妖精の取替子 7

 きっとセイにもそういうものがあって、身ひとつでここに来た。

 これまで詳しく聞くことをしなかったのは、いつかセイが自ら語ってくれるのを、たぶん待っていたからだ。

 出会うまでの五年に何があったのかは知らない。

 ファリースと暮らした一年と、共に騎士とドルイドを目指してきた十年。

 クールにとってはそれが何より確かなものだ。

 この十一年間で、クールは確信している。チェンジリングと呼ばれようと、誰が何を言おうと、セイは魔物の子なんかではないと。


「……そうか」


 ミルディンは万感の想いを込めて頷いた。

 いまやオグマの騎士となったクールに頼もしさを覚えるとともに、初めて会ったときの幼い面差しが脳裏に浮かんで、懐かしさを呼び起こす。

 

「あの腕白坊主が、大きくなったものだ……」




     ◇     ◇     ◇




 十一年前だ。



 ミルディンはエリン辺境の村を訪れた。

 ドルイドの頂点に立つミルディンの訪問に村は沸き立ち、神殿の広間で慎ましやかな歓迎の宴が催された。村人たちが持ち寄った土地の食物は、央都の精錬された料理とはくらべものにならないほど素朴だったが、精いっぱいもてなそうというあたたかい気持ちがこもっていた。

 集まった人々は彼の話を聞きたがっていつまでも帰ろうとしなかった。

 深夜にさしかかろうかという頃。にぎやかな席でいささか疲れたミルディンは、ほかのドルイドたちにその場を任せてそっと広間を抜け出し、緑にあふれた庭へ出た。

 月の明るい晩だった。点在していた石のベンチのひとつに腰かけて涼やかな夜風に吹かれていると、風の精霊たちが彼にささやきかけてきた。


『ミルディン、子供がいる』

『あちらに、泣いている子供がいる』

『行ってあげて、ミルディン』


 驚いたミルディンが風に導かれてそちらに向かうと、石造りの納屋の影から押し殺した嗚咽が聞こえた。

 幼い子供の声だった。


「そこにいるのは誰だね?」


 そっと声をかけると、嗚咽がぴたりとやんだ。

 ミルディンは、ふっと視界が広がったのを感じた。

 月明かりが落ちてくる。だがそれだけではない。ミルディンのために精霊たちがこの辺りを仄かな明かりで照らしているのだ。

 納屋の陰にうずくまっていたのは、みすぼらしい身なりの、がりがりに痩せた男の子だった。


「……だれ?」


 誰何の声はか細く、涙で揺れてかすれていた。

 ミルディンが近づいていくと、子供ははっと息をのんだ。

 月明かりで老人の様相がはっきり見えたのだろう。

 身にまとったローブと手にしたロッド。

 目の前に現れたのが、宴の主賓でありオグマ騎士団の長老であると気づいたのだ。

 子供は弾かれたように立ち上がって駆け寄ってきた。


「おじいさん、オグマ騎士団のひとだよね?! つれてってよ!」


 怒ったように眉を吊り上げる子供の目には涙がたまっている。


「たのむからつれてって! 騎士になりたいんだ、あのファリースみたいな騎士に…!」


 それは、エリン全土に名をとどろかせる英雄の名だ。 

 ミルディンの衣を掴んだ子供は、悲鳴のような声で訴えた。


「ファリースみたいになって、ちゃんと、おれのいばしょをつくるんだ…!」




 ドルイド一行の宿泊場所はこの村の村長の家だった。

 ミルディンが昨夜出会った子供のことを尋ねると、年老いた村長は痛まし気に眉を曇らせた。


「あの子は、身寄りがなくて。赤ん坊の頃に神殿の門前に捨て置かれていたのを、村人が見つけたんです」

「神殿に引き取られましたが……祭司長様が、あまり、慈悲の心を持たない方で…」


 木製のカップにミルクをついだ村長の妻が、ついと窓の外に目をやる。

 その視線を追ったミルディンは目を瞠った。

 開いた窓の向こうに昨日の子供がいた。

 大人が一抱えするような大きな薪の束を、重さにふらつきながら懸命に運んでいる。


「クール! ぐずぐずするな! 今日もメシを抜かれたいのか!」


 その背に飛んだ怒号がミルディンの耳にはっきりと聞こえた。

 クール。あの子はクールというのか。

 ミルディンが見ていることを知らない子供は、びくっと肩を震わせて、慌てて足を早めようとした。しかし重い薪でバランスをくずしたのかよろめいて転ぶ。その拍子に薪をまとめた縄が切れた。

 散らばった薪を見てクールは青ざめた。慌てて拾い集めようとしているところに、男がひとり飛んできてクールの背を蹴りつける。


「なにやってんだ、ノロマめ!」


 険しく歪んだその横顔に見覚えがある。昨日、ミルディンに尊敬の眼差しを向けながら宴の席に案内してくれた、神殿の若い祭司だった。

 村長とその妻が眉根を寄せて顔を背ける。

 ふたりはミルディンを一瞥した。眉をひそめてもの言いたげな眼差し。決してあれを許容しているわけではないのだと無言で訴えてくる。

 しかし、彼らがするのはそれだけだ。可哀想にと憐れんで、ひどいことをと眉を曇らせる。

 きっと村中の者たちがそうなのだろう。

 こういう小さな村では神殿が実権を握っている。村長は村人たちを取りまとめるだけで、神を後ろ盾にした祭司には逆らえない。

 しかし、決められた以上の税を取り立てるとか、村人たちに圧政を敷いているというようなことはない。そういったわかりやすい不正があれば、央都の議会に必ず報告がいく。

 神殿は、身寄りのない子供を引き取って育てているのだ。そして労働を尊ぶ神の教えに従い、子供に日々の糧を得るための労働をさせているに過ぎない。

 よろよろと薪を拾う子供の背を見つめるミルディンの脳裏に、昨日の叫びが甦った。


 ――ファリースみたいになって、ちゃんと、おれのいばしょをつくるんだ…!


 それはきっと、しいたげられることなく安心して生きていける場所。

 ミルディンは息をつくと、村長に向き直った。


「ひとつ、ご相談が……」




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