第4話 死神
5
(大変なことになった)
川の水位が少し上がったようである。雨季だからということもあるが、潮の満ち引きの関係が大きい。もうすぐ市内の多くが水に沈み、その日一日は城下も静まり返る。
騎士服を揺らしながら歩くウッドロウが気にしているのは、そのことではない。
(このような役を言いつかるとは、まったく)
通りの壁にはクレマチスが鮮やかな花を咲かせている。
「お、騎士様。お久しぶりでございますね」
「ああ、その、久しぶりだ」
「お忘れですかい? ほら、劇の稽古をつけて頂いたじゃねえですか」
「もちろん覚えていました。大工のほうでしょう」
「八百屋です」
「軽い冗談ですとも。お愛想でも笑ってくれなければ」
誤魔化すウッドロウに、町人は笑って続ける。
「そういや聞きましたか、陛下の話」
「へ、陛下の?」
「ええ、なんでも夜な夜な陛下の首が身体を求めて彷徨うとか」
「切られたいのか?」
「間違えました。ええとですね、伯爵が陛下の命を狙ってるって知ってますか」
「……僕は立場上、お前をこの場で切らねばならぬ」
「か、勘弁してください。噂、噂。俺が言ってるってんじゃねんですから」
「だとしても、それを僕の前で言うな」
剣の柄から手を離すと、町人はほっと胸をなでおろす。
ウッドロウがどこに勤めているかといった話はした覚えがない。だからマヌエル伯爵家に仕えているというのに、このようにあけすけに町人は話してくるのだろう。
「伯爵ほど陛下の信頼を得ている方はいないというのに」
「でも騎士様、城じゃあ伯爵の独裁状態だなんていう話じゃないですか」
「学ばんな、お前は」
「剣を抜こうとせんでくださいよ! おっかねえったらありゃしねえ!」
「お前が抜かせるようなことを言ったのだ」
「しょうがねえじゃねえですか、伯爵は町人に人気がねんですから」
「だからそういうことを……」
ため息をつきかけたウッドロウは、ふと思い立って尋ねる。
「噂には詳しいか?」
「ええ、まあ自慢じゃありませんが早耳シモンたあ俺のことですよ」
「聞きたいのは王妃殿下のことなんだが」
「そりゃまた、ずいぶん前の話ですな」
「たしか出産直後に亡くなられたと聞くが、御子はどうなったか知っているか」
「そりゃ、ガキもおっ死んだって話でしょうよ」
「その言葉遣いをどうにかできないのか」
「俺は町人ですからねぇ。で、なんでそんなこと聞くんです?」
「いや、少し気になって……王の子は、男児でよかったかな」
「そうですそうです。親鳥だかひな鳥だか」
「……お世取りだ」
「親鳥ですか」
「お世取りだ。後継者のことだ」
「なにぶん昔のことですからね」
「噂はあるか。たとえば、王の子が双子であったとか」
「さあ、聞いたことがねえですが、なんでです」
「もしやと思ってな」
「もしやってなんですか、気になるじゃねえですか」
「もしやはもしやだ。気にするな」
「またまたそんなこと言って、もったいぶらずに教えてくださいよ」
鞘から刀身がわずかに覗いた。
「……もしやだ。他意はない」
「も、もしやですね。そうっすねぇ、双子っていや、あのころだったかな」
「何かあるのか」
「赤ん坊を拾ったって薬屋さんがあちこち回ってた覚えがありますよ」
「それで」
「結局どうなったのか知りませんが、お貴族さまが流したんじゃねえかって噂が」
「赤ん坊はどうした」
「さあ、そこまでは知りませんが、親元に戻ったか、そうでなけりゃ」
この翌日から、雨の日が続いた。
ウッドロウはエドモントン城に入るのは初めてである。曇り空の下にあっても華麗な屋根の美しさは変わらず、城内で見た二重らせんの階段には圧倒された。
ウッドロウの悩みとはこのことで、
『しばらく、側衆として陛下に仕えよ』
マヌエル伯爵にそう言われたときから、心が重いままであった。
剣一筋に生きてきた。いずれは国の要職に、などとは考えない。だいたいがそういった才能を持ち合わせていないのだ。しょせん、抜いて切る。それまでの男である。
伯爵もそれを知っている。知っていて頼んだのである。
「お取次ぎは私が行う。ええと」
「ウッドロウ・ケイプと申します」
「ウッドロウは呼ばれるまで下がっていてよい」
側近の子爵もマヌエル伯爵と所縁のものである。すなわち、国王陛下の周囲はマヌエル伯爵の手のもので固めてある。国王に害意を持つものが入ることは無いといえばそうが、マヌエル伯爵がもしもその気になれば、国王陛下は逃げようがない。
「子爵様、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「なんだ」
「僕は、この王城でなにをすればよいのでしょう」
側近の子爵はウッドロウの肩を叩く。
「待っておればよい」
はたして、ウッドロウは王城で無為に時間を過ごすのであった。
ただ、分かってはいる。ウッドロウは剣である。剣とは切るものであり、あとはその対象が外から来るか、内にいるかの違いである。王城に攻め入るものなどありはしない。では、王城の内に切るべき相手がいるか。伯爵に逆らうものなどいないというのに。
