第4話 死神
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「おお、参ったか」
マヌエル伯爵は、いたって健康な様子でアラディアを迎えた。
エドモントン市の少し不穏な空気とは裏腹に、邸内は慌ただしいものの以前よりも穏やかな空気が流れている。その理由はマヌエル伯爵のライバルが失脚し、病気も快癒し、事実上この国の実権を持つ権力者となったことが関係しているのはすぐにわかった。
「食事はすませたか?」
「はい、エドモントンに着いてから頂いてまいりました」
「では、茶を出そう。……顔色が悪いか?」
「顔は隠れております」
「言い直す。具合が悪そうだな」
「長旅でございましたから」
伯爵の茶室へと通される。
茶室は庭園の中にある。普通の客間とは少し違い、茶室の中には湯を沸かす小さな釜と茶器くらいしかなく、庭園に咲く草花のほかにはこれといった装飾がない。客をもてなすにふさわしくない場所のようだが、実際のところ賓客以外は通さない重要な客間である。
「そなたの薬を使い始めてから、すこぶる調子が良い」
「それは、音に聞こえてございます」
「そうだ。身体だけでなく、すべて調子が良い。政敵は自滅し景気は上向く」
「なによりでございます」
「茶は?」
「いただきます」
茶室は狭い。入室人数が限られ、また一部屋の建物のため聞き耳を立てるようなものがいればすぐにわかる。そのために、ここでは秘事が語られることが多かった。
「アラディア、といったな」
「さようです。お覚え頂いて恐縮にございます」
「アラディアよ、占いもできるとか」
「……ウッドロウ様でございますか」
「そなたの言葉はよく当たるようだ。病の見立ても薬の知識もよい」
「経験則というものでございます。占いなど」
「もちろん、占いなど余は信じない」
伯爵の声が少し低くなった。
「余のこの絶頂期はいつまで続く」
「占いは信じないと仰ったばかりです」
「霊だ精霊だ星の配置だといった経典にも書かれぬ妄言は信じない」
「では」
「しかし、神は信じている」
自分で淹れた茶を伯爵は飲む。
「たまたまウッドロウと出会い、そのウッドロウが余に雇われ、たまたま余が騎士たちの様子を見に行ったときに屋敷へやってきて、医者たちも気づかなかった余の病気を悟り、それにぴったりと合う薬を用意できた。そのようなことを偶然とは考えない」
「私は、平凡な薬屋です」
「だとしたら、アラディア、そなたは神に愛されている。特別な能力もなくここまで運命が運ばれることがあるとしたら、それは神の御業に他ならない。余はこの出会いは神が与えたもうたものだと信じている。余にとって、これが二度目の転機に……」
「二度目?」
「いまは関係がないことだ。とにかく」
近くで見ると、マヌエル伯爵は以前よりもぎょろりと目が出ていた。闘病を経験したためか皺は深く刻まれているが、精力は有り余っている様子で顎も唇も突き出ている。
「これまでにないほど、何をやってもうまく行く」
「伯爵の行動が的確だからでしょう」
「どこかで、この運の反動が来るのではないかと恐れるほどだ」
「恐れるには値しません」
「本当にそう思うか」
「もし伯爵様の運命を邪魔するものがあるとしたら……」
「なんだ?」
「いえ、水を差すだけです。余計なことを口走ろうとしてしまいました」
「構わない。そなたは余の命の恩人でもある。自由に話してくれ」
アラディアは時間を置いてから続けた。
「伯爵の運命が途絶えるとしたら、それは伯爵が陛下を殺めるときです」
「なぜそんなことを」
「市井ではそんな噂が流れております。しかし、以前約束いたしました」
「もちろん、余は陛下に忠誠を誓って居る。しかし」
二杯目の茶を注いだ。
「陛下を殺めることがあるとしても、それでなぜ余の運命が」
「伯爵様はこの国で最高の権力者であり、もはや殺そうとする対抗馬さえおりません」
「そうだ、それなのに」
「およそ、王の子でもない限り、その運命を途絶えさせることはできないでしょう」
「王の子?」
「はい、陛下の御子でもなければ」
「王の……ははっ」
伯爵は安心したように肩を下げて笑い出した。
「ははは、そなた、あまり余を驚かせるな」
「ご安心なさいましたか」
「王の子か。つまり、もはや余を殺せるものはおらぬということだな」
伯爵は愉快そうに笑い続ける。
この国の王は王妃を深く愛していた。側室はおかず、王妃が亡くなってからも新たにとることは無かった。王妃のなくなる原因となった出産では男子を産んだとされるが、その後まもなくしてこの王子も亡くなっている。公式には王の子は一人もいない。
だから、伯爵はアラディアが自分の身を保証したと思ったのだ。
「話せてよかった。ところでエドモントンで店を構えるつもりはあるか」
「……まだ早いと思っております」
「気が向いたらいつでも来い。呼び寄せてすまなかった、観光していくといい」
茶室を出ると、伯爵は今回の旅費としてアラディアにかなり多めの金額を与えた。
雨季の空は曇っていた。屋敷に入る前と後で、気温が十度も変わったような気がする。アラディアは懐から粉薬を取り出すと、水も使わずにそれを飲み下した。
「アラディア殿」
急に声がかかり、アラディアは咳き込む。
「失礼、驚かせてしまっただろうか」
「……ウッドロウ様、あなたはいい加減学ぶべきです」
「なにをだろうか」
「私に避けられているということをです」
口元を布で覆い直して歩き出すと、ウッドロウがついてくる。
「僕に何か悪いところがあっただろうか」
「間が悪いのです。あなたはいつも一つ間を外してくる」
「それは、剣の癖だ。間が同じだと刃が触れ合うが一つ外すとすり抜ける」
「私は日常の話をしています」
「剣を振るのは日常生活の一部だ」
「それはあなたの話です」
「僕の話をしているのだろう?」
「子供のような言い訳はおやめください。菓子をねだるようについてくることもです」
「菓子などねだっていない」
「ではなんのために後をついてくるのです」
ウッドロウは前に回り込むと袋を突き出した。
「お金を返すためです」
「それは差し上げたものです」
「受け取る理由がありません。五十ゴールドなど」
「あります。いえ、ないはずですが……そう、私はなぜ……」
「いったい何の話を……」
ちょうど立ち止まった所で、ふいに声がかかる。
「魔剣使い! いつぞやの魔剣使いであろう!」
身なりの良い初老の男性である。口ひげを蓄えた人のよさそうな人物で、いかにも貴族という風貌をしている。歩み寄ってきた男の後から騎士が何人も従ってきた。
「これは、ゼノン領主様。ご厚意を賜りながら、ご無沙汰いたし……」
ウッドロウがかしこまって頭を下げた。
「よい、よい。マヌエル伯のもとに勤めていると聞いた」
「はい。何事も領主様のお陰です」
「うむ。仇も討ったとか。よくやった。見込んだとおりである」
ゼノン領主は笑いながらウッドロウの肩を叩く。
この人物をウッドロウは少し苦手にしていた。それは話好きで、一度捕まると話が長いからである。以前の討伐の報告の際は朝に出向き夕方に城から出たほどである。
「ありがとうございます。それでは、僕はこの辺りで」
「そうそう、ウッドロウ。お前が修行に使った聖堂であるがな」
ウッドロウはゼノン領主の背後にいるお側付きの騎士へ目を向けたが、騎士から返ってくるのは『諦めろ、こっちも辛いんだ』と言わんばかりの突き放した視線である。
「あそこを改修しようかという話も出ておる。魔剣の生まれた場所であるしな」
「それはまた、しかし、あそこは教会では……」
教会と聖堂の違いは、教会は学問の場であり聖堂は信仰の場であるという点である。もっとも教会の創唱者も神格化されたために、現在はどちらも信仰の場として扱われる。
いずれにしろ、管理の違う別々の建物である。
「ああ、あそこは教会ばかり建ったころの建築だからな、似ているが聖堂なのだ」
「気づきませんでした……」
「ははは、それでは、お前に加護を与えた神もがっかりするだろうな」
ウッドロウは自分の剣を見た。
「聖堂の神様は、いずれの神様だったのでしょうか」
「まあ、お前にはちょうどよい神であったかもしれぬ。戦の神であるから」
「戦の神と言うと、あの隻腕の」
「いや、いや。そちらではなく、ほれ、戦争を司る……」
大聖堂で鐘が鳴る。
曇り空の下、ステンドグラスが濡れて妙に輝いて見えた。そこに描かれるのは八本足の馬に乗り、巨大な槍を手にした隻眼の老人。それは戦争と死を司る大神。
「死神、ですか」
大聖堂の周りを二羽のカラスが、かあ、かあ、と鳴いて飛んでいた。
「こちらは大聖堂に用があるが、ウッドロウもどうかね?」
「あ、いえ、僕はこちらの薬屋に用が……おや? アラディア殿は」
ウッドロウが辺りを見回すも、そこにアラディアの姿はない。
鐘の音も絶えていた。二羽のカラスの羽ばたく音と、あたりを行きかう雑踏の音とが襲ってくる。ウッドロウは手に持ったままの袋を懐にしまい込んだ。
「振られたようだな、では、お前も一緒に来るといい。まだ話があるのだ」
「僕も勤めがありますのでここで失礼させて」
「お前が助けた娘たちだが元の村がかなりやられてしまっていてな、そこで」
雑踏に、ウッドロウが領主に連れていかれる音が混ざる。
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