第56話 『二人目』の男

 宿屋『スペランツァ』――


 この宿屋は風俗店が建ち並ぶ大通りに面しており、リリー・カーディナレが経営する『ア・プレスト』からは、ほんの百メートルほど離れた場所に居を構えていた。


 一階は飲み食いができる男たちの憩いの場となっており、二階には一日の疲れを癒す為の宿泊部屋があるという、ア・プレストと同様の造りとなっているが、ただ一つ違うところがある。それは……


「オレが若い頃はぁ、そりゃあもう凄かったんだぜぇ? 周りの奴らは皆、オレにひれ伏してたぁ……」

「また言ってるよコイツぁ……おめえは若ぇ頃から、ここで飲んでただけだろうがぁ⁉」

「違ぇねえ! 違ぇねえ!」


 昔話に花を咲かせる酔った男たちや……


「このフォーメーション、間違いない。僕の計算に狂いはないはず……今回はあの子がだ!」


 電子ボードに記しながら何かに没頭する怪しい男など……


 その他大勢の客たちを、見目麗しい女子おなごたちが、持て成しているということだ。


 閑古鳥が鳴いているア・プレストとは違い、引っ切り無しに注文が入る酒を可憐な美女たちが提供する様は、この宿屋が非常に繁盛しているという何よりの証拠でもあった。


 そんな賑やかな遊宴の中、ある一人の狂人が来店する。


 首元を開けた黒いシャツに上下紺色のスーツを着用し、短めの癖っ毛を外ハネさせつつ長めの襟足を結んだ、透き通るような水色をしている髪の男が、ポケットに手を入れながら真っ赤な瞳で佇んでいた。


「いらっしゃいなのじゃ、客人!」


 初めに出迎えたのは背の小さい少女。しかし、その口調は外見の幼さと幾分か相反していた。


「ほらほら~、そんなとこ突っ立ってないで、さっさと入んなよ~?」


 次に出迎えるはタメ口で接客するギャル。しかし、その佇まいは何処か高貴さを感じさせる。


「あら、お客さん。これは中々、不思議な香り……」


 最後は容姿も語り口調も共に妖艶な美女。しかし、その雰囲気は人間の醸し出すものとは乖離していた。


「それでお客人は……どうやら飲み食いしに来たわけではなさそうじゃな?」


 少女はすぐに何かを察知したのか、その真ん丸な瞳で男を見据える。


「ご名答……小生は人を探している。最近この辺りで――」

「取りあえず立ち話もなんだから座りなよ、お兄さ~ん。こっちこっち!」

「え? あっ、ちょっ……」


 ギャル口調のウェイトレスが男のペースを乱すかのように、強引にその腕を引っ張りながら近くのカウンター席へと座らせた。


「それで、何飲む? いきなり一番高いお酒とか行っちゃう?」

「いや、だから飲みに来たわけじゃ……」

「っていうか、お兄さんイケメンだね~。よく言われない? よく言われるでしょ?」

「そ、そうか……? それなら上手く創った甲斐が――」


 端正な顔立ちの男が恥ずかし気に己が顎を撫でていると、後方のテーブル席から周囲の喧騒を跳ね除ける程の笑い声が聞こえる。


「どうだ? 凄ぇだろ? まあ、俺にかかればこんなもんよ!」


 自慢げな語り口調のその男は、薄い眉の間にしわを寄せつつ、尊大な態度でソファーにもたれかかる。


「あははっ……ロウカツさん。今日は本当に……ご機嫌でいらっしゃいますね……?」


 嫌がるウェイトレスを侍らせるロウカツと呼ばれたこの男……実は何時ぞやダンにカツアゲ返しをされたチンピラであった。当初はみすぼらしい格好をしていたが、今は金髪をオールバックできっちりキメ、全身ゴシック調の黒い服装とロングコートで身を包んでいた。


「当然だろ! 前までシーフズの下っ端だった俺が、今や帝狼会の上層部に食い込もうっつー勢いなんだからな!」

「へ、ヘ~……帝狼会の上層部ってことは、破滅の帝王っていう人の側近ってことですよね? いきなりそんなところまで上り詰めるなんて……一体、何を……?」


 ロウカツは勿体ぶるかのように、ほくそ笑みながら肩を小刻みに揺らす。


「聞きてえか? でも、教えてやれねぇな~。この件はまだ公表する訳にはいかねぇ。だが、もうすぐ科学宝具が蔓延する世界は終わりを告げ……帝王の時代が来る。もしそうなりゃ、俺が幹部になるのも夢じゃねえ。ついでにシーフズも再構築して、俺が四代目の頭になってやる! ハッハハハ‼」


 下卑た高笑いを披露するロウカツに、「でも……」とウェイトレスが口を挟む。


「確かこの前、帝王傘下のグリーズ家が陥落したって聞きましたけど……?」

「チッ、もう噂が広まってんのか……あの忌々しいクソ野郎めッ……!」


 一転して怒りの表情で吐き捨てるロウカツの反応を、先程カウンター席に座った男は見逃さなかった。


「ロウカツさんは、その人を知っているんですか……?」

「あぁ……この俺をコケにした野郎だ。だが、アイツは必ず殺す! その為の力も貰ったことだしな。それに……」


 宙にかざすロウカツの指には科学宝具が仕込まれた複数の指輪がはめられており、それらをしばらく眺めた後、煌びやかに光る手を懐に入れると眼前のテーブルに札束を叩きつける。


「金だってある! 名誉もな! あとは……女だけだ……!」


 ウェイトレスの肩を抱くロウカツは、いやらしい手つきで太腿を撫で始める。


「――ちょっ⁈ やめてください! うちはそういう店じゃ……!」

「いいじゃねえか……俺についてくれば、この先いい思いができんだぜ? なあ? だから俺の女に――」

「貴公、少しよいか?」

 

 ウェイトレスとの情事を楽しもうとするロウカツを遮るのは、相変わらずポケットに手を入れるスタンスを崩さずに佇む、先程来店したばかりの未だ名を呈していない男だった。


「あ? 誰だテメエは?」

「貴公の元同僚……といったところだ」

「元同僚? シーフズ……じゃねえよな。ってことは帝王の傘下か? 俺に何の用だ?」

「貴公が先程語っていたグリーズ家を陥落させた男……その者を探している。場所を教えろ」


 その言葉遣いにロウカツの苛立ちが眉間に現れる。


「教えろだぁ? それが人にものを頼む態度か? あぁ⁉」

「喧嘩腰はやめて素直に喋ってくれないか? 貴公とは戦う気も起らんのだ……殺す価値もない小物故な」


 ――バンッッ‼ とテーブルを蹴り上げるロウカツは、睨みを利かせながら向かい合うように立ち上がる。


「どうやら死に急ぎてえらしい。だが俺もテメエみてえな、どこの馬の骨とも知らん雑魚とは戦う気が起きんな。つー訳で、金さえ置いてけば見逃し……」


 ――キシイイイイイイイインッッ‼‼‼


「――ぐあッッ⁉」


 劈くような金切り音が鳴り響いた瞬間、ロウカツは己が右腕に強烈な痛みを感じ、理解の追いつく暇もなく苦悶に満ちた表情で膝をつく。するとウェイトレスの悲鳴がこだまし、周囲の客たちから注目を浴びる中、恐る恐る痛みのする方へ視線を移すと――


「何だっ――これッ⁉」


 ――まるで己が右腕が鎌鼬かまいたちに襲われたかの如く、無数に斬り刻まれており、その傷口からは数多の血が流れ落ちていた。


「それで? 件の男は何処に居る?」

 

 眼前の男は変わらぬ様子のまま、尚も真っ赤な瞳で問いかける。その姿が逆にロウカツの恐怖心を駆り立て、『この男に関わってはならない』と自然に口が滑っていく。


「わっ、分かった……! 言うっ、言うよ! アイツは『ア・プレスト』って宿屋に居る! この直ぐ近くだっ……こっ、これでいいだろっ⁉」

「そうか。礼を言う」


 そう言って男は立ち去ろうと踵を返すが、すぐに何かを思い出したかのように振り返る。


「そうだ……実は最近、職を失って金に困っていてな。それ故、この金は拝借させていただく。返してほしいときは小生に会いに来い。ではこれで……」


 ロウカツが己の自己顕示欲の為に出した札束を、男は何ら悪びれる様子もない態度で拝借し――


「お、おいッ! くそッ……またカツアゲされんのかよ、チクショーッ‼」


 ――哀れな叫びにも聞く耳持たず、颯爽と宿屋を後にした。

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