第ニ章

第51話 二階の窓のあの子

「ゔ~……」


 クソ眩しい日差しが窓から照り付ける中、オレは呻き声を上げるかのように、ソファーに寝転がっていた。


「ゔ~……」


 結局レイと朝まで飲んでいたオレは、これ以上無くす必要のない記憶をなくし、気付けばア・プレストで死んだように眠っていた。


「ゔ~……」

「うるさいよ、ダンッ‼ 少しは黙れないのかいッ‼」


 箒を片手に怒鳴りつけるはこの宿屋の主、リリー・カーディナレ……ただの小うるさいババアだ。


「お~い……大きい声出さないでくれ……こっちは二日酔いなんだ……頭に響く……」

「テメエ再生能力持ちのくせして、何が二日酔いだ――アホんだらあああッ‼」


 怒号と共にババアは箒を振りかぶり、展開された赤黒い魔方陣を通すことで、威力を最大限上げた殺人清掃道具を、オレの顔面に――


 バゴオオオオオオンンッッ‼‼‼


「――いっだああああああああああッッ⁉」


 ――叩きつけた……寸分の慈悲もなく。


 プッシャアアアアアアッッ‼‼‼


 寝ていたソファーはグチャグチャにブッ壊れ、割れた頭からは噴水のように血が溢れ出し、天井を張り替えるかの如く真っ赤に染め上げた。


「スプラッター映画かあああッ⁉ いや、スプラッター映画でもこれはやりすぎだわッ‼ 見ろコレッ‼ 頭が真っ二つになってビロンビロンになってんだろうがあああッ⁉」


 あまりにもグロテスクな状態だった為、オレは即座に頭部を変形させてモザイク加工を施した。


「器用な真似するねぇ。そんなことができるなら、二日酔いなんてすぐに直せるだろうに……」


 オレは真っ二つになった頭を両手でくっつけ、「いたたた……」と痛みに耐えつつ、稲妻を迸らせながら綺麗に再生させた。


「あー痛かった。死ぬかと思ったわ」

「『思ったわ』じゃなくて、普通死ぬだろ……アタシは殺すつもりでやったんだけどねぇ」


 サラッと恐ろしいことを言うババアを軽く受け流し、オレは治った首の調子を確かめながらカウンター席に座った。


「なーんでそんなに怒ってるんだか……今どき暴力ヒロインなんて流行らんというのに。いいか? テメエはババアだが、だとしてもヒロインとしての品位を失っちゃいかん。世の中にはいろんな需要があるんだ。テメエみたいなババアを、すき好む層だっているかもしれん。そういう奴らの為にも常にヒロインらしく振る舞うよう心がけなければならない。まあ、君も素人だ……次から気を付けてくれれば、こちらとしてもこれ以上大事にはしない。よーし、これで話はお終いだ。だから今すぐその箒を降ろすんだ! もう痛いの嫌だから! 分かった、ちゃんと聞くから! 勘弁してください! お願いしまぁす!」


 台詞の途中辺りで再度箒を振りかぶる完全ブチ切れモードのババアを、オレは遠ざけるように両手を構えながら何とか制止させた。


「ハァ……アンタ何でアタシが怒ってるか分かんないのかい?」

「皆目見当つきません」

「マジでブチ殺すぞ」


 どうやら怒りは収まらないらしい……そう思ったオレは、また頭をかち割られるのが嫌なので、何も言い訳することなく、いつも通りの態勢に移る。そう……オレがこの世界で手に入れた新たなスキル。あらゆるものを受け入れ、謝罪の意を示す最強の構え――土下座だ。


「ハァ……まったく……いきなり帰ってきたと思ったら、挨拶もなしにぐーすか寝るし。一生分の家賃支払うと言っておきながら、朝まで飲み明かしてその金もない。挙句の果てには土下座で済まそうってか? ハッ……いい御身分だね、ダン?」

