春編ー2日目ー
***
一週間後の朝、とはいえ、昨日の夜遅くというか明け方までレポートをやっていたため、起きたのは日が高く上がった後だった。
「……起きなきゃ」
春が訪れ、いくら暖かくなったからといって布団が惜しいのはどの季節も変わることはない感情だ。とは言え、今日も十三時からアイラと通話する予定があるので起きなければいけない。
ようやっと起こした身体でふらふらと洗面台まで歩き、顔を洗う。髪の毛も梳いて一つにまとめ、時計を見た。
十二時、かぁ。
今日も今日とてズボラ飯、誰も咎める人がいなければ問題ない。寧ろ食べない方が不健康だから、なんでも、とりあえず食べればいいのだ。
作るの、面倒だな。
本当に面倒くさいのは食を疎かにしたときの体調不良なので食べないわけにはいかない。冷蔵庫を開けて、持ってこられたときから随分と小さくなったキャベツを手に取った。残った葉を一枚ずつ剥ぎ取ってじゃぶじゃぶと水道水で洗う。それらを一口大にちぎりながら平皿に乗せ、キャベツが芯だけになるまで行った。
「よし、あとは──」
チャック付きポリ袋を棚から引っ張り出し、山盛りになったキャベツの二掴みを袋に入れる。そこに塩昆布を入れて少し揉み込んで冷蔵庫に置いておけば簡単浅漬けみたいな感じになるのがお手軽だ。
キャベツを冷蔵庫に突っ込んだかわりに豚肉を取り出す。やはり豚小間は比較的安いし切ることも考えなくていいので便利だと思う。菜箸で豚肉四、五切れをキャベツの上に広げて、少し悩んでから白だしを少しだけ掛けた。先週と同じように、ふんわりとラップをしてレンジで加熱する。キャベツの千切りをドレッシングもかけずに食べるような人間なので、食塩を振りかけるだけでも十分だがたまには白だしにしてみてもいいだろう。
生ごみの処理をして、茶碗を出す。ふと思い立って、お椀も手に取った。やかんに水を入れて火にかけ、味噌と顆粒だしを出す。味噌をスプーンに軽くひと掬いと顆粒だし少しをお椀に入れ、乾燥わかめも適当に加える。乾燥わかめはお湯で戻すと体積が大きくなるので入れる量には十分に注意する必要がある。お湯が沸くまでの間に茶碗にご飯をよそう。そのうちにレンジが鳴った。
「なんちゃって蒸し豚肉&キャベツ~」
レンジでチンしただけのものは蒸しと言っていいのか知らないが、まあいいだろう。全ては気分だ。
食えればおーけー、と心の中で唱えながらラップを外した。肉にはきちんと火が通っているようだし、キャベツも茹でたときのように鮮やかで透明感のある薄萌黄色が豚肉の下から顔を出している。しゅー、と音のし始めたやかんを振り返り、沸騰するまでの間に箸を取り出してスマホを見た。
時は十二時半。今からご飯を食べて、片づけをして、里芋の処理を始める頃には十三時になっていることか。
沸きたてのお湯をお椀に注ぎ、残りはポットに入れる。軽くかき混ぜて味噌を溶かせば即席味噌汁の完成だ。
「いただきます」
ひとりしかいない部屋で小さく呟く。湯気の立つまだ熱々な味噌汁を一口啜り、ほっと息を吐いた。そのまま、暖かい主菜に手を伸ばす。しんなりしていてもしゃく、と程よい食感の残るキャベツに優しい白だしの香りが舞う。
「あふっ」
思いのほか熱くて、はふはふと少し冷ましながら咀嚼した。肉も柔らかくて美味しい。これがレンジで簡単に出来るのだから電子レンジ様様だ。物理学者に足を向けて眠れないなと脳内で崇め讃えながら豚肉と共に白米を口にする。美味しい、暖かなおかずに暖かな白米はいつの時代でも人々の心を癒すことだろう。
黙々と食べ続け、汁の最後の一滴まで飲み干して一息ついた。
「ごちそうさまでしたっ」
ひとまず、食器を洗うのが先か。
手早く茶碗や箸を洗い、ボウルを出して水を溜める。その間に野菜の入っていた段ボールから里芋を袋ごと取り出してボウルの中にごろごろと入れていく。あとはまな板と包丁を出して、剥いた皮を入れる用のビニール袋も用意しておいた。
流水で一つずつ里芋を洗い、まな板の上に乗せていく。最後の一個を洗い終わって、私は包丁を手に取った。里芋の上と下を切り落とし、切った面から刃を入れて皮を剥いていく。里芋の収穫時期は秋だ。去年収穫したものが保管してあったのだろう、小さくころころとした一口サイズの里芋でいっぱいだった。
と、途中まで剥いたところでスマホがメッセージを受け取った知らせを鳴らした。時計を見やれば十三時だ。手を軽く洗ってスマホを開き、スタンプが送られているのを見て通話をかけた。ニコール目までなって、コール音が消える。
『やっほぉ、聞こえる?』
「ん、大丈夫よ」
『良かったわ~』
「今日は里芋の煮っころがし作ってるけど気にしないで」
レポートをやっている時とは違い、料理をするとなるとどうしても雑音が入ってしまうので最初に断っておく。
『おけおけ、了解』
皮を剥く作業に再び戻ると、いやぁ来ましたね、と友人が言った。
「あー……イベントの話?」
『そうだよ。いっちゃんの推し来たじゃん』
「正直なところ来るのは嬉しいんだけど、SSRは回収するのが難しいからなぁ。おまけに他ゲーの推しと期間被ってるのが嬉しい悲鳴」
『ありゃ、そうなの?』
そうなの~、と溜め息をつく。おまけにパズルゲームなので意外とクリアが難しかったりするのが厄介だ。あとで日課をやらないとな、と思いながら皮を剥き終えた里芋を片手鍋に入れる。
きちんとしたレシピを見れば、下茹でをするだとか、塩揉みをするだとか色々書いてあるが、そんな手間は知らない。鍋に里芋が被る程度の水を入れ、顆粒だしを振り入れる。
「僕も結構邪道でねっ!」
『急に別ゲーム出てきたね』
「自分しか食べない料理なんて邪道でなんぼ」
『まあ確かに……。自分が美味しく食べられればいいもんねぇ』
鍋を火にかける。顆粒だしが溶けたのを確認して、一旦火から離れる。後は煮立ったら里芋の向きを変えてやって、一通り火が通ったら調味料を入れるだけ。
はぁ、と机に座った。来週が提出締め切りの課題は空きコマで少しずつ進めていたので一通り終わっている。あとやるとするなら実験レポートか。
はあ、と大きな溜め息をついた。
『さっきから溜め息ばかりですけど』
「実験レポート進めておかないと、あとで大変なことになるなと思って」
本当なら二次創作でも一次創作でもしたいし、サイトで色々読み漁りたいところだが、中々にそういうわけにもいかない。
「はぁ、遊びたくなってきた。カラオケ行こ」
『今?』
「もちろん今」
『今は無理だね』
「知ってた」
今の確認必要だった? と聞き返せば、なんとなくノリで、と言われた。私が今一人暮らしをしているところとアイラがいる地元の方は随分と離れている。片道数時間はかかるため、今から集まるとなれば夕方、それから遊んで翌日までに帰れるわけがない。いくらフットワークが軽くても無理なものは無理だ。学校さえなければ、とまたしても大きな溜め息をついた。
『まあレポート頑張れ~』
「アイラは?」
『ゲームのストーリー読んでる』
「課題は?」
『終わってるので』
「クソが」
『あっ、中堂さんだ』
「今日よくネタ出してくるね」
『いや貴方がね?』
はぁ、と大きな溜め息をつくと幸せが逃げるよ~と言ってきたアイラに、もうとっくに逃げてるよと返した。
『大分お疲れですね?』
テレレレ、と起動したゲームが軽快な音楽を奏でたので慌ててマナーモードにする。まあ確かに、疲れているといえば疲れているかもしれない。
「……チケが、ご用意されてくれないんだよねぇ」
『あ~、それは辛い』
「悲しい……」
フォロワーさんは毎回のように一公演分は取れているのになんで私は、と頭を抱えるが、こればかりはどうしようもない。
「現地に行きたい……この目で見たい……画面の向こう側じゃなくて、直接……ぜったいにさ、会場でしか感じられない空気っていうのはあるからさ……」
