夏編

「春が終われば夏が来る──」

『何当たり前のことを言ってるの、いっちゃん』

「なんか名言っぽくなかった?」

『迷言であっても名言ではないね』

「うっそ、今のめちゃくちゃ名言だったよ」

『はいはい、じゃあそう言うことにしておこうではないか』

「はっ、アイラ神様!」

『また何か始まった~』

「始めたのはそちらでございますわよ」

 そう? と首をかしげる様子が電話越しでも目に浮かんだ。

 八月九日。室内の気温はすでに三十度を超えている十三時半。さっきクーラーを付けたばかりなのでそのうち室温は下がるだろう。

「まあ、つまり私は先ほど起きたのでこれから飯を作るということです」

『そういえばつぶったーにも浮上してなかったからどうしたのかなとは思ってたけど寝てただけか』

「夏休みなんざ寝るに限る」

『夜更かししてるしね、いっちゃん』

 そうなんだよなぁと頭を掻く。深夜までネット徘徊してイラストや小説を漁っていれば気が付いたときには三時なんてザラだ。この前は気が付いたら外が明るく、時計が五時すぎを指しているのを見ないふりしてそのまま寝た。

「最近新しいカプにハマっちゃったんだよね」

 片手鍋に水を入れていく。大体半分くらい入ったかなというところで水を止め、コンロに置いて火を付けた。続いて棚から乾麺を取り出して、袋に書かれた茹で時間をタイマーに入力した。ピピ、と大きめの音が鳴り響く。

『次のカプはマイナーじゃなかった?』

「中堅ってところかな。大手ほどじゃないんだけど割と作品数も活動してる人数も居るし」

『とりあえず良かったじゃん~。この前大変そうだったよね』

「そうなんだよ。たくさん読むものあって大変だけど幸せ……」

 この前ハマったカプは、某サイトで小説は一桁、イラスト漫画はギリギリ二桁の作品数を保持していたものの最新作品の投稿日は四年前。今も尚続いており、他のメンツの二次創作は活発なジャンルであったので、まさかマイナーカプを引き当てるとは思いもしなかった私は早々に全ての作品を読み終えて他のカプを漁り始めたのだった。

 鍋の縁が少しふつふつとしてきたことを確認しながら止めていた手を動かす。今日は何にしようかとツナ缶、かつおぶしを取り出しながら思考を巡らせる。何味にしようか。ゴマ油と醤油も合うし、めんつゆは問答無用。ドレッシングでもいいだろう。

 野菜が無いな、と丼を取り出しながら机に並ぶ食材を見つめた。

『作品数増やそうとはしなかったんだ?』

「あー、あのときはね。レポートの締め切りやら原稿の締め切りやらがあって他の創作をしている余裕はなかったからね」

 そういえばカット野菜を買っていたはず、と冷蔵庫を開けると私の記憶通りレタスやキャベツ、にんじんの千切りが混ざったサラダ用の野菜たちがそこにいた。そろそろ消費期限も近づいているはずだから丁度いい。

 気が付けば沸騰していた鍋に白色の細い麺を入れて三分のタイマーを開始する。そう、この短時間で茹で上がる乾麺といえばだいたい素麺である。まあ検証したことは無いので知らないけど。

「実は今……自分用に一冊だけ薄い本を作ろうかと思っている……」

『あのマイナーカプの方?』

「うん。今漁ってるカプだったら普通に頒布も考慮して制作するわ」

『そっか~』

 アイラは二次創作しないもんな、と思いながら麺を箸で軽くかき混ぜる。サラダ野菜を使うのなら、今日の味付けはドレッシングに決定だ。冷蔵庫からお気に入りの玉ねぎドレッシングを取り出し、他の調味料は棚に戻す。

『いっちゃん凄いよねほんと。小説書くし、本は作るしさ。私には出来ないよ~』

「私たちは狂気を飼っているから出来る奇行であって、推しをくっつけてカプにするのも二次創作するのもそれを本にするのも、普通はしないものだよ」

『う~ん、確かにそうかもしれない』

「まあこの界隈に居る間は正気を捨てたもの勝ちなのでオッケーです」

『そうだねぇ~』

 ピピピ、とタイマーが鳴る。急いでタイマーとコンロの火を止め、ザルに麺を入れて水道水で冷やしてから丼の器に入れる。サラダ野菜を麺の上に盛り、その上にツナをスプーンに二掬い乗せてかつおぶし、ドレッシングをかければズボラ飯の完成だ。

「乾麺茹でると鍋とかの洗い物は出るんだけど、まあ包丁使ってないし良しとしようではないか」

『お昼出来た? 今日は何にしたの?』

「混ぜ素麺~。いや、サラダ素麺の方が正しいのかな?」

 見つめる先は青々と茂った森。淡い赤が秋を運んできてくれるということはないのが残念である。もちろん見えないだけで麺はあるので箸で混ぜれば白色が顔を覗かせる。

『また名前がないやつだ~』

「適当にノリで調理してるだけだから名前なんてないわよ。食べられれば良し」

『いっちゃんのそういうところ、嫌いじゃないよ』

 潔いんだよね~、とのんびりとした声を聞きながら、そう、とだけ返して私はズボラ飯を食べ始めたのだった。


   ***


「ふぁ……」

 寝ぼけ眼で時計を見て、十一時すぎ……いや、十二時近いな、と慌てて起き上がった。すでにクーラーで冷えている部屋だが、カーテンの隙間から刺す日差しが暑い。

「あ、米炊くの忘れてるじゃん……」

 はぁ、と大きなため息をついて何も入っていない釜を見下ろした。そういえば昨日米を研いだ記憶がないな、と諦める。これから研ぐしかない。となると必然的に昼は麺になるわけで。

 出掛けてもいいんだけど、このあっつい中外に出る気はしないな。

 天気予報が三十六度を超えているのを見ていっそのこと恐ろしく思う。三十六度なんて人間が過ごしていい気温ではない。そもそも、子どものころは三十度超えると暑いね、なんて言っていたのに三十度越えは当たり前、三十五度も越える猛暑日が続くなんて誰が予想していたか。

 仕方なく、鍋に水を張り火にかける。先週も混ぜ素麺にしたな、と思いつつ乾麺を取り出す。

「ん~。ツナ残ってる……玉ねぎ切るか」

 冷蔵庫に残っていたツナ缶、かつおぶし、それと使いかけの玉ねぎを取り出して、まな板の上に置いた。二分の一になっていた玉ねぎを薄切りにしていって、ふと思いついたので乾燥わかめを取り出した。沸騰するまでには戻せるだろうと麺を茹でる予定の鍋にひとつまみ入れ、腹が減ってきて仕方がないので野菜室からきゅうりを一本掴む。ざっと洗い、いくらか千切りにする用に斜めに切ってから残りのきゅうりをそのまま口に入れた。瑞々しく歯ごたえがあるしっかりとしたきゅうりそのままの味を味わってから味噌を付けてバリボリと齧っていく。私は腹が減っているのだ。

 ヘタの部分を残して食べ終わり、千切り用に残しておいたきゅうりを切って、沸騰した鍋からわかめを掬う。代わりに乾麺を入れてタイマーを三分で回し始めた。

 ひとまず皿に千切りとなったきゅうり、薄切りの玉ねぎを入れて包丁とまな板を洗う。ザルを出して鍋で蠢く麺を箸で時々かき混ぜ、火を調整しながらスマホを手にする。

「おし、ガチャ回すぞい」

 時刻は十二時。イベントガチャが開始する時間であり、私の推しの記念すべき二回目のピックアップガチャである。

 とりあえず十連ボタンを押しつつ丼の器を出してから息を潜める。次だ。次タップしたら星五の推しがくるかどうか決まる。

「いっけぇえええ! 来い! 私の推し! 大好き! いつもありがとう!」

 タップしたと同時にタイマーが騒がしく鳴る。うるせぇ! 確定演出見てやるんだからな!

「はぁクズゴミカス最低保証とか最低」

 そして出るのはよく見知ったいつもの演出で。落胆した私はとりあえずタイマーを止めて火を消し、茹で上がった麺を冷やしてから器に入れる。きゅうり、玉ねぎ、わかめ、ツナを素麺の上に乗せ、かつおぶしを一掴み振りかける。そしてごま油を一回り、醤油を一回りかけてやれば完成だ。

「ごま油と醤油は大体合うんだよ」

 空虚に話し掛けながらガチャの結果を確認していく。推しが出るは出ているけれど当たり前だが低レアのカードであり、今回私が狙ったカードではない。

 手早く素麺と具材を混ぜ、ごま油と醤油が全体に絡むようにする。素麺は吸収が速いので油断した瞬間に全ての醤油を一部の麺が吸い取ってしまうため注意が必要である。

 とりあえず飯を食ってしまおう、と適当に録画したアニメを流しつつ食事をとる。これだったら冷やし中華でも良かったなと思うが、今日は素麺の気分だったのだ。因みに冷やし中華の麺に醤油ベースのソースをかける前にごま油をかけて全体に馴染ませるとすんごい美味しくなるのでおススメする。ゴマ油は正義。

「つまりは正義しか勝たん」

 かわいいは正義だがごま油も同等に正義なのである。ジャンルが違うだけで。ズルズルと麺を啜り、二十連目のガチャを回す。貯めている石はおよそ九十連分。それまでに出したいのだが、果たして女神は笑ってくれるのか。

「こいこい!」

 てってれー、と間抜けな効果音を口にしながらタップしていくが出るわけがない。泣きたい。推しがピックアップされる機会は中々ないというのに。

「……あーあ」

 まあそんな簡単に出るものではない。もう十連だけしていったん終わりにしようと微かな期待を抱きつつガチャを回すが、星四のカードが三枚出て終わりだ。推しが出てくれない悲しさよ。

 混ぜ素麺を食べ終わり、食器を洗う。次いで大きめの鍋にお湯を沸かし始め、キャベツをまな板の上に乗せた。四枚剥ぎ取って、芯を切り取り半分に切る。芯はみじん切りにして肉だねに入れれば完璧だ。お湯が沸くまでの間に玉ねぎとにんじんを取り出した。半分でいいか、と皮を剥いた玉ねぎを半分に切り、使わない方にラップをかけて冷蔵庫に仕舞う。もう片方はみじん切りにして、にんじんは三分の一くらい切って残りを玉ねぎと同様に仕舞う。棚からおろし器を出してにんじんを摩り下ろす。切るの面倒なんだもん。漸く沸騰した鍋にキャベツを入れて茹でる。ボウルを取り出して、パン粉少し、牛乳少しを入れて全体を馴染ませてからひき肉を加える。そこにみじん切りのキャベツの芯と玉ねぎ、摩り下ろしにんじん、塩こしょうを加えた。

 そろそろキャベツを引き上げなければ。

 ザルにキャベツを取って置き、肉だねの制作に戻る。粘り気が出てくるまで肉を捏ね、一握り分に丸めて空のタッパーに置いていく。全部まとめ終えたらまな板に茹でたキャベツを広げ、良い感じに丸めた肉だねを包んでいく。きちんと横のキャベツを折りたたみながらくるくると丸めていって、最後に爪楊枝で止める。これが適当だとバラバラの殺人事件になるので注意が必要だ。

 と、あと二つで包み終わると思いつつ時計を見ると気が付けば十三時丁度。やべ、と慌てて手を洗い、スマホを手に取る。連絡ツールを開いて、おっけーです、とだけ送るとすぐに既読が付いて電話が掛かってくる。それに出て、スピーカーにしてから作業に戻った。

『おはよ~。おはようって時間じゃないんだけど』

「そうね。おはよう」

『いっちゃん今日は起きてたのね』

「先日は寝てたせいで待たせて申し訳ありませんでした」

『よろしいのよ、いっちゃんが元気なら。まあこの前会ったばかりだけどね!』

「カラオケ行ってからまだ一週間くらいか。ライスと予定合って良かったよね」

『ほんとねぇ。あーちゃんが一番予定合うかどうか分からなかったから久しぶりに会えて楽しかったよ』

「それは私も」

 残りの肉だねをキャベツで包み終え、小さめの鍋に包んだキャベツを入れていく。とはいっても入れたのは三個で、残りは冷凍すればいつでもロールキャベツが食べられるというわけだ。水をひたひたになるくらいまで加えて、目分量でコンソメ顆粒、塩を上から振りかけ火を付ける。トマトがあればここに皮を剥いたトマトを加えてトマト煮込みにすると美味しいけれど、残念ながら旬ではないので今回はトマト無しだ。次作るときはトマトがあるときにしたいものだが。

