第80話END 己を捨てた男

 妾の左肩から右腹部にかけて斜めに振りかざされた黒刀。その斬撃は妾の身体を容易く切断し、真っ赤な鮮血が溢れ出しては宙を舞う。


 返り血を浴びる眼前の存在は、一切その瞳を閉じることなく、切っ先を妾に向けると追撃の構えを取る。


「不味いッ……このままでは……!」


 妾は瞬時に距離を取りつつ、己が身体の再生を試みる。何とか身体を繋ぎ止めるも、その再生速度は従来より遅く、まるで委縮しているかのようだった


 その隙を見逃さなかった眼前の存在は、人間離れした動きで再び一気に詰め寄る。鬼気迫る殺意は妾の本能を自然と動かし、右腕を構えると死灰の弾丸で迎撃を始めていた。


 しかし、化け物じみた反応速度を前に、虚しく空を切る赤き閃光。距離を詰められるや否や柄の底で妾の手は弾かれ、黒刀が振り下ろされると右腕は綺麗に斬り落とされた。そして――


「――ゔッ⁉」


 間髪入れず突きつけられた切っ先は、抉るように腹部を貫通していき、その勢いのまま妾を地面に押し倒した。


「ぐふッ……! やめっ……て……」


 吐血しながら情けなく助けを請う妾……その心はもう既に折れかけておった。


「大丈夫。お前もすぐに……皆のところへ送ってやる。だから――」


 殺す者とは思えない程の慈悲深き瞳……しかし、眼前の存在は相反するように、その刃を緩やかに押し込んでいき、髪色と同じ真っ赤な血が地面を染める。


 漆黒の殺意が渦巻く姿は修羅の如く。妾はそれを目の当たりにして、ようやく理解に至った。このお人は妾の知っている愛しき人とは違うのだと。


 もはや別人……あぁ……意識が遠のく……早く……再構築しないと……本当に――


「――安心して逝け。もう少ししたら俺も……そっちへ逝くから」


 ――死んで……しまう。





 冒険者ギルドSPD――


 ベファーナが去ったことで平穏が訪れたSPD。周囲の連中は緊張が解けたのか、徐々にざわつき始める。しかし、オレの心は別の意味でざわついていた。


「気分が優れん……何だこの気持ちは?」


 そんなオレの異変を察知してか、ブロンダが後方から顔を覗かせる。


「ちょっとアンタ、大丈夫? 顔色悪いわよ?」

「あぁ……妙な胸騒ぎがしてな。このままじゃいけねえような……なんかそんな気がしてよ」

「それって……その手の所為じゃない? さっきから血、出しっぱなしだし……もうアイツも消えたんだから、いい加減治しなさいよ?」


 オレは言われた通り、己が手を見つめる……しかし、再生は一向に始まらない。まるで魂が拒んでいるかのようだった。


「……治せないの?」


 ブロンダは血染めの手を見つめた後、神妙な面持ちでオレへと視線を移す。


「みたいだな。ほんと最近、言うこと聞かねえな……」


 特に珍しいことでもないのでサラッと流そうとすると、ブロンダは「ちょっと、貸しなさい」と強引にオレの手を取り、着ている痴女装備を怪光させては傷口を徐々に塞いでみせた。


「その服って科学宝具だったのか……便利なもんだな」

「ええ……と言っても傷口を塞ぐだけだから、あんまり激しく動かすんじゃないわよ」

「そうかい。ありがとよ」


 ブロンダは若干頬を染めて、顔をプイっと横に反らす。


「べ、別にアンタの為じゃないわ! アタシはただ助けられた借りを返しただけ……勘違いしないでよね!」


 今日び聞かない、王道のツンデレ台詞である。


「別に助けたわけじゃねえよ。オレは……目の前の気に入らない奴に立ち向かっただけだ」

「ふ~ん……その気に入らない奴の所為で、心ここに有らずって感じだけど?」


 反らした顔を戻すブロンダの放った言葉に、確信を突かれたかのようにオレは目を見開く。


「分かるのか?」

「分かるわよ。あの子のこと気になるのかなーとか、他の女の子のこと考えてるなーとか……女の子はそういうところ敏感なのよ」

「そういうもんか」

「そういうものよ」


 傷口の修復が終わったブロンダは、「これで良し」とオレの手の甲をペチッと叩く。


「それで? どうせアンタのことだから、勝手に首つっ込む気なんでしょうけど……相手は記憶の中に潜り込む魔女よ。どうするつもり?」

「『記憶』ね……それなら一つ当てがある。カレン!」


 オレは少し離れた場所に座っていたカレンを呼びつける。マイペースに歩いて来るカレンは無言のまま、全て理解しているかのような眼差しでオレを見上げた。


「今の話、聞いてたよな?」

「……うん……でも、成功するかどうか……」

「だが、今、思いつく手はこれしかねえ。やれるか?」


 そう覚悟を示すとカレンはオレをじっと見つめ、しばらく考え込むように黙った後、「……わかった」と不安気な面持ちで承諾した。





 まるで屍の如く静止する妾。無論、まだ死んではおらん。だが、かなり危険な状況なのは間違いない。まずは眼前の存在の修羅状態を解き、妾の精神を安定させなければ、己が身体の再生もままならない。


「死んだか……」


 よし……段々、落ち着いてきたようだ。このまま立ち去ってくれれば、まだ……


 ――ガリィッ! ――ガリィッ! ――ガリィッ!


 ……え?


 ――ガリィッ! ――ガリィッ! ――ガリィッ!


 目の前の光景に妾は目を疑った。眼前の存在は首元に口をあてると、貪るように妾の身体を――


「……? ……」


 ――喰らっていたのだ。


 このお人は一体、どこまで闇を抱えておるのだ? 人間の尊厳を捨ててまで、なさねばならないことがあるのか?


 妾は震えた。今は恐怖ではなく……ただ哀しみによって。いつ振りかも分からぬ涙が頬を伝い、流れ落ちる。


「まだ生きてたのか? しぶとい奴だ……」


 眼前の存在は刀を抜き去ると、逆手持ちで天へと振りかぶる。


「何故……こんなことを……」

「何故……? 約束したからさ……『お前たちを守る』って」

「守る……?」

「ああ。これ以上、罪を重ねさせやしない。俺が全部……終わらせてやる」


 天に掲げられた黒刀は妾の頭部へと澱み無く振り下ろされる。


 あぁ……これは土足で踏み込んだ……妾への罰か。愚かなことをしたものだ……せめて、もう一度ダーリンに会って……詫びる機会が欲しかった。


 哀に満ちた一撃に妾は瞳を閉じ、その暗闇を全て……受け入れた。





 目覚めた瞬間、眼前には瞼を閉じた血染めのベファーナが居た。その上に跨る自分……そして、振りかざされる刀。


「――ッ⁈」


 オレは即座に己が腕を止め、持っていた刀を投げ捨てた。


「な……何なんだよ、これ……オレが……やったのか……?」


 血に塗れた己の手を見つめていると、異変を察知したベファーナが瞳を開ける。


「ダーリン……?」

「おい、大丈夫か⁈ すまん……オレの所為……だよな……?」

「違うの……全ては愚かだった妾の所為……本当に……ごめんなさい」


 最早、放心気味のオレは理解が追い付かず、ベファーナの言葉に返す余裕がなかった。


「ダーリンは……どうしてここに……?」

「あ、あぁ……そうだ! 知り合いに記憶改竄の能力を持ってるガキが居てよ。そいつに頼んで前世のオレに今の記憶を差し込んでもらったんだ。お前は確か記憶を巡るんだろ? これなら、お前を元の世界に戻せるじゃないかと思ったんだが……できそうか?」

「ああ……記憶があれば……問題ない」

「なら急いで戻るんだ。この状態でいるのも限度がある」


 促されたベファーナはすぐに残された左腕を上げ、オレの額に指を当てるとSPDで見せた呪法を展開する。


「ダーリンは……どうするのだ?」

「オレもケジメをつけたら……すぐにいくさ」


 オレは精一杯の笑顔を浮かべ……そう答える。


「そうか……戻ってきたら今一度……詫びさせてくれ」

「ああ……」


 ベファーナは宙に舞う文字と共に、記憶の中へと吸い込まれていった。


 それを見送ったオレは溜息交じりに立ち上がり――


「とんだクズ野郎みたいだな……オレは」


 ――先程投げ捨てた刀まで歩いて行くと強く手に取る。


「オレに会いに来ただけの女を、あそこ迄いたぶるとは……気に入らねえ」


 その黒刀を逆手に持ち、切っ先を己に向けると、腹部へと突きつける。


「オレの信念は目の前の気に入らない奴を殴ること。例えそれが自分であっても……揺らいではならない。だが、今回に限っては――」


 覚悟を決めたオレは黒刀を一気に押し込むと――


「――万死に値する」


 ――己の忌まわしい過去と共に、その命を……絶った。



 終幕

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