第18話 令和十七年 帰還
修生を筆頭としたあちらの世界からの帰還者たちは、少しづつ語り始め、人類にあちら側の世界を明らかにしていった。
彼ら帰還者の語るあちらの世界は、剣と魔法、人に害をなす魔物と人の戦い、完全なるファンタジーの世界だった。
今の地球に暮らす人々の中で、ファンタジー世界にあこがれを持つ人は少なくない。映画やアニメ、ゲームによってその世界観は万人の知る常識となった。
だがしかし、その世界で実際に生きてみたいとまで思う人間は、決して多数派ではない。
異世界転生は今でも多くの大人にとっては、子供向けのお伽噺というイメージが強い。
そして大切なのは、実際に異世界に飛ばされてファンタジー世界で暮らしてみたいかと問われれば、多くの人は、NOと答えるという事実だ。
なぜならば、あちらの世界には現代文明と呼べるものが何もないからである。
電気もガスも水道も無い。パソコンもスマホもテレビもラジオも無い。車も電車も飛行機も無い。牛丼チェーンもラーメンチェーンもお洒落なブランド服も無い。
現代人の中で、本気であちらの世界を受け入れられる人がどれだけいるだろうか。誰が好き好んで、そんな科学文明のない世界に行きたいと思うだろうか。
帰還した彼らは言う。
「あちらに行った人たちは、そういう心の面で言えば、パニックになって絶望で泣き叫ぶ、なんて人は私は見なかったし聞かなかった。だから、もしかしたら、そういう心の適応力みたいなものも、選別の対象になっているのかもしれない。善の心とは別に。」
「あちらの世界にも街はあってちゃんとした文明もあるよ。ただ電気やガソリンが無いだけさ。そんなのはこっちの世界だって、普通にそういう生活をしている人は多いよ。山の上で暮らす少数民族とか、アマゾンの奥地で暮らす民族とかさ。俺だって小さな山小屋でひと夏を過ごした事が何回もある。やってみればいいよ、夏ならめったに死なないから。」
彼らの共通点は、スマホが無いことに絶望しない人種。コンビニが無いことに困らない人種。他者に依存せず、自分の力だけで人生を切り開く力を持っている人種だった。
共通点が分かってくると、謎の解明に近づく。人々は神隠しという謎現象に怯えなくなっていった。
人々が神隠しについて最初に抱いたイメージの、悪魔に消されるといったイメージは帰還者たちの語る物語によって消えていった。しかし、悪魔に消されずとも、ほとんどの人はこちらの世界のほうがいいと思っていた。
環境破壊が進み、汚染や山火事や洪水が頻発しても、各地で暴動が発生し、それを政府が武力鎮圧しても、作物の不作が続き、食べるものが無くても、伝染病で周りの人たちがバタバタと死んでも、それでも、こちらの世界のほうがいいと思っていた。
しかし、一部の弾圧を受けている少数民族や、中東の政治不安が続く国の飢餓から抜け出せない人々は、絶望の沼の中で、少しづつ異世界に希望を抱き、神に祈りはじめていた。
祈りはじめた彼らは、日々神に祈りを捧げ、宗教を深く学び、サバイバル術を学び、体を鍛え、心を鍛え、正しく生き、自らの善を磨いた。嘘をつかず、誤魔化さず、騙さず、嘲らず、盗まず、殺さず、自分が善であるために考え、善であることを目指した。
修生の作った「異世界転生研究会」も、しだいに宗教色を濃くしていった。修生はそのサロンに参加したメンバーに仏教を説いていった。
隠れ家のある諏訪湖の周りには古い寺が多い。そしてほとんどの寺は毎年来る台風によりダメージを負っていた。
修生はボランティアを募り、寺の修繕に走り回った。そして寺との縁ができると、お堂をお借りしてサロンメンバーと仏教を学ぶ会を開いた。
修生の開くサロンメンバー限定の仏教勉強会は非常に好評で、サロンメンバーの人数は増え、勉強会の参加者もみるみる増えていった。
修生は、そんな活動をしながら少しづつ小説を書きすすめた。
修生の連載小説はゆっくりと話が進み、小説の中で修生はクコ様と出会い、お互いに惹かれあい、恋に落ちていった。
修生たちはパーティーを組み、世界を旅した。パーティーメンバーは六人だったり九人だったり、出会いや別れ、死を乗り越えて世界を旅していった。物語は修生とクコ様を中心にして描かれていった。
ある時立ち寄った大きな城の見える城下町で、クコ様は陛下と再会した。
陛下はその街で、城に住む国王と交流を深め、この世界のことを学んでいた。
クコ様は陛下との再会を喜んだ。クコ様は陛下に、旅の土産話をしてさしあげた。それは長い長い冒険の話だった。
修生たちのパーティーは、陛下のいる城下町に腰を落ち着けることにした。その時、クコ様のお腹の中には新しい命があった。修生たちは街の中で家を借り、そこで子供を産んだ。二人の子供は男女の双子だった。
修生とクコ様の夫婦は双子の子育てに奮闘し、時間があれば街の近くの迷宮に潜り生活費を稼いだ。
月のない夜にはモンスター達は活動範囲を広げた。彼らは人間の住む街の近くにまで出没し、冒険者たちはそれらを討伐した。
夫婦の子育て奮闘記もモンスター討伐記も、連載小説は概ね好評だった。
修生の連載小説の中で、二人の子供が十歳になったころ、現実世界での正月が来た。
令和十七年一月二日
令和十六年の陛下と玖子様が消えた一般参賀からちょうど一年。新年の一般参賀の日。
陛下と玖子様の不在の中、壇上に皇族の方々が現れた。そして、ずらりと並んで国民に手を振る皇族の方々の、二ヶ所に不自然に空いたスペース。生放送のテレビカメラはその誰もいないスペースばかりをズームした。
一年前に陛下と玖子様が立っておられた場所。お戻りになると皆が信じて空けられた場所。
はたして、陛下と玖子様は、日本国民が固唾を飲んで見守る中、見ている皆がまばたきをした瞬間、一瞬錯覚にとらわれたかのように感じるほどの刹那、お姿が壇上に現れたのだった。
日本全土が歓声に包まれた瞬間だった。
玖子様は消えた時と同じお姿で突如、壇上に現れた。陛下はその三秒後、少し若返ったお姿を観衆の前に見せられた。白かった御髪は黒々とし、お顔に刻まれたシワの数は減っているように見えた。
お二人は少しの間ふらついたご様子が見受けられたが、一分ほどでご自分の足でしっかりと立つまでに回復され、目の前の集まった日本国民に大きく手を振られた。
そして、決して大きくはない声で、短い帰還の挨拶をされた。
「どうやら、ここは日本のようですが、あれから一年が経ちましたか?」
「まさしく一年でございます」
陛下の問いに、皇后さまが涙ながらにお答えになり、陛下の手を握られた。
「仮説は正しかったのですね。私たちは、だいぶ得をしましたね、玖子さん」
「そのようですね、陛下」
「他の帰還した方々のように、あちらで何十年もお過ごしになられたのですか?」
「ええ、それはそれは楽しい時を過ごさせてもらいました。長い間、日本を留守にしてしまい申し訳なかったね、変わりはありませんか?」
「はい。日本は変わりなく、そして世界も変わりなく」
皇后さまのその言葉に、陛下も玖子様も何度かコクコクと頷いた。二人は察する。日本は、なんとかギリギリで平和を保っている。そして世界は緩やかに終末へと加速を始めている。皇后さまのお言葉にはそれだけの意味が含まれていた。
「日本国の皆さん、ただいま帰ってまいりました。そして、新年あけましておめでとうございます。皆さんの今年一年が良い年であるよう、祈ります」
「少しお休みください」
「そうさせてもらいます」
一般参賀の時間は大興奮のうちに幕を閉じた。
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