第80話END 己を捨てた男
妾の左肩から右腹部にかけて斜めに振りかざされた黒刀。その斬撃は妾の身体を容易く切断し、真っ赤な鮮血が溢れ出しては宙を舞う。
返り血を浴びる眼前の存在は、一切その瞳を閉じることなく、切っ先を妾に向けると追撃の構えを取る。
「不味いッ……このままでは……!」
妾は瞬時に距離を取りつつ、己が身体の再生を試みる。何とか身体を繋ぎ止めるも、その再生速度は従来より遅く、まるで委縮しているかのようだった
その隙を見逃さなかった眼前の存在は、人間離れした動きで再び一気に詰め寄る。鬼気迫る殺意は妾の本能を自然と動かし、右腕を構えると死灰の弾丸で迎撃を始めていた。
しかし、化け物じみた反応速度を前に、虚しく空を切る赤き閃光。距離を詰められるや否や柄の底で妾の手は弾かれ、黒刀が振り下ろされると右腕は綺麗に斬り落とされた。そして――
「――ゔッ⁉」
間髪入れず突きつけられた切っ先は、抉るように腹部を貫通していき、その勢いのまま妾を地面に押し倒した。
「ぐふッ……! やめっ……て……」
吐血しながら情けなく助けを請う妾……その心はもう既に折れかけておった。
「大丈夫。お前もすぐに……皆のところへ送ってやる。だから――」
殺す者とは思えない程の慈悲深き瞳……しかし、眼前の存在は相反するように、その刃を緩やかに押し込んでいき、髪色と同じ真っ赤な血が地面を染める。
漆黒の殺意が渦巻く姿は修羅の如く。妾はそれを目の当たりにして、ようやく理解に至った。このお人は妾の知っている愛しき人とは違うのだと。
もはや別人……あぁ……意識が遠のく……早く……再構築しないと……本当に――
「――安心して逝け。もう少ししたら俺も……そっちへ逝くから」
――死んで……しまう。
◆
冒険者ギルドSPD――
ベファーナが去ったことで平穏が訪れたSPD。周囲の連中は緊張が解けたのか、徐々にざわつき始める。しかし、オレの心は別の意味でざわついていた。
「気分が優れん……何だこの気持ちは?」
そんなオレの異変を察知してか、ブロンダが後方から顔を覗かせる。
「ちょっとアンタ、大丈夫? 顔色悪いわよ?」
「あぁ……妙な胸騒ぎがしてな。このままじゃいけねえような……なんかそんな気がしてよ」
「それって……その手の所為じゃない? さっきから血、出しっぱなしだし……もうアイツも消えたんだから、いい加減治しなさいよ?」
オレは言われた通り、己が手を見つめる……しかし、再生は一向に始まらない。まるで魂が拒んでいるかのようだった。
「……治せないの?」
ブロンダは血染めの手を見つめた後、神妙な面持ちでオレへと視線を移す。
「みたいだな。ほんと最近、言うこと聞かねえな……」
特に珍しいことでもないのでサラッと流そうとすると、ブロンダは「ちょっと、貸しなさい」と強引にオレの手を取り、着ている痴女装備を怪光させては傷口を徐々に塞いでみせた。
「その服って科学宝具だったのか……便利なもんだな」
「ええ……と言っても傷口を塞ぐだけだから、あんまり激しく動かすんじゃないわよ」
「そうかい。ありがとよ」
ブロンダは若干頬を染めて、顔をプイっと横に反らす。
「べ、別にアンタの為じゃないわ! アタシはただ助けられた借りを返しただけ……勘違いしないでよね!」
今日び聞かない、王道のツンデレ台詞である。
「別に助けたわけじゃねえよ。オレは……目の前の気に入らない奴に立ち向かっただけだ」
「ふ~ん……その気に入らない奴の所為で、心ここに有らずって感じだけど?」
反らした顔を戻すブロンダの放った言葉に、確信を突かれたかのようにオレは目を見開く。
「分かるのか?」
「分かるわよ。あの子のこと気になるのかなーとか、他の女の子のこと考えてるなーとか……女の子はそういうところ敏感なのよ」
「そういうもんか」
「そういうものよ」
傷口の修復が終わったブロンダは、「これで良し」とオレの手の甲をペチッと叩く。
「それで? どうせアンタのことだから、勝手に首つっ込む気なんでしょうけど……相手は記憶の中に潜り込む魔女よ。どうするつもり?」
「『記憶』ね……それなら一つ当てがある。カレン!」
オレは少し離れた場所に座っていたカレンを呼びつける。マイペースに歩いて来るカレンは無言のまま、全て理解しているかのような眼差しでオレを見上げた。
「今の話、聞いてたよな?」
「……うん……でも、成功するかどうか……」
「だが、今、思いつく手はこれしかねえ。やれるか?」
そう覚悟を示すとカレンはオレをじっと見つめ、しばらく考え込むように黙った後、「……わかった」と不安気な面持ちで承諾した。
◆
まるで屍の如く静止する妾。無論、まだ死んではおらん。だが、かなり危険な状況なのは間違いない。まずは眼前の存在の修羅状態を解き、妾の精神を安定させなければ、己が身体の再生もままならない。
「死んだか……」
よし……段々、落ち着いてきたようだ。このまま立ち去ってくれれば、まだ……
――ガリィッ! ――ガリィッ! ――ガリィッ!
……え?
――ガリィッ! ――ガリィッ! ――ガリィッ!
目の前の光景に妾は目を疑った。眼前の存在は首元に口をあてると、貪るように妾の身体を――
「……? いつもと味が違うな……」
――喰らっていたのだ。
このお人は一体、どこまで闇を抱えておるのだ? 人間の尊厳を捨ててまで、なさねばならないことがあるのか?
妾は震えた。今は恐怖ではなく……ただ哀しみによって。いつ振りかも分からぬ涙が頬を伝い、流れ落ちる。
「まだ生きてたのか? しぶとい奴だ……」
眼前の存在は刀を抜き去ると、逆手持ちで天へと振りかぶる。
「何故……こんなことを……」
「何故……? 約束したからさ……『お前たちを守る』って」
「守る……?」
「ああ。これ以上、罪を重ねさせやしない。俺が全部……終わらせてやる」
天に掲げられた黒刀は妾の頭部へと澱み無く振り下ろされる。
あぁ……これは土足で踏み込んだ……妾への罰か。愚かなことをしたものだ……せめて、もう一度ダーリンに会って……詫びる機会が欲しかった。
哀に満ちた一撃に妾は瞳を閉じ、その暗闇を全て……受け入れた。
◆
目覚めた瞬間、眼前には瞼を閉じた血染めのベファーナが居た。その上に跨る自分……そして、振りかざされる刀。
「――ッ⁈」
オレは即座に己が腕を止め、持っていた刀を投げ捨てた。
「な……何なんだよ、これ……オレが……やったのか……?」
血に塗れた己の手を見つめていると、異変を察知したベファーナが瞳を開ける。
「ダーリン……?」
「おい、大丈夫か⁈ すまん……オレの所為……だよな……?」
「違うの……全ては愚かだった妾の所為……本当に……ごめんなさい」
最早、放心気味のオレは理解が追い付かず、ベファーナの言葉に返す余裕がなかった。
「ダーリンは……どうしてここに……?」
「あ、あぁ……そうだ! 知り合いに記憶改竄の能力を持ってるガキが居てよ。そいつに頼んで前世のオレに今の記憶を差し込んでもらったんだ。お前は確か記憶を巡るんだろ? これなら、お前を元の世界に戻せるじゃないかと思ったんだが……できそうか?」
「ああ……記憶があれば……問題ない」
「なら急いで戻るんだ。この状態でいるのも限度がある」
促されたベファーナはすぐに残された左腕を上げ、オレの額に指を当てるとSPDで見せた呪法を展開する。
「ダーリンは……どうするのだ?」
「オレもケジメをつけたら……すぐにいくさ」
オレは精一杯の笑顔を浮かべ……そう答える。
「そうか……戻ってきたら今一度……詫びさせてくれ」
「ああ……」
ベファーナは宙に舞う文字と共に、記憶の中へと吸い込まれていった。
それを見送ったオレは溜息交じりに立ち上がり――
「とんだクズ野郎みたいだな……オレは」
――先程投げ捨てた刀まで歩いて行くと強く手に取る。
「オレに会いに来ただけの女を、あそこ迄いたぶるとは……気に入らねえ」
その黒刀を逆手に持ち、切っ先を己に向けると、腹部へと突きつける。
「オレの信念は目の前の気に入らない奴を殴ること。例えそれが自分であっても……揺らいではならない。だが、今回に限っては――」
覚悟を決めたオレは黒刀を一気に押し込むと――
「――万死に値する」
――己の忌まわしい過去と共に、その命を……絶った。
終幕
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