二章

一日目

 ──求めることは、罪だろうか。

 足りないのだと、まだ欲しいのだと。与えられなかったものを、そのが一杯になるまで、求め続けることは。


 与えなかったお前が悪いのではないのか。

 与えられたもので満足できなかった私が悪いのか。

 満足とはなんだ?どこまで貰えれば、どこまで埋め尽くせば、

この、耐え難き孤独は満たされる?

 穴の空いたは、どこまで満たせば救われる?



「───ああ、全く。求めることしかできないのは、辛いでしょうね」


 ───だから、その出会いは必然だった。












二章・■求/■食











「……こういう時ほど【殺人鬼】だったことを感謝することもないわよね」



 いつものお決まりのシスター服の上に、ひらりと羽織った黒いコート。あとは頭に被った黒いユシア帽……、現地の気温を思えば、あまりに軽装過ぎる姿だ。

 ただ、一般的な【殺人鬼】は気温の変化を無視できる。それが何かしらの異常でない限り、彼らにとって気温の変化は、命を脅かすものとはなり得ない。


 そういう意味で、彼女の今の服装はお洒落をしていると言い換えてもいいものだった。無論、周囲から浮かないようにするための変装の意味合いもあるのだが。

 なので、しばらくしたらコートの前は閉じることになるだろうと彼女は一人ごちる。


 近くの町からの乗合馬車に、他の乗客達に紛れながら乗るサラは、ふと外に雪がちらつき始めるのを見る。肌寒い、程度だった気温も徐々に下がり始めているようだ。……すなわち、ついにユシア領内に入ったのだと理解する。


 交通手段も前時代に戻ってしまったこの世界において、変に早い移動を繰り返せば要らぬ緊張をもたらす──とは、七賢人の誰の言葉だったか。

 そういうのなければパッと行ってパッとやれるんだけどなぁ、と小さくぼやいたら滅茶苦茶怒られたっけ、とも思い返しながら、サラは馬車に揺られ外を眺めていた。









 ユシア領内に入ってほどなく、サラはしばらくの足止めを受けていた。それは、



「───吹雪、ですか。確かに、それはどうしようもありませんね」

「はい、申し訳ないのですが……」



 車を引く馬達の厩舎の前、申し訳無さそうに頭を下げる御者に問題ないと礼を伝え、建物から出る。

 町に付いてから次第に強くなった吹雪は、今や数歩先すら見通せないような猛吹雪と化していた。町の中は対策を取っているのでそこまででもない、ということだけは救いだろうか。とはいえ、足止めを食らってしまったのは確かである。


 ……広いユシア領内を徒歩で回るのは現実的ではない。というか、この猛吹雪の中を歩いて回ってたら明らかに余計な騒動の火種になる。移動方法が限られている以上、吹雪が止むまでこの町に滞在せざるをえないのはどうしようもない事実だった。



「こういう時は使っていいんじゃないかと思うんだけどねぇ……」



 自身の【殺人鬼】としての異能を思えばそっちの方が楽だと思うのだが、婆様方の言う通りそれをやると、【兆し】以外の【殺人鬼】にも勘付かれそうでなんだかなぁ、というのも確かな話。



「ふぅ。やれやれ、今回も長丁場かな?」



 なんて事をぼやいていると。



「おや、こんな辺地に神職の方がお見えになるとは」

「!」



 背後から声を掛けられ、彼女は後ろに振り返る。……この服が神職のものであると分かる相手なので微笑みも忘れずに。

 そうして、そこに立っていたのは身なりが良く、物腰の柔らかそうな老齢の男性。今時珍しいくらいの紳士的な雰囲気を醸しだす人物だった。



「こんばんは、素敵な殿方。私はシスターサラ、巡礼の旅を続けるしがない聖職者にございます」

「ふふっ、これはご丁寧に。私はこの地にて病院を営むスタンリーと言うもの。どうぞ御見知りおきを」



 膝を曲げて挨拶カーテシーすれば、返ってくるのは右足を引いての挨拶ボウアンドスクレープ。……この時点で相手がその辺りの礼儀を今も重視する人物関係者だと知れたサラは、とりあえずこのまま聖女口調で通すことに決めるのだった。



「ところで、スタンリー様はどうして私にお声を?」

「何、素敵な女性が困っているようだったからね。声を掛けるのは紳士の嗜みというわけさ」

「あら、お上手ですこと」



 ……周囲からすると道の真ん中で何やら腹の探りあいめいた事をしているようにしか見えず、思わず御者が声を掛けようかと思ったりしたそうだが。

 そんな事は露知らずとばかりに、サラは彼に連れられ、その自宅に案内されるのであった。











「……やれやれ。噂の【殺人姫】殿はなんともお転婆だ」

「……やっぱり、爺様からの使者でしたか。爺様から何か?」



 家の玄関で肩にうっすら積もった雪を払い落としているサラに、スタンリーがやれやれと首を振りながら声を掛けてくる。

 問いかければ、彼はニヤリと笑って。



「何、お転婆娘がそっちに向かうから宜しく、とね?」

「……みんな私のことなんだと思ってるんだろ」



 会う人会う人みんなにお転婆と言われているような気がする。昔からしてみれば十分落ち着いたと思うのだが、なんて事を思うサラ。……そうして昔よりマシ、とかやってる時点でまだまだだと思われているというのは言わぬが花か。

 そんな事を思いながら、スタンリーは彼女の帽子を受け取って近くの帽子立てに引っ掻けた。



「まぁ、この辺りの吹雪が長引くのはいつものことだ。良い機会だから今のうちに書類整理も終わらせて置けとのお達しだよ」

「……まぁ、やろうとは思ってたけども」



 なんでこんなところに来てまで書類とにらめっこせねばならぬのか、とサラは小さくぼやくのだった。










「……んー、んんー……」



 羊皮紙をペンでかつかつとつつきながら黙考する。

 物を書く時、どうして書き出しはこんなにも難しいのだろう、と思いながら乾いたペン先にインクを付け直したり、はたまたジーっと蝋燭の火に目を凝らして何か思い付かないかと足掻いてみたり。


 ……言うまでもないが、サラは書類作業が苦手である。溜まりに溜まった書類作業は、彼女がやりたくないからと避けていたのが理由と言えなくもない。なので自業自得なのだが──、しばらくして彼女は全て投げた。諦めたともいう。



「何にも浮かばないんだから浮かばないの、仕方ないんですっ」



 誰に向けたものかもわからない言い訳を宙に投げながら、ベッドに身を投げる。

 枕を胸元に手繰り寄せて、あっちにゴロゴロ、こっちにゴロゴロ。広いベッドを有効活用しながら、彼女は右へ左へ転がっている。……文面が思い浮かばない、というのが言い訳なのはどう見ても明らかだった。この女、意識しすぎである。



「もし、サラ嬢?」

「ひゃいっ!?」



 などとやっていたら、扉を叩く音。声はスタンリーのもので、内容は食事をしないか、と言うもの。



「別に構わないのに。【殺人鬼】の食性を知らないって訳でもないでしょ?」

「なに、知っているよ。君達にとって普通の食事は娯楽に過ぎないということはね。……だからまぁ、単に食事の場と託つけた会話を楽しみたいだけなんだよ、私は」



 そう笑う彼は、右手にワインを持っていて。……変に湯だった頭を冷やすにはちょうど良いかとサラは了承する。



 食堂ではメイド達が待ち構えていた。席に付くなり料理が順に運ばれてくるものだから、適当に会話する予定だったサラは少しばかり面食らう。



「いや、美味しいから良いんだけどね」



 出てきた白身魚の粉屋焼きムニエルをナイフで切り分けて口に運ぶ。

 バターの香ばしい匂いとカリッとした食感は、今の時代にちゃんとした魚料理が出せる人間を雇い入れていること──、それだけの財力を目前の男が備えている事を教えてくる。



「大袈裟な。幾ら今の時代があれこれと後退したとはいえ、調理技術まではそうそう失われはしないよ」

「どうかしら。そんなの、ユシアに根差す人間なら──、それも【殺人鬼わたしたち】を知る人間なら、自覚して当然だと思うけど」

「…………」



 サラのある意味辛辣な言葉に押し黙るスタンリー。その様子に流石に言い過ぎたことを察し、サラは謝罪する。



「ごめんなさい、言い過ぎました。……けど、貴方もちょっと今のは迂闊だったと思う」

「……いや、確かに。今のは軽率だった、こちらからも謝罪を」



 互いに謝罪を受け入れ、食事に戻る。しばし互いに無言で食事を摂り続け───、



「……だから、私は言ってやったんだ!お前のやり方は迂遠過ぎる、それでは足りんとな!」

「あー、あー。なるほど、それは確かにねぇ」

「だろう?!」



 サラの目の前で、スタンリーはすっかり酔っぱらってしまっていた。呂律こそ回っているものの、顔は真っ赤で視線はフラフラ、どう考えても明日は二日酔いコースの悪酔いにしか見えなかった。



「……その、いつもこうなんです?」

「いえ、旦那様は自制のできる方でいらっしゃいます。……その、申し上げにくいのですが、先の話題のせいではないかと」

「あー……」



 私のせいか、と顔を押さえるサラ。

 酒を飲む気でいた上で、更に酒が進むようなことを言ってしまったせいだと。

 近くのメイドに聞いたところによれば、そういうことらしい。……そうなると、その背を押した側としては無視して部屋に戻るわけにもいくまい。



「すみません、あとは片付けておきますので、貴方はもう下がって大丈夫ですよ」

「え、いえ、それはできません。私共の仕事をお客様に手伝わせるなど……」

「いいんですよ、主人がこんなになってるんだから見なかったことにするのも従者の役目です。……付き合ってたらいつまで続くか分かりませんよ?」

「あう……」



 視線の先では何やら歌い始めたスタンリー主人の姿。……正直、このまま衆目に晒すのは憐れにすら思えてくる。


 結局、渋るメイドさんを下がらせて、サラはスタンリーの面倒を終わるまで見ることにするのだった。











「こういうのって逆じゃないのかなぁ……」



 酔っぱらった挙げ句にプツンと糸が切れたように眠り始めたスタンリーを、部屋に戻して寝かしつけたあと自身が借り受けた部屋に戻る途中。


 ふと、窓の外が気になった。


 地元の名士ということになっているスタンリーの家は、まるで小さな城のような大きさを誇っている。

 それゆえか、窓から写る建物の全貌は、ある一定の高さから吹雪の白に覆われてしまい、見通すことができないでいた。

 そんな一画が、今。たまたまに吹雪が止んで、その姿を現していたのだ。


 城だと思った感想そのままに、そこに合ったのは五階ほどはある尖塔。

 白くこびりつく雪が煌めき、一種神秘的ですらあるその塔は、たまたま止んだ吹雪の合間から月の明かりを浴びて、まるで一本の蝋燭のように見える。

 そして、その先端に近い部分にあるせり出した踊り場ベランダに、



「───人?」



 その塔よりも白く、舞い散る雪よりも白い───、白い、誰かの姿があった。


 ……世が世なら、幽霊か、はたまた塔の上に幽閉されたお姫様か。

 そんな風に呼ばれそうなその誰かは、雪の塔の上で、ただ白い満月を眺め続けていた。


 やがて、止んでいた吹雪が猛威を増し、その姿を覆い隠す。……屋根も壁もある場所に居たから別に吹雪にまみれたりはしていないだろうが、なんとなく彼女のことが気になったサラ。



「まぁ、もう夜も遅いし、聞くにしても明日かな」



 さっき見えた満月の位置からして、もう次の日は迎えてしまっているだろう、寝かしつけたスタンリーを起こすのも気が引ける。

 なら、明日また改めて聞いてみるのがいいだろう。



「それにしても───」



 はて、塔の上に幽閉されたお姫様。……昔、どこかで聞いたことがあるような気がする。

 そんな事を思いながら、彼女は最後に窓の外を一瞥し、部屋の戸を後ろ手に閉じるのだった。

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