第12話 令和三十年 千歳

 人類は温暖化に対抗するため、世界中で日夜、温暖化改善策の研究が進められている。日米欧印でも共同で実験が繰り返され、地球の崩れた大気バランスの改善が試みられている。


 日米は国土にあるほぼ全ての湖に、光合成能力を高めた藻の二酸化炭素吸収プラントが浮かべられ、空気中の二酸化炭素を吸収し、酸素へと変換している。

 原始の地球と同じプロセスであり、比較的安価で行えるこの対策は、多くの発展途上国にも普及している。


 より高度な科学的プロセスの、大気を吸い込んで二酸化炭素を特殊素材に吸着させ、二酸化炭素だけを取り除くシステムも稼働中ではあるが、コストが高く、その割には効果は少ないのが現状だ。ゴミ処理場施設などにはこのシステムが使われている。


 そのような触媒を使う二酸化炭素対策は、各国、各方面で地道な努力が重ねられている。


 しかし多くの国では、自国の食料や経済を支えるために、いまだに農業の耕運機や物流トラックや漁船はガソリンで稼働している。二酸化炭素排出量よりも、明日の食料のほうが大切なのだ。当然のことながら。



 そして農地の確保、木材の確保のための森林伐採も問題になっている。

 日本は、外国からの安い木材の輸入減少によって、国内の杉山の木がやっと使われるようになった。杉山だらけの日本では、コスト問題さえ解決すれば木材には困らない。

 各地の杉山は、伐採が終わると雑木林の復活を目標に、多種多様な木が植えられた。幹線道路に近い立地の良い土地は、新開発した花粉の極めて少ない杉と檜が植樹され、それは未来の木材として大切に育てられることとなった。

 日本では農地のために新しく森を切り開くことは、あまり行われていない。


 しかし他国では未来なんて気にしていられなかった。

 そして現在でも、食料不足を打開するべく森が切り開かれ、そこを新しい畑としていた。



千歳


「この辺りは活気がありますね」

 修生たちは北海道の千歳に来ていた。千歳空港の近くで車を借り、千歳市内まで走ってきたのだが、北海道特有の広い一直線の二車線道路は車で渋滞している。


「日本の食料は北海道が支えていますから」

 助手席に座る光鈴が、運転席に座る修生に答えた。車から見える歩道には、東京よりも多くの人が歩いている。


「北海道は過ごしやすい気候ですね」

 後ろの席で窓の外を眺める福龍が窓を開けた。車内に涼しい風が入ってくる。西日本に比べて圧倒的に湿度が低い風だ。カラッとした風が気持ちいい。


「ナビによると、到着まで四時間だそうです。この分だともっとかかるかもしれませんね」

 光鈴がナビで抜け道を探しながら言った。

 三人は今から、平野の外れにある禅寺に向かう予定だ。

「抜け道ってあります?」

 修生がナビをいじる光鈴に聞く。

「抜け道というか、北海道の道ってキレイに碁盤の目なので、大回りすればというか、畑のほうを走れば渋滞していませんけど、時間はそれほど変わらないかもしれません」

「どうしましょうかね」


 気分転換で修生もパワーウインドウのボタンを押した。モーター音と共に窓が開く。修生は何げなく隣の車を見る。隣の車線には黒塗りの高級車がいて、その車の後ろの窓が修生の横にある。そしてその窓は、開いていた。

 窓の向こうの、高級車の後部座席に座っている人物と目が合った。


「げげっ!」

 修生は条件反射で声を上げてしまった。そして慌てて目をそらす。さらに窓を閉めるためにボタンに手を伸ばす。


「あらー、修生さまじゃないですのー!」

 修生は残念ながら、その人物に気付かれてしまった。

「これはこれは、クコ様、お久しゅうございます」

 修生は観念して言葉を返した。


「何ちょっと、よそよそしいじゃない、照れてるのかしら?」

「いえ、けしてそのようなことはございません。お元気そうで何よりです」

「そちらこそー、ずいぶんなご活躍じゃないですかー、聞いてますわよ色々と、それに見てますわよ、色々とねー」

「いえいえ、恐縮でございます。そちら様に比べれば私など、ぜんぜんまったく足元にも及びません」

 気おされる修生とは対照的に、クコ様は窓から身を乗り出さんばかりに顔を出している。完璧にメイクされた美しい顔が太陽に照らされる。そして表情がコロコロと変わる。

「そちらさまに比べれば? そちらさまって何よ! ちょっと修生、そのよそよそしさ、まさか光鈴ちゃんに手だしてないでしょうねえ、光鈴ちゃーん、キャーかわいい、わたし光鈴ちゃんのファンなんだから、手出したら許さないからね!」

