第9話 普通の日常らしい

「ねぇ、次の授業さぼりましょうよ」

 

 振り返り際、ベージュをベースとした柔らかい長い髪が舞う。夜景のように反射するガラス越しの瞳が俺を捉えて言うのだ。

 綺麗だ。俺は、前人称的にそう見出す。

 

「…俺たちは頭悪いんだから、行かないとやばいでしょ」

「だって、移動教室慣れないし、先生が私ばっかり当ててくるんですよ」


 次の授業は普段違うクラスが使っている教室で、日本史Aの合同授業をする。その授業は選択制で日本史Bと世界史Bのどちらかを選んで授業を受けるのだが、世界史Bを選んだ生徒たちは週に一度、日本史Aを受けなければならなかった。

 この学校では文系選択の生徒は日本史Aと世界史Aをどちらとも受講しなければならなく、1年生のころ全学年の生徒が世界史Aを受けたので日本史選択の生徒は世界史選択とは違い余計な過程がない。


「はぁ、それはお前がマンガ読んでるからだろ、しかも一番前の席で。それで目つけられたんだろ」

「マンガ読んでるから答えられるはずないんですよ、さっさと終わらせて家に帰りたいのに」

「開き直るなよ、開きすぎて本心丸見えだよ」

「しかもあの先生、私の服装にケチつけてくるんですよ」

「学校指定のやつを着てないからだろ」


 他の緩い先生と違って日本史の先生は厳しかった、だから学校指定外のベージュのカーディガンを制服の上に着ている彼女に必要以上に目を掛ける。そもそも学校指定のものを着るのが当然のことだし、彼女に反論できる要素などは無い。彼女の授業態度と相俟って考えれば先生に同情するくらいだ。


「そんで、抜け出してどこ行くつもりなんだよ」

「城山公園展望台」

「うわ~どんぐらいか知らんけど結構距離あるだろ、次の授業だけじゃなく3限も犠牲になるぞ、久しぶりに0限しっかり出たんだからなんかもったいなくね」

 

 0限という授業がある。これは俺たちがいる特進クラスが1限の前に普通に授業を行う実に迷惑な制度である。ほかの普通科や商業科が1限からなのに対し特進は0限があるという特別感でこれをステータスに感じていたものたちもいたが半年も経つとこの制度が憎くてたまらなくなる。例に漏れず俺もその一人だ。とにかく朝が早いことが気に食わない。


「いいの、私はその覚悟があります」

「ただ授業さぼるだけなのにこの気迫」

「何で行きます?あ、ちなみにバスと電車は私に酔うので嫌です」


 口に手を当てて目を細める彼女はどこか気品があった。

 

「”私が”な、三半規管じゃなくて頭が弱いんだな、残ってんの自転車か徒歩じゃねぇか」

「歩きは死んじゃうし…あ、そういえば、自転車持ってましたよね、電動のものを」


 目を細めた彼女の提案に俺は、疲弊の未来を想像する。

 電動とは言え後ろに一人を乗せて坂道を登るのは骨が折れる。


「不安定になるし危ないだろ」

「青春の1ページを現実的な視点で批判しないでくださいよ」

「めんどくせ~、やっぱ展望台じゃなくて近くのイオンで映画でも観よーぜ」


「やだ、いくの」


 前日の雨でやけに湿ってる昇降口。

 風が俺の背後から流れる、彼女の前髪がなびく。

 彼女は何かを求めているように感じた。


「…あぁ、わかったよ」

 

 前意識的に肯定していた。この情景に相互的に俺の身体が働く。

 自分ではないみたいに体が動いた、でもこの心身は確かに自分のものだった。


「やったー、そうと決まればルートを検索するね、あがたの森公園から城山公園展望台までっと」


 最初はなぜこの高校の名前を入れないか疑問だったが、予測変換で『あ』と打てば出てくる『あがたの森公園』を選んだのだろう。休日たまに遊ぶときはそこを目印に待ち合わせをしていたし、ここから少し離れて遊ぶときは帰りの目的地をあがたの森公園に設定していたので検索の際手間が省けたのだろう。この学校からは距離的に指呼の間なので何かと便利なのである。


「はぁ…めんどくさぁ~」

「めんどくさい、で物事を片付けないでください」

「つか、お前自転車持ってないのか」

「持ってますけど競輪の自転車でブレーキついてませんよ」

「なんでだよ、向上意識の片鱗なのか」

「そもそも私自転車乗れませんし」

「じゃあなおさら疑問だね」 


 彼女は、金持ちの娘とは思えないほど庶民的なメーカーもわからないスニーカーを履く。靴に興味がないのかプライドがないのか、俺にはよくわからなかった。

 

「何してるんですか、早く行きましょう」

「はいはい」


 彼女のメガネが反射して眩しかった。

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