妖精の取替子 5

 駆け寄ってくるアルは六歳の子供だ。成長しても着られるようにと大きめのチュニックで、長めのズボンの裾をまくっている。


「よう、ひさしぶり。そうだ、もう産まれたんだろ? どっちだった?」


 前回オグマ城が地上に降りたとき、アルの母親は産み月だったのだ。近所の人々が、いつ生まれるかにエール一杯を賭けていた。

 クールとセイは盛り上がる街人たちを、弟妹の誕生を心待ちにして嬉しそうなアルと一緒に眺めていた。

 その翌日オグマ城が空に出立したため、クールたちは賭けの勝敗がどうなったのかを知らない。

 息を切らせながら駆け寄ってきたアルは、クールの膝に縋りついた。


「助けて、クール…! お願いだから!」

「え? どうしたんだ?」


 突然助けを乞われて困惑するクールに、アルは顔をくしゃくしゃにゆがめて訴えた。


「妹が…!」

「妹? 女の子だったのか。無事に産まれて良かったな。それで?」


 つづき促した瞬間、アルの両目から涙があふれた。


「妹が、妖精にさらわれちゃったんだ…!」

「…え」


 アルの言葉を理解するのに、瞬き三つ分の時間が必要だった。


「なんだって!?」


 思わず声を上げるクールの隣で、セイが目に見えて強張った。


「セイ? どうしたの、顔色が…」


 アードの見ている前で、セイの顔から血の気がさあっと引いていく。


「助けてよ! お願いだから…う…わあぁぁぁぁぁ!」


 堪えきれなくなったように泣き出したアルの背をさすり、クールは子供の両肩を掴む。


「アル、どういうことだ? ちゃんと話してくれ」


 しかし、アルは言葉にならない声で泣きつづける。

 懸命にアルをなだめるクールの隣で、青ざめたセイの唇が小さく動く。


「………」


 彼の肩に乗っているアードはその言葉をかろうじて聞き留めると、首を傾けた。


「チェンジリング……?」

 

 






 急いでオグマ城に戻ったクールはジェインとロイドを捜した。

 そろそろ昼食の時間だ。真っ先に足を向けた食堂にはいなかった。そのまま中庭、聖堂、各建物を結ぶ回廊をめぐり、行き会うひとにふたりを見なかったかを尋ねる。


「さっき大会議場に入っていくのを見たよ」


 回廊ですれ違った騎士のひとりに教えられ、礼もそこそこにクールは大会議場に走った。

 クールが捜していたふたりは大会議場のオーブの前で何かを真剣に話していた。

 彼らの姿を見た途端、無性にほっとした。同時に、ひどく緊張していたことに気づく。


「ジェイン、ロイド!」


 呼ばれたふたりは、息せき切っているクールに怪訝そうな面持ちを向けた。


「ずいぶん早いな。さっき出て行ったばかりじゃなかったか?」

「え、もしかしてもう夕刻? じゃ…ないね。何かあったのかい?」


 魔物討伐についての会話が白熱しているうちに、思っていた以上の時間が過ぎていたのかと一瞬疑ったロイドが首を傾ける。

 クールはぜいぜいと肩で息をしながら答えた。


「…チェンジ…リング…が…っ…」


 ジェインの表情が瞬時に緊迫のそれに変わる。

 彼女は低く繰り返す。


「チェンジリング?」


 クールは何度か深呼吸して息を整える。


「ああ…。粉屋のコナンさんのところの、ひと月前に産まれた女の子が、朝になったら木の棒とすりかえられてたって」


 ジェインはロイドと顔を見合わせた。険しい顔をしたロイドが頷く。


「それは確かに『妖精の取替子チェンジリング』だ…」



     ◇     ◇     ◇



 いつまでも泣きやまないアルに業を煮やしたクールは、子供を勢いよく抱きあげると、セイとともにコナンの粉屋に急いだ。

 アルの家は、一階の通り沿いが粉屋の店舗で、裏側と二階が住居になっている。

 いつもなら開いている時間だというのに店は閉まっていた。

 裏口に回ってドアを叩くと、母親のサーシャが飛び出してきた。

 クールともセイとも顔なじみの粉屋の女将は、その場にへなへなと座り込んだ。涙の跡が残る頬。人はたったの数時間でこんなにもやつれるのかと衝撃を受けるほど、痛々しい様相だった。

 アルを下ろしたクールがためらいながらチェンジリングについて尋ねると、サーシャは涙の枯れ果てた様子でぽつりぽつりとことの仔細を聞かせてくれた。

 ――いつもの時間に、家族全員がいやに深い眠りから覚めた。

 不思議なほど深い眠りだった。

 寝室は二階にある二間の片方だ。幅の狭い寝台を二つ置くのがやっとの広さで、親子三人ふたつの寝台で寝ている。もう一部屋は寝室の三分の二ほどの広さしかない。こちらは将来子供たちの部屋になる予定だ。

 いつもならお腹をすかせて泣き出しているはずの赤ん坊は、寝台の横のカゴの中で静かに眠っていた。身じろぎひとつせずに目を閉じている。よほど深い眠りの中にいるのだろう。

 珍しいと気になりつつ、眠っているうちに朝の支度を済ませてしまおうと思ってそっとしておいた。

 台所は一階だ。静かに階段を下りて朝食の準備に取りかかる。

 ほどなくして夫と息子が起きてきた。ふたりから、赤ん坊はまだ寝ていたよと告げられた。

 朝食ができあがる頃になっても赤ん坊の鳴き声は聞こえない。

 そろそろ朝のお乳をあげようと二階に上がってカゴを覗いたサーシャは我が目を疑った。

 カゴの中で布にくるまっていたのは、赤ん坊と同じくらいの太さと長さの木の棒だったのだ。

 朝食の席についていたコナンとアルは、サーシャの金切り声を聞いた―――。



     ◇     ◇     ◇

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