「そんなことしてませんよ! クコ様、僧に向かってそのような言葉はおっしゃらないでください」

 修生はタジタジになっている。


「なんか怪しいわね、まあいいわ。それで、北海道で何してるの?」

「いえ、ちょっとお寺の修行の様子などをちょっと、視察といいますか見学といいますか、様子見で色々と、まあ」

「ふーん、なんでそんなに必死に言い訳してるかんじなのか知らないけど、まあいいわ、あなたも色々と頑張ってるのね、わかりました。私はね、札幌でちょっとお仕事。ソビエト連邦の首相と会ってくるわ、じゃーねー」


 渋滞していた車が動き出し、二台の距離は大きく開いてしまった。


「はぁ~」

 開いた二台の距離を確認して、修生は大きく息を吐いた。車が流れ出し、黒塗りの車はどんどん先へと行ってしまった。


「相変わらず、お元気な方ですね」

 光鈴が助手席で言う。

「まったくです。昔より今のほうがパワフルです。私は変な汗が出ました」

 修生は袖口からハンドタオルを出して汗を拭いた。


「そんなに緊張なさらずとも良いのではないですか?」

「いや、そう言われましても、条件反射で体が勝手に、固まってしまうのです」

「なぜ固まってしまうのでしょう。一緒に暮らされてましたのに。奥様なんですから」

「元です。元嫁ですので」

「ふふふっ」

「おかしいですか?」

「修生様が動転されるのは珍しいので、面白いです」

「そうですか・・・」


 修生は自動運転を解除し、交差点を曲がり、大通りから一刻も早く離れることにした。


「そこを曲がったら五キロぐらいまっすぐです」

 光鈴がナビを設定しなおし、修生はハンドルから手を離した。

「地平線の向こうまで畑ですね、あっちは遠くに、あれは山でしょうか、森でしょうか、遠すぎて分かりません」

 福龍が景色を眺めながら言う。修生がそれに答える。

「畑に沿って一直線の林があるんですよね。私が若いころに来た時も、こんな景色でしたが、今は働いている人が多いですね」

 畑にはチラホラと人影が見える。軽トラの荷台に荷物を積み込んでいる姿も見える。


「皆さん頑張ってらっしゃいますね」

「このへんは無人の軽トラが、集荷場と畑を往復してるんです。すれ違う軽トラは無人のが多いですよね」

「本当ですね、今のも無人でした。あ、あれも無人ですよ」

 光鈴の言に修生が驚きを露にする。

「北海道は、街も畑も、道が碁盤の目で単純なので、無人運転は令和十五年ごろからだったでしょうか、かなり昔から採用されています」

「そうでしたね、すごいですね」


 車は街を離れ、平野を離れ、山道に入った。


 目的地の禅寺は山道を三十分ほど走った所にあった。山道と言っても、この辺りは林業が盛んで切り出した木材を運ぶ大型トラックも多い。当然ながら道幅も大きく取られている。


 車のナビが「目的地に到着しました」と告げた。空は赤く染まり、太陽は沈みかけている。

 寺の駐車場は車が三十台ほど停められる広さで、数台の車が停まっていた。駐車場の横には大きな墓地もあり、墓参りに来た人もこの駐車場を使う。

 修生たちは乗ってきた車をその駐車場に停めた。横には山の上に向かう石階段がまっすぐに伸びている。三人はその石段を上った。


 石段をのぼった上には、広々とした畑が林の木々に隠れるようにあった。畑には区画ごとに違った野菜の葉が見える。その畑の真ん中を突っ切るように、石畳の道が奥に見える大きな寺まで続いていた。


 寺の入口の山門の前には、二人の僧侶が立っていた。山門には寺の名前と、その横に小さく「異転会」と書かれている。


「お待ちしておりました。お久しぶりでございます」

「これはこれは、御住職もお元気そうで何よりでございます」

 修生と住職が手を合わせて挨拶を交わした。

「副住職もお元気そうで」

 福龍の挨拶に、副住職の男は無言で手を合わせて頭を下げた。


 この禅寺には、七十を越えた住職と四十前半の副住職がいる。この禅寺は二人で管理している。

 副住職は剣術と古武術の使い手で、この寺で修行する方々に、剣術や棒術を教えている。福龍はトンファーやサイの使い手で、二人は今まで何回も稽古で手合わせをしている。


「風も冷たくなってきました。ささ、中へどうぞ」

 住職の言葉に三人は山門をくぐった。

 寺の中には読経の声が響いていた。奥に進むと、お堂では十人ほどが経を読んでいた。仕事帰りの人が多く、半数以上が普段着で正座している。

 この寺はサロンメンバーであれば誰でも体験ができ、修行もできるが、修行と聞いて一般の人が思い描くような、ハードな修行はしていない。昼間は会社や畑で働き、夜だけ心を落ち着けに寺に寄る人も少なくない。

 お金に余裕のある人は、修行用の袈裟を買うことが出来る。


 昼は座禅、棒術や剣術の稽古、たまに山歩きや畑仕事もする。夜は読経、禅問答という名の雑談。仏教というものに触れる。仏教というものを考える。そんな場になればという想いで運営されている。


 修生たちは住職に連れられ、読経中の方々の迷惑にならぬよう、お堂の外の廊下を奥へと進み、お堂の奥にある別の部屋へと案内された。

 その部屋はかなり広めな炊事場で、きれいに改装されて、だだっ広いキッチンと呼ぶほうがしっくりくる。

 食器棚に囲まれて、部屋の中央には二十人以上が座れる木目がきれいな立派な木でできた長い机と、椅子が据えられていた。


「最近は、いかがですか?」

 修生たちは椅子に腰かけ、机を囲んだ。副住職がポットで茶を入れてくれた。


「皆さんね、真面目な方ばかりでね、夜はいつも十人前後ですかね、人は入れ代わり立ち代わりで、昼もですね、お仕事がお休みの方とかですね、土日はあまり関係ないですかね。あ、雨の土曜日なんかですと、人数も多くなりますでしょうかね、畑仕事もあまり出来ませんので、雨の日は多いんだと思いますですね」

 住職の言葉に三人は耳を傾ける。少し早口なのは変わっていないが、忙しいのだろうか、心の余裕を感じない。修生は相手のそんな心を読み取る。


「そうですか。お困りの事とか、問題ごととかは無いですか?」

 相手の心を落ち着けるように、少しゆっくりめで修生が返した。


「畑がたまに、動物に荒らされるぐらいですかね」

 住職が副住職の顔を見ながら答えた。それに副住職が話を続ける。

「変な奴も、たまに来ますが、防犯カメラもありますし、こちらもいざとなれば、対抗しますので、御心配には及びません」

 

「それはまあ、頼もしい限りですが、怪我などなさらぬようにお願いいたします。それと警察沙汰も困りますので、どうか穏便に、収められればですが、穏便にお願いいたします」

「承知しております」

 武術を身に付け、体を鍛錬するのは良い事なのだが、どうしても驕りが顔や態度に出てしまうことが多い。それを出さぬのも修行のひとつだ。


「それで、最近はどうですか?」

 修生が姿勢を一度なおしてから住職に聞いた。


「ふた月ほど前にですね、女性がおひとりですね、山歩き中に消えました」

「それはそれは」

 光鈴が女性と聞いて少し嬉しそうに返した。


「それとですね、二週間ほど前でしょうか、旦那が消えたと、奥様から報告がありました」

「ご夫婦でこちらの寺に?」

「はい。ご夫婦でよく来られてましたですね。今も奥様は、お堂のほうで読経されてます。旦那に負けてられないと言って、日々励んでおりますです」

 お堂の読経の声はキッチンにもよく聞こえている。


「あ、もう終わりますね」

 修生がそういうと、鐘の音が数回、最後を締めくくった。そして最後の金の音の響きが消えると、先ほどまで読経が響いていた寺を、静寂が包みこんだ。




「皆さま、ご苦労様でございます」

 修生たち三人がお堂に現れると、読経を終えた皆が驚きの表情で三人を迎えた。口々に、驚きの声を発し、どよめきとなってお堂を包んだ。

 そのどよめきが収まるのを待ってから修生は口を開いた。


「皆さま、そのままで結構ですよ。どうぞ足を崩してください」


 修生を前に立ち上がろうとする人が数名いたが、足がしびれて立ち上がれなかったからだ。

 修生は皆に立ち寄り、床に膝を折った。


「旦那様があちらに行かれた方のお話を伺いまして、奥様はどなたです?」

「私ですー」

 思いのほか若い女性だった。

「おいくつですか?」

「もう二十七で、今年で結婚して五年ほどになります」

「お子さんは?」

「まだでして、そろそろとは思っていたんですが、夫が消えまして、できれば私もと思っております」

 女性はお願いをするように修生に手を合わせた。


「だいじょうぶですよ、あなたが正しくあれば、こちらが望もうと、望むまいと、心の準備が出来ていようと、出来ていまいと、その時は来ますからね。自分の中にある正しさを強く持って、善の心を強く持ってください」


「善の心を強く。ありがとうございます。精進いたします」

 女性は手を合わせ、深く頭を下げた。


「はい、私たちも見守っております」


 修生たちも手を合わせ、その場の全員が頭を深く下げた。


 次に皆が頭を上げた時、女性は消えていた。床に主を失った座布団だけがあった。


「行かれましたね」


 修生の言葉に、皆が状況を飲み込むのに数秒かかった。そして再びどよめきが寺を包んだ。



 

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