もしも、あるとすれば。
「ウッドロウ、王城には慣れたか」
まだ雨の続いている一日、伯爵に呼び出された。
「他の城とも違う、独特な造りだからな」
「……はい、僕ごときがお役に立っているか、どうか」
「役に立ちたいか」
「それは、もちろん。僕にできることでありましたら」
茶室に招かれた時点で予想しなかったわけではない。
「陛下は長く国政から離れておる。あの事件以来、体調も優れないご様子だ」
「はい……」
「先日、あの薬屋にあったのは知っているな」
「はい、もちろん。アラディア殿ですね」
「あのものが言っておった。余の運命が途絶えるとすれば、陛下を害する時だと」
「……はい」
なんと答えるべきかわからない。
「同時にこうも言った。余を殺すとしたら王の子であると。陛下に子はない。しかし、これから先、子が生まれるとも知れない。いまであればその可能性はない。いまであれば。もちろん、これが理由ではないが、行動を起こすならば早いほうがよいと決心した」
ウッドロウの持つカップが、飲まれることもなく卓に置かれた。
少ししてから口を開く。
「陛下の子がマヌエル様を殺すと、そう言ったのですか?」
「そうだ。こんなことは、あの薬屋を知る余とお前だけの秘密だ」
「いえ、マヌエル様、その……」
目を泳がせると、懐にある袋が目に入った。
いつでも返せるようにと持ち歩いていた。そこにある金貨の意味が急にわかったような気がした。ウッドロウは口ごもる。もしもこの場で言ってしまったらどうなるか。
あの薬屋、アラディアについて話してしまったならば。
ウッドロウは顔を伏せたまま、
「わかりました。何事も主命のままに果たします」
「うむ。手筈はすでに整っている。ウッドロウは最後の切り札よ」
「はい。ご下命をお待ちいたします」
この日はこのまま終わった。
結局、アラディアについて話すことは無かった。この金貨を返すことができていたら、とウッドロウは何度か思う。これが手元にあるという引け目が判断を鈍らせた気がする。
(アラディア殿に会わねば)
時間ができたときは探して回ったが、見つかることは無い。
もはやエドモントン市を離れたのかもしれない。そんな思いに囚われるころには事が起こるに十分な時間が経過しており、もはや逃れられないところに来ていた。
「今日だ」
側近に耳打ちされた日。
それは水路の水位があがり、エドモントン市が水の中に沈むアクア・アルタの日だった。ほとんどの臣下が休みとなり、国王陛下の側に仕えるものだけになる。
本来ならば許されない城内での帯剣を、この日は許された。
「時が来たら告げる」
ウッドロウは剣を差したままじっと待った。
違和感があった。親を殺され天涯孤独となり、復讐に燃えて剣をとった自分が、なぜこんなところにいるのか。まるで見えない運命に運ばれているかのようだ。
思い返せば、それは出来過ぎた運命だった。
どこで運命を違えたのか。おそらく、教会と聖堂を間違えたところではないか。妙な加護を得たものだった。死神の加護とは。なるほど、だからこんな羽目になったのか。
(陛下を――)
大罪である。しかし、それは裁かれぬ罪である。
ウッドロウは深く息を吐いた。心はどこまでも冷たく冴え冴えとさせ、この身を一本の刃とする。振り下ろされる刃である。持ち主の意のままに敵を殺す刃である。
窓から入る風が冷たくなった。
ウッドロウの待つ部屋に、近づく足音がある。側近の子爵だった。いよいよきたか、とウッドロウは思う。もはやこの刃は振り下ろされており、止める術とてない。
「果たせ」
水の囲いに覆われた場内を進む。
誰もいない。燭台の明かりだけが道を示している。そこをウッドロウは音もなく歩いた。心臓の鼓動は一定であり、歩幅、その速度、いずれも普段と変わらない。
王の寝室が見えた。
深く息を吸う。
止める。
ドアに手をかける。
「ウッドロウ」
横から、声がかかった。
声を発したほうへ顔を向けるのと、刃を向けるのは同時。ひたりと首の皮一枚手前で刃が止まるのと、声の主を目で認めるのも同時であった。
側近の子爵である。ウッドロウが剣を納めると、首から離れた刃にようやく肩の力を抜いたがすぐまた慌てた様子でウッドロウに近寄り小声で話し出した。
「ウッドロウ、心して聞け」
「失礼いたしました。しかし、いまは」
「違う、よいから聞け」
振り下ろされた刃を止める術はない。
「マヌエル伯爵が……」
しかし、もしも持ち主が止めたならば、刃は自分の判断で相手を切ったりはしない。持ち主に従って止まる。あるいは、持ち主がいなくなったならば、刃はどうなるか。
「もしや」
ウッドロウは子爵の言葉を聞くや、駆け出した。
「もしや、もしや」
二重らせん階段を駆け下りる足音が城内に響く。エドモントン城から飛び出したウッドロウはそのまま水に沈んだ街路を駆けた。波が広がり、やがて消えていく。
王の寝室は、閉じたままだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます