第10話 令和三十年 台中

 先進国の経済は虫の息だった。


 令和二年のパンデミックのダメージが回復する前に、次の自然災害や新しい伝染病が現れ、コロナウイルスから長年続く世界経済の衰退は、当然ながら途上国の経済にも影響を及ぼしていた。


 先進国の下請け、孫請け企業のような役割を担っていた国々は立ち行かなくなり、米中日欧はそれらの国々に援助の手を差し伸べ続けた。


 南米大陸の国々は北米の手助けで生き延びていたが、米の支配力は増大を続け、その増大っぷりは北も南も大陸ごと合衆国になりそうな勢いだった。


 EUは内部の国々の問題と、それを取り巻く国々と、援助の手を差し伸べたアフリカの、かつてヨーロッパの植民地だった国々との移民難民問題は、あまりにも複雑に絡み合い、決して解けない知恵の輪のようになって、事態は硬直したまま方針の定まらない論争が続いた。


 対照的に、インドの西、中東の国々では各地で動的な小競り合いが多発した。

 小さなパンを奪い合う小競り合いが最終的には部族、民族同士のゲリラ戦、ロケットランチャーや榴弾砲の撃ち合いにまで発展した。その発射された榴弾砲はお互いのパン工場を破壊し、ロケットランチャーはお互いの食糧倉庫を破壊した。


 アジアでは、台を日本に取られたとする中心大帝国との緊張が続いていたが、九州から沖縄、台までの一直線に伸びた日本の領海と、そこを警備する日米艦隊との衝突を避けた中帝は、やはり海洋資源が欲しいようで、経済水域を持つベトナム、タイ、マレーシアへと支援の手を伸ばした。


 実は中帝は既にアフリカの国をひとつ植民地化することに成功していた。

 経済投資で巨大な港を作り、鉄道網を作り、自国企業の畑や農場や食品工場を作り、労働者を大量に送り込んだ。現地に定住させ、国籍を変え現地国民となった彼らは役人となり、国会議員となった。

 国をひとつ丸ごと、中帝の自由に動かせるようにしたのだ。

 その手法には国際社会から非難の声が上がっていた。


 ベトナム等の国へと伸ばした支援の手の裏には、この手法が明らかなものとして見えていた。


 しかし、暖かい土地で海洋資源も豊富なベトナムなどの国々は、それほどひっ迫した状態にはなっていなかった。食料は豊富だったし、日本企業の出資する工場の多くは稼働中で、生産量は減少したものの、経済はまわっていた。日本の目も光っていた。


 中帝との契約書にサインする前に、日本に相談を。その言葉だけで途上国は感謝の念で涙した。日本は少し変わりつつあった。


 そんな日本の、新しく日本の国土となった台の扱い方に多くの国が注目していた。大日本帝国ではない現代の日本がどういう方針を取るのか、昔のように日本が世界へ覇権争いを挑むのではないかと、その可能性を危惧していた。

 日本人以外・・・。


 当の日本人だけは、その可能性をまったく気にしていなかった。


 当時の日本の首相は、海外マスコミからのストレートな質問に、きょとんとした顔でこう答えた。

「自衛隊とプラモデルしか持ってないのに?」



台中


 台の北西、斜めに長く伸びた台の海岸線の、その中央にある巨大な貨物港。

 陸から複雑な形に伸びた広大な埋め立て地には、コンテナ船から荷揚げするための巨大なガントリーと呼ばれるクレーンが並んでいる。今では港の賑わいは失せ、ガントリーは暇そうに遠くの海を眺めている。


 そんな台の港の中心部、古びた三ツ井アウトレットパークの横に新しく作られた広場には、白い一角獣、等身大ユニコーンが建設中だ。民間人の趣味によって作られるそれは、鉄鋼とカーボン、リサイクルされたプラスチックで作られる。完全変形で。


 日の入りから日の出までの夜間は変形して赤く発光する。足元で百人以上が手をつないで輪を作ると発光色が緑になるらしい。仕組みは発表されていない。

 製作は田宮海洋バンバン株式会社。変形機構に使うモーターは間渕モーターがプライドをかけて本気を出すらしい。


 二十メートルを大きく超えるその巨大プラモデルは、三十メートルの巨大アーチの下に組み立てられ、そのアーチから伸びる何本ものワイヤーで支えられる。


 北西の対岸に向かって立つ白いユニコーンのポーズは、大切な何かを守るように両手を広げる。


 製作過程は常に生配信されている。どこにも武器は入っていないし、手足の関節に動くような巨大モーターは内蔵されていない。フレームを覆う装甲がパカパカと動くだけ。変形時には手足が少し伸びるが、全ての設計図、組み立て手順はホームページに掲載されている。

 骨組みに鉄骨やカーボンは使っているものの、正真正銘、外側は壊れやすいプラモデルだ。ミサイルはおろか、ピストルの弾だって防げない。数発でプラスチックが割れてしまうだろう。


 核兵器を持たない日本の持つ力、日本の持つ戦争の抑止力。


 この考え方を理解してくれる外国の人は少ない。日本人だって現代でも賛同者は少ないだろう。


「それでも!」 あきらめない心、それは多くの日本人の心の中で芽生え、育っていた。



国立公園


「実物を見ると、ものすごく大きいですね」

 光鈴が見上げながら言った。


 三人は建造中のユニコーンを見に来ていた。

 作られて間もない日本の国立公園は、公式には白い一角獣用ではないが、中心に一角獣用にスペースが取られている。

 公園にはレンガ風のタイルがふんだんに使われ、低めの木がまばらに何種類か植えられ、小さめの噴水も数か所で水音を立てている。


「山下ふ頭のはもっと小さくなかったですか?」

 修生は娯楽を禁じた生活をしている。こういった日本文化には詳しくなかった。

「山下ふ頭にあるのはクロスボーンですね、F91の流れですから小さいんですよ」

 光鈴が修生の質問に答えた。


「クロスボーンは動きますね、歩いている映像を見ました。自分は昨年の映画も見ましたので、感慨深いものがあります」

 福龍は目を閉じて手を合わせた。


「これは動かないんですか?」

「残念ながら動かないんですが、変形してモードチェンジします」

「そうですか・・・」

 光鈴の説明にも修生はピンと来ていない感じだ。


「あのアーチで支えるのですか?」

「その通りです。上から吊らないと倒れてしまうらしいです」

「ですよねえ」

 もう支えるアーチは完成していて、何本もの細いワイヤーがユニコーンの黒いフレームに伸びている。


「ボディーというか、白い装甲なんですが、隣の三ツ井アウトレットの屋上で製作中らしいです」

「屋上?」

「ゴミの回収された大量のプラスチックを型枠に入れて、専用のプラスチック樹脂を流し込んで固めるんです。その固めた数千の大きなプラスチックパーツを、瞬間接着剤の東亜合成株式会社が専用開発のアロンガンマでくっつけてます」

