第2話 仇討ちの魔剣
3
ウッドロウ・ケイプ。幼名をミルダという。
生まれつき体が弱く、よく熱を出して寝込んでいた。長男として期待されたが病弱なため騎士としての活躍は無理だろうと言われ、父母もあまり期待していなかった。
ただ、愛情がなかったわけではない。
一人息子を父も母も愛してくれる。将来騎士にならなくてもよい、商人になってもよい、ただ立派に成長してくれるだけでよいのだ。そうやって大事に育ててくれた。
「家は大事だが、いまや商人の時代だから」
あまり騎士らしくない親だった。
父は街の警備を務めており、収入はそれほどでもないが揉め事の仲裁をすることが多く、それなりに顔が利いた。何度か裁判の席に立つこともあり、公平無私な判断をするとして評判だった。揉め事を解決していたせいか、貰い物もよくあった。
「お前は俺に似ているよ」
身体の調子が良い日に散歩に出かけたとき、そう父が語ったことがある。
「騎士は怖い。戦うのが怖いんじゃない、騎士というあり方が恐ろしい」
「父上も、騎士です」
「向かんな、俺も、お前も。だから、いざとなればこの家を捨ててもよいのだ」
頭を撫でる大きな手、その乾いた感触を覚えている。
父の上役にティトゥスというものがいる。傍流とはいえ名家の出で、剣もかなり使う。ただ芸事ばかりにかまけて仕事をしないせいで、あまり評判はよくない。
警備隊の騎士たちで行われる、ある秋のパーティに珍しくティトゥスが顔を出した。
「やあ、そちらは奥さんかな」
ティトゥスと挨拶をしたという。
母の器量は、父にはもったいないほどだったという。たしかに綺麗な人だった、とわが母ながら思う。この日、ティトゥスは初めて母を見て、そして懸想したようだった。
不義密通は死罪である。
ティトゥスは欲に正直な男だった。家の権力もあり、面倒ごとは金とコネで解決できる。何度か母を誘ったようだが、当然のこと、母は相手にしなかった。
これでもティトゥスはなかなかの男前で、金も家柄もある。女に袖にされたということがない。断られれば断られるほど、思いは募るばかりであった。
その日、ミルダはまた熱を出して寝込んでいた。
「どうもお前は、器官が弱いようだねぇ」
母のひんやりとした手が額に当てられたのを覚えている。
寝付いてしばらくしてから、居間のほうで揉めているような声が聞こえてきた。母の悲鳴が聞こえた気がして、這いずるようにして扉の隙間へ目をこらした。
「おやめください。なにをしているのか分かっているのですか」
「お前こそ俺が誰だかわかっているのか。こら、歯向かうな」
ティトゥスが母を襲っている。
ミルダは叫ぼうとしたが、喉が詰まったようになって声が出ない。熱のせいか力も入らず扉を開けるのも難しかった。隙間からこぼれる映像だけを見続ける。
「あっ、こ、こいつっ!」
母が抗った拍子に、ティトゥスの目元に傷がつく。
「この俺の顔になんてことしやがる、あばずれがっ!」
スローモーションのようだった。
逆上したティトゥスの抜いた剣が、母へと振り下ろされる。
鮮血。
肩口に刃がざっくりと入っている。
「ティトゥス殿、なにをされている!」
このとき、仕事に出ているはずの父がちょうど帰ってきた。
後に聞いた話によれば、ティトゥスの様子が妙だったと同僚が話したために父は帰ってきたらしい。この同僚は自責の念にかられ葬儀の席では泣いて謝っていた。
葬儀。
そう、ティトゥスは帰ってきた父に現場を見られたと知ると、再び剣を振り上げた。父が腰の剣を抜く間も与えず、同じように肩口から胴まで切り裂いた。
「下級騎士がっ、くそっ、面倒ごとをっ」
法律は領地ごとに決まっている。
ティトゥスは出奔し、別の領地の伝手を頼って再度士官したらしい。両親の葬儀は同僚たちが中心になって行ってくれて、ミルダは葬儀が終わってもぼうっとしていた。
目の前で死んだ両親の姿が、頭から離れない。
このときからミルダは仇持ちとなり、ティトゥスを討たなければ正式に家を継ぐことはできなくなった。親戚はいなかったのだが、騎士仲間の伝手で町道場へ預けられた。
このとき、六歳である。
病弱な少年で、両親を目の前で失い、頼る親類もなく、そして仇がいる。世間の目は同情的ではあったが、誰もが思った。この家は、騎士としてはもう終わりだ、と。
「ミルダよ、わしはお前を騎士にしてやろうとは思うてない」
