番外編 そのたった一年で 4

「そういえば」


 手を慎重に動かしながら、ジェインはファリースを一瞥する。


「食堂に見慣れない子供がふたりいましたが、もしかしてあれが……?」


 腕組みをしてジェインの手元を見ていたファリースは、ああと頷いた。


「たぶんそうだろう。クールとセイだ」

「クールと、セイ、ですか」

「騎士になりたいんだそうだ。あれでふたりとも五歳だ」


 思わずジェインは手を止めた。


「えっ? 三つか四つくらいかと……」


 五歳にしてはかなり小柄だった。ふたりとも、明らかに栄養が足りていない体つきをしていた。


「あの子たちはどうしてここに?」

「騎士になりたいというので連れてきた、とミルディンは言っていたが…」


 ダーナ神殿の最高祭司が認めるか、オグマ騎士団の最高責任者の許可があれば、騎士や職員でなくてもオグマ城への入城は許される。

 オグマ騎士団の最高責任者は、ファリースの許に子どもたちを連れて来たミルディンだ。


「つまり、ミルディンに直談判をしたということですか」


 騎士になりたいからオグマ城に連れて行け、と。


「そう…なる…か…?」


 ファリースは訝し気に首をひねる。ミルディンが視察から戻ったら確認したほうがよさそうだ。


「あのミルディンに……」


 それきりジェインは押し黙った。

 一見柔和な雰囲気の好々爺こうこうやだが、あの老人は間違いなくエリン最高のドルイドであり、オグマ騎士団の頂点に君臨する存在なのである。

 ただの好々爺にオグマ騎士団を束ねることはできない。

 何も知らない子供だからミルディンに騎士になりたいと言えたのだろうし、何も知らない子供の願いだったからミルディンもそれを聞いてやったのかもしれない。

 ジェインは、しばらくたってから息を吐き出した。


「……なんて、運のいい」


 彼女の呟きにファリースは頷いた。


「確かにな」








 昨日お腹いっぱい食べたので、今日の朝ごはんはほんの少ししか用意されていないかもしれない。いいや、それどころか、昨日あれだけ食べてしまったのだから、朝食などないのではないだろうか。

 そんなふうに考えていたクールとセイは、ファリースに朝飯を食べに行けと言われて、そろそろと食堂に向かったのだ。

 そこには大柄な騎士やたくましい騎士、貫禄のあるドルイドに痩せてひょろっとしたドルイドなど多種多様な人々がいて、ふたりを見つけるとすぐにテーブルを用意してくれた。

 あれも食べろこれも食べろと、たくさんの料理とスープとパンがあっという間に並べられる。

 朝からこんなにと目を白黒させる子供たちを、彼らは楽しそうに見守った。

 昨夜よりは幾分か遠慮がちに食べて、木のコップに注いでもらったミルクを飲みながら、クールは周りの大人たちをそっと窺った。

 昨日はファリースがいたから、たくさんの大人に囲まれていても平気だった。

 だが、自分とセイだけだと、なんだか途端に心細くなる。

 騎士たちの、大人たちの目は優しく見える。

 しかしクールは、上辺だけを取り繕う大人に接する機会のほうが多かったため、見えるものをそのまま信じることができない。

 そしてそれはセイも同様だった。

 勧められるままにパンを取り、スープの皿をからにして。それでもセイは、決して顔を上げようとしない。わざとのばした前髪で両の目を隠して、何を言われてもひとことも返さない。

 瞳の色を見られないように。見られれば、自分たちを囲む大人たちの表情はきっと一変してしまう。ようやく得られた居場所を、失うわけにはいかないのだ。


「…………」


 新鮮なミルクで喉を潤して、セイは無性に切なくなった。

 祭司様がいた頃は、コップ一杯分のミルクをふたりで分け合った。パンも、スープも、半分ずつ。

 こんなにお腹いっぱい食べられたことは一度もなかったけれど、それでもセイはいつも満たされていた。

 ふと、昨日のクールの行動が脳裏をよぎる。それと、ファリースの言葉が。

 重い鎧や盾の下敷きになりそうになった自分を、身を挺してかばってくれたクール。紫の瞳を見ても、驚くことも恐れることも嫌悪することもしなかったファリース。

 からになったコップを置いて、セイは下を向いている。その様子をちらちらと窺うクールのすぐそばに、誰かが立ち止まった。

 クールがそちらを向くのとほぼ同時に、一本の手がのびてセイの前髪を軽く払う。


「……っ」


 突然の出来事に息を呑んだセイに、手の主は感心したような声で言った。


「これは珍しい色だねぇ」


 クールは目を丸くして、その人を見上げた。

 ファリースより少し年下に見える。まとっているのはドルイドの衣装だ。肩には一羽のフクロウがとまっていて、丸い目で子どもたちを見下ろしている。

 フクロウは、青年の横顔にくちばしを向けた。


『いけませんよ、ロイド。お子さんたちがびっくりしています』


 クールは瞬きをした。フクロウが目を細める。まるで笑っているみたいだと思った。

 一方のセイは硬直していた。

 こんなふうにして近づいてきた者はいままでいなかったし、瞳を見て嫌悪感をあらわにしなかった者もいなかったのだ。

 しゃべるフクロウと青年を見上げて、クールは呆けた顔で呟いた。


「……しゃべった…」


 ロイドと呼ばれた青年は、フクロウを示しながら微笑む。


「これかい? うん、精霊だから」

『ロイド、これとはなんですか』

「あははは、ごめんよモア」


 そうしてロイドは、未だに固まっているセイを振り返った。


「朝になりはじめた空のようだね。とても綺麗だ」


 セイは、弾かれたようにしてロイドを見上げた。


「……っ…」


 喉から言葉が出かかったが、うまく音にならず消えてしまう。

 と、近くにいた別の誰かが言った。


「ああ、本当に。きれいな目だな、おちびさん」

「そっちの坊主は、根性のありそうないい面構えだ」


 わらわらとひとが集まってくる。

 クールとセイは思わず身をすくませた。

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