第11話 本屋の虫
『今日は琴葉さんと帰らないんですか?』
「野暮用だ」
『とても悲しそうな顔をしてましたけど』
「気にするな」
琴葉との勉強が終わり、用事がある俺は琴葉を先に帰らせることにした。
十分ほど駄々こねられたが、今度遊びにいく約束をして納得してもらった。
『それほどまでに大切な用事なんですか?』
「ちょっとした約束事だな」
『絶対守らなくてはいけないほどの?』
「破ったら、呪われそうな気がして」
そんな危険な約束事を守るために、俺が向かったのは図書室。
図書室に向かう目的など、一つしかない。
「九井先輩、お待たせしました」
「遅すぎる」
「琴葉との勉強がありましたので、許していただけると……」
「遅すぎるけど、来てくれただけでも嬉しい」
「そうですか」
若干怒ってる様子の九井先輩がそこにいた。
机の上には本も勉強道具も何もない。九井先輩の隣の椅子には、準備万端と言わんばかりに鞄が置いてある。約束していた時間にすぐ帰れるように、帰宅の準備を済ましていたのだろう。
「どうか呪わないでください」
「何の話?」
「いえ、こっちの話です」
昨日の夜、九井先輩から一緒に帰ろうという旨のメールが届いた。
前回約束を忘れて散々な結果になってしまったので、今回はしっかり約束を守り琴葉や賀平には裏を取ってある。
「じゃあ、帰りましょうか。九井先輩の家の近くまで送っていきますよ」
「うん、ありがとう。ちょっと遠いけど、よろしくね」
「お任せください」
「柊君は、徒歩? 自転車?」
「俺は徒歩ですね」
「じゃあ、同じだね」
誰もいない図書室を後にする。
夕日は徐々にその姿を隠しつつある時間帯。そんな時間まで待たせてしまった。仕方ないとはいえ、暗い夜道を一人で帰らせるわけにもいかない。
家の近くとは言ったが、家まで送っていくのがいいだろう。
「九井先輩の家って、そんなに遠いんですか?」
「ええ。町の外れにあって、学校まで徒歩一時間ぐらいかかるの」
「じゃあ、毎日登下校大変ですね」
「歩くのは全然楽しいから、平気だよ」
「あ~、分かります。僕もたまに夜散歩に出かけます」
「本読みながら歩いたりとか。一日で登下校の時間が一番楽しいかも」
九井先輩は図書室の鍵を返しに職員室に向かったので、俺は校門の前で先輩が来るまで待っていた。予想していた時間より長くかかったが、下駄箱に九井先輩の姿が見えた。歩いてこっちにくる姿をジッと見ていたが、何やらちょっと曇った表情をしている。
「何かあったんですか?」
「別に何もないよ」
「……そうですか」
「心配しないで」
と、スタスタ先輩は先に行ってしまった。
先輩はああいってるが、多分何かあったんだろう。恐らく先輩は機嫌を損ねていて、その原因がさっき別れてからここに来るまでにある。
職員室に向かったのだから、先生から何か言われたのだろうか。
ただこの話題を突き詰めるのは絶対にダメだ。
「先輩はよく本読んでますけど、どのジャンルの本が好きなんですか」
「……歴史に関する本は特に好きかな」
「歴史に関しては教科書程度の知識しかないですね」
「教科書に書かれていることが正しいこととは限らないって知れたのが、多分一番大きいかもしれない」
「正しくない、ですか?」
「邪馬台国とかよく取り上げられるけど、実際どこにあったのか定かじゃなかったりするでしょ?」
「その話はちょっと聞いたことありますけど」
「全国の学生が知識を身に着けるために使ってるのに、真実じゃないことを伝えるなんて馬鹿げてるなって」
「そうですか」
歴史の教科書に親でも殺されたのかってぐらいの勢いが、今の九井先輩にはあった。
「とにかく、教科書ばかりじゃなくて、色々なところから知識身につけないとダメだよって話よ」
「それは一理ありますね」
「だから今度一緒に読書会しましょ?」
「本読むより、先輩から読んだ本のこと教えてもらう方が有意義な気がします」
「それじゃ、柊木君のためにならないと思う」