『今日も何か作ってるの?』

「そう。今日はロールキャベツ」

『ロールキャベツ! 美味しそう食べたい!』

「いつもの反応をどうもありがとう」

『だっていっちゃんの料理美味しいんだもん~。今度遊びに行くよ! いつなら空いてる?』

「あぁ、冷凍保存しておくからロールキャベツも食べられるよ。私は後期の授業始まる前ならいつでもいいよ~。まあ集中講義と被るとちょっと困るけど、土日なら問題ない」

 次もトマトは無いのでコンソメか、和風の味付けになりそうだ。当日味の希望を取るべきだなと思いつつ学年暦を眺めた。

『う~ん、私の予定がな……あ、九月の最初の週はおっけー?』

「大丈夫よ。そこなら集中講義も入ってないし、いつでも」

 ふつふつと鍋の縁が泡立ち始めたのを見て鍋全体を揺する。

『じゃあ九月最初の週の水木がいい~』

「りょーかい。詳細はまた後でね」

『は~い』

 お玉で汁を掬い、スープに浸っていない部分のキャベツにも軽く掛けてやる。あとは洗いものをしたら焦げないように煮るだけでやることはさほどない。

 ひと段落したところで、推しのガチャを思い出す。

「そうだ、ガチャ回さなきゃ」

『そっか。今日からガチャだって言ってたっけ』

「そうなんですよぉ。出ないんですけど泣いちゃう」

『がーんばれ、がーんばれ、まだ勝機はあるぞ』

「頑張るわ……」

 ゲーム画面を開き、十連のボタンをタップする。しかし、当たり前のように推しは出ないし高レアのカードも来ない。

「どうして……」

『あっ……どんまい』

「このロールキャベツ、夜用に作ってたんだけどやけ食いしたくなってきた」

『すればいいのではないでしょうか』

「う~、するかぁ……」

『いっちゃん太らない性質だし、食べて! むしろ太るんだ!』

「美味しい物は脂肪と糖で出来てるって言うしな」

『なんかCM始まった?』

「でも私は思うんだよ。美味しい物は脂肪と糖で出来てるんじゃなくて、手間と暇と労力で出来てるんだよ。つまり!」

『つまり?』

「夏休み万歳!」

『そっかぁ、良かったね。いっちゃん、レポートで大変そうだったしね』

「そうなんだよぉほんと……レポート無いの幸せ……」

 レポートや課題が無いからこんな手の込んだ料理を作ろうと思い立ったわけだ。毎週レポートの締め切りに追われてたらこんなことする余裕がまず無い。

 いつまでも休みが続けばいいのに、と叶わない夢を描きながら流れるようにガチャを回した。

「ん? あっ、え? うそ?」

『どうした~?』

 シャララン、と流れる星五特有の効果音にテンションが上がる。来たか? と期待が募る中、表示された画面は、いかに。

「来たぁ~~! 来た! 嘘! 来たよ?!」

 ついに来た。推しの新しいカードが。

 画面に推しが居るのが信じられなくて、さっきまで騒ぎ立てたのに突然静かになる。もう無理だ。推しが居て私は幸せです。

 嘘……と呟いて、ようやくスクショを取る。つぶったーに来ました、とスクショを付けて投げるとすぐにおめでとうございますとフォロワーさんから返事が来た。

「ふぁああ……推しがいりゅよ……」

『おめでと~。良かったじゃん!』

「前回天井まで課金したからほんと怖かったよかったありがとうございます」

『物欲センサーって怖いからねぇ』

「ほんとそれ物欲センサー無くなってほしい十連で来い。……いや、来てくれただけで十分です有難いですすみません強欲で申し訳ありませんでした」

『突然の低姿勢笑っちゃうんだけどぉ』

 あはは、と笑い声が聞こえて、アイラの次のガチャ失敗するように祈ってやるぞと言うが、やめてよぉとさらに笑い声が聞こえてきたので放置して鍋に向き合った。こうなったらしばらく笑わせておくのが一番だ。

 くつくつと音がする。その音は煮立っている鍋か、アイラか。肉に火が通っていることを確認して私はコンロの火を消した。

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