第6話 悪夢

 高いところから落ちる夢を見た時、夢から覚めた瞬間に身体全体がガクッと転落するような感覚に陥ることがある。過去何度か経験があるが、かなり目覚めは悪い。

 といったように、夢と現実は結構リンクしているのではないかとは思う。

 予知夢とか正夢とか逆夢とか、夢に関する言葉も多いわけで。

 夢はその人の深層心理を映し出すとか、夢占いに使われたりとか。

 ただ自分が見たいとも思ってない夢で気分を害したり、自分の未来が占われたりするのは気に食わない。

 だからか、夢はあまり好きではない。


 そして今日の寝起きも、夢のせいで過去最悪の一日の始まりだった。


『顔色悪いね』

「お前の声は頭に響くから……」


 幽霊の声は、脳内に直接語りかけてくる形式のようで、気分の悪い寝起き状態ではちょっときつい。というか、誰にも話しかけられたくない。


『夢でも見たの?』

「……意味深だな」

『まあ、十数人も見てきたんだから、思い当たることがあるよ』

「おえ……」

『でも、そんなにひどいの見たの初めて』

「今までの人はどんな……」

『ちょっと目覚めが悪い程度だよ。そんな吐き気とか気分悪くなるようなところは、始めて見たかも』

「ちょっと吐いてくる」


 さくらにそう言い残して、トイレに向かうことにした。

 便器に昨日の夕飯の残骸を流して、そのままトイレの床に座り込んだ。


「まだ吐きそう……」

『大丈夫?』

「見に来ないでくれよ」


 さくらがトイレの扉をすり抜けて、こちらを見てくる。

 流していないから、俺の嘔吐したもの全て女の子に見られた。恥ずかしいという感情が湧かないが。


「まだ吐き気がある。また吐くかも」

『うわぁ、凄いね』

「なんでそんな平気なの?」

『生きてる時結構そういうの見てきたし、平気なんだと思うよ』

「ああ、そう……」

『大変そうだね』

「他人事な……」


 吐くことはなく、数分待てば吐き気は収まった。流石に女の子に見られ続けるのは嫌なので、吐いたもの全て綺麗に流しました。


「とりあえず部屋に戻る。話を聞かせてくれ」

『そうだね』


 吐いたものが飛び散っていないかを確認して、トイレを後にする。親が気にしていないということは、俺の現状が知られていないということだ。道場を挟んだところにあるので、多少騒いでも気づかない。ちょっと起きる時間も早いから、祖父も道場にいないはずだ。


「朝の四時か……」

『どんな夢を見たの?』

「……」

『言いたくなかったら、言わなくてもいいけど』

「この夢は、どういうことだ」

『呪いの共鳴、と私は呼んでる』


 呪いの共鳴。

 首吊り桜の大本の呪いは俺にある。そしてその呪いは、俺の大切な人に影響を及ぼす。その過程でその人と呪いのパイプが繋がり、対象の深層心理が逆流してくるらしい。それが夢として表れる。


『過去の呪いを受けた人も同じ感じで夢を見てたよ。どんな夢だった?』

「気持ち悪くて、苦しい、そして凍えるぐらいの寒さだった」

『あれ?』

「ん?」

『そんな感想初めて聞いたな』

「ああ」

『みんな一つだったよ、夢で感じた何かは、絶対に』

「どういうことだ」

『気持ち悪いとか簡単な感想の人もいたけど、皆一言だった』

「ん?」

『今まで被害者はずっと一人だった』

「はあ……」

『まだ確定じゃないけど、もしかしたらの話』

「なんだよ」

『今回の呪いは、二人以上いるかも』

「なんで」

『言ったでしょ。君の夢は、呪いで繋がってる人の心とリンクしてる。恐らく繋がってる人の自殺の原因のヒントになる感情が雪崩れ込んできてる。今までもそうだったはずなんだけど、君のはやっぱ奇妙だよ』

