およそ、だいたいズボラ飯

翡翠

春編ー1日目ー


 四月十八日、十三時丁度。

「あー、もしもーし。聞こえる?」

『聞こえるよ~』

「よし、じゃあ大丈夫だね」

 友達と通話を繋ぐ日曜日。

『はぁあ……ねぇ、聞いてよ』

「なに?」

『推しが……死んだ……』

「……それは、ご愁傷様。そういえばなんか騒いでたね」

 天気は晴れ。気温は二十五度。湿度は──まあいいか。実験レポートに書くわけでもないし。

 換気のため、少し開けた窓からは天色に浮かぶ藍白の雲が見える。まだ十三時なのでこれからまた気温が上がるだろうと思いつつ、野菜が詰まった段ボールを覗き込んだ。

『そうなんだよぉ~。いや、だって死ぬとは思わないじゃん』

「推しが?」

『推しが』

「大体バトル系の話読んでりゃ誰かしら死ぬでしょ」

『それは、そうなんだけどさぁ……』

 ぐちぐちと推しの死を認めたくないらしい友人が言い訳がましいことを言っているのを聞き流しながら、私はがさごそとビニール袋を漁った。

 玉ねぎ、キャベツ、ジャガイモに里芋。冷蔵庫にはきゅうりが一本あったはず。あとは何があったか、と一度立ち上がり、冷蔵庫の扉を開けた。にんじん、豚肉にハムもある。

 なるほど、とひとつ頷いた。

「とりあえず昼飯つくるか」

『あれ? まだ食べてなかったの?』

「うん、ちょっと……塩の結晶作るのに色々仕込んでて」

『はい?』

 塩の結晶、と聞かれたので、ちょっとやってみたくなってと答える。

「この前、シャーレとビーカー買ったんだよね。あとガラス棒」

『なんで?』

 豚肉のパックだけ冷蔵庫から取り出して扉を閉める。丼鉢に小間切れの豚肉を適当に入れ、残りは冷蔵庫に戻した。野菜を取るため、段ボールに足を向けながら少し考えて言う。

「……欲しくなったから?」

『……そっかぁ』

 たっぷりの沈黙の後に、そう言われた。それ以上突っ込むことは止めたようだ。

「欲しかったし、やってみたかったから、もうやるしかないじゃん? 流石に精製水じゃなくて水道水、おまけに食塩でやってるからどうなるかなぁ」

『あっそうですか……。まあ、水道水でもいいんじゃない? 塩化物イオンが混ざってるって考えれば、食塩の飽和溶液作るのに必要な量が少なくなるんじゃない?』

「嗚呼、それもそっか。塩化物イオンが溶液中にすでに存在するから、食塩が溶けて塩化物イオンとナトリウムイオンになるときに塩化物イオンの飽和溶液分しか食塩が溶けないもんね」

 その考え方で合っているのかはこの際置いておいて。

 玉ねぎをひとつ、ビニール袋の中から引っ張り出した。いや、玉ねぎではない、葉玉ねぎだった。

「葉玉ねぎ一個~。いや、二個切っておくか。そういえば、都会に出て驚いたんだけど、葉玉ねぎってスーパーに売ってないんだね。まあ痛むの早いし仕方ないのかなぁ」

 直売所とかがあればいいのにとは思うが、葉玉ねぎはあまり一般的ではないらしい。地元でよく見ていたのは名産品だったからだということはテレビに取り上げられて初めて知ったことだった。

『うーん、まあ私も知らなかったしねぇ』

「えっ、まじですか」

『いっちゃんの家は農家だからね~』

 農家じゃないから知らない、と言外に言われ、そもそも地元も違うしなと溜め息をつく。

「そっかぁ」

 乾燥した土が付いたままの一番外側の薄皮を剥き、水道水でよく洗う。根っこの部分を切り落とし、青いネギの部分を切って一見ただの玉ねぎの状態にする。ネギの部分はまた後で使うので避けておく。

 玉ねぎをまず真ん中で二つに切り分け、断面をまな板に付けるように置き、おもむろに包丁を向ける。もちろん相手は玉ねぎだ。今からお前は薄切りになるのだ、と心の中で悪役のように笑いながらふと話を元に戻した。とんとん、と気持ちのいい音が響いた。

