第80話 ho身g不m2s死i10oVS呪灰の魔女(廻)

 人の記憶とは色鮮やかなものである。


 喜びの記憶や怒りの記憶、哀しみの記憶や楽し気な記憶……それら一つ一つに感情を震わせ、人間たちは一喜一憂していく。彩られた光の粒は美しい軌跡を描き、無数に繋がっては広がっていく。その景色は何物にも代えがたい尊いもの。


 正直、人間を羨ましいと思ったこともある。魔人は良くも悪くも闘いしか能がなく、その生き様は平坦で面白みに欠けるからだ。オーラが読める所為で危機察知能力に長け、結果的に安定志向になってしまう。もしそこまで堕ちてしまえば、魔人に生きる価値などないだろう。


 だからこそ人間の記憶を巡るという行為は、退屈な日々を過ごす妾の唯一の暇潰しでもあり、それが愛しの人とあらば尚更期待が高まる……はずだったのだが……


「何なのだ……これは……?」


 しかし、眼前に広がるは常しえの暗闇。


 そんないつもとは違う光景に、流石の妾も動揺を隠せずにいた。


「これは『記憶』というよりは『記録』に近い。まるで機械のよう……まあ、人間でないことは察しておったが」


 とは言え、『記録』自体は存在している。巡ることは可能だ。だが、一番重要な『記録』が欠けていることに妾は気付く。


「妾の『記録』が感知できない……どういうことだ?」


 そもそもダーリンの記憶に入り込んだのは、出会った証拠を見つけて妾を思い出させる為……しかし、今はその『記録』が、まるで感じられない。つまり、ダーリンは本当に妾を覚えていない――いや……それ以前に知らないということになってしまう。


「出会ったのが遠き日のこと過ぎて忘れておるのか? いや、それなら『記憶』自体は残るはず。例え転生した代償で『氏名・使命』しめいを奪われたとしてもだ。となると、先程SPDで出会ったのが初邂逅ということになる。だが、妾が初めてダーリンと出会った時、ダーリンは妾のことを知っておった。いったい何故……?」


 暗闇の中で一人、妾は顎に手を当てて思考を巡らす。まさに暗中模索といった状況だが、一つの答えが頭の中をよぎる。


「まさか……まだだというのか? 『過去』の記憶に存在しないとなると、ダーリンは此処から先の『未来』から、妾へと干渉してくる……ということになる」


 最早それ以外には考えられない。今更、人違いということはないはず。あのオーラを妾が見間違えるわけがない。しかし、これだと……


「妾の負け……ということになるのかのぉ? 今のダーリンは本当に妾を知らんわけだし、勝手に先走って妙な絡み方をしてしもうた。もう合わせる顔がないのぉ……」


 誰に見せる訳でもなく、殊勝な顔を披露する妾……だが、その想いは不思議と、まだ折れてはおらんかった。負けを認めたくないという魔人の性ゆえか。


「このまま何もせず帰るのは釈然としないものがある。せっかくだから覗いて行こうかのぉ……ダーリンの前世でも」


 どこまでも続く暗闇の底へと妾は落ちていく。その度に今までの『記録』が横を通り抜ける。皇の坊やと闘ったこと、妖の旅鴉との死闘、グリーズ家を陥落させたことや、我らがボスと邂逅したこと。愚かにも我が国の魔物が牙を剥き……そして、転生したことも。


「ここから先がダーリンの前世か……」


 目の前には漆黒の扉が一つ。隙間からは禍々しい黒紫色のオーラが、今にも破裂しそうな勢いで溢れ出していた。その奥からは形容しがたい……まるで人ならざる呻き声が、木霊しているかのようで、妾でさえ息を呑む程だった。


 そんな惴恐ずいきょうするかの如き扉に妾は手をかける。自分の汗ばむ手に思わず苦笑いを浮かべつつ、抑圧された感情を解き放つように、その扉を一息に開放すると――


「……ダーリンよ。其方は一体、何を抱えておるのだ?」


 ――眼前に広がるは数多の人の形を模した存在。


 そんな表現をしてしまうのも致し方なきこと。何故なら此奴らには、生命というものを感じなかったからだ。人間でもなければ魔人でもない……何か別の存在。


 大小様々な体躯で性別も年齢も疎ら……しかし、三十代以上はいない印象で、中には巨大な赤ん坊の姿も確認できる。それらは服を着ておらず、へその緒が長めに垂れ下がり、生殖器が見当たらない……ただただ異様な光景であった。


 屍のように転がるそれらを避けつつ、妾は更に奥へと進んでいく。


「うむ……これ以上は進めそうにないのぉ。ダーリンは随分と恥ずかしがり屋なようだ」


 最奥には数多の存在が集合体となって立ち塞がっていた。どうやらこの先の『記録』へは干渉できそうにない……いや、させないと言った方が正しいか。


「まあ、良い。ここで手打ちにするとしようかの。さて、ダーリンはどんなお人だったのか……拝見させてもらおうぞ」


 妾は集合体に触れると先程の呪法を展開し、膨らむ期待と共に愛しき人の過去へと跳ぶ……ただ、己が欲を満たすため。


 今、考えると誠に愚かな行為であった。


 愛しき人の固く閉ざされた記憶……その領域に土足で入り込み、無理やり抉じ開けてしまったのだから。





 目を開けると、そこには荒廃した世界広がっていた。


 巨大な建物の残骸が見渡す限りに点在し、草木も無ければ人の気配すらも感じない。空は曇天で暗い雰囲気が漂う。まるで芯まで凍らせるかのように虚ろ気で、例えるならそう……終末の世界といった有り様であった。


「ここがダーリンの……世界なのか……?」


 もはや世界として機能しているかは甚だ疑問だが、此処で間違いなはず……何故なら――


「誰だ……お前……?」


 ――振り返るとそこにはダーリンが居たからだ。居たのだが……その姿は先程邂逅した愛しき人とは、まるで違っていた。


 見た目は既にボロボロで、血染めの服と開いた瞳孔。そして、左手には漆黒の鞘に納められた刀を携えていた。魂からギラつく殺意が止めどなく噴き出し、妾を今にでも喰らい尽くかの如き様相で、本当に同一人物なのか思わず目を疑うほどだ。


「あ……あの……」


 驚くことに妾は恐怖しておった。魔界の姫たるこの妾が、たかが人間一人に……声を詰まらせていたのだ。


「おい……誰だって聞いてんだよ」


 ダーリンは平坦な声を装うが、威圧する眼光は隠しきれていなかった。


「わ、妾は……その……」

「ハァ……こんな所で何してる?」


 上手く答えられぬ妾に、溜息交じりで質問を変えるダーリン。


「そ、其方に会いに来たのだ……妾の愛しき人よ……」


 妾は何とか言葉をひねり出し、変わらぬ愛を示す。しかし、その瞬間――


だと……? そうか……」


 ――何故かダーリンは悲しげな瞳を見せる。


 鞘からは黒刀を抜き、空気を凍てつかせると――


「ど、どうしたのだ⁈ ダーリンよ⁈」

「お前も……俺が生み出した罪の一つか。なら、今すぐに……殺してあげるよ」


 ――修羅を解き放つ。


《then代v一of六eoy第e十nd ho身g不m2s死i10o》


               VS


《アッソルート魔人連合 二代目総帥代行 兼 呪灰の魔女 ネロ・ベファーナ》


 あれほど闘わないと語った愛しき人は、その黒刀を構えると一気に距離を詰め、いとも容易く妾の身体を――斬り裂いた。



 第二章 完

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