妖精の取替子 6

「…………!」


 クールは両手を握りしめた。

 家に忍び込んだ妖精が、人間の赤ん坊を代わりの何かと取り替えていく。

 そうやってさらわれた赤ん坊は『妖精の取替子チェンジリング』と呼ばれる。また、赤ん坊を取り替えられる現象そのものをチェンジリングと呼ぶこともある。

 妖精にはいくつかの種類がある。いたずら好きで騒ぎを起こす妖精。人々の生気を奪う妖精。人々をだまして不幸をもたらす妖精。

 それらは気まぐれに赤ん坊をさらい、思いもよらないところに隠してしまう。

 妖精たちは、赤ん坊がすり替えられたことに気づいた人間が、慌てふためきあちこちを必死で探し回る姿を面白がって笑うのだ。

 それとたちの悪さで一線を画すのが、闇に染まった妖精や魔物のチェンジリングだ。

 この場合、赤ん坊は魔物の子とすり替えられる。


「朝から必死になって捜してるって…」


 クールは瞼を震わせた。嫌なものを無理に飲み込んだように、胸の奥が重苦しい。

 話を聞いた近所の人々が思いつくところを捜しまわっているというが、いなくなった赤ん坊はいまだに見つかっていないという。

 幼いアルも、大人たちと一緒に朝からずっと妹を捜していた。だが、妖精にさらわれた赤ん坊が一体どこにいるのか、皆目見当もつかないままいたずらに時間が過ぎた。

 大人たちほど遠くに行けないアルは、家の近くを歩き回ることしかできない。

 近所で赤ん坊が隠れられそうなところは捜し尽くした。

 このまま見つからなかったらどうしよう。さらわれたままになってしまったら、妹はどうなるのか。

 怖くて、悲しくて、それでも必死で泣くのを我慢しながらふらふら歩いていたとき、アルは見つけた。噴水のふちに腰かけたオグマ騎士団の騎士とドルイドを。

 ほかの騎士たちよりアルに年の近い少年たちは優しくて、彼らのことが大好きだった。

 フィオールの末裔と呼ばれる魔物たちから人々を守ってくれるオグマの騎士とドルイド。

 妖精にさらわれた妹のことも、彼らならきっと見つけてくれるに違いない。

 アルは騎士の名を叫び、夢中で駆け寄った―――。


「――クール」


 回想していたクールははっとした。

 部下の話に黙って耳を傾けていたジェインがおもむろに片手をあげている。


「セイはどうした」


 静かな問いかけに、クールは言葉に詰まって視線を落とした。


「…………」


 ジェインとロイドは視線を交わした。

 クールとセイは一緒に街に出たのだ。おそらくともに帰城したはず。

 なのに、いまふたりの前にはクールしかいない。


「クール?」


 促すジェインの目が険しい。

 クールは何度か瞬きをして、言葉を選びながら口を開いた。


「宿舎に、戻ってる。ずっと、血の気のない顔してて…」


 それを聞いたロイドが深く息を吐きだした。


「無理もない…」


 クールはロイドを上目遣いに見ながらこくりと頷く。


「セイは……」


 育った村で、チェンジリングだと言われていたのだ。

 生まれたばかりの頃に妖精の手ですり替えられてしまった、魔物の子だと。

 セイがチェンジリングだとされる根拠はある。彼の髪と瞳だ。

 いまは髪を茶色に染めているが、本来は銀色。

 それに、妖しいほど深い紫の瞳。彼のそれは、エリンの人々にはありえない色なのである。

 彼が常に伏目がちで前髪を長くのばしているのは、変えようのない瞳の色を少しでも隠すためなのだ。

 重い沈黙が三人の間に落ちた。誰もが言葉を探しあぐねている。

 ふいに、杖をつくかすかな音が響き、沈黙を裂いた。


「どうした、お前たち」


 振り返った一同は異口同音に声を上げた。


「ミルディン!」


 片手に持ったロッドで床をこつこつとつきながら、老ドルイドは三人の前にやってくる。

 答えたのはジェインだ。


「実は……」

 手短に事情を聞かされたミルディンはさすがに顔色を変えた。


「チェンジリングだと…?」


 頷くクールに目をやったミルディンは、ふと眉根を寄せた。


「クール。セイはどうした」

「宿舎に、戻らせた。さすがに…チェンジリングとなると、きついかと、思って……」

「そうか」


 ミルディンは破顔してクールの頭をぽんと叩いた。

 クールはもの言いたげな顔でミルディンを見つめた。もう正式な騎士になったのに、この老ドルイドはこうやっていつまでも子供扱いをしてくる。

 でも、いまはこの子供扱いに乗ずることに決めた。


「……ミルディン」

「ん?」

「ひとつ、訊きたい」


 意を決して、クールは口に出した。ずっと訊きたくて、けれどもどうしても訊けなかったことを。


「セイは……セイが、どうしてここに来ることになったのか」


 ミルディンが軽く目を見張る。老ドルイドだけでなく、ジェインとロイドが小さく息を呑む気配も伝わってきた。

 クールは勇気を出してつづける。道理をわきまえた大人と違い、子供は配慮などしない。


「……チェンジリングだって言われてたのは、一応、知ってるけど。あいつは、自分からそういうこと、言わないし」


 そこでクールは少し言いよどんだ。


「……俺も、そういうことは、あんまり聞きたいとは思わなかったし…」


 語尾が小さく消えていく。クールはそのままうなだれた。

 五歳の子供がここにくるには、相当の覚悟が必要だ。

 クールはそれを知っている。なぜならば、クールもまた何もかも捨ててここに来たからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る