一対の剣と盾 5

 目を閉じたセイはロッドを掲げていた。

 魔力を込めたロッドは、獲物の居所を指し示す。クールとセイが追うのはもちろん、先日仕留め損ねたワイバーンだ。

 やがて、ロッドの先端にはめ込まれた宝石が輝きはじめ、その光が集まって一方向を示した。


「……東の谷、岩の陰」

「よし。行け、アード」


 契約鳥は、セイのロッドが示すほうへまっすぐに飛ぶ。

 冷たい風を受けながら空を翔けていたクールはふと目を細めた。


「……谷」


 気づけば東の空が明るくなり始めていた。顔を覗かせた太陽の光が、深い谷に落ちていく。

 クールは目を凝らした。セイの掲げるロッドの石がきらきらと金色に輝く。渦を巻いた金の粒子が光線と化して谷の一点をさした。

 金の光が突き刺さったのは大きな岩だった。昇ってくる太陽の光が、夜闇に染まっていた谷底を照らす。


「………」


 クールとセイは同時に息を吸い込んだ。

 気配がした。陰にひそんでいた大きなものが身じろいで震えたのが感じられる。

 アードが谷の上空を旋回し、翼が風を打つ音が響く。

 呼吸を整えたクールが剣の柄を握り直したとき、眩い光に追い立てられるように岩陰からワイバーンが躍り出た。

 ワイバーンが首をもたげて契約鳥を捉えたときには、クールはアードの背から飛び降りていた。


「あっ、クール」


 アードが色を失う。こんな高さから飛び降りて、万が一のことがあったらどうするのか。

 だがクールはそんなことなど欠片も考えていない。彼の頭にあるのは、打倒ワイバーン、それのみ。


「セイ、風だ!」


 落ちていくクールの叫びが木霊する。

 セイは舌打ちしながらロッドを掲げて叫んだ。


「谷の風、司る王よ、ひと時の翼を」


 ロッドが激しい光を放った。その光と、そこに込められた魔力に呼応して、風の精霊たちが幻のような儚い姿を見せる。

 真っ逆さまに落下していくクールを風の翼が取り巻いたのが見えて、セイはそっと息をつく。これで地面に叩きつけられることはなくなった。たぶん。

 苛立ったようにワイバーンが咆哮した。目障りな人間を睨めつけ、皮膜の翼を激しく震わせながら上昇してくる。

 弓から放たれた矢のように飛ぶワイバーンをなんとかよけたクールは、風に守られながら着地した。着地の衝撃は予想していたよりずっと少なかった。風の精霊たちに感謝しながら上空を振り仰ぐ。

 ワイバーンは速度を上げながらさらにさらに上昇していく。魔物が狙っているのは、空を旋回している巨鳥とその背にのった人間か。


「セイ! アード!」


 凄まじい速度で上昇したワイバーンを、きわどいところでアードはどうにか回避した。が、ワイバーンの翼の先の爪が、アードの翼の先を引っ掻いて、セイの手にしたロッドを掠める。

 ロッドに爪が当たった音が地上まで聞こえて、クールはげっとうめいた。

 慌てて目を凝らしたクールは、セイの表情が瞬時に消える様を見た。


「……汚い手で」


 低くつぶやいたセイの目が苛烈にきらめく。

 引き返してきたワイバーンが威嚇の咆哮をあげた。

 右手を掲げたセイが物騒な語気で唸った。手のひらに魔力が生じて灼熱の渦を巻く。


「このロッドに触れるな」


 突撃してきたワイバーンの鼻面に、セイの放った火炎球が無造作に叩きつけられる。

 ごうっと音をたてる火炎を撃ち落とされたワイバーンがもんどりを打つ。


「相変わらず過激な……」


 引き攣るクールの呟きにワイバーンのあげた悲鳴が重なった。咆哮ではない。間違いなく悲鳴だった。

 バランスを崩したワイバーンが落下する。

 ロッドをひるがしたセイははっと息を呑んだ。

 違う。落下ではない。急降下だ。ワイバーンの目は、地上のクールを睨んでいる。


「アード!」


 それだけで意図を察したアードも急降下する。

 ワイバーンが口をあけて、クールめがけて凄まじい威力の炎を吐いた。肌を焦がすほどの炎熱がクールに迫る。

 しかし、それより早く着地したアードの背から飛び降りたセイがロッドを掲げる。


「ジン!」


 ロッドの石が赤い閃光を放った。その中に浮かび上がる影は、炎の精霊王ジンのそれだ。

 ジンの炎が噴き上がってワイバーンの炎熱をさえぎり、四散させる。

 風がクールを取り囲んだ。精霊たちの守りの壁が、ジンとワイバーンの炎を阻む。

 怒りで我を忘れたワイバーンが吠えた。猛り狂いながらクールとセイめがけて突っ込んでくる。


「クール、いまだ!」

「任せろ!」


 セイが横に移動し、剣を構えたクールはワイバーンに狙いを定めた。

 その刹那、ワイバーンの眉間に打ち込まれた黒い棘がはっきりと浮かび上がって見えた。


「見えた」


 あれを壊さなければ、ワイバーンは止まらない。翼を切られても、胴を薙がれても、首を落とされても、邪神の魔力に操られてエリンの人々にわざわいを振りまくのだ。

 青い鷹の姿に変化したアードが小さく身震いした。


「闇の棘…」


 それは邪神の生み出したもの。フィオールの末裔と呼ばれるものたちが魔物や生きものに埋め込む禍の欠片。

 砕けるのは、壊せるのは、オグマの加護を受けた騎士の剣のみ。

 向かってくるワイバーンの眉間を狙い、クールは剣を構える。

 今度こそはずさない。

 ワイバーンが雄叫びを上げながら炎を吐く。

 クールの眼前に迫ったそれは、しかしセイの放った魔力に阻まれ跳ね返される。

 おのれの放った炎にまかれたワイバーンが耐えきれずに身をよじった瞬間、横殴りに炎を裂いた剣がひるがえって魔物の眉間を叩き斬る。

 剣が闇の棘を真っ二つに割り、邪神の魔力が音を立てて弾け散った。

 ロッドを両手で持ったセイが深く息をつく。

 クールは英雄から受け継いだ剣を天に掲げた。





 邪神フィオールと、その下僕たちから地上を守るため、ダーナの神々は聖なる力を人間たちに授けた。

 ダーナの名の許に、恐ろしい魔物と戦う勇敢なる騎士とドルイドを、人々はこう呼ぶ。

 一対いっついの剣と楯、と。




                           一章 一対の剣と盾 了

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