六日目・②
中身のない棺が、こんなにも空しさを煽ることを、少年は生まれて初めて知った。
あれから町民達を教会に集めた神父は、森の中でサラを発見したこと、そのサラが発見した自分と、少年の目の前で谷底に身を投げたこと。棺に納められたメガネが、彼女が唯一残したものであることを伝えた。
「また、深夜私が確認した黒いローブのものと、彼女が纏っていたローブは同じものでした。──恐らく、『噂』の元となったのも彼女でしょう」
例の『噂』が始まった時期と、彼女が町に訪れた時期は一月ほどずれている。……確定事項と語るには怪しいが関連性がないと言い張るには微妙なその時期のずれを、神父は『噂』の準備のための期間だったのだろうと推測する。
集められた町民達は当初疑問の声を上げていたが、静かな声で淡々と、そして穏やかに告げられていく神父の言葉に、次第に一つ、また一つと騒ぐ声はなくなっていった。
──そうして、中身の無い棺を見送り、サラの葬式は静かに終わりを見せたのだった。
棺に近寄る町民達は、小さな困惑と大きな哀しみをもって、主の居ない棺の中に献花をしていく。
その中に誰一人としてサラに対しての罵倒を述べるものがいなかったのは、彼女が町民に愛されていたからか、はたまた──。
最後の一人が献花を終え、教会から去っていく。
あとに残されたのは、意識の無いまま車椅子に乗せられたキキばあと、その車体を押して棺の前までやって来た少年だけ。
その様子を背後から見守っていた神父はといえば。
最後の町民が見えなくなってから、後ろ手に教会の戸を閉めた。そのまま、未だに棺に祈り続けている少年の後ろへと歩み寄る。
───そして。
「───できるならば、私の手で神の御許へと送ってあげたかったのですが。まぁ、不信心者が一人消えたことは喜ばしいと言えるので問題はないでしょう」
「……神父、さま?」
聞こえてきた言葉に思わず信じられないと振り返る少年。……だが、すぐに彼は振り返らなければ良かったと後悔する。
彼の視界に入ったのは笑っている筈なのに、醜悪だとしか呼べない顔で、中身のない棺に視線を向ける
「……その顔を見せるということは、もう隠す気はないのですね」
そんな顔を見てしまった少年は、しかしすぐさま落ち着きを取り戻す。……そのことが神父には面白くなくて。
「いつ気付いたのです?私は貴方の前でぼろを出した気は一切ないのですがねぇ?」
彼を睥睨し、詰問するように問いかける。少し気圧された少年は──それでも気を振り絞り。
「全部サラが教えてくれた」
「へぇ?どうやって?」
返す言葉に首を捻る神父。
彼が見た限り、そんな疑惑を伝えられるような時間はなかったように思う。
だが、確かに。
少年にとって、答えはサラが教えてくれたも同然だった。
「一つ目は態度。サラの言葉によれば貴方と彼女の軋轢は、互いの神への解釈の仕方によるものだとのことだった」
──神父のそれは、亡きモノを騙るもの。
その欺瞞を許せぬと彼女は言っていたが。
果たしてそれは、本当にそれだけのことだったのだろうか?その差異を語り、疑問を生じさせるためのものでもあったのではないだろうか?
「二つ目はタイミング。俺達が礼拝堂を修繕した次の日、貴方は帰ってきた。──そして都合よく、礼拝堂を使う機会が訪れた」
修繕の切っ掛けを作ったのは少年だ。
だがそれは、切っ掛けがたまたま少年になったというだけで、他の何があったとしてもあの日に修繕を行う気が最初からあったとすればどうだろうか?
──それは都合がいいのではなく、わざと都合を合わせたのだと言えないだろうか?