一度だけ、行ったことがある。自宅での円盤や配信にはもちろん、映画館でのライブビューイングでも味わえない感覚が確かにあったのだ。板の上だけではない、会場全体で身を震わせるような、心の動きが。
『まあ倍率高そうだしね』
「映画なら必ず見られるし、いいんだけどね……」
春といえば爆発の季節でもある。某小さな探偵の映画はどうにか授業の合間を縫って見に行ったので満足である。大学の裏手から出ているバスに乗っておよそ十五分で映画館まで行けるので二コマ空いていればギリギリ行くことが出来る。お昼休憩も挟めば余裕だ。
ふつふつ、と微かに聞こえてきた音に立ち上がり、鍋を見に行く。少し煮立ってきている。出汁が撥ねないように鍋ごと揺すり、ころころと里芋が転がるのを見守る。それでも転がらない大きめの里芋は、きちんと菜箸でひっくり返してやる。もうひと煮立ちして里芋を転がしたら調味料を入れよう、と考えながら手元のパズルゲームを進めた。
『映画といえばさ、あーちゃんがゴールデンウィークに映画見に行こって言ってたけどライソ見た?』
「あー……あ? 見てないかも? あいうえの会?」
『そうそう、あ行の一から四文字目の会』
「ほんとだ。確かに、ゴールデンウィークなら一日くらい大丈夫かな」
正式名称『あ行の一から四文字目の会』、略して『あいうえの会』だ。先週アイラと話していた時には試験も全部終わった夏休みに、という話だったが、ゴールデンウィークは盲点だった。
紙で出力してボードに貼ってある学年歴を見やると、今年は四月二十九日から五月五日まで、丸々休みとなっている。実験は月曜日と火曜日なのでなくなりはしないのが良いのか悪いのか、お陰で実験レポートに追われる休みとなりそうだが、間一日くらいは息抜きに行きたい。
「私はゴールデンウィーク中ならいつでも行けるし、ライスも国公立だから大丈夫だろうけど、アイラは大丈夫なの?」
『う~ん、五月二日の日曜日なら……』
むしろそこしか休みは無いということか。大学生になると休みはないと高校時代に聞いたことがあったように、私立大学は土曜日もあたかも平日のように授業が入っているというので大変だ。因みに、去年の同窓会で国公立に行ったはずの友達と話をしていた時に土曜も実習が入っていたり、夏休みも高校並みに期間の短い大学だったらしく随分と羨ましがられたというか妬みのこもった瞳で見つめられてしまった。そういう文句は自分の通っている大学に言ってくれ。
とりあえず、遊ぼう、行けるよ、とライソを送り返して、少し悩んでから、私はいつでもおっけー、と付け加えた。
『じゃあ私は日曜日ならって言っておこう……』
しょぼん、としぼんだアイラの声が聞こえたと思えば、開いたままのライソのグループにしゅぽっとメッセージが送られてくる。
そのうちライスから返事がくるだろう、とやりかけのパズルに戻る。それを片手にパソコンを立ち上げ、実験の教科書を本棚から引っ張り出した。パスワードを入力したパソコンに、つい八時間くらい前に外したばかりのUSBを差し込んでファイルを開く。実験レポートテンプレートと名付けられたワードを開いて、事前に分かっている提出締め切りと実験テーマまで入力したところで鍋を見に行った。
ぐつぐつ、と大きめの音を立てている鍋を揺すってまた面をひっくり返し、その場でパズルゲームを進める。数日前始まったばかりのイベントで、まだクリアできていない上に難易度高いと散々言われているので集中しないと一発でクリアできそうになかった。
「う~ん、このピースを動かすとここが動くから……でも赤をこっちに持ってきたいんだよなぁ」
『大変そうだね』
「誰かやってほしいくらいだわ。アイラやる?」
『パズルでしょ、無理だよ。苦手だもん』
「知ってた」
『あーちゃんなら出来そうだけど』
「そうね~、ライスなら出来そう。でもこれ運も必要だからなアイラでもワンチャンあるよ」
