第3話 令和三十年 稲村ケ崎
海面の上昇による被害は世界中で同時に起こり、それは各国の海沿いの街に被害をもたらした。しかし海岸線を有する国々の頭を抱える大問題は、波による港町の被災や水没して失ったビーチの観光資源などではなかった。
その大問題とは、国土の減少。
国としての国土面積の減少だった。それは即ち、二百海里、排他的経済水域の減少。
温暖化による農業の収穫量の減少によって、漁業の占める割合は上昇していた。
このタイミングでの経済水域の減少は何としても避けたい大国は、これは一時的な自然災害だとしてルールを変えた。
かつて砂浜だった海の中に柱を立て、国土の目印とした。
温暖化によって一時的に海に沈んではいるが、ここは紛れもなく我が国の大地だ。一時的な災害による自然現象だから国土は減っていない。そういう理論だ。
その各国の行動に科学者たちが難色を示した。
科学的に見て、今後、海の水位が元に戻る可能性は無い。上昇した海の水位が戻るためには、氷河期の到来を待たなくてはならない。そして今すぐに氷河期に突入したとしても、水位が戻る頃には、人間は絶滅していることだろう。
なかなか素晴らしい科学者のスピーチだったが、多くの人類はその言葉を受け入れることが出来なかった。受け入れることを拒否した。
多くの国で海岸線に柱を立てたが、経済力や海岸線の長さによってその柱の質は様々。大半の小国は丸太を海に突き刺し、それをテトラポットで支えた。しかしながら、その丸太は台風の度に倒れたり折れたりした。
ヨーロッパの国々や米中は頑丈な柱を並べ、その後ろ、まだ海に飲み込まれていない大地に強固な防波堤を築いた。そして余裕があればかつての海岸線までを埋め立てた。
日本もその流れに続いた。
日本で排他的経済水域を守らなければいけないのは日本海側の、水域が大陸の他国と接している部分、そして千葉から青森までの太平洋側と北海道。
ほぼ全域と言ってもいいのだが。
そしてもっとも大きな問題が、沈みつつある小笠原と沖縄の島々だった。
神奈川から九州までの太平洋側の海岸線は、水域の境界線を島々がカバーしてくれている。島が沈まなければ経済水域は守られる。
しかし何はともあれ日本にとって、埋め立ても可とした米の行動はありがたかった。
日本は堂々と沈んだ島、沈みかけの島を埋め立ててコンクリートで覆い、その頑強なコンクリートに国旗を書いた。
群島海洋国家パラオの吸収により日本の持つ海の広さは二つ順位を上げ、世界六位になっていた。(ちなみに海の広さ一位から五位は、フランス アメリカ オーストラリア ロシア イギリス。フランスとイギリスに疑問を持った方はご自分でお調べください)
日本は本土や島の、かつて海岸だった場所にいくつもの太いコンクリートの柱を立てたが、海の潮対策や台風などの大時化の波対策、津波対策のほかにも個々の柱に様々な機能を持たせた。柱も科学技術の塊としたのだ。
必要に応じて、灯台、ドローンや無人戦闘機に対するジャミング、自衛隊の防衛レーダー、その他の国家機密、風力発電、太陽光発電、その電力を使った電波塔、携帯各社の基地局。
スマホは基地局を第七世代への変更が進行中。第七世代では速度が10ペタへと進化すると公表されている。
7Gでは通信で繋がった立体映像を、リアルホログラム空間で離れた友人と、あたかも同じ空間に居るがごとく、おしゃべりができるらしい。一般人に7Gについて理解できるのはそこまでで、後は理解するのが難しいモヤモヤした発表がされている。
稲村ケ崎
「ちょっと上っただけですけど、青い海がきれいですね」
修生が遠くの水平線を見ながら言った。
修生たちは鎌倉の寺を守る巨大堤防を見学した後、海沿いの道を歩いて稲村ケ崎まで来ていた。
「さきほど見た酷い光景を一瞬でも忘れさせてくれる景色です」
光鈴がスマホで水平線の写真を撮っている。
「しかし修生様、この先どうなってしまうのでしょうか」
福龍が陸側の光景を見ながら、隣に立つ修生に聞いた。
「あがくしかないのでしょう人類は。人というのはいつでも、自然と戦ってきました。それにこの報いは、自業自得の結果なのですし、只々あがいて、地道に毎日あがいて、あがいて、もがいて、先の未来に進む。幸いにも、日本人というのはそれが得意な民族です」
修生が海岸の光景を見て言った。
鎌倉側と違って江ノ島側には高い堤防が無い。
幸い今は風も弱く海の波は低い。海は引き潮の時間で、波は海岸沿いの道路の脇のコンクリートに当たり、大きな音を立てている。かつて砂浜だった場所は完全に海の下に沈んでいる。
やっと水の引いた海岸沿いの道路。その向こう、内陸側には家の土台のコンクリートが残り、そこにプラスチックと流木が山になっている。そのゴミの中にはカニや魚が混じる。時折、亀や鳥の死骸も混じる。
その山を有人のブルドーザーが乱暴に集め、無人の産廃トラックがどこかへ運んでゆく。
「鎌倉の寺のほうだけ立派な防壁が出来上がっていました。寺だけ守ればいいという話ではないと思うのですが、七里ガ浜のほうは壁を作らないのでしょうか」
光鈴が道路の果てまでゴミに埋め尽くされた光景を写真にとりながら言った。
「間に合わないのでしょう。どうしても優先順位をつけなければならないのでしょう」
修生が答える。防御壁は鎌倉の寺の保護が優先されている。
「人々を不幸から救うためにある寺が、先に救われてしまっては・・・」
「福龍さん、なかなか鋭いツッコミですね。人々を不幸から救う寺が先に救われる、面白いですねえ、座布団一枚あげます」
「ふざけないでください」
福龍の悲しみを含んだ怒りの声に、光鈴が海を見る。
「目を背けることは、なんと簡単なのしょうか」
「そうですね、簡単ですね。しかし、目を背けても何も変わらない。背けてしまっては駄目なのです」
「そうですね」
修生の言葉に、光鈴はカメラの内蔵されたゴーグルをつけ、スマホの録画ボタンを押した。光鈴は七里ガ浜の動画撮影を始めた。
「光鈴です。これは現在の湘南、七里ガ浜です。私たちが今いるのは稲村ケ崎です。海岸沿いの道路を、ゴミが埋め尽くしています。いくつもの家が、波に破壊されて、崩れています。私は、私はこの惨状に、何も、何もすることが・・・」
言葉に詰まる光鈴に、福龍が助け舟を出す。
「私たちは無力です。私たちはなんと無力なんでしょうか、私達には念仏を唱えることしかできない・・・」
修生が話しながらゴミの道へと歩き出す。
「どうか目を背けずに、これは現在の現実です。世界中で起こっている現在の光景です。人間の作ったゴミが海を覆い、それが陸へと帰ってきているのです。多くの国は、このゴミの回収すらできていません」
道路へ出ると、瓦礫に混じるペットボトルや空き缶、発泡スチロールに巻かれた網、その網に絡まった海鳥が死んでいるのが見える。
「私たちひとりひとりは無力ですが、みんなで力を合わせれば困難は乗り越えられます。日本人の団結力は世界で一番です。どうか、めげず挫けず、目を背けず逃げ出さず、腐らず投げ出さず、神様仏様のご加護はきっとあります。みんなで未来を切り開いていきましょう」
三人は長い距離、動画を撮影しながら海沿いを歩いた。
生き物たちの死骸に修生たちは途中から般若心経を唱えながら歩いた。
そしてその動画は、江ノ島水族館の残骸を撮影した所で終わった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます