第2話 仇討ちの魔剣
5
ウッドロウ・ケイプと名を改めてからしばらくして。
ある日、斬首役人と知り合った。
「お手前は、人を切ったことがあるかね」
「ありません」
「では、仇も切れんだろうな」
その男が言うには、人を綺麗に殺すには技術がいるらしい。
そもそも、人間の体は無数の骨と肉で出来ており、急所となる臓器はこれらに隠されている。太い血管を狙うこともできるが、失血死は汚れがひどくなる。
首を落とすという殺し方は、綺麗に終わるが難しい。
人間の首の構造は幾層にも連なる骨とその間の柔らかい緩衝材でできている。首を落とすには骨と骨の間に刃を入れ、そのまま緩衝材の部分を抜ける必要があった。
骨の位置、肉の硬さ、それらは人によって違う。
これらを皮膚の上から見分けて骨に当たらずに切り抜ける。
知り合った斬首役人は、百八十人殺して来たが一度も失敗していないという。
「コツは?」
尋ねた時、役人は少し首を上向けた。
「相手の首を、ほんの少しだけ持ち上げさせること」
こうすると、骨の並びが平行になり刃も干渉しないのだとか。
「試してみるか」
「試すとは?」
「ちょうど、執行予定の罪人がいる」
役人になりすまして剣を持ち、罪人の前に立った。
屈んだ罪人は震えていて切れるものではない。このまま振ったところで狙いを外すのは分かりきっていた。骨に当たって何度も何度も切り付けて失血死させることになる。
舌打ちをする。どうすればよいのか、頭が白くなりかける。
――かあ
ふいに、罪人の動きが止まった。
一羽のカラスが近くの塀に留まる。罪人の首が少し上向いた。
ここだ、と思った。
思うと同時に手は動いている。
手ごたえは非常に軽い。切ったという感覚さえおぼろげだった。
薄皮一枚を残して、首が落ちる。
「お見事」
他の役人に声を掛けられ、ようやく成功したのだと知った。
人を切ったのは初めてだった。けれど、人が切られるのを見たのは二度目である。あのときのことが目に焼き付いていたから、いまさら人が死のうとなんとも思わなかった。
「お手前の剣には、魔性がある」
いよいよ町を発つという日、役人はウッドロウに言った。
「そのままでは魔剣となるだろう」
「なると、いけませんか」
「魔剣は人を殺すだけ、犬畜生の剣。いずれ、お手前の害となる」
「どうしたらよいか」
「どこか教会に籠って剣を見直されたがよろしい」
言われるままに、山村の小さな教会に籠ることにした。
神父もいない見捨てられた教会を掃除し、昼夜となく剣を振り、硬い木の長椅子の上で眠りにつく。そんな生活を繰り返した。汚れていた教会を磨くうちに、なにかが変わっていくような気がした。剣を振るうちに、なにかが削り落とされて行く気がした。
一つ、腰を使う事。
一つ、手首を返す事。
一つ、柄の握りを長くとる事。
一つ……。
極限まで無駄を省き、徹底して一つの形を追い求め、日に三万本剣を振る。
血の小便が出る。
味がわからなくなる。
自身の肉が腐れたように変色する。
身体が、剣を振る一個の装置と化していった。目的のために剣を振っているのか、剣を振るのが目的なのか、いずれかわからなくなっていく。
「神よ……」
祈る。祈りながら寝て、起きて剣を振る。
痛いのか、苦しいのか、もはやわからない。感情と言うものさえも消え去っていく。昼夜以外に時間の感覚は無く、ただひたすらに振り続けた。
まだ、遠い。
まだ、遅い。
まだ、弱い。
まだ……。
ある日、目が覚めると外が騒がしかった。
「うるせえ、騒いでっと、ここで殺しちまうぞ!」
怒声と泣き叫ぶ声。何人もの男たちの足音。
野盗のようであった。
近くの村を襲撃した帰りで、さびれた教会で休憩しようとしているようだ。もしかしたらウッドロウの方が闖入者で、普段は彼らが使っているのかもしれない。
教会の扉が開けられる。
「あん? なんだおめえ」
戦いというものは、数である。
極めた一人より十人のほうが強い。それが当たり前だ。どれほど鍛えようと十人に石礫を投げられるだけで死んでしまう。剣の道にはそういう虚しさがある。
「野盗と見受けたが、よいか」
「おお、よくわかったな。そうだよ、盗賊様だ。で、なんだてめえは」
野盗たちは十五、あるいは二十を数えるほどだった。
勝てると思うのは馬鹿である。
ただ、なかにはほんの少し、例外となる者たちがいる。
「……聞こえる」
グリンフィールド家のヴォーデン。この騎士は聖堂騎士として多くの遠征に従軍した。戦場であげた首は三百に及び、敵軍から奇襲を受けた時は一人で三十六人切り伏せた。
人呼んで、剣聖ヴォーデン。
ダァト家のセーゲン。彼は生まれつき弱視であった。にも関わらず二十の戦場で一番首をあげ、老境に入ったころの逸話として大男を割木一本で打倒したというものがある。
人呼んで、名人セーゲン。
「カラスが鳴くぞ、そら、鳴くぞ」
「なんだこいつイカレてんのか?」
伝説の域に踏み入る彼らの技は、時に神域、聖剣と呼ばれる。
正道を進み、ひたすらに極め、人知を超えた果てにたどり着く技を聖剣と呼ぶのなら。
あるいは、これは魔剣と呼ばれるのかもしれない。
「……鳴いた」
教会の外で、二羽のカラスが声をあげる。
――かあ、かあ
その場にいる全員、ウッドロウを除く全員が外へ目を向けた。
奇妙なことが起こる。
教会の中で、閃光が瞬いた。
木造の教会、銀製品も盗みつくされた教会に日の光を返すものなどない。
もしあるとすれば、それはウッドロウの腰の剣。
「……済んだ」
カラスが飛び立つ。
ウッドロウが野盗たちの横を通り抜けていく。
「何言ってんだてめえ、俺たちの話は済んじゃ……」
誰も見ていない。
ウッドロウの剣が抜かれるところさえ、誰一人見ていない。
剣の奔る音とてないのだ。
「いや、済んだ」
剣が鞘に納まり、音を立てる。
いつ抜いた?
そう思う間があったかどうか。
誰が知っているだろう。
野盗たちの首が、既に断たれていたことを。
「ああ、できた。剣ができた。神よ、感謝いたします」
二十を超える首が、同時に教会の床に転がった。
攫われてきた女たちはウッドロウを見た。救われたというのに、彼女たちは一様におびえた。修行に明け暮れたウッドロウの姿は誇り高き騎士というよりはまるで、
〈魔物〉
としか思えない恐ろしい風貌をしていたからである。
この盗賊退治を土地の領主へ報告すると、大いに喜ばれ報酬も出た。一文無しだったウッドロウはその金を使いきって身支度を整え、エドモントンへ向かうことにした。
この領主から風聞が回った。
魔剣使いがいる。領地を悩ませていた盗賊を一人で葬った。
音もなく殺すらしい。
そうして、いつしか魔剣の噂は広がった。
魔剣使いの用いる、二十人を音もなく殺す一手。
人呼んで、音無しの
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