道場主である師範から、そう言われた。
「勘違いするな。無理に騎士とすることが、お前の幸せにはならないと思うのだ」
「……はい」
「どうだ、ここで休養し、落ち着いたら商家へ奉公にあがってみるというのは」
「……商家」
「いますぐに決める必要はない。ここを我が家と思い、ゆっくりと休みなさい」
ミルダの周囲の大人たちは優しく、そして現実をよく見ていた。
領内から出てしまったら、もう自らの手で討つしかない。しかしティトゥスはかなりの使い手な上に、金もコネもあるから護衛を雇える。それどころか名前を変えて逃げ切ってしまうことだって容易い。対してミルダは何もない。本人は病弱で金もない。
この日の夜更け、師範が物音に気付いて寝室を出た。
「ミルダか?」
道場で危なっかしく木剣を振るミルダの姿を見る。
「どうした、眠れないのか。それにしたって、あまり無茶をするな」
「ぼくは、騎士の子です」
「なに?」
「ぼくは、騎士の子、なんです」
道場の床に、ミルダの頬からぱらぱらと雨が降る。
「お前……」
大人たちの優しさを、子供が優しさと取るとは限らない。
お前には無理だ、とミルダはあざけられているように感じていた。
自分が立派な男であれば。
もっと強ければ。
もしも、あのとき叫び声の一つでも挙げていたならば。
なにか、変わっていたかもしれない。
「騎士が恥をうけて、だまっていられますか」
「……そうか」
「どうか、どうか、おしえてください。騎士にさせてください」
「……わかった」
食いしばった口の横をはらはらと悔し涙が流れ、木剣を握る手が力を入れ過ぎて真っ白になっていた。師範がその手を横から開かせ、泣くミルダの頭を撫でる。
「すまない。そなた、心はもう騎士であったか」
そうして、道場の末席に名前を連ねることとなった。
そこからのミルダは狂気的であった。大人たちでも苦しい道場の稽古に混ざり、熱を出そうが食ったものを吐こうがひたすらに剣を振り続けた。これで死ぬならばそれまで、生きるならば神が仇討ちのために生かしていると思い、無理に無理を重ねた。
あるとき、年の離れた兄弟子が戯れたことがある。
「最近の若い奴は駄目だ。俺らのころは早朝にイヤビコ山に登ってから修行したもんだ」
これを聞いたミルダが、翌早朝に兄弟子を迎えに行った。
「イヤビコ山に参りましょう」
「なんだお前、信じてたのか。駄目だ駄目だ、靴の用意もできていない」
「では、一人で行ってまいります」
兄弟子はまた眠ったが、この日の修行に遅れてミルダはやってくると、
「行ってまいりました」
近いとはいえ雪もかかっている山頂の聖堂。そこにしかない札を兄弟子に渡した。
このとき、ミルダは十五歳。それでも器官はまだ弱く、山登りなど命がけである。にもかかわらず朝から走って登り、その後の稽古もいつも通り行っていた。
〈ミルダは恐ろしい〉
道場で、いつしかそう言われるようになった。
人の何倍も努力する。それでいて、ミルダには瞬発力と目のよさがあった。次第に道場で手に合うものが減っていき、いつしか師範以外には一本も取られなくなった。
「極意を教える」
師範から免許を受けた時、そう言われた。
道場で二人きり。ミルダだけが剣を握っている。
この道場の極意は、無腰の位という。これは免許をうけたもののうち、師範がこれはと思う人物にしか教えない。この極意を伝授してくれるという話だった。
「これは秘法である。覗いているものがいるから、扉を閉めるように」
ミルダは振り向くが、扉は閉まっている。
ふいに、剣が奪われた。
顔を戻すと、師匠に剣の腹で軽く肩を打たれる。
「な、なにを」
「これが極意である。決して人には教えるな。わかったな」
わからない。が、とにかく頷いて頭を下げた。
師範は剣を返して続ける。
「これから先は、ウッドロウ・ケイプと名乗れ」
「……は?」
「名前を変えねば仇に悟られる。知られずに近づき、これを討て」
「……はい」
「わかったな」
「はいっ」
まだわからぬことがあったが、とにかく深く頭を下げた。
「では、行け」
言われるまま、ミルダは道場を出た。このとき十六歳。両親を失ってから十年を経て、ようやく仇を探す旅に出る。腰に一本、家伝の剣を佩いていた。
剣片喰の紋章が曇った輝きを放っている。
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