第57話 数奇な運命

 宿屋『ア・プレスト』――


 この宿屋は食事処が建ち並ぶ大通りに面しており、人通りが盛んなこともあってか引っ切り無しに客人が……全くと言っていいほど来なかった。来るとしても近所のおじさんが一人二人、昔のよしみで来店する程度。あと来るとすれば……


「リリーさん。そろそろ『首無し』のこと、話す気になったりしませんかね?」


 カウンター席に座りながら、毎度おなじみな質問を投げかける、帝国特殊調査隊隊長のオールド・ローだけであった。


「ならないねぇ。アンタこそ、いい加減諦める気になったりしないのかい?」


 リリーはグラスを拭きながら、ローに対して視線を向けずに答える。


「なりませんね~。リリーさんこそ、毎回俺が飲みに来てあげないと、この宿屋すぐに潰れちまうって理解してます? 客も全然来てないみたいですし、もっと感謝の気持ちとかないんですかね?」


 酒が入っているグラスを見せつけるローは、恩着せがましくリリーに問いかける。


「ないねぇ。そもそもアンタが来なかろうが、ウチはちゃんと営業できるし、他の客だってちゃーんと来るさ」

「いやいや、現に来てないですし……」


 ぶつぶつとローが小言とのように呟くと、リリーの念が通じたのか宿屋の扉が開く。


「こんにちは~、リリーさん。お邪魔してもいいですか?」

「おぉ、レイじゃないかい。いいよ、入んな」


 リリーはまるで当てつけかのように、「ほら、客来ただろ?」とローの方へと視線を送る。


「結局、いつもの面子じゃないですか……」


 リリーに促されて宿屋に入ったレイは、さらに小言を呟くローの存在に気付くと、すぐさま隣に座って言葉を紡ぎ始める。


「あの~、オールド・ロー様……ですよね?」

「ん? う~ん……『様』以外は合ってるかな。もっと気軽に呼んでくれていいよ」


 ローは酒を飲みながら、気さくに微笑みかける。


「は、はあ……では、ローさん。お婆様から話は聞きました。六年前、私とお婆様を助けていただき、ありがとうございます。お礼が遅くなり、本当に申し訳ありません。色々、事情がありまして……」

「こりゃ、ご丁寧にどうも。まあ、感謝されるようなことはしてないけどね。俺は後手に回ってただけだから」

「そんな……ローさんがいなければ、私たちは今頃――」

「おっと、そこまで。それ以上の感謝は要らないし、受け取れないよ。俺は出かけるとき、酒代しか持ち歩かない主義なんでね」

「ですが……」

「もし君が恩に報いたいと思うなら、リリーさんのこと説得してくれない? 首無しのこと全然喋ってくれなくてさ~?」


 ローは先程の当てつけを返すかの如く、リリーに訴えかけるような視線を送る。


「そいつの言うことは聞かなくていいよ、レイ。ただ暇を見つけては酒を飲みに来るだけの飲んだくれさ。話をするだけ時間の無駄」

「リリーさん……客に向かって言うセリフじゃないですよ、それ?」


 そんなことを言われつつも、酒を飲むことはやめないローに、レイは小首を傾げながら尋ねる。


「あの……ローさんはどうしてそこまで首無しに拘るんですか? 賞金首を追うのは分かりますけど、それなら破滅の帝王の方が先では?」

「帝王を追ったところで、どうせこのままじゃあ、勝つ見込みなんてないからね。だから……首無しがなのさ」

「え? 必要って、どういう意味ですか?」 


 ローは再び酒を口に運ぶと、静かな吐息を漏らす。


「首無しはね……俺のを変えた奴なんだ」

「運命……?」

「それに四十年前、この世界の運命さえも変えた。貴女の運命もね……リリーさん?」


 リリーはグラスを拭く手を一瞬止め、応答せぬまま直ぐに作業へと戻る。


「だから帝国の運命を変える為にも、首無しの力が何としても必要なんですよ。いい加減、分かってもらえませんかね?」


 いつになく真面目なローの眼差しに、リリーも対抗するかのような、怒気を含んだ鋭利な眼光で睨む。


「アンタらのくだらない戦争に、アイツを巻き込ませやしないよ。あんな戦争は一回だけで十分。もしこれ以上言うなら……アタシが先に帝国を潰すよ……‼」


 空気が急変すると先程拭いていたグラスがいきなり割れ、まるで地震が起きたかのように辺りが揺れ始めると、宿屋からは所々軋む音が聞こえてくる。今まで見たことがないリリーのその姿に、レイは波立つ鼓動と動揺を隠せずにいた。


「ハァ……参ったね~。ダン君からも何とか言ってやってくれない?」

 

 ローはいつもの砕けた調子に戻って振り返ると、レイも「え?」と釣られたように視線を移す。するとソファーの背もたれに隠れて見えなかったダンが、溜息交じりに起き上がると体を伸ばしつつ呑気に欠伸をかます。


「旦那……居たんですか?」

「あ? 居るに決まってんだろ。ここはオレの家なんだから」

「いや、アタシの家だろうが。勝手に自分の家にするんじゃないよ」

 

 そんなダンの発言を見逃すまいと、即座にリリーがツッコミを入れる。


「フッ……オレの世界には住めば都って言葉がある。意味は……ここは、オレの家ってことだ!」

「絶対、違うだろ。まったく……」


 ようやく普段の調子に戻ったリリーの姿に、緊張が解けたかのような吐息を漏らすレイ。しかし、そんなことなど気にも留めず、すぐさまローは話を戻す。


「それよりダン君。さっきの話、聞いてたでしょ? 力、貸してくんない?」

「フン、知るかそんなもん。他を当たりな」

「つれないね~。こんなこと、今を時めくダン君にしか頼めないんだけどな~?」

「え? 何だよ? 今を時めくって……」


 含みのある笑みで撒き餌をするローに、分かり易くダンは興味を示してしまう。


「またまた、とぼけちゃって~。もう結構、噂が広まってるよ? 『グリーズ家を陥落させた男!』ってね」

「おいおい、マジでかっ⁉ もうオレの勇姿が世間に知れ渡っちまってんのかよ! 参ったな、オイ!」


 背もたれに腕を乗せるダンは、自然と鼻先に稲妻を迸らせると、天狗の如く誇らしげに鼻を伸ばす。


「そうそう、だからこそダン君の力が――」

「つまりこれって、もう女の子にモテモテと言っても過言ではないってことだよな?」

「う、うん……だからこそダン君の力が――」

「ってことは、ようやくオレもハーレム主人公の仲間入りか~!」

「そ、そうかもね……だからこそダン君の力が――」

「まあ、そりゃそうか! 今までは運が悪かっただけ! なんせ碌な女が……」


 ――バチコーンッ!


「いっだッ⁉ 誰だ今、殴ったの‼」


 ダンが頭を押えながらカウンターの方へ振り向くと、レイが頬を膨らませながらジト目で睨みつつ席に座っていた。


「お前か、レイ……! っていうか今、ちゃっかり瞬間移動使ったろ⁉ そんな一瞬で殴って、戻れるわけねえもんな!」

「え? 何がですか?」


 キョトンとしたレイの表情に、体を震わせながら何とか怒りを抑えるダン。


「フ、フン! まあいい……今やオレの名声は鰻登りだ! こりゃあ、近いうちにでも女の子のファンが一人や二人、訪ねて――」


 ガチャッ……と、今度はダンの念が通じたかのように宿屋の扉が開く。


「お⁉ 噂をすれば……!」


 しかし、そんな浅はかなダンの願いを踏みにじるかのように来店するのは、悠然とした佇まいで視線をさまよわせている、ポケットに手を入れた真っ赤な瞳の男だった。 

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