一対の剣と盾 2
◇ ◇ ◇
ワイバーンを隠した雲はどんどん広がり、夕刻にはすっかり空全体を覆っていた。
緑深くどこまでもエリンの大地に覆いかぶさるような雲の中、空の砦と呼ばれる天空の城がある。ここはクールとセイが属するオグマ騎士団の本拠地オグマ城である。
戦いの神「オグマ」の名を冠した騎士団は、「フィオールの末裔」たちからエリンの民を守る役割を負っている。
オグマの騎士とドルイドは、天を翔ける空の砦とどこまでも飛ぶ契約鳥の背にのってどこへでも駆けつけるのだ。
天空に浮かぶ城の中庭に、数人の騎士とドルイドたちの姿がある。任務を無事に終えて帰城した者たちだ。
任務を終えてくつろいだ様子の団員たちから少し離れたところに、硬い表情のクールとセイが並んでいた。
ふたりの前にはすらりとしたしなやかな肢体を防具とマントに包んだ女が立っている。剣を帯びた腰に届く長い黒髪はまっすぐで、空の砦に常に吹いている風に遊ばれていた。
クールたちより十は年上だろう女の目線はふたりとほぼ同じ高さにある。
彼女はやにわに、形の良い眉をくっと吊り上げた。
「ばかもんっ!」
怒号とともにごんごんっと鈍い音がした。
騎士団員たちは何事かと振り返った。
クールとセイが頭を抱えている。先ほどまでセイの肩にいたはずの契約鳥は、飛び上がって避難している様子だった。
どうしたのかと訝る騎士に、ドルイドが声をひそめる。
「どうも、標的を逃がしたらしい」
「ああ…」
「ジェインが怒るのも無理ないな」
クールとセイに鉄拳を食らわせた女の名はジェイン。クールとセイにとっては直属の上司である。
「仕留める寸前に逃げられるなんて、なんたる失態だ!」
目を怒らせてたたみかけてくるジェインに、頭を押さえながらクールは反論を試みた。
「でも、ジェイン。あと一歩のところまで追い詰めたんだ」
言い募るクールの目ににじんだ涙は鉄拳を食らった痛みのせいであって、取り逃がした悔しさなどではない。断じて。
ジェインはクールをきっと睨み、さらに怒号を浴びせる。
「口答えは許さん! 追い詰めようと傷を負わせようと、逃がしたことには変わりがない!」
クールとセイは無意識に身をすくませた。まったくもってその通りである。
ここでジェインの語調が一変した。
「あのワイバーンはもう三人も襲っている。手負いになったやつは新たな獲物を探して、次はケニーの村を襲うかもしれない」
抑えた鋭い語気が紡ぐ言葉が、先ほどの怒号より強くクールとセイの胸に刺さった。
「それをわかっているのか、クール!」
「…………っ…」
クールはぐっと詰まった。一方のセイは、唇を引き結んでうつむく。
ジェインがさらに言い募ろうとしたとき、軽く風を打つ翼の音が近づいてきた。
「ジェイン、もうそれくらいに」
呼ばれたジェインが振り返ると、フクロウを肩にのせた男が取りなすように笑っている。
セイと同じローブとロッドはドルイドの証。栗色の短い髪と栗色の瞳は優しい印象だ。
「ロイド」
彼は騎士ジェインの相棒、
「黙っていてくれ。こいつらは私の部下だ」
険しい面持ちのジェインに、ロイドは穏やかな口調で言った。
「ここに来るまでに大分反省していたようだし、もう十分だと思うよ」
「お前は甘い」
ジェインが渋い顔をすると、ロイドは朗らかに笑う。
「手厳しいきみの対のドルイドとしては、適任だろう?」
ジェインの後ろでうつむいているセイは、そっと視線をあげて上目づかいにふたりの様子を窺う。
その隣のクールは、ジェインに見えないようにロイドに助けてと手を合わせている。
ロイドの笑みが深くなった。
「それに、ミルディンがセイを呼んでいるんだ」
瞬きをしたセイが顔を上げ、怪訝そうに首を傾けた。
ドルイドの最長老であるミルディンが、いったい自分に何の用だろうか。
ミルディンの名を聞いたジェインは目をすがめて息をついた。
「…なら仕方ない」
これで解放されるとほっとしたクールの耳を、ジェインは無造作に掴み上げた。
「いででででっ」
「罰として素振り五十回。数をごまかしたら倍だ」
低く命じる上司にクールは目を剥いた。
「俺だけ!? セイは!?」
ジェインの目がきらりと光る。
「ドルイドのセイと騎士のお前では役割が違う」
その迫力に気圧されたクールが押し黙ると、ジェインは淡々とつづけた。
「セイはワイバーンの攻撃からお前を守っただろう。なのにクール、お前は取り逃がした。この場合、責められるべきは誰だ?」
彼女の目を見ていられなくなって、クールは視線を泳がせる。
「う……っ、……俺」
魔物は、エリンと、エリンに生きる人々を狙う邪神フィオールの手先だ。オグマの騎士はフィオールの末裔からエリンの民を守らなければならない。
にもかかわらず、今回クールはワイバーンを倒すどころか取り逃がした。
ワイバーンは決して上位の魔物ではない。どちらかといえば低級。あの程度の魔物すら倒せないようでは、お話にならない。
ジェインは無言でマントを翻すと、その場をあとにする。
立ち去っていくジェインの背とクールの横顔を、セイは気づかわし気な面持ちで交互に見やる。避難していたアードがセイの肩に降りてきた。
さすがにこたえた様子で沈黙しているクールを見かねたロイドが口を開いた。
「クール。ジェインは、きみたちのことが心配で、オーブで見ていたんだよ」
「え…?」
驚いたクールが盛んに瞬きする横で、セイとアードも目を見開いている。
「きみがワイバーンに跳ね飛ばされたとき、ジェインは真っ青になっていた。あれで、とても心配していたんだ」
クールは思わず振り返った。去っていった背中はもう見えなくなっている。
どんな思いで見ていたのだろう。不甲斐なさに対する怒りや憤りも当然あっただろう。しかしおそらくそれ以上に心配をかけた。
クールは知っている。ジェインは、豪剣のファリースと呼ばれた英雄を、いまも誰よりも尊敬しているのだと。
そして、その英雄が守った子供たちを弟のように思い、大事にしてくれていることも、知っている。
「……わかってる」
クールは剣の柄をぐっと掴んだ。本当に、ひどい失態だ。
「ミルディンが呼んでるんだろ、行けよセイ」
鞘から剣を抜きながら背を向けると、セイは短くこう言った。
「じゃあ、頑張って」
そこに気遣う響きがあるのをクールは感じ取る。
フクロウを肩にのせたロイドに連れられて、セイとアードは城の中に移動する。
扉を閉じる寸前、クールの剣が風を切る唸りが、セイの耳にはっきりと聞こえた。
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