『ワンチャンしかないの?』
「五チャンくらいあるかもしれない」
『急に掲示板になった』
ははは、と笑いながらも、パズルゲームに向けられた眼差しは真剣そのものだ。
「あっ」
『どうした~?』
「あと二回じゃクリアできないわ」
無理だぁ、とここからじゃどう頑張ってもクリアできないパズルを適当に終わらせ、一度スマホを適当な場所に置いた。
砂糖、料理酒、みりんを出して、それぞれ二対二対一程度の割合で鍋に加えていく。菜箸でぐるりと混ぜて砂糖を溶かし、全体を均一にしたら強めに煮立たせていた火を弱くした。次に取り出すのはアルミホイルだ。鍋よりも少し大きいくらいのサイズで切り取り、くしゃりと端を折り込んで全体を丸い形にしていく。鍋に入るサイズになったら菜箸で数か所に穴をあけて、そのまま里芋の上に乗せた。
鍋の縁で煮汁がふつふつを泡を立てるくらいに火加減を調整して、少し放置する。
「これクリアするのに何回やればいいんだろう……」
スマホの画面に向き合い、どうしてもこのステージをクリアしなければ推しカードが手に入らない状況を無意味に確認した。
『頑張れ~、応援してるよぉ』
「うん……とりあえず体力回復しないとできないや……」
体力回復アイテムを使い、もう一度先ほどのステージを開いた。
「あ~、これならとりあえずこことここはクリアできるからあとは運……」
『結局運じゃん』
「そう、全ては運だったのです……」
『なんか始まった』
始まったかと思えばすぐに訪れた沈黙に、目の前のパズルに集中していることが電話先にも伝わったのだろうか。一息置いて、ところで、と静かに切り出したアイラに、なんじゃ、と先を促す。
『ははっ、なんじゃって何?』
「なんとなく」
『何となくなの、ふふふっ』
「それで、なに?」
『え、いっちゃんゲームやってるみたいだけど、レポートやらなくていいのかなって』
「あんな……あんな奴! 私は知らないわッ!」
『今度は何~、ふははっ』
「真面目な話、今さっきやろうとしてたレポートは来週提出じゃないのでまだ大丈夫です。来週提出のレポートは今日の四時だか五時くらいまでに終わらせた」
『えっ、朝の?』
「オールにしようかと思ったけど睡眠は大事なのでお昼まで寝てました」
『おぅ……それはお疲れ様……。睡眠大事だよね』
「睡眠大事だから徹夜してやるよりも、早く寝て早く起きた方が良かったんだろうけど……考察書き始めたら止まらなくなって、気が付いたら深夜二時くらいでキリも悪かったしそのまま終わらせました」
寝ぼけ眼で推敲し始めたらこれまた時間がかかったのだった。半分くらい寝ていた気がするので、誤字チェックもしたもののきちんと修正が出来ているのか分からないが、推しのイベントもあったので切り上げたのだ。
「人生に必要なのは、睡眠、食事、そして推し……」
『すんごい壮大な話みたいに言ってるけど、世界が滅びるような話ではないからね?』
「私にとっては大事」
『推しの事ね』
「よく分かったね」
『もぉ~、何年一緒に居ると思ってるの』
それくらい分かるよ、と言われ、スマホに落としていた顔を上げた。
「んーと、高校一年に会って、今ストレートで大学三年生だから……六年? えっ、もう六年にもなるの? 時はなんと早いことか……」
『小学生が入学して卒業できるね』
「やばたにえん……」
『急に女子高生アピールみたいなのするんだからぁ』
「そしてパズルもやばたにえん」
『えっあっ、それは頑張って……』
「あ、でもこれ、カードスキル使えば行けるのでは? いっけぇええええええ!」
気分はさながらベルトから出したサッカーボールを蹴り飛ばす小学一年生だ。
マナーモードなので現実は無音のまま、スッと画面をスライドした。と、同時に大きく動いたパズルピースを祈るように見守る。
「そこ、そこ、よしっ、きたぁああああっ!」
『お~、おめでとぉ』
「やっと一つ終わった! あと三つステージ残ってるんだけどね……」
