第4話 令和三十年 黒いバイク
令和十五年頃から、徐々に世界の食糧事情は厳しさを増していった。
日本は円の力で輸入量を確保していたが、なかば強引に輸入することによって、産出国の国民が飢えてしまう現象が発生した。
日本人が食べるものを確保するために、途上国の国民が飢餓に苦しんでいる。
そんな状況に多くの日本人は不快感を示した。
そこで日本政府は、自国の農業に力を注いだ。
今から考えると、未来を予測して、誰かが裏で手を回していたようにも感じる。あるいは神のお導きかとも思える。
令和初期からのキャンプブーム、アウトドアブーム、あつ森ブーム。
本格的米作りゲームの大ヒット、それを受けてのリアル志向の野菜作り田舎暮らしゲームにポツンと一軒家暮らしゲーム。
畜産ゲームに漁師ゲーム、狩猟ゲームに魚の養殖ゲーム。村おこし農協ゲーム。
多くのキャンプ愛好家やゲーマーは、田舎で農業をするための基礎知識や、心の準備が出来ていた。
さらに農水省の本気があった。農協への本気の政治的圧力。
農家の方々を本気で支えろ、農家の方々よりも多い年収を取るな、農家の方々の収入を上げろ、農家の方々に寄り添い、共に生きよ。今こそ農協の本気の実力を国民に示せ。
日本全土で農協により使われていない田畑、住人のいない民家、使われていない農具などのデータが集められた。持ち主不明や持ち主に連絡の取れない田畑や家は、国の預かりとなった。
大々的に募集がかけられ、なり手には二年間の金銭的サポート、農協はもとより、近隣の農家の諸先輩方のサポートが付いた。
多くの20代、30代、40代、50代が田舎へと引っ越した。
皆、長きにわたるコロナ騒動の時に気が付いていたのだ、学んでいたのだ。
都心に住むことの無意味さ。
ネットに繋がりさえすれば、どこに住もうが一緒だ。
テレワークで発見したのだ。
都会で高い家賃で狭い部屋を借りるより、都会から離れて部屋数の多い所に住みたい。今より安い家賃で一軒家が借りれたりする。買ってしまってもいい。
浮いたお金で軽自動車を買おう。そんな夢を抱いたのだ。
世界的食料不足による食品価格の上昇は、家計における食費の割合を上げ、外食産業や娯楽産業、観光業はコロナ時代以上の打撃を受けていた。
無駄遣いを控える世間の流れは、多くの会社を倒産に追いやった。
多くの職を失った人がいた。多くのブラック企業化した中小企業、大企業でストレスでボロボロになっている人々がいた。
彼らにとって、田舎に住んでのんびりと農業をするということはこころの安らぎに感じた。多くの人がそれを求めていた。
もちろん、実際の農業はそんな甘いものではないのだが、今の酷い生活からすれば、その待ち受ける試練はどうってことないことに思えた。
日本の食を支えるため田舎に引っ越した20代から50代の人々を、初年度から日照り、からの超大型台風や豪雨、イナゴの大量発生などが襲うことになるのだが、それでも、国のバックアップを受け、本気を出した農協のバックアップを受け、日本国内での食糧生産は大幅にアップした。
世界的大混乱の時代に、なんとか未来に希望を見出しているのは、日本だけだった。
世界は大変なことになっていた。
アメリカでもヨーロッパでも中東でも、食料の奪い合いで大混乱が続いていた。
人々は挙ってパン屋を襲い、焼き立てのパンを奪い合った。そして全てのパンを奪い取ると、途方に暮れるパン職人を殴り、何故かパン屋を燃やした。
食料を求めて都会から脱出して田舎に流れた民衆は、収穫前の熟していない早すぎるトマトを奪い合い、まだまだ若いリンゴを木からむしり取った。そしてひと口かじって不味いことが分かると、それを投げ捨てた。
世界各地で食料生産が根底から崩れ始めていた。
生産者がその暴徒を止める手段は、もはや銃しかなく、農園の周りには死体が毎日のように転がった。そしてその亡骸は、ひっそりと畑の土となった。
日本以外で秩序を保っているのは、フィリピンやマレーシアなどの海に囲まれた熱帯の国々に限られた。一年を通じて果物や魚を手に入れられる国土を持つ南国の島国。豪雨や台風で被害が出ようと、飢える可能性は低い。そのことは治安維持の面で圧倒的に優位だった。
東北
「助かります。ご厚意に感謝します」
とあるサロンメンバーの家で一宿一飯を受けた修生たち三人は、次の目的地までレンタカーで向かうつもりだった。
「自分が車で送ります。送らせてください」
その言葉に甘えることにした。
今日の目的地は、大きめな街の端の端、街を囲む山に少し入ったところにある寺だった。
その寺の住職はかなりの御高齢で、寺も古びており次の住職もおらず、数年前の大地震の傷跡も仮の補修しかできておらず、誰かが来るとしても大規模な補修工事を必要としていた。
そんな朽ちるに任せるしかないような寺の親戚筋にサロンメンバーがいて、流派は違うがどうだろうかというメールが届いた。
これからその視察に向かう。
「どうぞ乗ってください」
一晩お世話になった堀内さんが車を車庫から出してきた。
車は白のファミリアだった。「原点回帰」そんなキャッチフレーズのCMを最近よく見る新車だった。
小さなモーター音を鳴らした車の、後ろのスライドドアが自動で開いた。
後ろに修生と福龍が乗り、助手席に光鈴が座った。光鈴は服装が目立たぬよう、袈裟の上にピンクのチェックの大きなストールを肩に纏っていた。
「こちらの住所にお願いします」
光鈴がスマホに地図と住所を表示させた。堀内さんがその表示された住所を読み上げると、カーナビが「目的地を設定しました」と地図を表示させた。同時にフロントガラスに薄く左への矢印が表示された。
車を家の敷地から出し、少し走ってセンターラインのある道路まで出ると、ハンドルにあるスイッチのひとつを押し、ハンドルから手を離した。
「目的地までは、2時間6分だそうです。あとはお任せです」
「色々と有難く、ご厚意に甘えさせていただきます」
三人は小さく合掌した。
今では車の自動運転普及率は80パーセントを超え、ほとんどの車がオートで運転される。
古い車の愛好家や手動運転を好む人も一定数残っているが、現在発生する大きな事故は、手動運転同士、または手動運転の車が自動運転につっこむ形で発生していた。
「100パーセント自動運転になれば世界から交通事故が消える」
国はそう言っているが、その発言に国民からは、バイクや自転車を忘れているぞと突っ込みが入った。
「えー、すみません、後ろのバイクなんですが」
運転席に座る堀内さんがバックミラーを見ながら言った。振り返ると車間を少し大きめに開けて黒い大きめのバイクがいた。ツナギもヘルメットも黒で揃えている。
「さっきから、もう30分以上でしょうか、後ろを走ってますね」
「怪しいですね」光鈴が助手席で答えた。
「普通バイクって信号待ちとかで追い越していくんですけど、不自然な気がします」
福龍が後ろのバイクをチラッと見て、修生の横顔に伺いを立てた。
「どうします?」
「そうですね、目的地までついてこられても困りますので、どこかで追い払わなければいけませんね」
「振り切ってみますか?」
堀内さんがバックミラー越しに修生を見ながら言った。
「いえいえ、危険な運転はいけません。速そうなバイクですし、事故を起こしたら大変です」
車はその時、中央分離帯のある二車線の大きめの道路を走っていた。だが、地方都市の外れのほうで、道路沿いに並ぶ店舗の向こうには田畑が広がっていた。交差点をひとつ曲がれば畑を突っ切る一直線の道だ。
「手動にしてそのへんで曲がってもらえますか?」
「わかりました」
堀内さんはハンドルを握ると、すぐにウインカーを出し、左折して小さな道に入った。
「停められそうなところはありますかねえ」体を振られつつ修生がのんびりと言った。
案の定、黒いバイクも同じ交差点を曲がった。
曲がった先の道は両サイドに田んぼが広がっていた。100メートルほど先に自販機が数台並んでいるのが見えた。
近づいてみると、車が五台ぐらい停められそうな未舗装の土地と、自販機が三台並んでいた。自販機には「激安!北アルプスの天然水!180円!!」と手作りのラミネートされたポップがガムテープで頑丈に貼られていた。
「そこに停めてもらえますか」
修生の言葉に従って堀内さんは砂利の駐車場に車をつっこんだ。黒いバイクは車の後ろ、少し離れた位置に停まった。
こちらの三人が車から降りると、バイクに乗った黒づくめの人物もバイクから降りた。
アイシールドの奥に微かに見える目は少し大きめだ。若そうに見える。
「ヘルメットは取らないんですか?」
修生が問いかけても相手は無言のままだ。
「先日、檀家さんの一人がですね、バイクに乗った全身まっ黒な人に刃物で襲われたそうです。その人は今、入院してます。幸いにも、命に別状はないそうですが、あなたですよね」
やはり無言だが、修生は相手がヘルメットの中でニヤリと笑ったような気がした。
黒づくめの男はゆっくりな動きで、バイクに括りつけた小さなカバンから刃物を二本取り出した。
それは、かなり大ぶりな二本の出刃包丁だった。男は両手に出刃包丁を握った。
「なぜそんなことをするのです? 何が気に入らないというのですか!」
「全部だよ!!」
黒づくめの男が初めて言葉を発した。まだ少し若さの残る声、しかし少年時代はとっくに過ぎているような声だ。二十代後半から三十代前半といったところがしっくりくる声。
「全部が気に入らねーよ、偉そーに説教ばっかたれやがってよお」
「僧侶がお説教をする場合、それは説法と呼びます」
「うるせーよ、だまれよ」
「僧は説法をするものです。それを聞くも聞かぬも、そちらの自由です。気に入らなければ、聞かなければいいのです」
「ふざけんな! ネットだってテレビだって、てめーの顔ばっかりじゃねーか! 昨日のお話はこうでした、それについての街頭での反応を見ていきましょう、知るかってんだ! 聞きたくなくても聞こえんだよ! あーちくしょう!」
黒ずくめの男は肩を震わせ、包丁を震わせている。
「騒動は私のせいではない、とも言いきれませんが、一時期よりだいぶん落ち着いてると思いますがね」
「しらねーよ」
「それで? 私を殺せばスッキリしますか?」
「しらねーよ!」
「そう思って私を追ってきたのではないのですか?」
「しらねーよ!」
「なぜ考えないのです! なぜ考えることを諦めるのです!」
「しらねーってんだよ!」
「諦めるな! がんばれ!」
「てめー、ガンバレとか俺に向かって言ってんじゃねーよ! マジでムカつくなおい!」
黒づくめの男は刃物を両手に一歩二歩、三人との距離を詰めてきた。ドライバーの堀内さんは車の中で待っている。
車を傷つけないため、三人は車から大きく距離を取った。
「もう少し離れましょうか」修生が小声で言った。
ギラギラと刃を光らせる出刃包丁に気押されたように、三人はさらに後ろに下がった。
「私の後ろに!」修生が短く二人に言うと両手を上に掲げ、袈裟から腕を露出させた。続いて両の手を体の中央で合わせる。バチン! 掌が鳴ったかと思うと指を複雑な形に組んだ。ヴァッ!ヴァッ!ヴァッ! 印を結ぶたびに袈裟が音を鳴らす。
「破ッ!」
掛け声と同時に両の手を前に伸ばす。ピストルのような形にした手、その人差し指から青いイナズマが出刃包丁へと走った。バチバチバチッ! 音は包丁のほうから聞こえた。
「いって!!」
男の手から包丁が落ちた。電撃を食らった黒い男は両手を不自然な形で前に出し、痺れに耐えている。
その一瞬の隙をついて修生が距離を詰める。ヴァッ!という袈裟の音と共に射程距離に近づいた修生が拳をくりだした。
右のストレートリードから左フックを脇腹に。深く踏み込みながら膝で軽く金的、ダンッ!着地と同時に深く構え、ヘルメットからチラリと覗くアゴへ掌底を打ち上げた。
男は空へ浮き上がり、ヘルメットが宙を舞った。
修生が繰り出した一呼吸の四連撃に、男はバタリと後ろに倒れた。
「魔法とか・・・」男が苦痛に顔をゆがめながら言った。
「魔法じゃないんですよねーこれ、」
修生が言葉を続けようとしたとき、男はパタリと意識を失った。
「あっ! 自動販売機が壊れてます!」光鈴が煙を上げる自販機を見て言った。
「車はカミナリ対策しっかりしてるけど、自販機は対策弱いからなあ」
「ここは一刻も早く立ち去るべきかと」
福龍の言葉に三人は、犠牲となった自販機に合掌をしてから堀内さんの車に乗り込んだ。
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