第3話 百枚金貨

「じゃあ勝手にしやがれ!」


 女物の上着を羽織った男が怒鳴りつけて歩き出した。


「んな夢みてえな話を信じて金が降ってくるの待ってるなんざお笑い草だ、へそで茶が沸くわ馬鹿野郎、生き死にじゃねえよ、単なる人買いだ、どうなっても知らねえぞ!」


 怒鳴りつけられている青年は、名をファルゼという。

 ファルゼの人生は浮沈の連続であった。立派な商家に生まれたが、火事で財産と両親を失い、縁を頼って貴金属店シェラインで奉公を始めた。店の主も番頭もよくしてくれており簡単な商いさえ任せてもらえるようになったころ、また出会いがあった。


『あ、おはようございます』


 お得意様のところに、髪結いとしてやってきていた少女。

 聞けば、どこかの理髪店に勤めているというわけではないらしい。左官屋の娘で、この店の壁を父親が塗ったときに弁当を持ってきていたので知り合い、なかなか器用な子であったからときどき髪結いを任せて駄賃をあげているとのことだった。

 気立てがよく、明るく、ファルゼはその笑顔に惹かれた。


『おはようございます』


 彼女は、いつも笑顔で挨拶をする。


『おはようございます。よく会いますね』


 彼女が使う井戸を探し当て、そこに通ったりもした。

 奉公人というものは基本的に休みがない。年始と夏の一日を除けば働き通しでありこれといった楽しみというものもなく、ひたすら働き続けて仕事を覚える。

 特にファルゼは真面目だった。駄賃で買うちょっとした甘いものにも娯楽にも手を出さない。それだけに、この少女に会ったときのときめきは、得難い喜びであった。


『ちょっと失礼しますね』


 ある時、風邪気味だったがそれでも会いたくて井戸へ行ったことがある。

 額に手が触れる。そのとき、はじめて彼女に触れた。


『熱が……えっと、手を出してもらえますか。そう、少し押しますね』

『わっ』

『くすぐったいですか? でもここを押すと、風邪に効くんですよ』


 くすくすと笑って、彼女は丁寧に押してくれた。

 たぶん、そのときにはもう、どうしようもなく惚れてしまっていた。

 しかし、この少女、ティナは問題を抱えている。


『……ちょっと聞きました? ティナちゃんのところですけどね』


 浮沈はファルゼだけでなく、その周囲にも影響するらしい。


『親方、だいぶ借金がかさんでるんだって』

『あれだけ腕はよいのに、ギャンブルなんかでもったいないわね』

『奥さんも、ティナちゃんもあんなに良い子なのにねぇ』

『もう首も回らないって聞いてはいたけど』

『ティナちゃん、売られちゃうんじゃないかしら』

『やめなさいよ、そんな』


 噂話を耳にしてから、言ったこともある。


『お金が必要なら、ぼくが、なんとか都合を……』

『ありがとうございます。でも、それはいけません』

『たしかに奉公人風情がこんなことを言っても信じては』

『いいえ。借りたものを返すためにお金を借りても、仕方ないんです』

『ぼくは、貸そうと思って言ってるわけじゃ』


 彼女のために、自分はなにかできないのだろうか。

 彼女のために、自分にできることは。

 彼女のためならば、なんでも。


『ありがとうございます。そう言ってくれて、嬉しかったです』


 握ってくれた手の温かさが、辛かった。

 だって、こんなにも良い子で、頑張っているのに。

 親の都合で売られて、そんな、そんな結末が許されるのか。

 それで良いのか。


『ファルゼ、ちょっといいか。お前にな、ちょっと頼みがある』


 旦那様に声をかけられたのは、そんな折であった。


『クーパ橋向こうのメオロ酒造さん、お前、知ってるな』

『は、はい、もちろん、知ってますが』

『もう話はついているから、あすこから代金を預かってきてくれるか』

『わかりました。明日でよろしいでしょうか』

『うん、うん、で、代金はゴールドで五十枚だ。気を付けるように』

『はい……は?』

『五十ゴールドだ。これが済んだら、また別に商いも任せる』


 にこやかに言う旦那様が、自分を目にかけていることはわかった。

 優しくて、よい人だ。不満など一つもない。

 ……それは、天秤にかけたというのではないのだ。

 ただ、五十ゴールドでシェラインが傾くことはない。旦那様が死ぬようなことはない。けれど、その五十ゴールドでティナは売られずに済む。一家がうまく行くのだ。

 メオロ酒造でお金を預かり、すぐに店を後にする。

 いつもの井戸に向かうと、そこにティナがいた。ファルゼは五十ゴールドの入った袋を渡す。受け取ったティナは中身を見て驚き、慌てて返そうとした。


『受け取れません、どうか持って帰ってください』

『あなたには、これが必要でしょう』

『ファルくんにこんなことをさせたくて、仲良くしていたわけではありません』

『決して変なお金ではないから、受け取って』

『いただけません、友達から、こんなものは受け取れません』

『友達でなくてもいい。これはあなたにあげます』