『おっと、それは頑張ってください……』
はぁ、と少しぶりの溜め息を小さく吐き出した。そろそろ醤油を入れなければ。
菜箸でアルミホイルの落し蓋を取り外すと、良い感じに里芋に火が通ってきているようだった。軽く揺すって煮汁が残っているのを確認したら醤油のボトルを手に持った。ぽんっとプラスチックの蓋を開け、少しずつ鍋に向けて傾けていく。さぁっと醤油を半回りくらい入れ、鍋を揺すって煮汁と醤油を混ぜる。菜箸に付けた煮汁をちょっと舐めて、色、味共にちょうどいい具合なのを確認すると再び落し蓋を鍋の中に入れた。
「うん、料理は感覚。by伊藤」
『何それ~、いっちゃんの迷言?』
「名言だよ? 決して迷ってはないからね?」
『まあ料理は感覚でも大丈夫なのかもだけどぉ』
「お菓子作りは化学実験だし、しっかり分量量らないとだからね」
『う~ん、化学実験っていえばいっちゃんすごい得意そうに思えてくる』
「でも有機の化学実験って難しくない?」
『やっぱりお菓子作りは苦手なんじゃん!』
ははは、と先週も話した話題が返り咲きそうになったところでさぁて、と話を切った。
「もうちょっと火強めでもいいかな~。どうせパズル終わるまでレポートやる気にならないし……」
『やる気ないじゃん~』
「今朝までレポートやってたお陰でやる気はとっくの昔におさらばしました……。明後日から他のゲームのイベント始まっちゃうし、今このパズルクリアするくらいは許してほしい……」
『じゃあ私が許そうじゃないかぁ!』
「あっ、アイラ様! ありがとうございます!」
『そう、私が神だったのよ!』
「アイラ神! 今度唐揚げでもお供えします!」
『いっちゃんの唐揚げ美味しそう~』
「私が今食べたい。唐揚げ棒美味しいよね」
『いっちゃん作って~』
「えー……油の処理面倒……ん? でも揚げ出し豆腐やるときだったらついでに作れるな」
『やったぁ、作ってくれるんだ! ありがとうございますいっちゃん様!』
「アイラ神どこ行った?」
もう天に帰っちゃった、と言うので、アイラ神はどうやらたまにアイラの身体に降りてくる系の神様なのかもしれない。いや知らんが。
ぐつぐつとふつふつの中間くらいで煮立つ鍋をたまに揺すりながら、次のステージのパズルを進めていく。丁度運も味方したのか、さっきのステージに比べて拍子抜けするくらいすぐに終わったステージにほっと一息ついて、また次のステージを開いた。これは中々に骨の折れそうなパズルステージだ。
「っていうか随分喋ってるけど、ストーリー読めてるの?」
そういえば、課題は終わってるからゲームのストーリーを読んでいると言っていたはずだ。私だったらあんなにおしゃべりしながらストーリーを読んでも、脳内に入って来ないだろう。
『ん~、二次創作でなんとなく話の流れは知ってたし、私の推しが出てくるって聞いたから読んでたんだけど、一瞬だけ出てきて終わったから残りは流し読みしてるの~』
なんだ、推しメインのストーリーというはけではなかったのか。
なるほど、と言葉を零しながら再びパズルに集中した。これは、違うスキルのカードを入れた方がいいかもしれない、と戦略を立て始める。パズルゲームとは意外と頭を使わないとクリアできないので、しっかりと時間を取って集中できる環境がある分には心の底から楽しめる自信がある。そう、時間を取れればの話だ。
「は~っ、私は青のピースがここに欲しいだけなのに……全体的に青ピース少なくて泣いちゃう……」
『が~んばれ、が~んばれ』
「がんばる……」
クリアできなさそうな気配に、思考を切り替えるためにスマホから目を離して菜箸を手に取った。良い感じに煮詰まってきているが、もう少し煮詰めた方がよさそうだ、と水分量を見ながら判断する。大きめの里芋に箸を突き刺すと、抵抗もなく吸い込まれるように菜箸が里芋に埋まり、小さくひびが入った。
