ゴーブの守る谷 9






 疾走するふたりにあっという間に引き離されたダンは、ロセスとアードとともに息を切らせながらあとを追っていた。


「……さすが…騎士と…ドルイド…」


 アードがいればセイの居所がわかる。ドルイドと騎士は一対、セイのいるところにはクールもいるはずだ。

 激しい魔力の爆発が生じた。ダンは顔色を変えてそちらに向かう。


「あ、いたよっ!」


 アードが叫ぶ。

 倒木をいくつも飛び越えて駆けつけたダンは、ふたりの異変に気づいた。

 クールもセイも、驚愕の面持ちで立ちすくんでいる。

 彼らの視線を追ったダンは、いままさに身を起こした体で地面に両手をついている人影に行き着いた。


「……レイミア?」


 ダンの声に、クールとセイの肩が震える。

 我に返ったクールは、ダンがレイミアと呼んだ相手を見つめた。

 仇と見紛った容貌は、しかし記憶にあるものと完全には重ならない。

 妙な違和感があった。

 その正体はすぐにわかった。印象はよく似ているが、決定的に違うのだ。


「……女…の子…?」


 クールはかすれた声で呟いた。それを聞いたセイが、何度も目をしばたたかせて、確かめるように相手の全身を凝視する。

 ダンが少女に駆け寄った。


「大丈夫か、怪我は?」


 片膝を折って視線を合わせてくるダンから逃げるように、彼女は反射的に身を引いた。その目に明らかな怯えがある。


「……だれ?」


 か細い声は、紛れもなく少女のものだ。

 クールは、混乱しかかった頭を振った。あまりにも似ている。面差しも、瞳の色も、髪の色も。

 なぜこれほどに。

 セイが無言でロッドを握り締めている。クールと同じことを考えているのだろう。

 ダンのさしのべた手を頑なに取ろうとしない少女に、青年司祭は苦笑した。


「俺はダン。ディーラを訪ねてきた、ダーナ神殿の祭司だよ」


 ダーナの名を聞いて、彼女の瞳に安堵が宿る。

 彼の手を借りて立ち上がった少女を、クールとセイは緊迫の面持ちで凝視している。

 その視線に気づいて、ダンはふたりを振り返った。


「ダン、その子は…」

「いったい、誰だ?」


 固い口調で問いただすセイとクールに、少女は不安そうな目を向ける。

 ロセスが少女の肩にふわりととまった。


「この子はレイミア。ディーラの孫娘です」


 ロセスのあとに、ダンがつけくわえた。


「そして、あのエルクの妹だ」


 クールとセイは瞠目した。


「エルクの…」

「妹…!?」


 ということは。

 ふたりは言葉もなくレイミアを見つめた。

 エルクの妹。蒼楯のエルクの。

 そして、闇に染まったフィルガスの、妹か。








 クールとセイの師だった豪剣のファリース。

 彼と対の誓約を交わしていたドルイド・エルクは、この島に住むディーラの孫だった。

 レイミアの案内で谷に進む道すがらに、クールとセイはダンからそのことを聞かされた。


「ディーラはかつて、騎士団の中で五指に数えられると評されたドルイドだ」


 ダンが神殿に祭司見習いとして上がった頃、すでにディーラは騎士団を去っていた。いまダンが知っていることはすべて、神殿の祭司たちや騎士団の重鎮たちからの伝聞だ。


「すごかったそうだよ。あのミルディンが一目置いていたとか」


 ダンの言葉に、セイは無言で目を瞠った。

 ミルディンはオグマ騎士団の統率者にして、最強のドルイドだ。対の騎士が不在であるため闇の眷属たちとの戦いに自らが赴くことはないものの、言動の端々にその実力が窺える。

 セイはロッドを握る指に力を込めた。

 いまの自分には力が足りない。魔力が足りない。

 どうすればそれを克服することができるのか。できるだけ短期間に魔力を増強させる方法はないか。精霊王たちを召喚し、契約をかわせるようになるためには。

 かつてオグマ騎士団で五指に数えられたというドルイド。


「…………ダン」


 小さな声を、ダンは一瞬聞き流しかけた。


「…、セイ?」


 振り返るダンに、セイは言った。


「その、ディーラに…………」


 どういえばいいのか。セイは言葉を探しあぐねて、唇を動かす。

 聡明なダンは、口下手なセイが何を言いたいのかを正確に理解した。


「ああ、訊きたいことがあるなら、あとでその時間を作ってもらおう。大丈夫、ディーラは話しやすい素敵なレディだよ」


 片目をつぶってみせるダンに、セイはほっとした表情を浮かべて、すぐにうつむいた。生来の色を嫌って染めた茶色の髪が、セイの目許を覆い隠す。

 その特異な色彩の瞳をできるだけさらしたくない彼は、前髪を長くのばしている。

 戦いの最中には邪魔だから切れと、彼らの上司ジェインがたびたび渋面を作っているところに、ダンは何度も出くわした。

 紫の瞳は闇に通じる色なのだ。

 一方のクールは、ロセスとともに前を行くレイミアの背を、複雑な顔で見つめていた。

 クールはエルクを知らない。彼がミルディンとともにオグマ城を訪れたとき、エリン最強と謳われた一対の盾はすでに失われていた。

 エルクの絵姿なども一切残されていなかった。ファリースがすべてを家族に返してしまったからだとのちに知った。

 精霊に頼めば映し出してもらうことはできただろうが、考えたことはなかった。

 実のところ、クールはエルクにさしたる興味を持ったことがなかったのだ。

 クールにとって大切なのは、自分に剣の基礎を徹底的に叩き込んでくれた、あの豪剣のファリースだけだった。

 初めて会った日に、幼いクールを造作もなく担ぎ上げた、たくましい体躯の青年騎士。

 あのとき見えた世界は、極彩色の鮮明な記憶となって、胸の一番深い場所に息づいている。

 そうして、それから僅か一年だった。彼は、自分たちを守るために、二度と帰らぬ旅に出た。

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