第37話 大切な人の身を案じ、己が心に暗示する
雨――
天から絶え間なく降り注ぐ数多の身を知る雨は、まるで悲しみを呼び起こさせるかの如く屋根に叩きつけられ、その陰鬱さと共にレイチェルの意識を覚醒させる。
「ここは……?」
レイチェルは起きようとするが、体が凝り固まっているかのように上手く動かせない。寝たままの姿勢で顔だけで横を見ると、打ち付けられた雨で水滴だらけになっている窓が目に入る。
空は雲に覆われ影を落としている……
「どこなの……?」
辺りを見回す……必要最低限の物だけが置かれている小ぢんまりとした部屋……そんな印象だった。
自分の部屋ではない……そんな違和感が徐々に……徐々に……レイチェルの記憶を蘇らせる。
――強く生きてね……レイ……――
その言葉が脳裏によぎった瞬間、横たわった体を無理やり動かしベッドから降りると、即座に走り出して近くにあった階段を駆け下りる。
「お婆……様……」
レイは目の前に見知った背中があって安堵するが、その服装はいつもの高貴なドレスではなく、淡白で飾り気のないうすいグレーのワンピースであり、美しく束ねられていた銀色の長い髪も今は何処か纏まりがなく、幾分かの違和感を感じさせた。
「あぁ……レイ。起きたんだね。もうすぐ朝食ができるから、ちょっと待っててね」
ガイアはなるべくいつも通りに接する……いつも通りに。
「……お母様は?」
「………………」
「お父様は……どこ……?」
「………………」
背を向けたまま沈黙するガイア。
かける言葉が見つからない。
聞かれることなど分かり切っていたはずなのに。
それでもいざ言われると……言葉が出ない。
だが選択肢などはない……言わなければ。
現実と向き合わせる……それ以外には……もう。
「……レイ。あの子たちは……もう――」
「嫌ッ! 言わないでッ! もう……分かったから……」
「……レイ」
レイチェルはその言葉を最後に部屋に戻って閉じこもってしまう。
ガイアは振り返り、その後を追いかけて扉を開けようとするが――
開けられなかった……
鍵など掛かっていない……そもそも備え付けられてもいない筈だが、その扉はまるでレイチェルの心を映し出すかのように幾千もの錠が掛けられているようだった。
ガイアもまた……勇気が出なかった……向き合う勇気が。
「レイ……? 朝食……食べないと元気が出ないよ?」
「……ごめんなさい……お婆様……食欲ないの……」
「そう……じゃあ、扉の横に置いておくから……食べたくなったら食べなね?」
きっと時間が解決してくれる……それまでずっと一緒にいる……それからだってずっと一緒にいる……たった一人の愛する孫娘のために。
そう決意するガイアはレイチェルの扉の前を後にした。
◆
雨――
どうにも受け入れがたい現実にレイチェルは呆然とする。
本当にもう居ないのか? ひょっこり帰ってきてくれるんじゃないか? そんなことばかり考えてしまう。
部屋の外の廊下からは足音が聞こえ、扉の横に食器を置く音が聞こえる。
空は雲に覆われ影を落としている……
◆
雨――
まだ実感がわかない。
髪の毛が少し伸びてきた。
部屋の外の廊下からは足音が聞こえ、扉の横に食器を置く音が聞こえる。
空は雲に覆われ影を落としている……
◆
雨――
天と呼応するかのように、その瞳からは絶え間なく雨粒が零れ落ちる。
髪の毛が大分伸びてきた。頬は痩せこけている。
部屋の外の廊下からは足音が聞こえ、扉の横に食器を置く音が聞こえる。
空は雲に覆われ影を落としている……
◆
雨が上がる――
頬を伝う水滴も枯れ果てた。
髪の毛は床まで伸びてボサボサ。頬はより一層痩せこけ、体は痩せ細る。
部屋の外の廊下からは足音が聞こえず、扉の横に食器を置く音も聞こえない。
心が暗雲に覆われ始め影を落とす……
上手く動かない体をゆっくりと動かし……
部屋の扉を開け、恐る恐る階段を降りていく……
「お婆様……?」
下まで降りるとそこにはレイチェルと同様に瘦せ細り、倒れているガイアの姿が目に入った。
「お婆様⁈ 何で⁈ どうしてこんな……」
レイチェルは駆け寄り、ガイアを抱きかかえる。
「あぁ……レイ……久しぶり……ごめんね……食事……持っていけなくて……」
「こんなに痩せて……まさか⁈」
ガイアはゆっくりとレイチェルの頬まで手を伸ばし、優しく撫でながら微笑む。
「レイだけに……辛い思いは……させないよ……だから……」
「だから……何も口に入れなかったの⁈ そんな……私の所為で……」
床には用意していた食事が散らばっているのが目に入り……
「お願い……! 食べて? 私も食べるから!」
レイチェルはそれらを手に取り、己が口に運ぶが……
「ごほっ……! ぐふっ……!」
久方ぶりに食事をした所為か、咳き込んでしまう。
「ふふ……ようやく食べてくれたね……? おいしいかい……?」
「うん……美味しいよ……? ごめんね……お婆様……だから食べて……ね?」
レイチェルはテーブルの上に置いてあった食事を手に取り、ガイアの口にゆっくり運んでいく。
その間レイチェルは何度も「ごめんね……ごめんね……」と泣きながら謝り、床に落ちている方の食事も綺麗に食した。
食事を終えたガイアに肩を貸し、部屋まで送ってベッドに寝かせると、レイチェルは部屋に戻った……そしていよいよ決断の時を迎える。
「……このままじゃ駄目ッ……! このままじゃ……でもどうすれば……」
ふと、小さな化粧台の上に置いてあった白い花の髪飾りが目に入る。
誕生日プレゼントで貰った髪飾り……それを見つめながら手に取ると……
「お父様……私……勇気が出ないの……だから……私に力を貸して……」
レイチェルはまるで願うかのように目を閉じ、その髪飾りを額に押し付け……
「私は全て捨てたって構わない……ただ……大切な人を守りたい……」
強く握りしめる。すると――
その『想い』に呼応してか髪飾りが光り出し、光彩陸離の如く部屋中を包み込む。
そしてレイチェルは大切な人のため、言い聞かせるように己が心にその願いを映し出す。
「お父様のような……強い男に――」
◆
晴れ――
天と呼応するかのように、その心は透き通っていた。
部屋の外の廊下からは足音が聞こえ、扉を叩く音が聞こえる。
「レイ……? 朝食ができたよ……」
しばらく待つが返事がない……
だが目の前の扉には、かつてのように幾千もの錠が掛けられている……と言ったような印象はなかった。
ようやくお互い向き合う勇気が出たのだと……そう思ったガイアはゆっくりと扉を開ける。
「レイ……?」
そして声をかけると、そこには――
「おぉ! 婆ちゃん! おはよう! 俺も今、起きたとこなんだ!」
「え…………?」
髪をバッサリと切り、服装もまるで男の子のような……そんな愛してやまない筈の孫娘……とは何処か雰囲気が違う存在がそこにはいた。
過去を巡る旅は此処で幕を閉じる――
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