「俺は人から聞いた話の方が覚えられるんです。先輩も教えた方が、本の内容もしっかり定着すると思いますよ。誰かに教えるって、とても大事ですよ」
「君と白百合さんの関係とは逆だね」
「そうですね。自分が教えられる側に立つのも、少し新鮮です」
「検討しておこうかな」
先輩の表情が、ちょっと和らいだ。
「ちなみに、柊木君はどんな本が読みたいとかある?」
「具体的に聞かれると……」
「前は絵本に興味あったみたいだから、絵本の読み聞かせでもしようか?」
「なんか子供っぽいのでちょっと」
「絵本でも名作は沢山あるんだけどね」
「読み聞かせされているって、絵ずらがちょっと」
「子供の面倒見てるみたいで、ちょっと楽しそうだけどね」
「先輩、からかってます?」
「どうかしら」
楽しんでいるんだろうな、先輩。
先輩に案内されながら歩く帰り道。周りはちょっと暗くなって、街灯無しでは道の先があまり見えなくなってくる。他愛のない会話を続けていく内に、話題が無くなり始めて沈黙の時間が多くなってきた。
「…………」
「…………」
「すみません、話進められなくて」
「別にいいよ。そういう時間も、私好きだし」
「そうですか」
「そんな申し訳なさそうな表情しなくてもいいよ」
「うう……」
「それならちょっと寄り道しようか」
そういって、先輩はちょっと大きな本屋を指さした。
「君と読みたい本、一緒に探そうか」
「時間、大丈夫ですか?」
「ええ」
「それじゃ、お言葉に甘えて」
俺達二人は、本屋に向かうことにした。
「私は知識を得るために本を読むけど、それと同じ感じで大丈夫?」
「そうですね。できれば、先輩チョイスだとありがたいです」
「分かったわ。じゃあ、まずは私がよく読むところを探しましょう」
と、歴史に関する本が置いてある場所に向かった。
ずらっと色々な本が並んである。本の虫である先輩はキラキラとしている。
俺は特に何も感じないのだが、先輩にとってここは宝の山なのだろうな。
「でも昨日とは変わってないから、新しい本はでてないかな」
「昨日も寄ったんですか?」
「毎日通っているわ」
「本の虫どころの話じゃないですよ」
本屋の虫だ。
「でも先輩だったら、ここの本全部読んでるんじゃないですか?」
「そうだね。だから、オススメするものは……」
「いやまじっすか」
「でも、読んでくれるなら私が読んでないのがいいな」
「それはなぜ?」
「一緒に読み進めるって、いいなって」
「……それじゃ、そうしますか」
というわけで、先輩が読んでいない本を探すことにする。
どうやら歴史の本に目新しいものがなかったので、ダラダラと歩きながら本を探すことにした。
「読むならやっぱ今すぐ役立つものがいいですね」
「例えば?」
「今すぐできる体つくり、とか?」
「筋肉ムキムキにでもなりたいの?」
「いやまあ、そういう訳ではないですけど……」
「読むだけ読んで満足しちゃうタイプじゃないの?」
「かもですね」
なんて会話をしながら、興味がある本を見かけては中身をパラパラ捲っていく。それでも一向に買う意欲が湧かない。いざ買おうとなると躊躇してしまうこの感覚。
「ううん。買うなら、やっぱ大事にできるやつを……」
「興味がなかったもの買う時って、そういう考えになるよね。同じ値段なのに、重さが全然違う」
「ですね」
「とりあえず、柊木君が買いたいやつをまずは買おう」
「う~ん」
「一旦お店のオススメの本を探してみようか」
「それもそうですね」
本屋の入り口のすぐ近く。お客さん全員の視界に必ず入る場所に、新作や店員のオススメしている本が沢山置いてある。オススメされているってことは、読まれやすさが重視されているってことだと思う。
先輩もこの本達をおススメしているし、ここから選ぶとしよう。
「じゃあ、これですかね」
お店がオススメする本の中で、特に俺の興味を引いた本があった。
「『親に言いたい、これが最強の勉強の教え方だ!』って、子供でも生まれたの? 白百合さんとの子供? それとも賀平さん?」