「三つ目は違和感。神父様、貴方はキキという名前に聞き覚えは?」
「はい?……ああ、サラ君の懇意にしている方でしたね。それが何か?」
……少年は小さくため息を吐く。
それは、キキばあが言ったこと、そして神父の態度に関わることだ。
「もう一つ質問です。町民達からの貢ぎ物のパン屋。……どこにあると思います?」
「………は?」
あの時キキばあはこう言った。「祭儀なんて頼まれても行く気はない」。
そして、神父は貢ぎ物のパンを受け取ったことはあっても、それがキキばあの作ったものだと知らず、そしてその住居を知らない。
後から町の人に聞いたところによれば、キキばあはその大の神職嫌いを周囲に公言して憚らず、仮に貢ぎ物に使うのなら自身の名は絶対に出すな、と口酸っぱく町民に勧告していたほどなのだという。
ゆえに彼はキキばあがパン屋であることを知らず、仮にサラから名前を聞いたことがあっても、それが貢ぎ物のパンとは結び付かない。
……そう、彼にとってはパン屋の主人とは、決して祭儀などに顔を出さない誰か、でしかないのだ。だから、
「今こうして俺の横に居る人が誰なのか知らない。……知らないから、サラがやったといえる」
「……つまり、彼女が」
神父は小さく舌打ちをした。あまりに迂闊だったと気付いたのだろう。
サラとキキばあの関係とは、喧嘩はしても決して傷を付けるようなことはしない、仲良く喧嘩するを地で行くような間柄だというのは周知の事実であるのだから。
ゆえに、彼女がキキばあを傷付けるためにやってくるなどあり得るはずがない。
あの時黒い影が、何かを探すように視線を彷徨わせていたのも理由の一助となった。
──暗い森の中ですら一歩を躊躇わない彼女が、暮らし慣れたキキばあの家を見知らぬ場所のように探るなんてことをするはずがないのだから。
「そして最後。これが一番重要なのですが──、『キキばあをお願い』、そう頼まれました」
最後のピースは、言われた時は意味に気付けなかった言葉。
あの時彼女が呟いた言葉は泣き出しそうなその顔と共に自身に届いてはいたが、それの解釈ができないまま少年はキキばあの店に逃げていた。──キキばあの店に逃げたからこそ、繋がった。
「あの言葉と表情に嘘はなかった。だから『キキばあをお願い』という言葉は信用できた。──信用できたから、逆算できた。なんで、キキばあをお願いされたのかを」
神父の神への解釈は今もなお神は居て、こちらを見ているというもの。──それは裏を返せば、今なお神への不義理は許されるものではない、という苛烈な価値観だとも言える。
礼拝堂の修繕は、最初から疑っていたから。
神父が戻る前を見計らって、彼の神への態度を測るための舞台作りのためのもの。
そして、恐らくは初めて。ちゃんとした祭儀を行ったことによって、彼にとって祭儀に参加しなかったものを、不義理と認める機会が生まれた。
そこまでまとめれば、あとは杜撰でも構わない。
サラの言葉は「自身の居ない間、キキばあを頼む」と解釈ができる。
少年にはそれだけで十分だった。そして、黒い影の来襲によってそれは確信に変わったのだ。
「俺はサラを信じたかった。だから信じた、結局はそれだけの話ですよ。……神父様」
その言葉には躊躇いも、疑いもなかった。
一つのものを信じる、
「……はぁー……。ようやっと邪魔者を排除できたと思ったら、その意思を継ぐものがいる?……訳が分かりませんねぇ道理が足りませんねぇ、神の愛は普遍しそれ以外の愛は全て無駄だというのに、よりによって、異性愛?………ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなこの不信心者がぁっ!!!」
突然、狂乱する。
その変貌ぶりに少年が思わず一歩下がれば、神父だったものは構わず言葉をぶちまける。
「特に特にぃっ!!!貴方には生まれた時から特別に神の愛を教え与えたというのにぃ、たかだか三ヶ月程度共に過ごしただけの毒婦に誑かされぇ、あまつさえ自分から神の愛を捨てるぅ???