よし、火は充分通っているだろう。あとはもう少し水分飛ばせばいいか。
落し蓋を取り出し、芋に煮汁が絡むように鍋を傾けて揺すった。
「芋系の料理ってあんまり手抜きできないから面倒なんだよね……心の余裕があれば調理も楽しめるからいいんだけど……」
『ふむふむ、それで、今のいっちゃんの心の余裕は?』
「まあまあ、あるのかもしれない」
面倒だとは思うが、でもどこか楽しんでいる自分もいる気がする。
『お~、いいじゃん。心の余裕って大事だよね』
「睡眠と食事を疎かにしたときの心の余裕のなさは酷い。機嫌悪いどころの話じゃないから本当にやめた方がいい」
『えっ何? 体験談?』
「いえす。普段他人の悪口言わない人たちの口がめちゃくちゃ悪くなる。眠くて腹が減っていることの八つ当たりって感じだったなぁあれは……」
つまるところ、身体の健康だけでなく心の健康にも睡眠と食事は必要不可欠な存在であるのだ。
「一日にさぁ……睡眠十時間くらい取りたい……」
『気持ちは分かる~』
「そう気持ちなんだよ……現実は非情……」
『春休みは十時間とか寝てたよ』
「それは私も。アイラは通学で時間かかるから私より寝てなさそう」
『う~んとね、朝ちょっと早めに行けば電車も空いてるから座れるんだよね。座れるときは寝てる~』
「そっか。電車も寝ちゃえばいいんだもんね」
『でも早起きしなきゃなのは変わらないからなぁ……。分散して寝るんじゃなくて、連続して何時間も寝たいよ……』
分かる分かる、と頷いて鍋を揺すった。もう少しかな、とあたりを付けて棚から保存容器を取り出した。出来上がる里芋の量的に、プラスチック容器を選ぶ。
もう一度鍋を手に取り、ごろごろと転がる里芋に大分粘り気の出てきたように感じる煮汁を絡めていく。下処理をしていれば粘性はさほど出ないようだが、手を抜きたかったのと私の好みと、あんまり煮汁がさらさらだと弁当箱に入れて持ち運んだ時の汁漏れが怖いのでこれくらいが丁度いいのだ。好みの問題は大きいと思うので、好きでない人は手間を惜しまずに是非下処理をしてあげてほしい。
泡が里芋よりも大きくなって、弾けた。のんびりしている内に、一つ一つ煮立った泡の大きさが大きくなっていたようで、コンロの火を止めた。持ったままの鍋をそのまま何度か振り混ぜて、容器の上で傾けた。勝手に落ちる里芋がごろごろと容器に吸い込まれていく。菜箸を手に取り、鍋に残っているものも容器に入れて、冷めるまでは蓋をせずに放置だ。
鍋と菜箸は洗い、里芋も冷めたら冷蔵庫に入れて終わりと思ったが、熱々の里芋も食べたくてシンクに入れる寸前だった菜箸で里芋をつついた。小さめのものを半分に割り、まさにほくほくと表現したくなるような断面とそこから立ち上がる湯気に目を細めた。煮汁に絡め、ひとかけらを箸で掴んでふー、ふーと冷ます。このままではどう考えても舌を火傷しそうだ。空いている片手で、鍋を水道水で冷やしながら里芋も冷ましていく。
よし、とひと齧り。はふ、と熱気を逃がしながら味わうと、程よいしょっぱさが舌の上で踊った。続いて、煮汁と芋本来の優しい甘味を感じ、思わず声が出る。
「ん、おいひい」
『え~っと、何作ってたんだっけ?』
「里芋の煮っころがし」
『美味しそう!』
「それ、私が作ったのなら何でもおいしいって言うやつでしょ」
『もちろん! 食べたい~!』
「魂飛ばして、食べに来て」
『ちょっとそれは無理かなぁ……あ、写真だけでもちょーだい!』
しょうがないね、と言ってスマホを手に取った。開いたままのゲームをいったん閉じて、カメラ機能を起動する。里芋に絡まった煮汁が良い具合に光を反射して、照りが出ているのがよく分かる。
かしゃり。
送って~、と催促してくる友人に写真を送り、再び美味しそうコールを聞くのはあと数秒後。私は鍋と菜箸を洗い始めた。
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