六日目・③

「……間一髪、ってとこかな?」



 振り抜いた拳を開き、自身に付いたほこりをのんきに払いながら棺の中の黒縁メガネを取るサラ。

 数刻ぶりに彼女の顔に収まったそのメガネは、どこか誇らしげに見えた。


 できあがったその姿は、不自然なほどにいつも通りの彼女の姿で。

 ゆえに少年はそれが、彼女がこちらに気を使って意識的に行っているものだと気付く。



「……ん、ただいま」

「……バカ、呑気なこと言ってんじゃねぇよ……っ」



 チラリとこちらを向いた視線が以前のような冷たいものじゃないことが、少年には何より嬉しく思えてしまう。

 そんな二人の会話を、



「………ああぁあぁっ!!!不愉快不愉快不愉快不愉快ぃぃいっ!!」



 瓦礫を吹き飛ばしながら現れた神父が邪魔をする。

 見れば彼の瞳孔は開ききり、口からは煙のようなものが立ち上ぼり。顔中に、異常に膨れ上がった血管が浮き上がっていた。……鬼相というのはこう言うものをいうのだ、そう思ってしまうような異様さだった。



「……私には一つ、確信を持ちきれなかったことがあった。共同墓地を暴いてなお、わからないことがあった。──それは今はっきりした。だから、私は貴方に告げましょう」



 対しサラは、そんな彼を指差し、告げる。



「対象・【殺人鬼】:形式名【腐臭の夢想家イディオット】。───貴方の罪科を、神に代わり裁きましょう」

「やって見せろこの毒婦がぁああぁっ!!」



 その言葉が、戦端を開く狼煙となった。













 先手を取ったのは神父だ。

 とはいえ、彼が腕を振るえばそのまま攻撃となる関係上、離れた場所から先手を取るというのは彼の特権となる。


 全てを薙ぎ払うように一文字に振るわれた右手から、不可視の何かが飛び出す。

 サラはそれを目視するよりも速く、少年とキキばあを抱えて椅子の後ろへと飛んだ。

 転がるように他の椅子を弾き飛ばしながら背後を見れば、先程まで三人が居た場所は一様に腐り落ち、先の一撃が防御できるようなものでないことを示していた。



「とはいえ……」



 瞬時に腐るその速度こそ驚異であるが、不可視の何かそのものの速度は、そこまで速いものではないように見えた。……速くなくとも効果範囲が広いので、それに意味があるのかと言われれば少し疑問でもあるのだが。

 その様な事を考えつつ、サラは二人を抱えたまま教会内を駆ける。



「逃げるばかりですかぁ!!?いいからさっさと土くれに還れamenんんっ!!!」



 その背を追うように、神父の腕が振るわれる。

 壁に着弾した何かが次々と壁に穴を開けていく。

 ……今でこそ逃げ切れているが、この鬼ごっこがいつまでも続けられるとは少年には到底思えなかった。

 神父は腕を振るうだけでいい。

 サラは二人を抱えて走り続けなければならない。

 ──どちらが先に根を上げるのかは、明白だろう。



「……サラっ!俺を離せ!それならなんとかなるだろ!?」

「バカな事言ってないでいいから口閉じてて!舌を噛むわよ!」



 堪えきれずに少年が叫べば、対するサラも大声で叫び返す。

 ……その声の余裕のなさがどこか不自然に思えて、それを問おうとした矢先、



「っ!」

「ぐっ!?」



 サラが急制動し、立ち止まる。

 何事かと視線を巡らせれば、神父が進行方向に何かを放ち、強制的に立ち止まらせていたのだった。

 ……激情しているように見せて、その実こちらを仕留める機会を淡々と狙っていたのだ、神父は。



「甘くみないでほしいものですねぇ?別に楽しむつもりは有りませんから、いつでもすぐに終わらせられるんですよぉ?」

「──甘く見てなんかないけど?」

「……はぁ?」



 こちらを訝しむように見る神父に対し、サラは拾った瓦礫を投げつける。

 無論、当たるはずもなくそれは避けられ、



「苦し紛れですかぁ?!無駄な事を……」

「───最初の内激情してたのは本当。でしょ?……だから、今のを避けちゃうのよ」



 避けられた後ろで、『半壊した』柱に当たる。

 ──教会内にちょうどよく盾になるものはほぼない。

 だからこそ、最初の内にサラ達が隠れた場所に掠めるように放たれた何かは、いつの間にやら教会の骨組みを腐らせており、



「……っ!しまっ、」

「だから、こうなるのよ」



 ダメ押しの投擲が柱を割ると同時、教会は音を立てて崩れ始めた!













「上手いこと誘導できて良かった、かな?」



 投擲と同時に教会の外へと飛び出したサラが、崩れた建物を前に言う。

 縦横無尽に駆け回って神父の目を眩ませた彼女は、その速度に彼が慣れる頃を見計らっていたのだった。

 結果として彼は瓦礫の下、というわけだ。



「とはいえ、まだ終わりじゃないでしょうね。……キミ、キキばあと一緒に下がってて」



 サラに言われ、素直に教会から離れる少年。

 ……教会を崩したのは、自分達が逃げる時間を稼ぐためだろう。その行為を無駄にすることはできない。

 だから彼は小さく頷いて、キキばあを抱えて離れて行くのだった。



「さて、と」



 それを横目に、彼女はスカートを翻す。

 顕になった太ももには、一つの黒いベルト。

 そこに納められた黒い木のようなものを、彼女は取り出して手に取った。


 それと時を同じくして、瓦礫の一角が吹き飛ばされる。

 煉瓦や椅子の破片を舞い散らせながら出てきた神父は、しかし服が所々破けてしまっている程度で、負傷らしき負傷は見られない。

 そして、その眼もまた、死んではいなかった。



「さぁ、続きといきましょうか?」



 瓦礫の上からサラを睥倪する神父は、両手を彼女に向けて振るうことで答えとした。

 放たれた何かは先程までよりも大きく、速く、



「──シッ!!」



 ───彼女に触れる直前で、断ち分け車/斤られた。


 神父が息を呑む。

 それは、理解の範疇外の結果だった。

 何かを犠牲にして防御するのは分かる。

 当たらないようにと逃げ回るのも分かる。

 だが、真正面から──それも、手に持った仕込みナイフで斬って捨てるなど、理解しろと言う方が間違っているようなものを突きつけられて、一体どう反応しろと言うのか。



「──呆れた。貴方、私のこと疑ってたんでしょう?なら、同じ穴の狢だって考えなかった?」

「──っ!!?」



 そうして神父が驚愕している内に、いつの間にかサラが目前に現れていた。

 こちらを小馬鹿にするような、はたまた憐れむかのようなその視線から、逃げるように一歩下がる神父。

 対するサラは、手の中のナイフを、──光を反射しない真っ黒な刀身を持った仕込みナイフを、彼へと向け、言う。



「私はサラ、サラ・ウインドエッジ。───【殺人鬼喰らいの殺人鬼】。貴方の終わりを看取る、最悪の殺戮者よ」














「殺人鬼喰らいの殺人鬼……っ!?」

「……その反応で最後の疑問も解けたわ。うん、これで憂いなく──食事殺害ができる」



 困惑する神父の姿に、何事かを納得した様子のサラ。

 対する神父は途端に、目の前に居る女が化け物以外の何者にも見えなくなっていた。──何故、こんな化け物が。



「……みぃとめなぁいいいっ!!!わたしはぁ、けぇしてぇぇぇえっ!!!」



 恐れを振り払うように、彼は腕を振るい、



「──【嘴突しとつ】」



 それより速く、彼女のナイフが彼の胸の中心部に当たった。


 ……そう、当たっただけだ。

 それは決して、彼の肉体を傷付けることも、──薄皮一枚だって切り裂けていないというのに。

 彼には今、自分の中の命が終わったことを、まじまじと感じとる事ができた。



「……あ、」

「──どうしても、理解できないことがあった。【殺人鬼】が起こす事件にしては、あまりに迂遠。いつ【殺人鬼そう】なったのかは知らないけれど。私にはあの噂が──貴方の命を繋ぐためのものだとは、ついぞ思えなかった」



 自身が【殺人鬼】と区分されているということを知らず。

 【殺人鬼】にとっての殺人がどういうものなのかを知らず。

 そして──そもそもの食事殺害の仕方を知らず。何も知らない幼子のような神父の姿に、彼女は困惑しきっていたのだ。



「恐らくは、最初の殺人それは偶然。たまたま噛み合って、スイッチが切り替わって。……正解がわからないまま、苦しみ続けたのね」



 彼の正解は、不義を働いた者。

 そしてそれは、正解であっても最善では無かった。

 あの時掘り起こした死体が、殺されてはいても殺さ喰われてはいなかったことからも、それは伺えた。


 ……そう、彼は【殺人鬼】として餓えていたのだ。

 それも、恐らくはずっと昔から。



「私があの時墓場で探していたのは、貴方の前任者の神父の遺体。案の定、その死体は『腐ったまま』そこにあった。──【殺人鬼】が食べ損ねた遺体特有の、異常に掛かったままの姿でね」



 あの時見付けた遺体は、噂の元となった遺体と、先日の腐乱死体。

 ……そして、身元不明の腐乱死体の三つ。

 最後の遺体が腕とおぼしき場所にロザリオを握っていたことが、彼女に一つの確信をもたらしたのだ。



「あとは貴方の疑いを利用して、わざと地下牢に入ったってわけ。……ほぼほぼ確信できていたけれど、もう一つだけ確かめなきゃいけなかったから」



 わざわざ使ったローブを神父に渡したのは、それによる偽装工作を期待してのこと。

 彼が自分を疑っていることは知っていたから、それを使っての排除に乗り出すだろうと思ってのことだった。

 一つ誤算があるとすれば、最初に庇うような話を持ちかけられたことだろうか。



「貴方の正解が不義者だと確信していた私からすれば、あそこで庇われるのは想定外だった。……本当に貴方がそうなのか、一度立ち止まって考え直してしまうくらいには、ね。……結局、私じゃなくてキキばあを襲ったから確信は取れたんだけど」



 始めに襲われるのは明確な教義の対立者たる自分だろうと思っていた彼女からしてみれば、あの場にキキばあがいなかったこと──、それが不義に繋がるという想定に至ったということは、寝耳に水も良いところだった。

 ……思わず、少年に冷たい態度を取ってしまう程度には。

 もっといいやり方があったのでは、と少し反省したりもしたものだ。



「あとは──私が問い詰めた所で本心を表さないだろうと感じたから、谷底に飛び降りておしまい、後の追求を彼に任せてね。……本来自分側の人間の裏切りなら、本音を引き出せると思って、ね」



 悪い奴でしょ、と笑うサラに、神父は穏やかに微笑み返す。

 何故、そこまでしたのかが分かってしまったからだ。



「──貴方の信仰は本物だった。【殺人鬼】の本能に従うなら、少しでも疑う者不義者がいれば皆殺しにしてもおかしくなかったのに。貴方は最後まで、神の不在を信じるものだけを排除しようとした」



 最後まで。

 彼は、己の本能に従った殺戮をよしとしなかった。

 推定される状況を省みれば、本当に狂乱してもおかしくない状況だったというのに。

 実際、もってあと数日──、仮にサラ達を殺せたとしても、それが食事殺害になっていなければ結果は同じだっただろう。

 狂乱し、苦しみ抜いて──町ごと消えていたはずだ。

 この世界における一般的な【殺人鬼】とは、そういうものなのだから。



「だから、私は彼を帰らせたのよ。──貴方の答えは、彼には重すぎる」



 神父の居なくなったこの町は、やがて神の不在、その真の意味を知るだろう。

 ……その時、この町に救いを与えられるのは一足先にそれを知って、なお祈りを欠かさない彼以外に存在しない。

 だがもし──彼が神父の真実を知ってしまっていたとしたら。

 彼は神父の意思に殉じ、居ない神を信じ続ける道を取っていたかもしれない。───それは、あまりにも残酷な道だ。



「ふ、ふふふ。全く、どうしてこう……」



 心底おかしそうに神父は笑う。

 ──化け物だと、確信したというのに。



「嫌われ者を進んでやるのは、余りいいこととは思えませんねぇ」

「──誰かがやらなきゃいけないんでしょ、こういうのは」



 違いない。神父は小さく笑う。

 鼓動はもう止まりかけだ、恐らくはこの意識ももう途切れるのだろう。

 ──先代との諍いから始まった長い苦難の日々も、どうやら終わりを迎えようとしているようだ。



「では、最後にお一つ」

「はい?」



 だから、最後にこの敬虔な化け物信徒に、一つ問い掛ける。

 恐らくは、誰よりも優しいこの化け物に。



「貴方は、どこまで行くつもりなんです?」



 その問いに、彼女は少し呆けたような顔を見せたあと、ちょっと照れ臭そうにはにかんで。



「『世界の果てまで』。───そういう風に、約束したから」



 そう笑う彼女の隣に、見知らぬシスターが見えた気がして。

 だから神父は、納得したように頷いて。



「なるほど。それは、遠いですねぇ」



 そのまま、幸せそうに微笑んで、その命を終えた。

 それを見送ったサラはと言えば。



「そう、遠いのさ。じゃあ───ごちそうさまamen



 一つ言い置いて、踵を返す。

 神父の遺体は、いつの間にか煙のように消えてなくなっていた。


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