょっと深刻そうに見えたのよ」
「そりゃ、突然部屋に入られたから」
「嘘だね。何か悩んでいるって顔だぞ。ま、詳しくは聞かないけどさ」
「…………」
「そして、悩んでいるのは女関係だな」
「ぶふぉ!」
飲んでいたコーヒーを噴出した。
「もう! 海人をいじめないでください、お父さん!」
「まさかとは思ったけど、当たるとは思わないじゃないか……」
「ごほ、ごほっ!」
俺がまき散らしたコーヒーを、母親が拭いてくれた。
父親は申し訳なさそうな感じで、会話を続ける。
「まあ、女関係で悩むことはいいことだ、うん」
「……こほ」
「これも詳しくは聞かない。話したくなければ、話さなくてもいいさ」
「ほんと、嵐みたいな人だな、父さん」
「名前も嵐、だし。ほんと厄介な人よ」
「愛する妻と子供から、名前を馬鹿にされるなんて思わなかったよ」
泣いていた。
大の大人が泣いていたのだ。
「悩みは解決しそうなのか?」
「そんな悩みだったら、そもそも悩んでいないよ」
「言うね~」
「お母さん、心配」
「というわけで、母さんを助けるために、俺は海人に手を貸すぞ」
「動機が不純だ……」
「一応息子の心配もしている」
「一応……」
「お父さん、海人を困らせるなら出ていってください」
「というわけで、母さんを助けるために、ぐすん、出ていく」
「待て待て待て待て!」
夫婦漫才で会話を止めないでくれ。
「心配してくれるのはありがたいけど、俺が解決しないと意味がないんだ」
「……お前ならそういうと思ったよ」
「本当ですか、お父さん?」
「本当だって! いいか、それでも困ったらすぐ父さんに言うんだぞ」
「分かってるよ」
「本当かよ~」
「そういえば、お父さんからお土産のお菓子があるんだけど、食べる」
「食べる」
「今回の土産は、そこにしか売ってない限定品だぞ」
「うっちょ?」
「そんなサービスエリアで売ってるものをお土産として買ってくる人と思われてる? 大丈夫。ちゃんと有名なお店で買ってきたから」
「コーヒーはまだ飲む?」
「もう一杯だけ、飲む」
「分かった」
母さんはまたキッチンの方に戻っていった。
「じゃあ、もう一つ父さんからいいことを教えてやろう」
「まだ一つも教えて貰ってない気がするけど……」
「いいから、いいから! 今住所送ってやるからさ」
そういって、父さんは俺に住所とその周辺を撮影した写真をケータイに送ってきた。
「これは?」
「父さんが、昔いつも悩んでいた時に行ってた場所さ」
その写真に写っていたのは、あの首吊り桜だった。
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