 押し付けて、逃げ出すように走った。

 旦那様もティナも、どちらも大切だった。

 選んだのは、ティナだったのだろうか。

 けれどきっと、結局のところどちらも選べなかった。

 旦那様に合わせる顔がなくて、死ぬことを選んだ。

 きっと正解ではない。

 後悔もある。

 けれど、百回同じことがあっても同じようにしただろう。

 そしてきっと、同じように死ぬのだと思った。


「来ねえじゃねえか!」


 気づけば、ファルゼはまた怒鳴られていた。


「ほらやっぱり騙されてんだよ、五十ゴールドも薬屋が持ってるわけねえだろ!」

「来なくてもいいんです。ぼくが死ねないというのも、嘘になりますから」

「なんでそうやって死にたがるんだよ。言ったろうよ、旦那に話してみろって」

「そう言われましても……」


 女物の上着の男は、ファルゼの胸倉掴んで凄む。


「あそこは大店だよ、いいか大店の旦那ってのは小僧が金盗まれたからって死ねなんて言わねえよ。怒られるだろうがそれだけだ、その仕事を任せた自分の責任だってちゃんとわかる料簡があるから大店になってんだよ。てめえ旦那を見下してんのか」

「……わ、わかりました。店に帰って、話してみます」

「おう、最初からそう言えよ。いいな、死ぬなんて考えんじゃねえぞ、生きてりゃどうにかなるもんなんだよ。ガキが達観したふりして恰好つけてんじゃねえぞ馬鹿」

「はい、わかりました」

「……死なねえな?」

「はい」

「店帰って、旦那に話すな」

「はい」

「じゃあいいよ。俺ぁ行くからよ、てめえも頑張れよ、な、わかったな」

「はい、お世話になりました」


 言いたいことを言い終えると、男は橋の向こうへと歩き出す。

 ファルゼは橋の欄干に足をかけた。


「だからやめろっつってんだろ!」

「放してください、死ななくてはならないんです!」

「誰も頼んじゃいねえよ、俺の話なんも聞いてねえなこら!」

「なぜ関わるんですか、ぼくのことなど関係ないでしょう!」

「関わっちまったんだからしょうがねえだろ、てめえがここに居んのが悪い!」

「放してください!」

「暴れんな、この……馬鹿野郎が!」


 男はファルゼの胴を掴み、力任せに欄干からおろしてクーパ橋へ投げた。

 ファルゼは叩きつけられた痛みと情けなさで涙があふれてきた。その嗚咽に混じって、男の肩で息をする呼吸音がする。二人は暗い寒空の下、しばらくそのままでいた。

 息も落ち着いたころ、男が言う。


「……わかった、わかったよ、どうしても死ぬんだなてめえは」

「はい、申し訳ありません」

「五十ゴールドがありゃ、死ななくて済むんだな?」

「いえ、それはもう、考えてもしょうがないことですから」

「そうか……ああ……」


 男は懐に手を入れたり出したりとして、落ち着かない様子で髪をかく。


「三十ゴールドにまけるわけには、いかねえか」

「は?」

「いや値切ろうってんじゃねえけど、そうだよな、五十がいるんだもんな」

「……はい」

「五十ゴールドがありゃ死なねんだ。ないと死ぬ。そういうわけだ」

「そうですが」

「……うう、ああ……うう……そうだな、仕方ねえもんな」


 懐から出した袋を男はファルゼに差し出した。


「五十ゴールドある。持ってけ」

「……は、いえ、結構でございます」

「結構もへったくれもあるか馬鹿野郎、持ってけっつってんだろ」

「い、いえ、あなたから頂くいわれがありません」

「あのな、俺だってやりたかねんだよ。てめえが死ぬって言うからやってんだ」

「け、結構でございます」

「じゃあ死なねんだな」

「それは、死にますが」

「じゃあ持ってけよ馬鹿野郎、俺だって引っ込めてえんだよ。仕方なくやってんだ」

「ですから」

「ですからじゃねえ馬鹿! 持ってけ!」


 袋をファルゼの頭にぶつけて、うずくまったファルゼに男は言う。


「俺がこんな格好だから石でも入ってると思ってんのかコラ、その金はな、娘が自分から置屋に身を売ってできた金なんだ。俺ぁギャンブルで身ぐるみ全部はがされて借金だらけだ、上着さえカミさんの引っかけてるような有様よ。

その借金返すために娘が自分から置屋ノルンに入ったんだ。そこの女将さんからな、借金返すぶんの金を出してやるから懸命に働いて買い戻せって、叱られてきたばっかりなんだよ。その金には俺の一家のすべてが詰まってんだ、ありがたく受け取れこの野郎!」


 男の声は震えており、目に涙が溜まっていた。


「そ、そんな金、なんだって関係もないぼくに……」

「うるせえ! てめえは金がねえと死ぬって言うじゃねえか。俺もカミさんも、苦しいが死にゃあしねえよ。娘も傷物になったって死にはしねえさ、てめえは死ぬんだろ」

「ぼくの生き死になど、あなたには」

「俺だって矜持があらあ。いっぺん出したもんを引っ込められるか。あのな、申し訳ねえと思うんなら、週に一度でも聖堂行って、置屋ノルンに預けたうちの娘が病気をもらわないように、嫌な客に会わねえようにと祈ってくれよ。な、わかったな。頼んだぜ!」

「い、いただけません、いただけま……お、お待ちを!」


 足音はあっという間に遠ざかっていき、その背中も見えなくなる。

 男の言うことを信じたわけではない。

 きっと袋には石でも入っているのだ。そう思って開いてみると、そこには金貨が詰まっていた。数えてみると五十枚。見返してみると、袋にはたしかに置屋のものらしき屋号が印刷されていた。とんでもないものを貰った。ファルゼはすぐに駆け出す。


「はぁ、は、い、いない……」


 暗夜であった。どこへ行ったかなど見当もつかない。

 このまま死んでしまえば、この金も無駄になる。これも思し召しと思い、ファルゼは袋を抱えて店へと戻った。番頭が怒ったような安心したような顔をして出迎え、とにかく中へと通される。旦那と番頭を前に、ファルゼは腰を下ろした。


「……遅くなりまして、大変申し訳ございません」

「いや、いいんだ。無事でよかった。メオロ酒造さんのとこはどうだった」

「はい。その……少しチェスのお話などさせていただいて、遅くなりました」

「お客さんとの付き合いなら仕事みたいなもんだ。いいよいいよ」


 ファルゼが懐から袋を取り出す。


「こちら、五十ゴールドでございます」

「……五十、あるのかい」

「はい……?」


 旦那が番頭に目配せをすると、番頭が袋を開けて数えだした。


「たしかに、五十ゴールドあります」

「そうか、そうか」


 座りなおすと、旦那は眉を怒らせる。


「あのなファルゼ、わしはお前を息子のように思って育ててる。お前は真面目だし筋もいい。いずれは店をと思ってる。お前は、わしをおとっつぁんと思ってくれないのかい」

「いえ、そんなことは。とても、ありがたく思っています」

「そんならな、どうして本当のことを話してくれないんだ。番頭、見せておやり」


 番頭が、メオロ酒造で預かった五十ゴールドの袋を取り出した。


「あ、ど、どうして」

「夕の前だったかな。ティナという子が持ってきたよ、お前が落として行ったってな」

「そ、そんな、それじゃ……」

「良い子だな。服もぼろぼろだったが、一枚も抜かずに裏口から丁寧に返していった」


 ファルゼは顔を青くして固くなった。

 それでは、自分の行ったことは、はじめから全て無意味だったのではないか。

 その上に見知らぬ家族の大切な金を奪うような真似を。


「ファルゼ、お前の持ってきた五十ゴールド、いったいどこのものだ」

「旦那様、旦那様……」

「泣いていてはわからないだろう。はっきり言いなさい」

「ぼくは、ぼくはとんでもないことを」


 二人の前で、ファルゼは事の始まりから包み隠さず話し出した。

 金を返しに来たティナという少女の境遇、自分が店の金を落としたのではなくやってしまったのだということ、そしてお詫びに死のうとしていた時に出会った乱暴な男。

 聞くうちに怒っていた旦那の眉が、段々と驚きに変わっていった。


「じゃ、なにかい。その男は見ず知らずのお前にこの大金投げてったってのか」

「はい。初めて会った方で、追いかけたのですが、見つからず」

「すごい男がいたもんだ。いやわしは金こそあるが、とても敵わない」


 しばらく感嘆してから、旦那は咳ばらいをする。


「……まずファルゼ。わしはお前を叱らねばならん。なぜかわかるか」

「お店のお金を、勝手に使ったからです」

「違う。お前が死のうとしたからだ。五十ゴールドでわしが死なせると思うか」

「それは……」

「大金でも命にはかえられない。いいかい絶対にそんな短慮おこすんじゃないよ」

「旦那様、ぼくは、申し訳なくて……」

「お前が死んで悲しくこそあれ嬉しいもんか。こんなことは、もうこれっきりだよ」

「……はいっ」


 旦那はファルゼの肩を抱いて何度も頷くと、今度は番頭に向き直る。


「番頭、その袋の屋号、わかるかい」

「はっ、これは見たところワルハラの置屋ノルンでございますな」

「……そうか」

「どうかされましたか」

「お前、女遊びはやらないと言っていたわりにすぐわかるんだね」

「疎いものではっきりとは言えませんが、ノルンという噂を聞いたことがあります」

「どこでそんな噂があるんだい。まあいいよ、わかるんならちょうどよい」


 旦那があれこれと指示を出すと、番頭はいそいそと部屋を出ていく。


「ファルゼ。お前は今日はもう休みなさい」

「はい、ありがとうございます。あの、番頭さんはいずれに」

「受けたものは返さなくてはならないだろう?」

「五十ゴールドですか。場所がわかるなら、ぼくが今からでも」


 旦那は軽くファルゼの額を小突いた。


「そうじゃない。返さなくてはならないのは、恩だ」

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