第4話 死神

『凶兆で御座います』


 目も開かないころの記憶が、アラディアにはある。

 四つの巨大な塔を持つ白亜の城、壁や堀さえも華麗に装飾された様は、長く争いのない時代を築いたという象徴でもある。水面に映る美しさは神の宮殿にもたとえられた。

 首都が誇る、エドモントン城である。


『双子では仕方ありませぬ。いずれかを流さなくては』

『うむ……』

『陛下、先に生まれましたのは男児でございます、後は女児、ですので』


 それは、王国のしきたりに則った行為である。

 この国では双子が生まれた場合、いずれかを流さなくてはならない。この文化は初代国王がもとであり、庶民より貴族が、貴族より王族がより遵守する傾向にあった。


『王妃殿下には内密にいたします。こちらで手配を』

『任せる』

『畏まって御座います。公けにはお世取りをご出産あそばされたとだけ』


 王女として育つはずの運命。

 何不自由なく育ち、臣民にかしずかれる運命。


『王女殿下は……いえ、こちらのモノは、流しておきます』

『そうするがよい。朕は疲れた』


 女として生まれた。

 少し産まれる順番を間違えた。

 その王女は、生まれたその日にあらゆる運命を失った。

 天命といえばそうなのだろう。死んで生まれてくるものもいれば、病ですぐに死ぬものもいる。生まれた子供がすぐに死ぬなど、取り立てて珍しいことではない。

 けれどそれは、理不尽には相違なかった。


『……流してしまえと仰られましても、この方は王女殿下では』

『余計なことを申すな。それは殿下ではない。人の子でもない。ただのモノだ』

『いえ、しかしながら』

『断るのであれば斬首では済まんぞ。そのほうの妻も子も親類も皆路頭に迷う』


 雨の激しく降る日であった。

 オタクサが赤や青、紫の花を咲かせている。水の都として知られるエドモントン市の水路は海に繋がっており、増水した水路の水流は勢いよく海へと流れていた。


『すまん、こちらも家族の命がかかっている。恨まんでくれ』


 かごに入れられたのは情けというより、できれば海で沈んでほしいからだろう。

 自分の手が、虚空を掴んでいたのを覚えている。

 雨が打ちつけ、水流が絶え間なく籠を揺らしていた。

 なにがいけなかったのか。

 それはきっと、何が悪いというわけでもなく、ただ単に。

 この赤ん坊が死ななければ、都合が悪いというそれだけだった。


 ――かあ


 雨の中、空を飛ぶ二羽のカラスがいる。

 王女は、この捨てられた赤ん坊は、この日に命を終える運命にあった。首を断たれた人間が生きているか死んでいるかと問うようなもので、この状況で生き延びる術はない。

 その運命にあったのだ。


 ――かあ、かあ


 カラスたちの飛ぶ後から、何かがやってきた。

 はっきりとはしない。それはもやのように朧気おぼろげで、雲をつくほどに巨大な気もしたし、人間大の大きさにも思われた。極北から吹く風のような冷たい空気と共にやってくる。

 きっと姿など問題ではない。

 それは絶対的な存在であり、人のあらゆる運命が、その前では意味を失う。善悪も正邪もない。その存在の前においては、すべての運命が蝋燭の炎に過ぎなかった。

 赤ん坊は、籠の中から手を伸ばす。


 ――かあ


 カラスが籠の周囲を舞う。

 それは、その存在は籠の中を覗き込んだ。赤ん坊の琥珀色の瞳が、間違いなくそれを見た。それは隻眼の老人、それは槍を持つ男、それは八本足の馬に乗る騎士。

 それは、神。

 それは戦争の神、死を司る神。

 それは、運命を捻じ曲げる力の持ち主。


 ――かあ、かあ


 その日、アラディアは死神に出会った。

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