「ハイ、返す言葉もございません」


 最早すべてを受け流すオレのこの状態に、対するババアは再度大きな溜息をつくと、先程とは声色を変えて問いかけてくる。


「で? ちゃんとバシッとキメたんだろうね?」

「ハイ、しっかりキメさせていただきました」


 どうもその受け答えが正解だったのか、ババアの怒りが徐々に静まっていくのを感じる……と言ってもオレの額は完全に地面とドッキングしているので正確には分からんのだが。


「そうかい……なら今回は不問にする」

「ははーーっ! ありがたき幸せ! それでは僕はお外に遊びに行って――」


 喜び勇んで出て行こうとするオレを、「待て」とババアが箒で行く手を塞ぐ。


「まだ……何か……?」

「これから大仕事があるんだが……まさか何の手伝いもせずに何処かに行こうなんて思ってないだろうね?」


 まるで脅しをかけるように睨みを利かせるババア。だが、流石のオレにもプライドってもんがある。これだけ好き勝手言われて何の反論もなしじゃあ男が廃るってなもんだ。ここはビシッと言ってやらねえとな!


「手伝わせていただきます!」


 ダメでした。だって痛いのはもう嫌なのだ。





「そう……優しく……そっとね……?」

「こう……かい……?」

「うん……ダンちゃん……上手だよ……」

 

 吐息交じりのイニーちゃんに促されながら、オレは自分の手を緩やかに動かしていく。


「あんっ……! そんなに激しくしたらっ……!」

「ごめん!……イニーちゃん……」

「ううん……大丈夫……でも……いっぱい濡れちゃった……」


 床には粘性の液体が滴り、つややかな水面を作り出す。


「イニーちゃん……オレ……もう我慢でき――」

「何してんだい、アンタら」


 まるで仁王像のように立つババアは、何故かこのオレを軽蔑の眼差しで見ていた。


「何って……テメエが掃除しろって言ったんだろ? なあ、イニーちゃん?」


 モップ片手に二階の床を掃除していたオレとイニーちゃん。何もおかしなことなどしていない。


「うん! でももうちょっと丁寧にやらないとね! 洗剤が飛び散っちゃうから」

「アッハッハ! ごめんごめん。ついつい興奮――じゃないや。いやらしい気持ちに――でもないな。淫猥な――あ、これも違うな……」

「ほう、随分楽しんでるみたいだねぇ……別の意味で」


 依然として軽蔑の眼差しを向けるババア。そんなものに僕は屈しない。


「ハハハッ、当然さ! 僕は今まさに清掃の楽しさに打ち震え、心が浄化された気分なのだからな!」

「いや、アンタの心は絶対穢れてる。まったく……これだから男ってのは――」

「よーし! じゃあ、この調子で次は奥の部屋も掃除しちまうか!」


 これ以上小言を言われるのが面倒なオレは、ババアの言葉を遮りつつ奥の部屋まで歩いて行き、ドアノブに手をかけるが……


「ん? あれ……開かない」


 何度ひねってもガチャガチャという無機質な音しか出ない……どうやら鍵がかかっているようだ。


「あ、ダンちゃん……そこはいいの……」

「え、何で?」

「えっと……そこは……」


 言い淀むイニーちゃんは、何処か落ち着きがなかった。なんだ? 何か疚しい物でもあるのか? それとも来るべき時が来るまで開けられない秘密の部屋とか? ほう……そうなるとこれが後々、大いなる伏線になっちゃったりするのか?


 ――ガチャ……


 などとくだらないことを考えていた矢先、先程まで閉ざされていた秘密の部屋の扉が御開帳なさる。

 眼前には必要最低限の物だけある殺風景な部屋が広がり、お世辞にも綺麗とは言えないようなこの空間は、まるでここだけ時間が静止しているかのようだった。


 誰も居ないのか……部屋中を見回しながら、そんなことを思っていたが、実際には最初から近くに居たようだ。オレがただ気付いていなかっただけ。まあ、無理もない。何故ならこの部屋の主は――


「……さっきから……うるさい……」



 ――それはそれはお人形のように可愛い小さな……女の子だったからだ。

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