「確かに、夢を三つ見た。起きたと思ったら、別の夢だった。吐きそうになって、ようやく目が覚めた。なるほど、三人いるかもしれないと……」

『私に他人の夢を見る力はないから、今までの人が言ってきたことを信じるしか』

「今までの人は、見る夢が一つってことか」

『うん』

「きっついなぁ」


 来年の桜が咲くまでに、俺の周りで三人が自殺をするという事実。

 感じの悪い夢を見て、気持ち悪くて吐いて、そして予想以上に悲惨な事実を叩き出されて、今までで一番最悪な一日の始まりだった。


『結局蔵の中でめぼしいものも発見できなかったね』

「本当に歴史に関する資料とか宝物ぐらいしか置いてなかったしな」


 俺のことを気遣ってか、さくらは話題を変えてくれた。

 昨日祖父から蔵の鍵を預かり、夕食を食べた後蔵の捜索へ向かった。やはり昔から存在するだけあって、崩れ落ちる危険の伴う捜索だった。

 蔵の中には歴史的価値のありそうな宝物が沢山置いてあったり、何かの書物が沢山積み重なっていた。宝に触るのは気が引けるので、積み重なった書物から探すことにした。


「とりあえずさくらが生きていそうな時代に関する本を探したけど、年号の名前とか全く分からないから」

『私も記憶曖昧だったし、お勉強とかしてこなかったから』

「しっかり土台固めていかないとな。地道に行くしかないよ」

『時間、ないかもだよ?』

「呪いが誰についているのか、目星はつくから」

『へぇ、誰?』

「三人だけ、他の人より親しい人がいる。その三人が、ちょっと怪しいかな」

『そこまで絞れるって、ちょっと寂しいんじゃない?』

「人付き合いはそこまでしない主義なんで」


 ちょっとだけ、俺の人間関係を誇りに思ってしまった。

 実際は悲しむところなんだろうけど、誰かを絞れるのはかなりアドバンテージがある。


『大切な人って縛りがあるから、絞るのはある程度簡単なんだろうなぁ』

「でも、そんな兆しは全くないんだよな」

『そんな露骨なことはなかったよ。みんな静かに死んでいったから』

「あんまり、聞きたくない言葉ではあるな」

『ごめんなさい……』

「もう一回、寝るよ」

『寝れる?』

「寝れなくても、目を瞑っておくよ」


 そのまま、俺はベッドに潜り込んだ。

 多分寝れないだろうけど、この胸のもやもやから逃げたくて、現実から目を背けたい。



 *****



 まず最初に、息苦しい夢から始まった。


 真っ暗な暗闇の底に、沈んでいく感じ。

 そして、この息苦しさから、俺は暗い海の底に沈んでいっているのだと確信した。

 自分が寝たのは自室だったので、今は夢の中だと思ったが、目が覚めるわけはなかった。


 息ができない。苦しい。

 もがいてももがいても、どんどんどんどん沈んでいく。

 上にも下にも光はなく、自分が向いている方向がどこなのかも検討がつかない。

 そして何より、息苦しいのが続いているはずなのに、死ぬことができない。

 さっきからずっと、息苦しいのが続いているだけ。

 永遠に、ずっと、息ができない状況が続いていく。

 続いて、続いて、それでも底に辿り着けない。


 これが最初に見た、夢。

 息苦しさが永遠に続き、自分がどこにいるのか全く分からないまま、どこかへと落ちていく、そんな夢だった。



 *****



 二回目の夢は、夕暮の部屋だった。

 さっきの暗闇の海から、急に場面が展開する。

 扉もない。あるのは一つの窓だけだった。そこから差し込むのはオレンジ色の光。そこから夕暮であることが、推測できる。

 音は何も聞こえない。俺はその夕暮の部屋で横になっていた。


 さっきの暗闇の海を経験したからか、綺麗な部屋だなと素直に思った。

 その直後、俺の視界が酷く歪み始めた。

 ぐにゃりと、ぐるりと視界が一周していくような感じだった。

 そして突然俺は猛烈な吐き気に襲われた。

 子供の時、無理してバイキングで食べ物を胃の奥に押し込んだあの時のように。

 何もないはずの部屋の中で、俺の身体の中に何かが大量に流れ込んでくる感覚。もちろん夢の中なので吐くことはないが、それでも今までに感じたことのないほどの吐き気だ。


 身体の中に流れ込んでくるものの量はどんどんどんどん増えていく。

 何が流れ込んでいるのか分からない。


 これが二つ目に見た、夢だった。

 外に出れない夕暮の部屋の中で、得体のしれない何かを流し込まれて、猛烈な吐き気に襲われる夢。



 *****



 三回目の夢は、ゴミだらけの部屋だった。

