番外編 そのたった一年で 3
「切って縫うくらいだったらできます。ただ……」
「うん?」
嬉々としてジェインにハサミとチュニックを渡そうとしたファリースは、言い澱んだ彼女を見返す。
ややうつむいて上目遣いに、彼女は言葉を継いだ。
「その……全部をほどかなくても、丈を詰めて肩を上げれば、多少は不恰好でもたぶん問題はないかと……」
後輩の指摘に、ファリースは大変な衝撃を受けた。
「……そ……、そう、か…」
「はい…」
豪剣のファリースと呼ばれるエリンの英雄は、二十五歳。独身である。
突然子供の面倒を見なければならなくなって、冷静であろうとしながらその実凄まじく動揺しているのがよくわかった瞬間だ。
「ちなみに、その糸切りバサミはどこから持ってきたんですか」
「備品庫から借りてきた」
念のため子供用の衣類がないかを確認したが、備品庫に取り扱いはなかった。そこで、在庫の中で一番小さいチュニックをもらってきたのだが、それでもあの子たちにはだいぶ大きい代物だったのだ。
縫い針や糸も糸切りバサミと一緒に備品庫から借りてきたものだろう。
通常、騎士たちに必要なものは最低限支給されることになっている。闇の眷属たちとの戦いにおいて破損した団服や戦闘衣は、直せるようであれば備品係が修繕し、どうしようもなければ廃棄処分され、新しいものが支給されることになっている。騎士が自ら修繕する必要はないのだ。
「何とかなるかと思ったんだが、難しいな」
不慣れな手つきで裁縫の真似事をする英雄の姿は、珍しくてなかなか興味深かった。
彼女の知るファリースは、剣技においてはエリンに並ぶ者なしと謳われる武人で、とにかく頼れる、憧憬せずにいられない相手だ。
男女の性差といういかんともしがたいものはあれど、彼のような桁違いの技量を身につけたいとジェインはひそかに思っている。
もっとも、そう考えているのは彼女だけではないだろう。
老練の者も、若輩者も、騎士と名のつくものは皆、豪剣のファリースは当代一の剣の使い手であると認めている。それほど圧倒的な存在だ。
あんなことがなければ、宿舎に閉じこもってやつれ果てた顔を見せるようなことは、決してなかったはずだ。
ファリースの対の盾である『蒼楯のエルク』が落命したのは、およそ一年前だった。
勧められるまま長椅子に腰を下ろして、久しぶりに針を使いながら、ジェインはそのときのことを思い出した。
邪神の片腕を討ったものの、かけがえのない者を失った。
あのときファリースは、冷たくなったエルクの亡骸の前に膝をつき、うなだれたまま微動だにしなかった。
彼の背後には魔物の亡骸。その急所に突き立てられていたファリースの剣。
近くに転がっていたエルクの
杖は、ドルイドからドルイドに受け継がれていくものだ。使われている水晶は地の精霊王ゴーブの祝福を受けた特別なもので、エリン最北にある小さな島から産出される。
いつだったか、エルクが話してくれた。
――僕は、そこから来たんだよ。祖母と、小さな妹がいて。ふたりはいまもあの島で暮らしている
ジェインが騎士に叙任されたばかりの頃だ。彼女の相棒がエルクと懇意にしていたので、数少ない機会に様々な話を聞いたことを覚えている。
彼は、ジェインが女だてらに騎士の道を選んだことに、心から感心しているようだった。
女性は体力的な面からどうしても不利になる。だから、騎士団に属し邪神たちと戦うことを望む女性は、大概ドルイドの道を選ぶのだ。
オグマ騎士団に女性は少ない。邪神とその配下の魔物と戦うという性質上、入団希望者は男性がほとんどだ。女性は全体の一割いるかどうか。
夢を持ってオグマ城にやってきた者たちの約半数は、過酷な訓練中におのれの限界を悟り、半年持たずに去っていく。中途脱落者の比率は男女でほぼ同じなのだが、もともと少数だったところからさらに激減するため最終的に女性が残らない年も多い。
残っても大半はドルイドを志す。騎士を目指す女性は、本当に
当初、騎士を目指すと公言してはばからないジェインを馬鹿にする者も少なくなかった。
そういう意味で、エルクは別格だった。
ファリースは、女に騎士は荷が重いとはじめこそ険しい顔をしていたが、ジェインの本気を知ってからは気にかけてくれるようになった。
ジェインが逆境にくじけることなく信念を貫けたのは、彼らと、相棒のおかげだ。
彼女の手さばきをじっと眺めていたファリースが口を開く。
「しばらく針を持っていなかったと言うが、そうは思えないな」
「そう言ってくださるのはあなたくらいですよ、ファリース。家では母たちにしょっちゅう嘆かれていました」
ジェインは苦笑しながら応じる。その言葉に嘘はない。徹底的に仕込まれたものの、いわゆる合格ラインに達するのにだいぶ時間がかかり、母たちをずいぶん嘆かせた。
だが、仕方がない。ひとには向き不向きがある。淑女としての立ち居振る舞いを身につけるよりも、より速くより鋭く自在に剣を扱うことに、彼女は大きな喜びを感じていたのだ。
だが、当時あれほど苦労したおかげで、いまこうやって一応の役には立っているのだから、どうなことでも身につけておいて損はないのかもしれない。ドレスを仕立てたり複雑なショールを編んだりするのはごめんだが。
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