第14話 令和十四年 相模原
今から二十年ほど前、令和十年ごろにその現象は始まった。
世界各地で人がこつ然と消えるという謎の事件が頻発したのだ。
通常であればそれは、行方不明者として警察に捜索願が出される現象だ。
出かけた人が戻ってこない、ある日突然に社員が会社に出社しなくなった、アパートに行っても誰もいない等々、行方不明者として警察に届け出のあるパターンは決まっている。
しかし令和十年から始まったその現象は、周りに友人や知人がいる状態で、人がその空間から突然消えた。こつ然と、そもそも最初からそこに誰もいなかったかのごとく。
その現象は世界中で起こり、日本でも神隠し事件としてワイドショーを賑わせた。
その年、警察に届け出のあった行方不明者の中で、神隠し現象として書類に記載された件数は百件を超えた。日本での年間被害者は百人を超えたことになる。
そして日本以外の国々でも神隠しは発生し、被害者数の合計は世界で千人を超えた。
その現象は、翌年にも収まることはなく、二年目の令和十一年には神隠し被害者は日本だけで、年間二百五十人を超えた。
世界各国でも神隠し現象の被害者は増加した。外国では治安の悪い国ほどその届け出された人数は多かったが、そのような治安の悪い国では、しばらくして遺体が発見され、殺人事件へと切り替えられることも多かった。
その翌年、令和十二年には、日本での神隠し被害者の年間人数は四百人を超え、世界での年間被害者の合計は五千人を超えた。
警察は原因究明に必死になったが、何の手がかりも得られなかった。同時にワイドショーでも学者の間でも、連日のように大きな議論が巻き起こり、なんとか解明をしようと手がかり探しに躍起になっていた。
ヒントが何もないわけではなかった。
行方不明者を調べていくと、そこには手掛かりと呼べるものが、確かにあった。
それは、行方不明者の職業の偏り、性格的タイプの偏りだった。すなわち人格的選別。
職業で言えば、神職、宗教関係者が一番多かった。次に武術家、格闘技選手。
他にも音楽家、ダンサー、農家、医療関係者など、職業は多岐にわたっていたが、周りからは傑物であると評価されている人物が多かった。一つのことに長年、真面目過ぎるほど真面目に取り組んでいる人物だ。
品行方正、その言葉がしっくりくる、現代では珍しい人たち。
その分析結果に世界中の人々は困惑した。真面目な人ほど消されてしまう謎の現象。
神隠し現象によって消えた人たちは、死んでしまったのか、それとも異次元か何かに囚われてしまったのか。学者たちも神隠しの起きた空間に何かヒントが残されていないかと、様々な機械を持ち込んで調査を繰り返した。
消えた瞬間を監視カメラが捉えた映像もあったが、その映像をコマ送りでひとコマひとコマチェックすると、人の体がひとコマで完全に消えているのが確認できた。
その消えた瞬間には風も吹かず、まるで最初からそこには人なんていなかったかのようだった。人の体のあった場所は真空になったりせず、その空いた空間を空気が満たしていた。
人が消える時には、身に着けた服も貴金属も一緒に消えた。旅行に行く途中で駅構内で消えた人は、背中に背負ったリュックと肩に掛けたカバンは一緒に消えたが、引きずっていたキャスター付きのトランクは消えなかった。
ここまでの結果から、科学者たちの多くはお手上げ状態になった。この現象は科学的な物理現象ではないということがハッキリと解ったからだ。
それはいわゆる、SF映画などに登場する超能力、すなわち人間に都合のいいご都合主義のテレポーテーションだった。
だがしかし、科学者という人々は、現在の科学で説明のつかない現象に、大いに興奮する。
それがまだ、誰も研究していない状態で、世界中が大注目で、解明されるのを今か今かと待たれているのであれば、人々が期待を高めているのであれば、科学者のテンションはマックスに跳ね上がり、やる気は燃え上がり、瞳の中を覗けばそこには燃える炎が見えるほどだった。
しかしながら、ランダムに起こるこの現象を機械を据えて待ち構えることもできず、少ないヒントを頼りに、様々な薄っぺらい論文だけが飛び交った。
科学者は残念ながら、なかなか神隠し事件の解明にはたどり着けなかった。
令和十四年 相模原
九月にしては少し涼しい日だった。
カチカチとウインカーを出して車をセレモニーホールの駐車場に入れると、そのまま裏口のほうに走らせた。ぐるりと建物の裏まで走らせると、セレモニーホールの係りの女性が真っ黒いスーツで手を上げている姿が見えた。手には真っ白な手袋が、太陽の光を反射していた。
案内に従って車を停め、修生は車を降りた。
すると遠くから「しゅーせー、しゅーせー」と声がした。見ると建物の裏の喫煙スペースから小走りで走ってくる男がいた。黒のスーツに黒のネクタイ、黒い革靴を履いている。
「悪いな、修生」
「いや、親父さんには昔から世話になってたからね。本当なら私じゃなく父が来なければいけないんだろうが、どうしても他と重なってしまって、悪いけれど、私で勘弁していただきたい」
「何を、ぜんぜんこっちは気にしてないよ。俺は修生で嬉しいよ、元気そうだな」
「いやいや、そちらも。まあ、精いっぱい経をあげさせていただくんで、元気だしてな」
「へこんじゃいねーよ別に」
そう言って小学校からの旧知の仲である中村は笑った。そこへ後ろから小太りの女性がちょこちょこと駆けてきた。小さなころから見知った顔だ。
「まあまあ、修生くんも立派になってー」
「お久しぶりです」
「今日は浄光寺さんは?」
「八王子のほうに行ってます。すいません自分で」
「なにもなにも、正一の同級生がお経をあげてくれるなんて、お父さんも喜ぶわよきっと」
「そう言っていただけると助かります」
「本当にねー、立派になってねー、急で申し訳ないけどねー、よろしくお願いしますね」
「まあまあ、母さんそろそろ行こう」
「ではまた、後ほど」
三日前
「中村さんのところの正造さんが亡くなって、二十六日が葬儀なんだが、堀内さんのところと重なってしまってな。お前、中村さんのところの正一君と同級生だったろ?」
「ああ、正一君ね。同級生ですね」
「通夜は私が行けるから、葬儀をお願いできるか?」
「はいはい、場所は?」
「城山の、あの農協さんの近くに出来たセレモニーホール」
「ああ、あそこか。わかりましたわかりました」
「じゃあ、頼むな」
「はいはい」
寺の子として生まれた修生は、僧になった。もちろん思春期は多少なりとも自分の人生について色々と夢を描いてみたりもしたが、体に染みついた経のリズムは、自分が死ぬまで経を読むという未来に違和感を感じなかった。
僧としての最終目標は、自分が仏になることだ。なれるかどうかは死ぬまで分からない。死んでみなければ分からない。
だが若き修生が僧というものを深く考え、僧という人生を深く考え、その遥かな道のりを自分自身の事として感じた時、ひとつ最初の「さとり」を感じた。
今がスタートだ。仏への道のりの、僧としての人生の、今がスタートだ。ヨーイドンが聞こえた気がした。ここから死ぬまで、自分が死ぬまで、どれだけの徳を積めるか、その徳を積むゲームのスタートなんだと深く感じた。
正式な僧になった修生は、修行と称して日本各地を旅して周った。山があれば登り、滝があれば打たれ、寺に一宿一飯を求め、境内の掃除や庭木の手入れなどで恩を返した。年配の住職の寺などは、庭の雑草や建物の傷みなど、こまごまとした雑用仕事も多く数日そこに留まった。
「悪いねえ、お恥ずかしい限りですが、よる歳には勝てないもんで、体がいうことを聞かんもんで」
「いえいえ、とんでもございません。これぐらいはさせてください」
そんなやり取りが常だった。
修生の働きっぷりに、奥さんが特大のトンカツを用意していた時などは、顔に微妙な表情が出てしまったが、そこは自分の修行の足りなさと不徳を反省した。
