第1話 立ちぎれ

「以前より、だいぶお若いようだが」


 クーパ橋に面するメオロ酒造の奥で、アラディアは置き薬を補充している。


「以前のものが急に体調を崩しましたので、私がしばらく代わりに」

「そうですか。そうそう、この薬だが、旦那様がよく効くと気に入っておられて」

「少し多めに入れておきましょう。ええ、では今回のお値段でございますが……」


 花浅葱の旅装に黒い羽織、顔を布で覆った姿は奇妙である。

 最初こそ怪しんで、店を任されている番頭が目を光らせていたものの行李から出てくる薬が以前と変わりないのを見ると、安心したようでお茶も出してくれた。


「若い女性が遠くから商いとは、いや、偉い」

「最近は道も整備されておりますから、何事も陛下の御威光の賜物でございます」

「それにしたって危ないこともあるだろうに。そこを頑張る料簡がうちの……」


 言い淀んで、番頭はパイプを吸う。

 アラディアは代金を懐に入れると、出された茶を口に含んだ。かすかだがスモーキーな風味があり、庶民にはなかなか買えない本場の茶葉が混ぜられているようである。

 半端な大きさの店ではこうはいくまい。


「……なにか、お悩みがございますか」


 このメオロ酒造は大店であり、エドモントン市内外に支店がいくつもある。


「なぜそう思われる」

「いいえ、なければよいのです。それでは失礼を」

「いや、ま、焦らず。お急ぎでもないでしょう」

「急いではおりませんが、次のお店もあるものですから」


 店を任されている番頭も暇ではない。


「たとえばですがね、常備薬のほかにも薬はあるもんですか」

「色々とありますが、なにがご入用でしょう」

「気を静める薬……などは、ありますかな」

「ないことはないですが、処方の難しい薬も多い。どんな患者でしょう」

「いや、ま、誰と言って、うん……誰ということでもないのですが」

「では薬などいらないでしょう」

「い、いや、誰ということもあるんですがな」

「誰でしょうか」

「うーん……まあ、誰ってことはないんですが」

「どっちです」


 番頭は飲み干しかけていたアラディアのカップに茶を注ぐ。


「えー、そうだ、これは近所のお話なんですがな」

「近所のお話ですか」

「そのお店では若旦那がやらかしまして、まあ旦那様も一人息子だけに悩まれたようで」

「なにをしました」

「店の金を使ったと聞きます。女に入れ込んだとか。おとなしい方ほど一度入れ込むと」

「近所のお話ですね」

「もちろん。それでまあ一族で話し合って、サメに食わせようということで」

「食わせましたか」

「いやさすがに可哀そうだと言って別の方が炭焼き小屋で死ぬまで働かせようと」

「では、小屋に」

「それも無体だというので、まあ乞食に身をやつしてお金の有難みを知って貰おうと」

「……乞食になられましたか」

「なるところを、本人がどうしてもと嫌がるので空いている蔵に閉じ込めてるところで」

「近所のお話ですね」

「ええ、そう聞いてます」


 この店の蔵のあたりから何やら騒ぐような物音が聞こえてくる。


「ご当家ではない」

「もちろん」


 真面目な顔で番頭は頷く。


「……しかし、そういう事情であればしつけが目的であり薬など」

「まあまあまあ、その通りなんですが『クーロに言伝だけでも』と騒がれまして」

「クーロとは?」

「件の女です。蔵に入っても女とやりとりされては謹慎の意味がない」

「そのクーロという方からはどうなのです」

「毎日手紙は届いておりますが、まあ芸者は恋は恋でも金持ってこいと言いますし」

「恋煩いですか。つける薬など……」

「百日もすれば旦那様もお許しになるでしょうから一時落ち着けばよいので、なにか」

「いまは、何日目で」

「八十日になりますかな。はじめはしばらくすれば落ち着くと思いましたが」

「そんなにですか」

「はい。このように騒がれては、たとえ百日過ぎたとしても……」


 番頭は頭を振ってため息を吐く。


「そのような事情でしたら、軽いものを処方いたしましょう」


 荷の中を漁り、アラディアは薬包を取り出した。


「これを少しパイプに混ぜてお吸いになれば、多少は落ち着くことでしょう」

「おお、ありがとう、助かります」

「ただ舶来品はくらいひんで貴重なため、この量でもシルバーで十枚となります」

「結構ですとも。いや、ありがとう」


 番頭が自ら裏口まで見送り、そっと耳打ちをする。


「このことは世間体がよくありませんから、内密に」

「ご近所のお話でしたら、もう忘れました」

「いやあ、ありがたい。またどうぞ、よろしくお願いしますよ」


 戸を抜けて外に出ると、穏やかな風が羽織を揺らす。

 アラディアは顔の布を押さえた。さきほどよりもきつく結んだために、もう風にめくれるということもないだろう。いきなり人に顔を見られたのは、いかにも悪かった。


(気が抜けている)


 空は雲もなく、春の陽光が強く降りている。

 見回すと辺りの建物はいずれも低く、大聖堂と王城だけがひときわ目立っていた。地上に虹を見ると謳われる大聖堂のステンドグラスは遠目にも極めて美しい。

 常に波音が響き、周辺文化の中心である王都エドモントン。


(やはり、この街の空気はどこか懐かしさがある。そのせいか)


 裏口から出た路地は人通りも少なく、アラディアは次の店へと歩を進める。


 ――かあ、かあ


 ふいに、カラスが鳴き声をあげた。


「ひゃ、ひゃああ」


 転んだような物音。アラディアがそちらに顔を向けると、カラスに驚かされて尻もちをついている者がいる。赤い髪を切りそろえた、まだあどけない少女であった。


 ――かあ


 アラディアが視線を向けると、カラスは羽ばたいていく。


「災難でしたね。身体は平気ですか?」

「は、はい、なんともありません」

「しかし、カラスの鳴き声にどうしてそれほど驚いたのですか」

「あ、いえ、あなたに話しかけようとしていて」

「……その割には遠かったですが」

「あの、声をかけようかどうしようか迷ううちに歩き出されていたので」


 少女は立ち上がって土を落とすと、改めて言う。


「あの、すいません。あなたはメオロ酒造の人ですか」


 同じ目線で見てみると身ぎれいにしており、ほんのりと香がかおった。


「私は出入りの薬屋に過ぎません」

「あのあの、あちらの若旦那さまのこと、なにか聞きませんでしたか」

「失礼ながら、あなたは?」

「あ、すいません。ラティです」

「……どちらのラティさんでしょうか」

「あの、えっと、置屋ノルンの……」


 アラディアの様子をうかがうように、上目遣いにラティが見てくる。


(芸者か)


 置屋というのは芸者を置く店である。番頭の話からして、


(若旦那のお相手……の関係者だろう)


 そのように思われる。

 年齢からしてもおどおどとした様子から見ても、このラティという娘はまだ客前に出る前の見習いだ。クーロという、件の若旦那のお相手が名を変えて、とは、ちょっと思えない。


「お店のことはお店の方に聞いたほうがよろしいでしょう」

「お手紙を届けにあがっても、もう何日も留守だと言われるので……」

「それならばお留守なのでしょう」


 アラディアが背を向けて歩き出すと、ラティがぱたぱたと追ってくる。


「あのあのあの、薬屋さんなんですよね」

「そうですが」

「あの、若旦那のことは、お店に聞きます。聞きますけど」

「はい」

「姐さんのことを、診てもらえないでしょうか」


 足を止めて振り向くと、涙目のラティが見上げていた。

 ラティと比べれば身長の高いアラディアは彼女を見下ろす。ラティの灰色の瞳はうるんでおり、なにか店の仕事というものを超えた必死さを感じさせた。


「……よいでしょう。ただ頼みがあります」

「あ、はい、なんなりと」

「裾から指を離してください」


 クーパ橋から東へ行ったところにワルハラという区画がある。国家公認の遊び場であり、従業員に芸者を主とする置屋ノルンもこの区画に居を構えている。

 二階建ての建物はメオロ酒造と比べれば猫の額のような狭さだが、それでも置屋としては十分に大きく、そこで仕事を待つ芸者らの話声は活気があった。


「なにか、不思議な匂いがします」

「えっと、あ、芸者はお香で時間を測りますから、そのお香の匂いでしょう」

「なぜ香で測るのです」

「えっとえっと、お時間ですというのも無粋とかで、お香が立ちぎれましたと言うんです」

「なるほど、お客との時間ですか」

「こういったお店は初めてですか?」

 アラディアは嫌な顔をしたが、布で覆われているのでラティには伝わらなかった。

「こちらがクー姐さんのお部屋です」


 通された一室は、二階の通りに面した陽光の良く入る部屋だった。

 まだ明るいというのに布団が敷かれている。寝ている女は黒く長い髪にはっきりとした目鼻立ちをしており、よい器量ではあったが、頬はこけてやつれており痛々しい。


「よくありませんね」

「お医者様もこれは気の病だと仰って、ただ、もう三日も寝たきりなのです……」

「飲まず食わずで」

「はい。これまでは毎日のようにお手紙を書いていたのですが、三日前を境に」

「三日前に、何かあったのですか」

「あの……」


 ラティは目を泳がして、しばらくするとこう言った。


「若旦那とクー姐のことは、お聞きですか」

「いいえ」

「そうですか。あの、少しお話ししてもよいでしょうか」


 頷くと、おずおずとラティは話し始めた。

 去年、ギルドの寄合があった時に若旦那はメオロ酒造の名代として出席した。お酒の席もあり芸者もたくさん呼ばれ、そこで若旦那のお酌をクーロが行ったのだという。若旦那もクーロも初心なところがありおとなしい性質であったため、周りの喧騒とは反対に、まるでお見合いのように静かに言葉をかわしあう。その内に言葉だけでなく情も通じ合い、次第に若旦那がクーロに会いに来るようになった。週に一度が三日に一度、いつしか毎日に。


「八十日ほど前、クー姐が『若旦那に劇に誘われた』と喜んでいたんです」

「ずいぶん、親しかったようですね」

「はい。それで、その夜にクー姐の部屋の前を通ったら椅子に座っているんです」

「なぜ?」

「それが『もう髪を作ってしまったからベッドで寝たら崩れちゃう。だから寝ない』って」

「よろしくない」

「お母さん……女将さんが『それじゃ劇の途中でいびきかいちまうよ』って叱ったりして」


 ラティはくすくすと思いだし笑いをしてから、顔をうつむかせる。


「でも、若旦那はお越しにならなかったんです」

「メオロ酒造には?」

「その日からずっと、クー姐は毎日欠かさずお手紙を書いて、書き続けていたんですが」

「……三日前」

「そうです。三日前、思いつめた様子で手紙を書いて、それを渡すとあとはもう」


 ぶるっとラティは身を震わせた。


「その手紙、少し見たんです。今生で会えぬのならば、と、細い字で書いてありました」

「こちらも恋煩いですか」

「こちらも?」

「いえ、気にせずに。では見せてもらいます」


 枕元に座り、アラディアはクーロの顔を覗き込む。

 ラティはまた震えた。それはクーロのことを思ってではなく、急に部屋の温度が下がったような気がしたからだった。春だというのに冬の隙間風が頬を撫でた気さえした。

 アラディアはラティに向き直る。


「もう、いけません。寿命と思ってあきらめた方がよいでしょう」

「あのあの、そう言わず、なんとかならないですか」

「ご本人の心の問題ですから。余人が手を尽くしたところで、どうにもなりません」

「若旦那さえお越しになれば」

「それまでもたないでしょう。だいたい、この方はもう死ぬと決めている」

「なにか、少しでも効くお薬はないですか」

「薬というものはあくまで補助。本人に生きる気が無ければ効くものも効きません」

「あのあのあの」

「あなたはなぜ、そう懸命になられるのです。本人が選んだことではありませんか」

「だって、これではクー姐があんまりにかわいそうです」

「世にかわいそうな方はたくさんおります」

「でも、あの、だって……」


 言葉は弱弱しくなりながら、それでもアラディアのすそをしっかりと掴んでいた。


「クー姐は、こんなわたしを救ってくれた人だから」


 アラディアは裾を掴む指にため息をつく。


「お願いします。わたしにできることならなんでもしますから、どうか」

「なんでもなどと、軽々しく言ってはいけません」

「軽々しくなんて、わたし、本気です」

「ならば彼女のために死ねと言われれば死にますか」

「それは……」

「御覧なさい。余計なお世話などやめておくことです」

「死ねますっ」


 声が部屋に響いて、それからしんと静かになった。

 置屋の女将が喧しいと叱りに来ることもない。アラディアは細いパイプを取り出すと一服つける。あたりに香草のにおいがふわりと広がっていった。


「死ねると言われましたか」


 座り直して、アラディアはラティを見た。


「それほどにおっしゃるのであれば、手立てが一つもない、ということもない」

「ほ、ほんとうですか」

「ただし、死ぬものを生かすにはそれ相応の代償が必要です。たとえば」


 パイプからゆらゆらと煙が立ちのぼる。


「人の命は蝋燭ろうそくの火のようだ、と言います。蝋は徐々に溶けていき、ふっと炎が消える」

「あの、あのあの、それがなにか」

「蝋燭はつぎ換えればまた燃えますが、人の命は簡単ではない。換える先がないのですから」

「あのあのあの」

「ただ、換えることができれば助かることはできる」


 気づけば、あたりを煙が埋めていた。

 濃霧、もしくは火事場の煙、そうとしか思えないほどに濃い煙があたりにただよい、ラティはすぐ近くにいたはずのアラディアの姿さえ見ることが出来なくなった。


「ここに二つの蝋燭があります」


 煙が少し薄くなる。

 アラディアは先ほどと変わらず座っており、蝋燭を二本突き出していた。一本は明るく燃える蝋燭で、もう一本はほぼ溶け切り消える間際という様子である。その二つをアラディアはラティの前に置く。揺れる二つの炎がラティの瞳に焼き付いた。


「元気なほうはあなたの命、消えそうなほうはクーロという方の命です」

「えっと……」

「信じないのならばそれでも結構。ただ気をつけなさい、火が消えた時、人は死にます」


 ふう、とアラディアの吐いた煙に蝋燭の火が揺れると、慌ててラティはクーロの蝋燭を手で覆った。ゆらゆらとか細く光る炎はいまにも消えそうに思われる。


「お選びなさい」

「え?」

「炎を重ねれば、あなたの命と彼女の命が入れ替わる。あなたが死に、彼女が生きる」

「あの、そんな……」

「その蝋燭はお預けいたします。ただ、彼女の命はもって次の夜明けまで」


 かん、とパイプを叩く音が響くと、辺りから煙がすうっと消えていく。

 しかし二本の蝋燭は幻ではなく、そこに残り続けた。


「明日の夜明けには、必ず一人死ぬ」


 外で、かあとカラスが鳴く。

 いつの間にか夕暮れ時になっていたようである。

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