「ち、違いますよ!」
「白百合さんの勉強見ているから、これにしたの? 優しいのね」
「分かってるなら、冗談でも言わないでほしかったです……」
周りに人がいたら、大変な誤解が生まれたと思う。幸い近くに人はいなかった。
「わざわざ他人のために、本を買ってまでなんて、尊敬に値する精神ね」
「やっぱこのままじゃ、いられないっていうかなんといいますか……」
「なら、私もこれを買おうかな」
「……先輩も誰かに勉強教えるんですか?」
「柊木君が、いつか教えてほしいって言ってくるかもしれないでしょ?」
「確かに、そうですね」
俺と九井先輩は、『親に言いたい、これが最強の勉強の教え方だ!』を買うことにした。先輩との思い出の一冊だ。題名がちょっとアレだけど。
「大切にしますよ、先輩」
「また読み終わったら、新しい本を探しましょう」
「そうですね。次は小説とか、いつもあまり読まないやつを……」
「む? そこにいるのは、紬か」
突然、背後から大人の男性から九井先輩の名前を呼ばれる。
スーツ姿でダンディーな男性で、俺の親父と同じぐらいの年齢のようだ。渋めな声で名前を呼ばれた九井先輩は、買った本を後ろにそっと隠していた。
ちょっとした沈黙が流れた後、目の前の男性は話を始めた。
「勉学に関係のない本をまた買っているのか? そんな時間よりも、今は勉学に励む時期だろう。あともうしばらく辛抱すれば、本など沢山読めるのだ」
「はい、申し訳ありません。お父様」
目の前の男性が、まさかの九井先輩の父親だった。
「隣の君は、紬の友人かな?」
「あ、はい。二年生の……」
「遊びに連れ出すのはいいが、今年紬は受験生なのだ。邪魔だけはしてくれるな。男と二人、こんな時間にここにいること、学校側に報告しても良いのだがな」
「お父様、彼は遅くまで残っていた私を送ってくださったのです。ここに立ち寄ったのは、私の責任です。だから」
「ふん。紬、さっさと帰るぞ」
「はい……」
「外で車が待っている。早く来なさい」
と、九井先輩の父親はスタスタと本屋の外に出てってしまった。
「ごめんなさい、柊木君。こんなことになるなんて」
「いいんですよ、先輩。家族は大切ですから。それより早くいかないと」
「え、ええ……。それじゃあ」
「またメールしてください」
九井先輩を、ささっと送りだす。
あの父親の雰囲気は、逆らったら何が何でも許さないって感じ。厳格、って言葉が滅茶苦茶似合う。正直生きた心地がしなかった。
女の子と二人っきりでいる時に、女の子の父親と出会うってどんな奇跡だっつうの。
『なんか怖い人だったね。私、会ったことないはずなのに、とても怖かった』
「幽霊もビビらすド迫力ってか」
何はともあれ、九井先輩に何もなければそれでいい。ただそれだけを祈っておこう。
「さて、とりあえず、帰ってこの本を読むか」
「珍しいですね、海人先輩。どうしてここにいるんですか?」
「賀平……?」
また背後から、誰かに話しかけられる。
今度はよく見る顔、賀平だった。
「バイトはどうした?」
「今日は早めに終わりました。勉強で分からないところがあったので、軽い本でも買おうかなって。先輩はどうして九井先輩と一緒に?」
「……どこから見てた?」
「いえ、ついさっき見かけたので」
父親と出会っているところは、見られていないらしい。
「ふっふ~。こんなとこで会うなんて、やっぱ結愛と先輩は赤い糸で……」
「じゃ、また明日」
「ちょっとちょっと! 先輩のいじわるぅ~」
帰ろうとしたところを、服の裾を掴まれて止められた。
「先輩、せっかくですし、まだ夜もこれからなんで、時間の限り結愛と愛の時間を……」
「まあ、せっかくだしな」
「……え、いいんですか?」
「逆にダメなのか?」
「い、いえ……なんか調子狂うなぁ~」
というわけで、急遽賀平とも帰宅することになった。
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