「わがままを言うようで大変申し訳ないのですが、なにぶん修行として旅をしております。いただく身分で申し訳ないのですが、出来れば精進で、少量で」
そんな文言を付け足すようになった。それでも焼き鮭や肉じゃがは出てくるのだが、それは有難く、命に感謝して頂くことにした。
そんな修行の旅をつづける修生も、盆や彼岸には実家の寺に帰り、実家の寺の手伝いをして走り回った。檀家さんの家を回り、年末には大掃除を手伝い、正月には寺から百メートルほど離れた神社でお守りとお神籤を売った。
そんな修生が三十歳になった夏だった。令和十四年九月二十六日、修生は神隠しにあった。
修生は経を読んでいた。木魚を鳴らし、鐘を鳴らし、経を読んでいた。
経の最後、修生はいつものように鐘を何度も鳴らす。
「チーーーーン、チーーーン、チーーン、チーン、チンチンチンチンチン、チーーーーン」
鐘の音がセレモニーホールに響き渡る。その音を聞きながら手を合わせ、深く頭を下げる。葬儀の参列者もそれに合わせて手を合わせ頭を下げる。
参列者が頭を上げた時には、修生は消えていた。
修生は、座布団のへこみを残して消えていた。
修生は神隠しにあった。この世界から存在が消えた。
一年後
令和十五年九月二十六日。
修生が消えたセレモニーホール。その日は友引で、セレモニーホールは休みだった。
じりじりと暑い日の夕暮れ、修生は消えた日と同じ派手な袈裟を着て、駐車場にポツンと立っていた。
翌日の準備で出社していたセレモニーホールの従業員が修生を見つけた時、修生は呆然と夕焼け空を見て立っていた。
その後、警察が来て、救急車が来て、とりあえず救急車で病院に運ばれた。
健康診断からの精密検査、CTスキャンや脳波測定まで受け、体のどこにも異常が無いことが確認されると、そのまま警察につれて行かれた。
警察で長い事情聴取を受けたが「まだ自分も頭が混乱している。夢と現実の区別がつかない感じで少し時間をいただきたい」そう言って家に帰らせてもらおうとした。
しかしそれは警察に止められてしまった。「今は外に出ないほうがいい」警察官はそう言った。
警察署の外にはウワサを聞きつけた報道陣が詰めかけていた。神隠しから帰った人がいるらしい、それは瞬く間に世界的ニュースになっていた。
「留置場なら泊ってもいい。もちろんカギはかけない」
修生はその言葉に甘えることにした。
留置場の寝台に横になり、天井を見ながら霞がかかった意識を回復させるように努めた。
翌日
「と、いうことはだ。ここまでをまとめるとだ。どこか他の国、あるいは他の世界に行った。そしてそこで、悪いモンスターやらなんやらをたおし、街を守って何十年も暮らしたような気がする。結婚もした。こちらから消えた人々にも会った。何人かは戦いで死んだ。そういうことでいいのかな?」
「すみません。いま思い出せるのはそんなところです」
「なるほど。そして夢かもしれないと」
「はい。夢なのか、映画か何かで見たものなのか、リアルな夢のような、すみません、ぼーっとする感じがどうしても抜けなくて」
「はいはい、まあいいでしょう。とりあえずはこんなもんでいいでしょう」
「すみません」
朝からの事情聴取は昼休憩を挟んで三時まで行われた。昨日からの取り調べ係の人の他にも、何やら偉そうな人が数人、物珍しそうに覗きに来ては去っていった。
「それで、どうします?」
「というと?」
「このままマスコミの待ってる正面玄関から家に帰るか、裏口から帰るか、留置場でもう一泊するか」
「あーそうでしたね。困りました」
「夜中に裏からこっそりっていうのがお勧めですがね、ただ浄光寺さんにもテレビは行ってましてね、お寺さんの前から生中継されてましたわ。ワイドショーもニュースもあなたの話題でもちきりですわ」
「夜中にこっそりでお願いします」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます