第4話 死神

 オタクサの花が咲いている。


「おい、聞いたか例の噂」

「聞いたけどよ、あんな噂いつものことじゃねえか」


 町人が二人、ノーエ地区の川沿いを歩いている。通り過ぎる茶屋の軒先にはオタクサの花が咲いており、赤と青、そして紫の入り混じるその花が雨季を表している。

 町人は、大工と八百屋のようである。


「でもよぉ、フラウ侯爵もいねえいま、くせえじゃねえか」

「まあ止めるやつぁいねえわな」

「だろ? ほら、今度は本当なんだよ」

「そうか、じゃあ、本当に陛下がやられちまうんだなあ」

「ひでえことしやがるぜ、伯爵の野郎」

「いやまったく、忠孝の欠片もねえやつだ」

「まさか寝所に踏み込むたあ、非道なやつだよな」

「寝所に踏み込んだの?」

「暗殺ってのはだいたいそうなんだよ、相場があんだよ物を知らねえなお前は」

「あ、そうなの? 悪い悪い」

「で、寝ている陛下の口を押えてナイフでグサリよ。起きたときにはもうお眠りだ」

「ひでえな」

「死ぬ直前に言ったんだってよ『伯爵よ、お前もか』」

「お前もかって他に誰がいんだよ」

「間違った。えー、『カキは痰の毒』」

「どういう意味だ?」

「どういうって、カキって食べ物は臓器に悪いから食わねえってことだよ」

「……あそう、それで?」

「それでってなんだよ」

「いやなんで死ぬときにそんなこと言うの?」

「馬鹿だなお前は。偉い人は死ぬ直前でも体に気を遣うもんなんだよ」

「なんでよ?」

「万に一つで生き延びられるかもしれねえだろ、そのとき体壊しちゃ元も子もねえ」

「あ、なるほど。さすが陛下は違うな」

「だろ? で、はねられた首が晒されたんだが体を求めて夜に飛ぶって話でな」


 雨季にしては珍しく晴れた日である。

 水路の流れはいつもより早い。その揺れる水面が日差しを反射してきらきらとまぶしい。風はまだ冷たいものの、夏の足音を聞くようなよい日和であった。


「お、ありゃあ薬屋さんじゃねえか」


 町人たちの逆側から、歩いてくる者がいる。

 くすんだ花浅葱色の旅装に革の黒羽織、顔は布で覆われている。町人たちは薬屋と呼んではいるが、この日は行李を背負っていない。どこかふらついて見えた。


「やあ薬屋さん。どうもどうも、劇をする時は騎士様ともどもお世話になったね」

「その節は、こちらこそ」

「こんな時期に珍しいね、やっぱりあれかい?」

「はあ、なんでしょう」

「いやほら、陛下の首が夜な夜な身体を求めて飛び回るって話を聞いて来たのかい」

「…………はい?」

「だから、陛下の首が」

「失礼、少し待ってください。仰っている意味が何一つわからなかったので」

「だから陛下の首がさ」

「……国王陛下はまだ生きておられるはずですが」


 町人二人が顔を見合わせる。


「え? だって、なあ、陛下死んだよな?」

「ああ、死んだ死んだ。伯爵が寝所でな、ナイフで刺したもんな」

「だよな。で、なんだ、バールのようなものは体に毒だから食わねえってな」

「言ってた言ってた」


 頷いて町人が薬屋へ向きなおる。


「ほら、こいつもこう言ってますよ」

「……寝所でというのは、どこで聞いたのですか?」

「いや、暗殺ってのはだいたいそうだと相場が……」

「相場? 聞いたわけではないのですか?」

「いや、そりゃあ、うん」


 また町人二人が顔を見合わせる。


「なんで陛下は暗殺されたんだ?」

「そりゃ、フラウ侯爵もいねえし、伯爵はああいうやつじゃねえか」

「だよな、やっぱり暗殺されてるよな」

「されてるよ、されねえわけねえだろ」


 薬屋は既に眉を寄せている。


「やっぱり暗殺されてますわ」

「……事の発端はなんだったのですか」

「発端っていうと?」

「その話の始まりです」


 町人二人は考え込んで、


「なんだったかな、たしか陛下が殺されるんじゃないかって噂が」

「そうだよな、殺されるって噂……」

「だよな噂……噂じゃねえか」

「そうだよ、お前はほんと早とちりすんだから、薬屋さんに謝んな」


 大工が相手のせいにすると、八百屋が首をかしげながら頭を下げる。


「すいませんね、噂話でしたわ」

「いずれ不敬罪で切られますよ」

「いや普段からこんな早とちりってわけじゃ、あ、薬屋さん」

「はい」

「痩せましたかね? 前よりも、なんだか細いような」


 この日、アラディアはエドモントン市に商いにきたわけではない。仕入れ先であり配置薬商の本拠地となるマーヤ領で身体を休めていた所、お呼びがかかったのだ。

 伯爵からのお呼びである。理由はわからない。


「すこし、体を壊しまして」

「そりゃ、たいへんだ。医者には……あ、自分でれますか?」

「それなりには……失礼、少し急ぎますので」

「引き止めて悪かったですね、じゃ、また改めてお礼させてくださいよ」


 町人二人と別れると、アラディアは咳き込んだ。

 少しよろめいて道の端へ行く。屈むと目の位置にオタクサの花が来た。その色合いが妙に懐かしい。記憶もおぼろげな遠い昔、同じ花を見たような気がする。

 咳がおさまると口の中に血の味が残った。


(近いな……)


 行李も担いでいないというのに、アラディアの足取りは遅かった。この頃は咳に混じる血も増え、体重は減り声もかすれたような気がする。死期が近い。

 病死である。なかなかに苦しい死に方だろう。


(これも運命か、いや、私の運命ではないが)


 この病死に至るという運命は、アラディアのものではない。国の重職を担うマヌエル伯爵が持っていた運命である。アラディアはその運命を自身のものと交換した。

 アラディアはなぜ運命を入れ替えることができたのか。

 誰かから教わったわけではない。

 何か特別な修行をしたわけでもない。


『そんなもの、見えないわ』


 物心がつくころには、もうアラディアは他人の運命が目に見えるようになっていた。太い蝋燭、細い蝋燭、長い、短い、様々な運命が蝋燭の形で見えていた。


『あのおばあちゃん、もう消えるよ』


 アラディアは赤子のころ、薬屋にエドモントン市で拾われた。川の流れの激しい日に、橋のたもとで枝に引っ掛かっていた籠を見つけたらしい。

 その籠の造りは精緻せいちであり、くるまれている布は絹である。香油の匂いもしていた。だいたい、赤子でありながらその顔は衆に優れて美しかった。

 籠の縁に、焼きごてで押したようにアラディアと書かれている。


『とんでもない拾いものかもしれない』


 拾った薬屋は貴族の子供だろうと思い、それとなく探ってみたが行方不明になった貴族の子供といった話はまったくなかった。そんな中で陛下のお世継ぎが亡くなられたという不幸な話題もあり、エドモントン市全体が陰気になったので故郷へ戻った。

 配置薬を扱う薬屋は、国民の健康を守るものとしてマーヤ領主により保護されている。年にひと月ほどしか家には帰れないが、暮らし向きは悪くない。

 薬屋は家に戻ると、妻に赤子を見せた。


『どうだろう、ちょうど僕たちには子もいないことだし』

『構いませんが、でも、ほんとうにすごく可愛らしくて、どういった生まれかしら』

『貴族様の出だろうとは思うんだが、恐らく、流されたんじゃないかと』

『かわいそうに』

『よいかい。僕がいない間、家のことで大変だと思うが』

『一人で寂しいところでしたから、ああ、それにしてもほんとうに可愛い』


 薬屋の妻が顔を覗き込む。

 髪は金色の巻き毛で、目はくりくりとした琥珀、真っ白い肌のなかで頬だけがほんのりと赤く、手で持つことが危ぶまれるほどの完璧な愛らしさだった。


『なんだか、どこかで見たような……』


 そのときから、薬屋の妻は何か引っかかるものを感じていたという。

 成長するにつれてアラディアは美しさを増していった。粗末な布を着ていても、ほかの子たちと同じ水汲みをしていても、その髪は太陽のようにきらめき人目を引いた。

 物腰からして人と違い、その美しさはよく話題になったが、

『あのおばあちゃん、もう消えるよ』


 アラディアがそう言って人を指さすと、翌日には死んでいる、ということもあった。


『どうしてわかったの?』

『どうしてって、おかしいわ。蝋燭が消えかけているんだもの』

『蝋燭?』

『あのおばあちゃんの蝋燭は、もうほとんど溶け切っていたもの』


 アラディアには人の命の蝋燭が見えていた。

 それが当然であり、ほかの人たちも同じように見えていると思っていた。けれどこのことを話すと決まってこう言われた。それは母親も同じであった。


『そんなもの、見えないわ』


 次第に、アラディアは怖れられるようになっていく。

 アラディアが声をかけると、その人物は自分が死ぬときが来たのかと思って逃げ出すようになった。子供たちも大人にならってアラディアを避けるようになり、段々と町の中でアラディアは浮いた存在となっていき、友達はまたたく間に減っていった。

 そんななか、親友が一人いた。


『あたし、ティアの顔が好きなの。別に死んだっていいくらい』

『……ケイティは死なないよ』

『そう? そうでしょうね、綺麗なものを見ると長生きすると言うもの』


 この子は少し年上でアラディアをティアと呼び、よく一緒に遊んだ。

 アラディアの顔が好きだ、といつも言う。それは顔以外はどうでもいいという残酷な言葉のようだったが、アラディアにしてみれば心安かった。


(顔が変わらなければ、友達でいてくれる)


 自分が特殊だと気づく前、アラディアは自分がなぜ人に避けられるかわからなかった。ケイティは理由がはっきりしている分、急に嫌われる心配がいらない。

 ケイティはケイティで、少し人と違う子供だった。


『見てみて、どう?』

『キレイ。この花畑、ケイティが作ったの?』

『ちょっと奥に行って、そう、もうちょっと左、そこ!』

『なに?』

『ティア、あなたったら、もうほんとどうしようもない』

『なんなの』

『どうしようもないくらい綺麗だわ』


 ケイティの親は貿易商で、彼女の家には珍奇な品がたくさんあった。他の国から植物の種なども持って帰ってくるらしく、それを育ててケイティは花畑を作っていた。

 まだ幼い時分であったが、さすがに貿易商の娘らしく、


『ティア、この草と、この花を乾燥させるのよ』

『どうなるの』

『重ねて刻むと、よい香りのする煙草になるの』

『あなた、パイプを吸うの?』

『違う、違う。パパに教わったの。輸入すると高いから育てられればって』

『へえ……』

『今度、吸わせてあげる』

『いらない。煙たくて嫌いだから』

『煙草じゃなくて、ハーブを固めたものもなんかも、吸えるのよ』

『そう、それは……きっとよい香りがするんでしょうね』


 このケイティの母親が、身ごもった。

 父親は各国を渡る貿易商だけあり、迷信や噂など聞き流す度量の持ち主であったが、母親はそうではない。ケイティの母親はアラディアが娘と遊ぶのを嫌っていた。


『いいの? 怒られない?』

『二人で畑の手入れをして、余った時間でティアと遊んでいるんだもの』

『でも、お母さん具合悪いんでしょ?』

『そう。でも、その、あたしが家にいることで気を遣ってしまうこともあるでしょ』

『でも……』

『へいき、へいき。さ、行きましょ』


 でも。

 アラディアは、その先を言えなかった。

 でも、あなたの母親の蝋燭は消えかかっている。もうすぐケイティは母親と別れることになる。それがわかっていた。いつも通りわかっていた。

 けれど、口には出せない。

 それは口にしたらケイティが悲しむから、誰も助けようがないから、だから口にしないのではない。もっと独善的に、それを口にすることでケイティという親友に嫌われるのではないか、親友を失うのではないかという思いからであった。

 ただひたすらに自分のための行為であり。


『ティア、どうかしたの?』

『ううん、なんでもない』

『そう、あなたも顔色が悪いわ』


 額に触れるケイティの手はほのかに温かくて。


『……べつに熱はないのね。とにかく、気を付けましょう』

『うん』

『あなたの顔色が悪いと、美しさがくすんでしまう。人類の損失だわ』


 アラディアは。

 なにか、その状況に覚えがある気がした。


『ごめんなさい、ママの調子が悪くて、すこし畑は休憩よ』

『私が一通りのことはやっておくから、安心して』

『ありがとう。必ずお礼はするわ、必ずよ』


 それは古い、とても古い記憶だった。

 アラディアと名付けられた時の記憶。それまでは忘れていた記憶。


『……ねえ、ティア。男の子が生まれたわ。だけど』


 出産は命がけである。

 産後に熱を出し、母親が亡くなることがよくあった。話によれば王妃もそれで亡くなったのだという。ケイティの母親は体調を崩していたこともあり産後に高熱を発した。

 ケイティが弱音を吐くのを初めて見た。


『お医者様が、もういけないって言ったの』


 それでも、彼女の蝋燭は明るく燃えていた。


『ティア、あなたは知っていたの?』

『……うん』

『ママはもう、助からないの?』

『…………』

『あたし、自分が死ぬのは受け入れられる。でも、こんな』

『ごめん』

『弟は生まれたばかりよ。なにか、ティア、なにか方法は』


 死ぬ人間を助ける方法など、


『方法は、ないの?』


 アラディアは、それを知っているはずであった。

 だからたぶん、その行為を無意識だったというのは嘘だろう。結果を知っていた。知らなければ行いようがない。けれど、それでも、アラディアはケイティを好きだったのは本当だったし、彼女を大切に思っていたし、絶対に別れたくないと思っていた。


『ティア、ママはね、本当のママじゃないの。あたしのママはもういないの』


 でも、それが、


『でも、今のママはすごく優しくて、あたしを甘やかしてくれるし本気で叱ってくれる』


 それが、ケイティの望みであるというのなら、


『それが嬉しいし、辛いの。きっとママは、この家は、あたしがいなければ一つなのに』


 死ぬことも辞さないというのなら。


『死ぬべきだとしたら、それはあたしなのに』

『……ケイティは、だから、死んだっていいって言ってたの?』

『パパとママがいて、血のつながった男の子がいて、それが普通の家族よ』

『ケイティは、自分の幸せはどうなの?』


 彼女は明るく笑って言った。


『パパとママが幸せでいることが、あたしの幸せだわ』


 ああ、無駄なのだ。

 彼女は、もう決めているのだ。


『助ける方法があるのなら、ティア、お願い』


 アラディアは、その方法を知っていた。


『お願いだから……』


 覚えているのは、ごうごうという水の流れ。

 覚えているのは、籠に打ち付ける雨の音。

 覗き込んできたあの存在は、無数の蝋燭を見せた。

 アラディアはその中から一本を手に取る。

 宝石のようにきらめく、もっとも美しい蝋燭。

 それは、いずれ王権を手にするこの国の王子の運命の蝋燭。

 自分の兄の、命の蝋燭であった。


『お前のせいだ!』


 ケイティの母親は、奇跡的に命を取り留めた。

 それどころかまたたく間に回復し、起きて歩けるようになる。


『なにをしたの! どうしてあの子の手紙が! あの子が!』


 回復と同じくして、ケイティが倒れた。


『あの子が死んでしまったの!』


 ケイティは手紙を残していた。

 まるで死ぬということを分かっていたかのように、母親や父親、それに友人や知り合いへの言葉が書かれていた。兆候はなく、まだ子供で、唐突な死であったにも関わらず。

 もしも、死をあらかじめ知るものがいるのならば。


『あの子は、ケイティは、私の子なの! 誰が何と言おうと、私の子なのよ!』

 それは、一人だけであった。


『生まれてすぐに母親を失った子なのよ、私が、私が母親として、あの子を愛して』

『……ケイティは』

『いつも私に気を遣って、笑っていて、あの子を私が幸せにしなくてはならないのに』

『ケイティは、あなたがよくなることを望んで』


 血走ったケイティの母親の目を、アラディアは覚えている。


『あの子が死ぬことなんて誰も望んでいない! 私が死ねば、あの子が生き返るなら』

『それは……』

『私を殺して、それであの子が助かるなら、私を殺して!』

『それは、無理です』

『私を殺しなさい、この、この……』


 掴みかかろうとするケイティの母親を、ケイティの父親が押さえた。

 アラディアを指さして彼女は叫ぶ。


『死神め!』


 思い出したのは、兄の蝋燭を取ったときのこと。

 まだ名前もなかった赤ん坊に、あの存在は名前を付けた。それは籠に焼き付けられ彼女の名前となる。アラディア、その名は、死神によってつけられた名前であり。

 アラディアの名付け親は、死神だった。

 兄を殺して王権を握る運命を手に入れ、死神の加護によって運命をすり替える力を手に入れた。アラディアは思う。町の人間の言うとおりだ、私は人を不幸にする、私は国を不幸にする、私はこの世に生まれてきてはいけないものであった。

 私は、私は……。


『引っ越すことにした。いや、君のせいではない。そこは勘違いしないでくれ』


 ひと月ほどして、ケイティの父親がやってきた。


『土地は売りに出すが、あそこの草花は娘の書いていた通り自由にしてくれ。それと』


 ケイティの父親は、細長い箱をアラディアへ渡す。


『妻はああ言っていたが、私は噂など信じない。そして娘はきみに礼をしなければならないと書いていた。私はきみに感謝している。畑を維持してくれたことも、娘のことも』

『ケイティは……』

『いずれ、困ったことがあれば頼ってくれていい。きみの親御さんたちにも挨拶した。お互いに各地を周る商売だ。きみにはその、世話になったようだからね』


 箱に入っていたのは、一本のパイプであった。

 少し煙たいが、一緒に入っていた刻まれた香草を使って吸うとよい香りが広がった。花畑を思い出す。香りの一つ一つが、あの花畑に育つ植物を思い起こさせた。


『ごめん、ケイティ』


 その匂いが、感傷的にさせる。


『ケイティは死なないと、言ったのにね。やはり私は、死神だった』

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