第2話 仇討ちの魔剣
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「あ」
と、アラディアはマヌエル伯爵と会うなり声をあげた。
「どうした、薬屋」
「失礼いたしました。ラガン領でお見掛けした肖像画に違わぬお顔でしたので」
「おお、ラガンは余の領地だ。向こうでも商いをしておるか」
「はい。ハイラ地区の塩問屋ロックフォード様には、大変お世話になっております」
「うむ、余が口をきいた店じゃ。なかなか良い商いをしている」
「恐れ入りましてございます」
騎士屋敷にはちょうどマヌエル伯爵がきているところであった。ウッドロウが伯爵の側仕えの者に上申すると、しばらくして客間へ通され、そこで待てと言われた。
やってきた伯爵は目じりが長く顎の出た四十がらみの鋭そうな男であった。
「どうにも余を狙うものが多くてな、騎士を増やしてはいるが」
「狙われますか」
「とぼけるな。地方では余の悪い噂も聞いておるだろう、どうだ」
「商家では大臣をみな讃えております」
「農村はどうだ」
「…………土地それぞれでございます」
伯爵は大臣として、重商主義を進めていた。
近年、国内では飢饉が大きな問題となっている。財政も冷え込んでおり、国家が破綻しかけていた。伯爵はこれに抗う形で国策を進めていたのだが、民衆からは、
〈国家腐敗の元凶〉
などと罵られているのが現実である。
「そのほうは、余をどう思う」
「いまのこの国にとっては、なくてはならないお方です」
「それは嫌味か?」
側に立っていた騎士の一人が、剣に手をかける。
伯爵からすればアラディアの命など飛び回る虫ほどに軽い。切ることに躊躇いがあるとすれば客間が汚れるという程度であろう。そのとき背後からウッドロウがささやいた。
「……ご安心を。切らせはしません」
アラディアは平然と口を開く。
「水至って清ければ魚住まず、と申します」
「ふむ」
「多少、汚れている川のほうが魚も植物もよく育つものです」
「余は汚れか?」
「汚れを懐に入れる度量がおありです。だから私のような雑魚にも目をかけてくださる」
「汚れを取り除くとどうなる」
「水は綺麗になります」
「綺麗になるとどうなる」
「魚はいなくなるでしょう」
少し沈黙が下りる。すると、なぜかウッドロウが口を開いた。
「いや、川は土や木に囲まれているのですから汚れは常にあるのでは?」
じろりと全員がウッドロウをにらむ。
「……失礼いたしました」
首をすくめて押し黙る。
この男、どうも場の雰囲気というものを察することができないようだ。
「まあ、よかろう。まだ若いようだ、商いに励めよ」
伯爵がそう言って去ったあと、側仕えから薬を置く許可が出たと伝えられる。
客間にアラディアとウッドロウだけになってから、ようやくアラディアは深く息を吐く。
「助かりました、ウッドロウ様」
「いや、なんの。恩人を切らせるわけにはまいりません」
「恩?」
「薬をくださった。騎士は恩には報い、仇は返します」
「ご主君に逆らっているともとられかねませんが、よろしいのですか」
「僕の行動くらい、予測されて話される方ですよ」
ウッドロウの話ぶりからして、雇ってくれた伯爵を尊崇しているようだった。
「マヌエル伯爵ですが……」
言いかけたが、アラディアはやめた。
「いいえ、薬を置きに参りましょうか」
「伯爵がどうかされたのか」
「国に必要な方であれば、長く生きられるでしょう。ですが」
「どういう意味です。伯爵への侮辱であれば」
「違うのです。伯爵様は近く身体を壊される。特別な薬が必要となるでしょう」
「なんですって」
目を見開いてウッドロウは詰め寄る。
「なぜそれを直接申し上げないのです」
「お抱えの医師もおられるでしょう。それに、今日はじめて会った小娘です」
「しかし、言うだけでも……」
「次に来る時までに仕入れをすませておきます。明日明後日で急変はいたしません」
「それにしても、なぜわかるのですか」
詰め寄られた格好のまま、アラディアは琥珀色の目を細めた。
「私には、人の生き死にがわかってしまうのです」
「答えになっていないが……」
「それよりも離れてはいただけませんか。私とて恥じらいのないわけではありません」
ウッドロウは慌てて離れ、咳ばらいをした。
「失礼。薬を置きに行こう」
「そういたしましょう」
長い廊下をウッドロウが先に立って歩く。
何人か屋敷住まいの騎士がすれ違い、異装のアラディアをじろじろと見てきたがウッドロウが追い払った。まだ来て日が浅いはずだが、なかなか溶け込んでいるようだ。
「お、ノエル様ではありませんか」
向こうから来た騎士の一人に、ウッドロウは親しげに声をかける。
「フラウ家の屋敷は最近いかがです?」
「変わりない。伯爵と手を取り合えればよいのだが」
「侯爵は堅物ですからね。……失礼、ここだけの話にしてください」
相手はウッドロウよりだいぶ年かさである。親子ほどに違うのではないか。
「屋敷の連中も退屈している。なにか余興でもあればよいが」
「ちょうどよい趣向があります。三日後、カタノヴァ町で仇討ちがあると聞きました」
「ほう、仇討ち。最近珍しい。それで、内容は」
「親の仇のようです。ミルダという若者によるティトゥスという男への仇討です」
「助太刀いたすのか?」
「いえ、誇りにかけた一対一の勝負。手は出さずにご覧になるがよいでしょう」
「あのあたりには詳しくないが、どこか良いところがあるかな」
「カタノヴァの馬場は一段高くなっております。そこなら町人もおらずよく見えます」
「わかった。ありがとう、よい土産話ができた」
握手をかわし、男たちはすれ違う。
アラディアが尋ねた。
「フラウ侯爵様は、伯爵様と対立されているはずでは」
「とはいえ、国には重要なお二人です。下のものたちでうまく回さなくては」
「騎士様も大変でございます」
ウッドロウは少し笑って、照れたように鼻をかいた。
「そうだ、劇の話で、忘れていたことが一つあります」
「なんでしょうか」
「件の落ち込んでいるペッシェという男を丁度よく迎えるものがいないのです」
「……私に行けと仰るのですか?」
「もし頼めたら、有難く思います」
少し考えて、アラディアは答えた。
「これほど大きな商いをご紹介いただいたのです、断れません」
「恩に着ます」
「それにしても、三日後とは急ですね。間に合いますか」
アラディアの問いに、ウッドロウは頷いた。
「はい。準備は整っておりますから」
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