章末
「──ん」
「っ、キキばあ!」
キキばあを背負いながら森の道を行く少年。
その背の上で、小さく身じろぎをする彼女に気付き、少年は急いで近くの木の影に駆けよって、彼女を背から下ろし、木の幹に背を預けさせる。
──見れば、腐食していたはずの彼女の顔の右半分が、まるで腐食していたという事実さえ無くなったように、綺麗なものに戻っていた。
「──ったく、上手くやったみたいだねぇ、あの子は」
「キキばあ、喋って大丈夫なのか?」
目蓋を開けたキキばあは小さく頭を振ると、空を仰いで一つ息を吐く。──姿形こそ元に戻ったが、その姿は殊更に年老いて見えた。
「やったって……」
「さてね。あの神父をどうにかした、ってことだろうよ」
視線を移しても、ここから見えるのは崩れた教会の一番上──、教会という建物を象徴する十字架だけだ。
それより下は、木々に隠れて伺うことはできない。
「──外に出た娘の訃報が届いたのは、随分前のことさ」
「……え?」
だから、突然の告白に少年は困惑する。
それに構わず、キキばあは話を続ける。
「嫁にでた、なんて町のみんなには誤魔化したもんだが。……ほんとはね、うちの娘はよその教会に行ったのさ」
娘が恋をして嫁ぐように出ていった先は、教会。
神の花嫁として、彼女の娘は出ていった。
伝書鳩なんて洒落たもので時折報告を寄越してくる娘を、彼女は時に文句を言いながら、時に安堵するように待ち続けたという。
ところが五年前。
その連絡がぱったりと途絶えた。
最初は単に忙しいのだろうと思っていたのだが……、
「ある日突然、ここの神父とは別の神父がやってきてね。……殺されたって話だった」
ある日突然娘の訃報を告げられた。
夫と早くに死に別れた彼女にとって、唯一の肉親だった娘は、勤めていた教会で事件に巻き込まれ、その命を散らしたのだという。
無論、彼女はその神父に詰め寄った。
何故、どうして。
──黙し語らぬその神父に有らん限りの罵詈雑言を投げ付けて──それきりだ。
そもそもに娘が教会に行くことを反対していた彼女は、すっかり神職というものに嫌悪感を抱いてしまっていた。
それからは、行き場の無い思いを全てパンにぶつけてきた。
作って、作って、作って。
作って作って作って作って作って作って作って作って作って作って作って、
「──それ、いくら?」
そうして、サラに出会った。
軒先に現れた彼女は、今と同じようなシスター服を着ていて。
神職嫌いの彼女は「アンタに売るものは何もないよ」と突っぱねたという。
ところが、彼女はそれに一つ頷きを返し、
「知ってる」
──ふわりと笑ったその姿に、娘の姿がダブって見えた。
彼女は娘の働く姿を見たことが無いはずなのに。
その笑みは、娘が浮かべたそれと同じなのだと、何故か直感していたのだ。
そうして、サラがキキばあの元に寝泊まりするようになった。
「娘は──生きたいように生きたんだろう。そして、その意思か何かを──サラは受け継いでいた」
娘を思い出す、どころではない。
彼女にとって、サラは──文字通り娘も同然だったのだ。
「だからまぁ、あのお転婆がどうするつもりかは分かるよ。……追いかけな、私のことは構わずにね」
キキばあの促しに、一瞬躊躇を見せた少年は。
やがて意を決するように、振り替えって元来た道を走っていった。
その背をぼんやりと見送って、彼女はまた空を仰ぐ。
「……全く、とんだお転婆娘を連れてきてくれたもんだね、カリン」
子に掛けられる迷惑は、どうしてこうも楽しいのだろうと笑いながら。
「──サラっ!!!」
「あー、来ちゃったかぁ……」
息を切らしながらたどり着いたその場には、瓦礫の上に佇むサラの姿があった。
こちらに向ける視線はバツの悪そうな、はたまた悪戯がばれて気不味い子供のような、そんな感じのもので。
「何も言わずに、行ってしまう気だったのか」
「──変な未練は残したくないしね。それにほら、貴方の中の私の姿を崩したくないし」
問い掛ければ、彼女は苦笑を浮かべる。
……どうせ、変なことを考えているのだ。三ヶ月、たった三ヶ月だけど、それでも。
「……お前は何時も無茶苦茶で、こっちの都合なんて考えてなくて、それで」
「あー、うん。やっぱそんな感じだよね。けど……」
「けれど!!」
弁解しようとするサラの言葉を遮って、少年は胸の内をさらけ出す。
「俺はっ!サラだから、……サラを好きなんだ!!お前がどういうものだって関係ないっ!!俺と、俺と一緒に居てくれ………っ」
お転婆で、突拍子もなくて、朗らかで、楽しげで、恐ろしくて、強くて、カッコ良くて、───全てが、好きだった。
例え人とは分かりあえないモノなのだとしても。
それでも、この思いは本当だった。
「──あー、うん。その、なるほど?」
対するサラは、照れ臭そうに視線を泳がせて。
「──うん、ありがと。私を、好きになってくれて」
──額への口付けは、どういう意味だったか。
瓦礫から軽く飛び降りた彼女が、それを行って。
その意味を考える内に、視界が明滅し始める。
平衡感覚が崩れ、立っていられなくなる。
「なに、を」
「──恨んでくれていいよ。許してくれなくてもいい。けれど、ひとつだけ」
──それでも、生きて。
そう告げて、彼女は踵を返す。
……前がわからない、足が覚束ない、去ろうとする彼女を止められない。
「──許さないっ!俺は、俺はっ!!絶対に、許さないからな……っ!!!」
だから、せめて。
許さないと、告げる。
何を許さないのかを告げぬまま。
ただ、許さないのだと声を上げる。
小さく笑みが帰って来たような気がしたあとに、視界は暗転し───。
「──良かったのか、あれ」
「いいのよ。……私なんかには勿体ない。きっと、生きて生きて生きて──、私よりいい人を見付けられる」
瓦礫の裏には、一台の
その運転席に座る、どう見ても普通の人には見えない相手に軽く言葉を返して、そのまま助手席に飛び乗る。
運転席の男はしばし彼女を微妙な眼で見つめていたが、
「まぁ、お前さんがいいなら、それで構わねぇさ」
適当に言い置いて、車のエンジンを点火する。
──今の時代において、維持も運用も凄まじく手間が掛かる車に乗って、二人は町から離れていく。
話す話題は──これからのこと。
「んで?とりあえずこのまま本部か?」
「そうね、今回の報告やらなにやらあるし。──久しぶりに見たい顔もあるし、ね」
思い浮かべるはとある後輩の姿。
居ない内に無理をしてないか、心配事も多いがゆえに。
それに、意外と長くなってしまった今回の事件についての報告も、それなりに早く纏めなければいけないだろう。
「ったく、相変わらず忙しそうだなぁ、
「それは貴方もおんなじでしょうに大統領。……あれ、いま帝王なんだっけ?」
どっちもだよ、と返して男はアクセルを強く踏む。
車は更に加速し、遠く離れた町はもはや点より小さくしか写らない。
それを少しだけ寂しげに見つめて──、
「やっぱり引き返すか?」
「───冗談。『世界の果て』に連れてくまで、立ち止まる気はないっての」
自身の隣に誰かが居るかのように微笑んだあと、彼女は視線を前に戻すのだった。
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