一対の剣と盾 3

 実は、クールとセイが正式な騎士団員として叙任されてから、それほど経ってはいない。

 これまではジェインとロイドやほかの騎士とドルイドたちが必ず同行していた。

 経験を重ね、度胸もついたし咄嗟の判断もできるようになってきた。

 今回のワイバーン討伐は、試用期間を経ての本格的な初仕事だったのである。

 それなのに。


「……あと一歩のところで逃げられた」


 宿舎に戻ったクールは、居間で剣の手入れをしながらため息交じりに呟いた。

 オグマ城の敷地内に騎士団員の宿舎があり、クールとセイはそこに住んでいる。二階建ての建造物で、長い廊下に幾つも扉が並んでいる。扉の反対側は窓で、どの部屋からも中庭が見える。二階の一番端がクールとセイの宿舎となっている。もとはファリースのものだった。

 間取りは、暖炉のある居間をはさんで寝室がふたつ。風呂と洗面所はどの部屋にもついている。お湯は必要があれば暖炉の火で沸かす。

 本格的な調理ができるほどの設備はないので、食事は食堂で取るか、食堂からもらってきて宿舎に持ち込む。外出時に食料品を買い出しすることもある。

 居間には使い古されたテーブルがひとつと椅子が二脚。作り付けの棚に少ない数の食器や木の実の袋が収まっている。

 剣身に傷がないかを確かめる。

 これはファリースの剣。あの日、雨に濡れ、暁の光をはじいた剣だ。 


「………………」


 クールは目を閉じた。

 瞼の裏に浮かぶ情景は、いまも色褪せることがない。

 雨の夜だった。クールとセイは六歳だった。

 自分たちを背にかばって剣を構えたファリースの姿が、雨の中で不思議なほどはっきりと見えたのを覚えている。

 たぶんあれは、ファリースが放っていた闘気。

 きっとクールとセイは、目ではないところで、彼が燃やす命の炎を見ていたのだろう。

 最後までファリースの手にあった剣はいま、クールの手の中にある。


「よかった、刃こぼれも何もしてないや」


 剣身が明かりを反射して美しくきらめくのを確かめて、クールは肩の力を抜く。

 ちょうどそのとき、開いたままだった両開きの窓からアードが飛び込んできた。


「ただいまー」


 床に降りたアードが翼をたたむ。


「セイは?」

「ミルディンと話してるよ。もう少しかかりそうだったから、先に帰ってきたんだ。クール、おなかすいた」


 ばさばさと翼を鳴らして催促するアードに、クールは苦笑しながら剣をテーブルに置いた。

 アードの食糧は木の実だ。棚から袋を出して専用の木の器にそれを盛ってやる。


「ほい、おまけ。今日は助かった。感謝の印」


 いつもの食糧に添えられたのは、比較的高価なアプリコットの実だ。

 アードは目を輝かせて嬉しそうについばむ。

 クールは苦笑した。

 鳥の姿をしたこの風の精霊は、感情がとてもわかりやすい。ほかの契約鳥たちも同じなのだろうか。

 ロイドの契約鳥であるフクロウのモアはそれほどでもない気がする。今度ロイドに訊いてみようか。

 ほかのドルイドの契約鳥たちのことも思い起こしてみるが、ほとんどが落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 何が違うのだろう。やはり年季か。

 アードがセイと契約したのはドルイドに任じられたときだから、自分たち同様に成長途中なのかもしれない。

 そんな埒もないことを考えながら手入れを終えた剣を鞘にしまい、壁に立て掛ける。

 ほぼ同時にドアが開いてセイが帰ってきた。


「ただいま」


 片手にロッド、片手にバスケットを下げたセイは、少し疲れた様子でドアを閉めて息をつくと、クールの剣の横にロッドを立てかけた。


「お帰り。……どうしたんだ、それ」


 首を傾げるクールにバスケットを見せながら、セイは乏しい表情のまま口を開く。


「ダンに会って」

「ダンに?」


 クールの脳裏に細いメガネをかけた面差しがよぎる。

 

「ふたりで食べろって、もらった」


 ダンは、オグマ騎士団を擁するダーナ神殿の祭司だ。しかし。


「なんでいるんだよ。ここのとこずっと飛びっぱなしなのに」


 空の砦と呼ばれるオグマ城は、時々地上に降りる。

 地上にあるときオグマ城は、ダーナ神殿のすぐ横にある巨大な湖の浮島に築かれた城だ。

 オグマ城の建つ浮島を丸ごと浮かばせるのはダーナの神の力だとされている。


 

     ◇     ◇     ◇



 城の奥にあるミルディンの執務室から出てきたセイはため息をついた。


『おや、こんな時間までミルディンの話し相手かい、セイ』


 声をかけられたセイの表情が少し曇る。


『まぁ、そんなところ』


 曖昧に応じながら、ダーナ神殿の祭司がなんでこんなところにいるんだろう……と考えるセイだ。

 空の砦はここ数日航空をつづけていて、湖には降りていない。

 おそらくダーナ神殿に属する契約鳥の背にのってきたのだろうが、砦はいま神殿から相当離れた位置にある。契約鳥の翼でも神殿からここまで数日はかかると思われる。

 ダーナ神殿の祭司であるダンはそれなりに役目を負っているはずで、毎日それなりに忙しいはずだ。いいのだろうか。

 無言で思案をめぐらせるセイにダンは言った。


『聞いたよ。あと一歩のところでワイバーンを取り逃がしたんだって?』


 表情のなかったセイが途端に渋面になるのを、ダンは面白そうに眺める。


『大した怪我がなくて何よりだ。ワイバーンは意外に手ごわいからね。その討伐を任されるということは、君たちの麗しの上司は、君たちを相当買っているということだ』


 思いもよらない言葉を受けて、セイは少し驚いた。

 ダンはにやっと笑うとセイを手招きした。


『夕食、まだだろう? パンと肉があるから持っていくといい』

『……ダン、ひとつ訊いていい?』

『ん?』

『神殿の仕事ほっぽり出してきてたりしないよね?』

『ん?』


 ダンは笑っていた。

 これ以上ないくらい晴れやかな笑顔だった。



     ◇     ◇     ◇


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