「私、推しが死んだことはないかな~。二次創作では殺してるけど」

『ってか、いっちゃんの推しって誰になるの? 育成ゲーは死なないから却下ね』

「育成ゲーも死ぬかもしれんだろ」

 死なないでしょという声を聞きながら、言われてみれば、と首を傾げた。

「事件物は大体主人公が好きだから死にかけても死なないし……バレー漫画は人死ななかったし……あ、児童文学で主人公が死んで終わったことはある」

『まじか』

「まじです」

 しゃきしゃきと瑞々しい玉ねぎの薄切りを軽くひとつかみ、豚肉が入っている丼鉢に文字通り突っ込む。残りは夕食と朝食行き。ドレッシングをかければ立派なオニオンサラダ、かつおぶしを乗せて醤油をかけたらご飯のお供に堪らないのだ。

 平皿に乗せて手早くラップをかけて冷蔵庫に仕舞ったはいいものの、玉ねぎの臭いはラップ一枚ではどうすることも出来ない。他に臭いのつくようなものはないよな、と考え始めてすぐに思考を切り捨てた。自分一人暮らしだから、私が気にしない限り別にどうなろうと関係ない。

「なんか……推しっていう推しが死んでも、私の心の中では生きてるから問題ないし、基本的に推しの生死は気にしない気がする」

 生死は興味がない、とズバッと切り捨ててめんつゆを手に取った。ズボラ飯に計量なんて必要ない。軽く二プッシュ分くらいのめんつゆを玉ねぎと豚肉にかけて、次は砂糖を軽く一杯加える。菜箸で和えるように混ぜながら、つゆだくがいいなぁと思い立って水を材料が浸るくらいまで加える。

 まあ、こんなもんか。

 ふんわりとラップをして、電子レンジ五百ワットで四分。スタートボタンを押して、薄情だのなんだの言っている友人に、だってさ、と主張を始めた。

「私たちの推しって二次元じゃん? 結局は生きてないんだよ? なのに死んだとかどうこう言ってても変わらなくない?」

『ちがうよぉ。いっちゃんは知らないんだ! 推しが死ぬって事は、推しの出番が無くなるってことなんだよ』

「回想で出てくるかもしれないじゃん」

『そんな単純な話じゃないの!』

 はぁ、と電話の向こう側に聞こえないように溜め息をついた。私にとって今最も重要なのは、そういった話ではないのだ。

 切り分けておいた葉玉ねぎのネギの部分を小口切りにするため、改めてまな板に向かう。しゃく、とネギが切れる音と、とん、とまな板と包丁が当たる音が混ざり合い、嗚呼、とひとつのことに気が付く。

「アイラは創作しないからねぇ。推しが死んでも、原作の物語が結末を迎えても、私たちの中ではまだその物語は終わってないし、まだ見たかったら続きを書けばいいんだよ」

 それもそうだけど、と納得していない声が聞こえる。理解はしたけど同意はできないといったところだろう。

『私は創作しないし……創作したとしても、推しが死ぬのは悲しいじゃん……』

 なるほど、これは納得どうこうの話ではないのかもしれない。今更ながらにアイラが求めている言葉を知って、ネギを切っていた手を一度止める。

「そうだね……推しが死んだら悲しいね……」

 ピー、ピー、とレンジが間抜けな音を鳴らした。なんというタイミングか。まだネギを切り終わっていない。

 そうでしょ! と水を得た魚のような勢いで生前の推しの話をし始めた友人の話を右から左に流しつつ、急いで残りのネギを切っていく。すぐに終わり、一旦手を洗って熱々の丼を取りに行く。手近にあったタオルを掴み、火傷をしないようにレンジから器を取り出し、ラップを剥がして肉に火が通っていることを確認してそのまま炊飯器からご飯を軽く二掬い入れた。じゃぷ、と熱々の汁にご飯が浸り、じんわり滲んでいくのを見ながら食卓の上に置いた。

 茶色の食べ物は脂肪と糖で出来ている、というよく分からない言葉が脳裏をよぎる。そこにさっき刻んだネギ少しを薬味として乗せ、残りのネギはガラスの保存容器に入れる。今すぐご飯にありつきたいのは山々だが、先にまな板を洗わないとネギの臭いが染みついてしまう。因みに、ネギの保存は絶対にガラスや陶器でなくては駄目だ。まな板同様、プラスチック容器は臭いが染みてしまうので、絶対にやめた方がいい。

 手早くまな板と包丁を洗い、木製のスプーンを手に取って食卓に座る。まずは汁をひと掬い。

「うん、良い感じだわ」

『敵キャラなのにさぁほんと……ん? あぁ、お昼ご飯?』

「そうそう。飯食ってるけどまあ気にしないで」

『おっけー、承知の助~』

 いただきます、と一言落として、ひたひたになったご飯を食べる。めんつゆの出汁と塩味に加わった甘味が丁度良い感じだ。味見もせず、分量も量ってないにしては十分、つゆに浸した状態で加熱された肉も玉ねぎも、よく味が染み込んでいて美味しい。こういう丼ではしなしなになった玉ねぎが好きなのでつい薄切りにしてしまうが、くし切りにしても良いだろう、と思う。まあその分火が通るまで時間がかかりそうだが。

「いやぁ、手抜き料理楽だわ」

『因みに何作ってたの?』

「えっと……牛丼の豚肉バージョン? 豚丼? レンジでチンするだけのズボラ飯」

『へ~。いいじゃん、美味しそう。いっちゃん料理上手だしなぁ』

「ズボラ飯だから料理の上手さは関係ないんじゃない?」

 えー、そうかなぁと電話越しの声を聞きながら豚丼の汁を啜る。ずずず、と喉を熱い汁が通って、ご飯も少しずつかき込んでいく。一人暮らしの家の中、マナーなんてものはないのだから気にする必要はない。私が法だ。

 肉と玉ねぎが絡み、そこにご飯が絡むのが堪らない。スプーンで掬いあげれば汁がぽたぽたと垂れ、肉から出た油が光を反射して黄金色に輝いて見える。一口で口の中に放り込み、噛めばじわっと豚肉の旨味と玉ねぎから溢れた汁の味が口の中に広がった。

『はぁ、いっちゃんの揚げ出し豆腐が食べたいなぁ』

「はは、懐かしいねその話」

 咀嚼していたものをごくりと飲み込み、友人が随分と懐かしい話をし始めたことに頭を掻いた。また一口と私が豚丼を食する間に彼女が話を続ける。

『いつだったっけあれ……あ、学年末の球技大会の日か。タッパーに揚げ出し豆腐作ってきてさー! なんで揚げ出し豆腐? ってあーちゃんが聞いたらいっちゃんったらバレンタインで色々とチョコ貰ったお礼? って疑問形で答えるんだもん! お菓子作りは得意じゃないって言ってたけどまさか料理上手くて揚げ出し豆腐作ってくるとは思わないよ~! だって揚げ出し豆腐だよ? 揚げ出し豆腐!』

 笑いながらそう連呼されても困ったものだ。ひたすらに笑い転げるアイラの声を聞きながら無言で昼飯を食べていると少し落ち着いてきたらしい彼女がでも、と逆接で繋げた。

『美味しかったなぁ。また食べたい! 今度はアツアツの出来立て!』

「う~ん、今度遊びに来る?」

『え、いいの⁉』

「豆腐は買ってきてね」

『行く~! もちろん買っていくよ!』

 調味料や片栗粉は家に揃えてあるので、必要なのは豆腐くらいだろう。あと大根おろしを添えるのも美味しいよな、と思いを巡らせる。たまには小ネギでも買うか。

「あれは持ち運びする用にだし汁をジェル状にしちゃってたからなー。ん、でもどうやって温めたんだっけ?」

『あーちゃんが部活の実験用のレンジを拝借して、それで。金平糖作りに使ってたやつだし、大丈夫だろうって』

 大丈夫だろう、というのは薬品の問題だ。いくら金平糖作りとはいえ実験に使っているものなら何か薬品を使わないとも限らないので、普通に考えて危険性が高い。食べ物を温めて人体に問題はないのか、問題はなかったとしても実験道具で食べ物を温めるのはかなりアウトではと頭を抱えかける。ふと、ビーカーで沸かしたお湯でカップラーメンを作っていた先生を思い出したがスルーだ。

「今考えるとナシ寄りのナシ……てか本来なら実験室での飲食って禁止だからね?」

『それもそうだねぇ。まあ、大丈夫だったしいいんじゃない?』

 今更文句を言ってもどうにもならない過去の出来事だ。気にしても無駄なだけ。

 最後の一口をゆっくりと味わい、ごちそうさまと言ってから丼鉢をシンクに入れて水で冷やした。洗う前に続いて取り出したのは、小さめのボウルで。

「ネギ味噌作るかなぁ」

『何それ美味しそう』

 解説して、と言われたので味噌、みりん、醤油に砂糖を取り出して、大きめの匙を用意する。

「えーと、まず最初に長ネギを小口切りにします」

『小口切りって? 千切り?』

「多分アイラが想像する千切りでおっけー。詳しくは調べて。それで、漬けるタレを作っていく。まず味噌を匙に山盛り二杯分。次にみりん。これも匙に二杯。これは匙ぴったりね」

『ん? もしかしていっちゃんの言うさじって大さじとか小さじとかじゃない?』

「よく分かったね」

 ズボラでいいのだ。料理は、いい加減が丁度いい加減になるのだから。

「砂糖、小さじ一」

『待って、唐突に小さじが出てきた』

「あと醤油ちょっと」

『ちょっと待って、わらっ、ちゃう、からっ』

 大笑いする声が聞こえる気がする。因みに砂糖の容器に入れている匙がちょうど小さじだったからひとまず小さじと言ったが、どうやらそれが彼女のツボを踏み抜いてしまったらしい。

 そんな声を余所に、匙に軽く一杯の醤油を入れて混ぜ合わせる。途中で味見をし、ふーむと首を傾げながら砂糖を追加で加えた。

「砂糖足りなかったわ」

『足りてないじゃん、あははははははっ』

 箸が転がっただけでも笑えるお年頃なのだろう。また大草原を広げているのを聞きながら草刈り機を用意する気にもなれず、砂糖を一杯、いやもう一杯かと追加して混ぜ、一口舐める。

「こんくらいだわ」

『ひー、笑った笑った……ふふっ、いや、ほんと、適当ですか、ふははっ』

「自分好みの味になるならレシピなんて要らないんだよ。あと本当なら切ったネギをごま油で炒めるけど、面倒くさいので生のまま今作ったタレと和えます。そして冷蔵庫にゴー!」

 ぶっふぉ、と盛大に拭き出す音がした。大丈夫、と聞くまでもなく笑い声が聞こえてくるのでまあ放置したほうがいいだろう。

 本当に、料理とは面倒くさいのである。

 言ってる間に混ぜ合わせたネギ味噌を、明日くらいにはちょうどいい感じになっていることを願いつつ冷蔵庫に入れる。肉と一緒に漬けこむのも美味しそうだが今回はそんなに量もないのでまた今度にしよう。

「次はポテトサラダ~」

『ポテトサラダの方が作るの大変じゃない?』

「正直、昨日妹と親が野菜を持ってドライブしにこなかったら私も作ってない」

 そう、何故か自動車免許を取ったばかりの妹が、高速道路運転してみたい、なんて言わなければこうはならなかったはずなのだ。芋は基本的に直射日光を避けた涼しいところにおいておけば年間通して保存がきくけれど、調理が面倒なところだ。調理できるときにしておいた方がいい。

「それに、お弁当のおかずにもなるしね~」

『あ、お弁当作ってるんだっけ。やっぱりいっちゃんは偉いね』

「アイラは学食?」

『うん~。学食とか、コンビニで買ったりとか』

 私はなるべく節約したくて、と言いつつ先に洗い物を済ませる。洗い終わればボウルを片手に、段ボールにある袋からジャガイモをごろごろと入れていく。十を数えたくらいで一旦切り上げた。流石に全部使っていたらキリがない。後日、ジャーマンポテトやマッシュポテトにでもしよう。

 流しにボウルを入れて水道水で土を洗い流す。しっかりと洗ったら次は皮むきだ。

 包丁でもいいが、そういえば前に妹が泊まりに来た時にピーラーを買っていたなと思い至って棚を漁る。見つけ出したピーラーを軽く洗い、ジャガイモの皮を剥き始めた。

『節約ねぇ。私もしたいけど、毎日お弁当作るのは大変じゃない?』

「そうだね……でもご飯は毎日炊いてるし、おかずは今みたいに休みの日に作り置きすればいいし。野菜炒めとか作っておいて、朝レンジで温めて詰めればおっけーだよ」

『あ~、私の家は毎日ご飯じゃないしなぁ』

 そうか、農家は米も作るから万年米の生活をしているが、一般家庭はそもそも米を食べない生活をしている家もあるのか。

 でもそれなら私でも出来そう、と言ったアイラが実際にやるかやらないかと聞かれたら十割の確率でやらない。そういう人間だ。

 ぽと、と剥いた皮がまな板の上で山になっていく。後で生ごみはまとめてビニール袋に包んで腐らないように冷蔵庫へ避難、明日はゴミの日だからその時に出すことになる。忘れなければ。これは決してフラグではない。

『それにしてもさ、私がいっちゃんのところに遊びに行くのはいいけど、あーちゃんも誘ってまたどこか行こうよ。カラオケでもさ』

「カラオケに揚げ出し豆腐持っていけばいいの?」

『いや、今はその話忘れていいよ』

「ただ単に遊びたいって話ね」

『そうそう。あーちゃん、去年は浪人してて全然遊べなかったからさ~。今年は遊びたいなって思って』

「いいね。でもカラオケ行っても趣味バラバラすぎない?」

『気にしないよそんなの~。いっちゃんだって、私がいっちゃんの知らない推しの話してても気にしないじゃん』

 気にしないというか、半分くらい右から左に流していると言った方が正しい気もするが。正直に言ってしまえば、自分の推し以外にさほど興味はないし、アイラだって一から十全てを理解してほしくて話をするのなら私じゃなくて同じジャンルの人と話をするはずだ。ただ推しに対する感情の捌け口が欲しいから私との通話で話すわけで、ちょっと相手の話を聞いてすごいね、とか一言感想を言えばいいだけなので、まあ要するに別ジャンルでもお互いが気遣うわけではないので問題ない。

 五つ目のジャガイモを剥き終わり、まな板に置いた。砂を洗い流していたボウルを水道水で軽く流し、また水を張ったところで剥き終わっていたジャガイモを入れる。ついでに自分の手も洗った。残りは五つだ。

「そうね。まあ、あとでグループの方で連絡しておいて」

『おっけ~、まかせて』

 私はしばらく手が空かないから、とピーラーをただひたすらに動かす。皮を剥く。芽の部分をくり抜く。その繰り返しだ。

 永遠に続くような作業を、最後のひとつまで終わらせたときには思わず大きなため息をついてしまった。

「はぁあああ……とりあえず剥いたぞ……疲れた……」

『お疲れ様~』

 疲れたとはいうものの、これでも剥いた数は少ない方だ。多い時はもっと剥くし、ジャガイモひとつが小さかったりするのでピーラーにしても包丁にしても剥きにくいのだ。

 それでも疲れたものは疲れたのだ、と開き直ってまな板を一度綺麗にする。水にさらしていたジャガイモをひとつずつボウルから取り出して薄く切っていく。

『っていうか、ポテトサラダってことはジャガイモ茹でるの?』

「茹でるのが一般的だろうけど、省ける手間は省いていきます」

 本来ならジャガイモを剥く手間ももっと省けるはずだが、今までずっとピーラーか包丁で皮を剥き続けていたので手間よりも慣れをとったまでだ。

『茹でないの?』

「うん。レンジでいいんですよ」

『そーなんだ』

 薄く切ったジャガイモをさらに千切りにする。その方が火の通りが速いのだ。耐熱ボウルを取り出して、そこに切ったジャガイモを全部入れていく。ふんわりとラップをかけて、五百ワットでとりあえず五分。じゃきじゃきの部分が無くなれば火が通っている証拠なので、ジャガイモ全てが柔らかくなるまでレンジで加熱する。追加の加熱は様子を見て一分か二分くらいずつ加熱していくのが良いだろう。

 とりあえず、加熱している間にきゅうりを一本、手早く小口切りにしていく。ボウルに入れて塩を振り、軽く揉み込んで放置。次はにんじんだ。皮を剥いても良いが、あいにく自家製ではなくスーパーで買ったものなのでしっかりと洗浄されている。剥くのも手間だし、とそのまま三センチくらい切り落として、残りは冷蔵庫に戻し、切った部分は細切りにする。その後、きゅうりと同じように塩揉みして放置する。

 そしたらハムか、と考えていればレンジが私を呼んだ。五分経ったようだ。

 慌ててレンジの扉を開け、真空になる前にボウルにかかったラップを外した。このとき、油断すると蒸気で火傷をするので注意だ。いったんレンジから取り出して、大きめのフォークでジャガイモを潰していく。ほくほくとした感触の中に少しだけしゃきっと芯の通った音がした。もう一分くらいやって蒸らせばいいか、とラップをかけ直し、五百ワットで一分、追加加熱をする。その間に手早く流しに放置されたままのジャガイモを入れていたボウルを洗い、ついでにまな板と包丁も軽く洗う。これからハムを切るため、まな板などはまだ仕舞わずにすぐ使えるように準備だ。

 ピーという機械音が鳴り響く。丁度手が空いたところだった。真空になりかけているラップを外し、フォークで混ぜると先ほど気になった感覚はない。これくらいで充分だ。冷蔵庫からマヨネーズを取り出して適当にぐるぐると絞り出す。そこに塩コショウも追加してフォークで和えて一段落だ。細かい味の調製はその他の具を入れてからで大丈夫なので、ハムを切りに行く。

「ハム、四枚は多いかなぁ」

『いいんじゃん、肉は多い方が。いっちゃんもっと太らないとでしょ』

「うーん、それはそうだけど」

 バランスというものがな、と頭を悩ませつつ二枚を取り出して半分に切り、およそ一センチ幅に切っていく。一パックに二枚入っていれば十分だと思うのは、普段からあまり肉を食べないせいだろうか。まあ開けたからといってすぐに腐るものでもないので後で焼いて食べればいいや、と考える。

「そういえば、ツナの買い置きがないな。今度買っておかないと」

『あ~、いいよね、ツナ』

「缶開ければいいだけなのも楽だしね」

 開けるのは楽だが、どちらかというと処分が面倒な部類に入るのだがこの際それはスルーだ。

 ジャガイモのボウルにハムを入れていく。きちんと一枚ずつ捲って入れていかないと二枚まとまったまま混ぜることになるので、やはりツナの方が楽だな、と考え直した。オイルも入れてしまえば良い出汁になりそうだ。オイルが出汁になるのかは知らないが。

 要するに美味しければなんでもいい。

 ハムを入れ終わって、にんじんを入れたままのボウルを見た。良い具合にしんなりしているみたいで、少し手に取って握ると水分がぽたぽたと垂れていく。水分を搾り取ったにんじんをジャガイモのボウルに入れて、一度それらを和えた。フォークで具材が馴染むように混ぜ、一口味見をする。

「マヨネーズ追加していいな……味が薄い」

『はぁ、いついっちゃんの家に遊びに行こうかな。しばらくは忙しいでしょ?』

「うん。だから夏休みにしてほしい」

『夏休みね~、なら試験終わったらまた予定合わせよっか。あーちゃんと三人で遊ぶのも夏休みがいいよねぇ』

「そうだね。実験あるから、基本的に授業期間内は私忙しいので……」

 マヨネーズを片手で握り締めながら、去年全部を放り出したくなった地獄の期間を思い出す。はぁ、と溜め息が出てしまうのはもはやご愛敬だ。

 追加されたマヨネーズをさらに和え、味見をする。この後塩揉みをしたきゅうりを入れるのを考えると、丁度良い感じだ。

 ボウルを触るとまだ人肌よりも少し暖かいくらいで、もう少し冷ましてからだなと考えながら洗い物をしてしまう。

『夏かぁ……遠いよ……』

「そりゃ、まだ新学年始まったばかりだしね? たまに見かける一年生らしき子たちが初々しいよ」

『あ、そっかぁ。いっちゃんの大学は全部ひとつのキャンパスだから一年生に会えるのか』

「アイラは三年から違うんだっけ?」

『そうそう、三年生以上で別キャンパスに移動。まあバス一本だから近いは近いけど、わざわざ行く用事もないからあんまり一年生には会わないなぁ』

 一応、アイラの通っている大学は高校時代にオープンキャンパスに行ったことがあるので大体は分かるが、すっかり忘れていた。もう四年前のことかと思い返して、時の流れの速さに身震いした。

 水切りかごに持っていたボウルを入れて、タオルで濡れた手を拭いた。ガラスの保存容器を取り出して、ポテトサラダのボウルを触る。先ほどよりも大分冷めているのを確認し、にんじん同様、きゅうりの水分を絞ってからボウルに入れた。温かいままきゅうりを入れると、きゅうりの色が変色してしまうのだと母親から聞いた。私が実際に見たことはなかったが、弁当用となると、変色して傷みやすくなっているであろうものを持ち運ぶのはいささか気になる。だから、どうせ待つだけだし、冷めてから入れるようにしているのだ。

 きゅうりが軽く馴染むくらい混ぜて、ガラスの容器に移していく。最後にフォークに残ったポテトサラダの残骸を口に放り込んでひとつ頷いた。良い塩梅だ。

「よーし、あとは片付けして終わり」

 キャベツもにんじんもあることだし、今夜と今週のお弁当のおかずは野菜炒めでいいだろう。そこにポテトサラダが副菜として詰めれば、小食気味な私にとって十分だ。

 里芋も調理したかったが、これ以上おかずを増やしても週末までに食べきらなかったりするので、来週は里芋の煮物でもするかなと考えながら最後の洗い物をする。

「里芋は調理がネックなんだよなぁ……っていうか、芋系は包丁を必ずと言っていいほど使うからサボれない。絶対スーパーで買わない食材だわ……」

『まあ頑張って~。家で野菜作ってるの、いいじゃん。安上りっぽい』

「むしろ赤字だよ赤字。趣味程度だったら問題ないのかもだけど、一応農家だからね……農家だけで食っていけるところっていうのは中々にでかいところだよー。うちはもっぱら赤字。父親が学生の頃は農家だけでやってたみたいだけど、今はねぇ」

 利点があるとするなら、こうして市場に出せない野菜を家で食べるので野菜を買う必要がないところか。細かいお金の動きは知らないが赤字だという話は聞いているし、両親が共働きなのを子供のころから見ていれば自然と理解する。もはや家で食べる分を作っているだけの野菜もたまにあるが、それもきちんと収穫して売りたいのが本音だろう。

『そうなんだ』

「労力も掛かってるしね。私は進学校行っちゃったから、アイラと会った頃にはほとんど手伝いもしてなかったけど」

 中学までは多少、畑仕事の手伝いをしていた記憶がある。勉学を優先することを尊重してくれる親だったのであれ以来畑仕事を手伝うことはなかったが、大仕事の時には、よく昼食の準備を任されたものだ。

「はぁ、それよりも課題やらないと」

『お、仲間かな? 私も今、レポートやってるの~』

「それ進んでるの? 大丈夫?」

 たまに沈黙の間はあったとはいえ、大体通して会話をしていたはずだ。アイラのことだから、ネットでもいじってるのでは、と思った次第で。

『進んでない! ツイッタランドって楽しいんだよ』

「まずツイッターを閉じなさい」

 案の定、どう考えても終わらないパターンに一歩踏み出していて、私も笑いながらツイッターを開く。

『いっちゃんは開いてないの?』

「今開いた」

『駄目じゃん!』

 ははは、と二人の笑いが電話越しに重なった。



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