第3話 美奈子の夢

 八月三十日。夏休みが終わる、二日前。

 陽菜は、重たい足で数日ぶりに美奈子の家を訪れた。

 昨日の雨を引きずる曇り空の下、震える人差し指でインターフォンを押す。

 家の中からバタバタと足音がして、ガチャリとドアが開いた。

 この前はすみませんでした、と頭を下げかけ、出てきた少年に驚いて動きを止める。

「あ……」

「久しぶり、下沢さん!」

 夏の乾いた空気に、遥斗の変わらない明るい声が響いた。



「この前は、本当にすみませんでした」

 リビングで、美奈子の母親に深々と頭を下げる陽菜。隣で遥斗も、「オレもごめんなさい」と謝っている。彼は、少し前にすでに謝ったと言っていたのに。

「私も、きついことを言ってごめんなさいね。美奈子のために……戻ってきてくれてありがとう」

 母親もそう言って頭を下げ、優しく笑った。

 顔を上げた陽菜に二階を指し示し、

「あと少し。どうか頑張って」

 と力強く言う。

 陽菜は小さく二回まばたきをして、胸をはって答えた。

「はい!」




 数日前にあんなにも暗い気持ちで下りた階段を、遥斗と二人、一歩一歩踏みしめてのぼる。

 楽しげな笑い声が聞こえる部屋の扉を開けると、そこには見慣れた仲間がいた。

「陽菜ちゃん!」

「遅いじゃない」

「あ……」

 綾花、蘭、そして良介。

 陽菜は、部屋に入るより先にみんなに頭を下げた。

「ごめんなさい。私、わがままだった。みんなのこと、全然考えられてなかった」

 体を良介の方に向け直し、続ける。

「あなたにも、ひどいことした。ほんとにごめんなさい」

 良介はあわてて立ち上がり、

「だ、大丈夫だよ!ぼくのほうこそ、みんなの気持ち考えずに無責任なことばっかり言ってごめん」

 二人でぺこぺこと謝りあう姿に、遥斗がぷっとふきだした。

「あはは。よーし、みんな揃ったことだし、続き、始めよっか!」

「おー!」

 綾花がかけ声とともに右手をつきあげ、久々に、絵が動き出した。


「ぼく、美奈子ちゃんから、私の理想の未来を描くって聞いてるんだけど……」

「理想の未来?」

 良介の言葉に、一同は首をひねる。

 陽菜が来ない間に、蘭は道と山をほとんど完成させていた。残るは道の果て、画用紙の上四分の一のみだ。

「未来……」

「美奈子ちゃん、どんな未来がみたかったのかなぁ」

 遥斗と綾花がそれぞれ呟く。

「わからない、よね」

 陽菜もこくりと頷いて同意する。

 同じ間違いを繰り返さないように。美奈子が口にしなかったことは誰にも、自分にもわからないのだ。

「あ、じゃあ、こんなのはどう?」

 蘭がおもむろに色鉛筆を取り、下描き用のスケッチブックに描きこみを始める。

 黄色や銀を基調として描かれていくのは、もやのようなもの。美奈子の人生を示唆する道の後半を、七色に輝く靄がすっぽりと覆い隠す。

「未知の……でも、輝く未来、か」

「これ、すごくいいよ!蘭ちゃん、これ、そのまま清書しよう!」

 絵を見て頷いた陽菜と綾花が、蘭に本番用の画用紙を差し出す。

 受け取った蘭は、いつにもまして丁寧に、色鉛筆の先を画用紙につけた。



「一ノ瀬さんの未来は、誰にもわからない」

「でもきっと、キラキラした未来なんだろうね」

「美奈子ちゃん自身が、あんなにキラキラしてるんだもん。当然だね」

「美奈、どんな大人になるんだろう」

 美しく輝く靄を描きながら、みんなはそれぞれの思いを口にする。

 絶たれてしまった美奈子の未来。けれどこの絵の中の美奈子は、陽菜たちの心の中の美奈子は、生きているのだ。予想もできない未来だけれど、輝いていると信じて、生きている。

 未来に夢なんてみなかった陽菜でさえ、予想外に仲間と出会い、変わり、少しだけ自分を好きになれたのだから。美奈子の未来が、くすんでいるはずがない。

「美奈子は、大人になっても美奈子だよ。私たちが大好きな、美奈子のまま」

 陽菜が、穏やかに笑う。

「よっしゃ!完成!」

 蘭が歓声をあげて色鉛筆を置き、みんながおつかれー!と声を揃えた。

「オレ、おばさん呼んでくるね!」

 遥斗がはしゃいで階下へ走っていく。

 目が合った陽菜と蘭は、とんっと拳をつき合わせた。



「これが、美奈子の卒部製作……」

 遥斗に手をひかれて部屋にやってきた美奈子の母親は、呆然と呟いて両手を口に添えた。

 見開かれた大きな瞳から、大粒の涙があふれだす。

 母親の前に掲げられたのは、五人が描きあげた美奈子の卒部製作。

 中央で楽しげに笑う美奈子と、彼女を囲むピアノや本や猫、彼女の大好きなもの。山あり谷ありの不規則な道は、輝く光の中へと続いている。

 涙が母親の化粧を落とし、彼女の悲しみのように深い隈があらわになる。蘭がそっとハンカチを差し出した。

「ありがとう……。みんな、本当にありがとう」

 その場に座り込んでしまった母親を、暖かな風が撫でる。

 その風にあおられ、美奈子の勉強机から一枚の紙が陽菜の足元にとんできた。

 拾い上げた陽菜は、思わずあ!と声をあげた。

「どうしたの?」

 不思議そうに陽菜の手元を覗き込んだ良介が、同じように驚く。

 何事かと集まってきた三人も、目を見開いた。


『卒部製作 私の夢』


 美奈子の字ではっきりと記された文字。

 間違いようもない。美奈子自身が描いた、卒部製作の下描きだった。

「美奈子……」

 陽菜の口から、無意識に声がもれた。

 描かれていたのは、笑顔の美奈子。そして、陽菜、遥斗、綾花、蘭、良介、美奈子が出会ってきた全ての人たちが笑いあっている姿。

「美奈子ちゃんらしいね」

「うん、あったかい絵だ」

「芸術作品としては、まだまだだけどね」

「でも、ぼくが見たなかじゃ最高の絵だよ」

 みんながそれぞれの反応を見せる横で、陽菜は静かに空を見上げた。

 雲はいつしか去っていて、雨上がりの青空が輝いている。

(みんなの笑顔……。これが、あなたの夢だったんだね)

 窓の外の夏空に天使のはしごを見つけ、陽菜は手をのばした。





 ありがとう、美奈子。


 あなたの夢は私が、ううん、が必ず叶えるから。だから、ずっとずっと、見守っていてね。





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夢色のパレット 涼坂 十歌 @white-black-rabbit

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