「え?」

「三ツ井グループの本気を見せるそうです」

「屋上で?」

「塗装まで屋上でおこなうそうです」

「屋上・・・」

「はい、換気のいい所で」

「なるほど・・・」


 怪訝な顔で三ツ井アウトレットの屋上を見上げる修生に福龍が声をかける。

「きっと大丈夫です。予想を超える物づくりが日本の力です」

「心配はしてませんけどね、シンナーが気になっただけです」

「万が一、台風などで装甲が割れたら、すぐにまた屋上で作れるために、アウトレットの店員も制作に参加してるそうです」

「壊れる前提なんですか?」

「プラモデルですから」


 建設中のフレームを見上げる。恐ろしく高くに肩のフレームが見える。


「割れたら落下しません?」

「クレハのラップを表面に張るので、落下はしない計算です」

「呉羽化学は良い会社ですね」

「はい」


 公園の中、三人で首が痛くなるほど見上げながらそんな話をしていると、どこからか怪しげな男たちが集まってきた。修生たちはいつのまにか取り囲まれてしまった。


「私たちは日本人になるつもりはない!」

 修生の前に立った一人が台語で言った。


「なぜ私たちに言うんです?」

 福龍が修生の前に立ち、台語で言い返した。福龍の父は台人だった。

「お前、日本の有名な坊さんだろ! お前を倒せば、日本人いっぱい悲しむ!」

「私たちを倒したからって、現状は何も変わらないですよ?」

「やってみなきゃわからないよ!」

 二十人ほどの修生たちを取り囲んだ者たちが口々に何かを叫んでいる。


「私たちを倒したからって、台が切り離されるわけじゃない」

「そんなの、やってみなければわからないじゃないか!」

「日本がこうしなければ、台は中帝に取り込まれていた。それを一番恐れていたのはあなたたちではないのですか?」

「俺たちは恐れてなかった!」


 会話は全て福龍に任せ、修生は後ろで彼らのイラ立つ表情をじっと見ていた。横で光鈴が修生に小声で通訳をしていた。


「あなたたちが国民投票で決めたのですよ? そのネット投票は全世界に生放送されていた」

「俺たちは反対に投じたんだ!」

「それでもです。我々は日本の一部になることを望む。そう決まったんです。同盟だけでは中帝の圧力に抵抗できなかった。なぜなら日本は戦争をしない国だからです。日本は自国への攻撃にだけ自衛隊が動く。台への攻撃では自衛隊はサポートしかできないんです」


 光鈴が一歩踏み出す。

「世界中が証人になってくれたのです。台が望み、日本が受け入れたのです」

 光鈴の言葉に、囲んだ男たちは拳を強く握り、唇をかみしめてプルプルとふるえている。

「八つ当たりはやめなさい!」

 福龍が強く言う。


 それを後ろで見ていた修生が言った。

「いいえ、いいんです。八つ当たりしたい時だってあります。あなたたちのイラ立ち、憤り、不甲斐なさ、わかります。何もできなかった、そう思う気持ちはよく理解できます」

 修生の言葉を光鈴が訳した。


「お前たちにわかってたまるかよ!」

 男たちの半数はこぶしを握りながら涙を流していた。

 少しの沈黙が流れた。


「分かりました。その八つ当たり、全力で受けます」修生が構えた。

 それを見て福龍も構えを取った。

「全員まとめてかかってきなさい!」

「やれやれ、というのですかねこの場合」

 光鈴がぼやきながら構えを取った。


 三人対二十人ほどの戦いは、十分ほど続いた。素人の攻撃、だが体は肉体労働で鍛えられていた。少し手加減したこちらの攻撃に、相手は何度も立ち上がってきた。

 修生たちの繰り出す技は、ダメージは少ないけれど、ものすごく痛い急所への攻撃が多かった。骨や関節を痛めるような攻撃を封じていたのだが、それでも、急所への攻撃は激痛を感じるはずで、素人であれば戦意喪失は当たり前の打撃なのだが、それをくらっても彼らは何度も立ち上がってきた。


 十分ほどそうして戦って、起き上がる者がようやくいなくなった。


 三人は大きく息が上がっていた。福龍が倒れた男たちに声をかける。

「なかなか、やりますね」

 彼らは無言でゼーゼーと息が上がっている。

「日本人はキライですか?」

 光鈴が声をかける。


「いや、好きだ。台を捨てたくないだけだ」


「何を言っているんです? 捨てなくていいですよ」

「なんでだよ、だって日本人になれって・・・」


「日本にはですね、沖縄に琉球人がいます。もっといろいろいます。九州人に関西人に北海道民に、アイヌ民族に、冷たくて有名な東京人。個人的には神奈川のほうが冷たいと思いますが。それは置いといてですね。そんな日本人の、その中に台が加わるだけです。みんな同じ日本人です」


「なんだよ、捨てなくていいのかよ・・・」

「日本人の多くが、あなた方を歓迎していますよ」

 彼らは涙を流しながら笑った。



「すみませんが、日本語でおーけー?」


 修生だけ、会話が理解できていなかった。



 

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