 二回目の夢とは異なり、窓の外が暗いから夜だが、窓の外の暗さは一回目の暗闇を想起させる。さっきの部屋のように、猛烈な吐き気に襲われることはなかった。

 だが、真冬の時とは比べ物にならないぐらいの寒気に襲われている。

 ただただジッと、俺は体育座りで前だけを眺めている。

 異常なほどの寒さに身を震わせながら、さっきの部屋にはなかった扉をジッと眺めているのだ。


 寒さ以外に特に感じることはない。

 ただただ、寒い。

 このまま凍死してしまうのではないかと思えるぐらいの寒さだった。


 ちょっと疑問に思うのは、なぜ俺は扉だけを眺めてしまうのかというところ。

 何も考えていないのに、目の前の扉から目が離せないでいる。


 これが三回目に見た、夢だった。

 ゴミだらけの部屋で一人、凍える寒さに震えながら、ジッと扉を眺める夢。



 *****



 この三つの夢を何度かループしたのに、猛烈な吐き気で目を覚ました。

 夢はすぐ忘れてしまうことはほとんどだが、お昼になっても忘れることができない。何か別のことを考えていないと、また思い出してしまう。


「結局、桜の木のことについては分かったの?」

「いえ、全然です」

「なんか顔色悪いけど」

「変な時間に目覚めちゃって」

「ああ、よくありますよね」


 そんなこんなで、昼休みの図書室である。


「授業は受けれましたか?」

「まあ、それなりに」

「そこまで心配はしてないですが、もし授業受けるのが困難ならしっかり休むのも手ですよ」

「心配はしてくださいよ」

「学業に関しての心配はしてないということです。身体の心配はしてます」

「……ありがとうございます」


 九井先輩、しっかり心配してくれるんだ。


「今日は騒がしくないんですね」

「今日は一人で登校してきたんで、特に騒ぎも起きませんでした」

「そう……」

「今日も僕たちだけですね」

「そうね」


 閑散としてる図書室で二人。

 夢とは真逆で、ゆったりと流れる時間が落ち着く。

 あとほっぺにあたる机がひんやりして気持ちいい。


「あ、せんぱ~い! ここにいたんですね」

「あぁ、堤防が決壊した」

「え、と……だれ?」

「あ、私賀平結愛っていいま~す! 海人先輩の、恋人です」

「は?」

「賀平、嘘広めると縁切るぞ」

「やぁん! 先輩、ひど~い」

「酷い冗談」


 九井先輩がちょっと怒ってるっぽい。

 賀平はそれを察してるかどうか分からないが、ずっとニコニコしている。

 そういう肝の据わり具合は、見習いたいところではある。


「なんでここにいるってわかったの?」

「結愛の情報網、凄いんですよ」

「俺のプライベートはないのかなぁ……」

「必要最低限のことしか共有されないようにされてるんで」

「なんとも曖昧な表現ですね」

「それで?」

「そうそう、聞いてください祝ってください!」


 そういって、賀平は嬉しそうにスマホの画面を俺に見せてきた。


「フォロワー十万人さっき超えたんですよ! 頑張ってようやく達成できたんです」

「へえ、それは凄いな」

「もう、なんでそんなちんぷんかんぷんみたいな顔をしているんですか」

「凄さが分からなくて」

「私の投稿とか毎日チェックしてますか? 色んな人のアカウントとか見れると思うので、この十万フォロワー突破の凄さを理解してください!」

「スマホは連絡しか使ってないから」

「今すぐ! ダウンロードしてください!」

「わ、わかったわかった!」


 賀平がスマホの入ってるポケットに手を入れてこようとしたので、渋々賀平が愛用しているSNSをダウンロードする羽目になった。年頃の女の子から股間辺りをまさぐられるのは、やはりダメだと思うので。


「結愛、誰よりも先輩に聞いてほしくて。友達と話すのやめて、ここまで直行したんですよ」

「まあ、それは嬉しいな」


 見ると、しっかりフォロワーの欄が十万人の数値を超えていた。

 他のアカウントも数万人の人がほとんどで、それだけで賀平がやり遂げたことが凄いことかは瞬時に理解できる。賀平の表情は今までで見たことのない笑顔で、本当に頑張ったんだと思う。


「まあ、なんだ。俺も嬉しいよ、こういうの見ると」

「えへへ。これからも頑張ります」


 ただ、こんなに頑張る笑顔が魅力的な女の子でも、心の奥底に何かを抱えているのだろう。


 それは、息苦しさか、気持ち悪さか、凍える寒さか。

 俺はこれから、三人の少女の闇に触れていく。


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