……ああダメですね罪深い裁かねば今すぐここで神の身許へ!送って!差し上げましょうかぁ!!!」
「っ?!」
謎の悪寒に任せてキキばあを庇うように地面に飛び込む少年。
「
対し神父が何事かを叫び、右腕を振るう。
直後、少年の頭上を不可視の何かが横切り、
「嘘だろ……!?」
伏せた少年が見つめる先で、礼拝堂のピアノが腐って崩れ落ちた。───自然現象ではない、それは明らかな異常だった。
「嘘では有りませんよぉ?ええ、ええ。最後ですから教えて差し上げましょう。あの毒婦と、君。……ああそれからその老婆もですか。この町の中で、神の不在を信じる者はそれだけだった。──それだけだったのですよ、そう!!不信心者は、お前達だけだったのだっ!!……不信心者に戻る肉など要らぬのですっ!!腐って崩れて滅びてしまうがいいぃぃいっ!!」
「っ!!」
いつの間にか近付いてきていた神父が腕を伸ばす。
虚を付かれた少年は、とにかく傍らのキキばあを守るために彼女を抱え隠し。
「──『人を喰わねば生きられぬ【モノ】がいる』」
「────っ!?」
そして、今にもその手が少年に届くというその時。
低い、低い声が周囲に響き渡った。
それはまるで、あの世を彷徨う幽鬼が、地の底から生者に呼び掛ける時のような、おぞましき声。
……けれど、この世にもあの世にも、もはや亡者共の姿どころか、あらゆる超常の影姿も残っているはずがなく。
なればこれは、紛れもなく『今』を生きるモノの──カタチある声。
気が狂ったのかと己の理性を逃がすことも叶わず、
気が迷ったのかと己の理性を確かめることも叶わず。
ただ、近付いてくるその声に恐怖するよりほかない。
「───っ、誰が、誰が何を恐れると言うぅっ!!我は神の代弁者にして代行者ぁっ!!我が神の威光の前にぃっ、あらゆる不徳は正されるが定めぇっ!!姿を見せよぉっ、不信心者ぁっ!!」
神父が叫び声と共にがむしゃらに腕を振り払えば、たちまちにして周囲の椅子や机が腐り、朽ち果てていく。
傍らの少年にできることはその狂乱に巻き込まれぬよう低く身を屈め、自身と意識のないキキばあの身を守ることだけだ。
───それでも、声は止まらない。
「『人を喰らうために あらゆる不徳を喰らうモノがいる 人を喰らうために あらゆる美徳を喰らうモノがいる そこに善悪の違い無し それは摂理であり 必然である』──食事を邪魔されたのなら誰だって怒る、っていうね」
「……っ!?この声っ……!?」
そこで初めて、二人は視線を外に向けた。そう、その声は教会の外からのものであった。
──町民はすでに町に戻った。
そうなればかつて『彼女』が言った通り、この寂れた教会に来る物好きはここにいる少年と、『ここで働いている』者くらいしかいない。
そう、今目の前で困惑の表情を浮かべる神父と、もう一人の『彼女』しか。
思わず莫迦な、と神父が溢し、あわせて少年が小さく息を呑む。
聞き間違える筈がない。
何故ならそれは、少年にとってのそれは。
「人ならぬモノ全てが喰い殺されたこの世界で、人ならぬモノからの福音が消え去ったこの世界で。仮にその【モノ】に名を付けるのなら……、そうね。───【殺人鬼】、なんて名前がいいんじゃないかしら?」
瞬間、教会の重厚な扉がまるで枯れ木のように弾け飛び、外から黒い影が教会内へと突っ込んでくる。
それは神父から入り口までの距離をまるで稲妻の如き速度で詰め、大きく踏み込んだ左足からその速度を全て拳に乗せ替え、無防備な神父の横っ面を力任せに殴り抜いた。
人間が鳴らしていい音とは思えない、壊滅的な破壊音と共に壁へ向かって吹き飛んで行く神父。
彼は教会の壁にめり込むようにしてぶつかり、かつそのまま壁を崩落させその瓦礫の中に埋まっていった。
そこまで見届けて、少年はようやく視線を上げる。そこに、見知った顔があることを期待してだ。
そして確かに、そこには見知った顔が──、天使のような顔で悪魔のような不敵な笑みを浮かべる、
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